こころの深呼吸
「こうあるべき」を、脱ぎ捨てよう
2026.08.24

夏は、楽しいことが次から次へとやってくる。
花火に、プチ旅行に、久しぶりの再会。
「ここ行ってみたいね」「その日、空いてる?」——誰かのひとことで、わくわくと予定がふくらんでいく。その瞬間は、私もちゃんと、楽しみにしているのだ。
なのに気づけば、評判のいいお店を調べて、予約フォームとにらめっこ。
仕事や家事、子育ての合間に、一人ひとりを思い浮かべながら、候補をしぼっていく。
“せっかくなら、雰囲気がいいところがいいよね”
“エスニックは苦手って言ってたっけ”
ようやく「ここならよさそう」とグループLINEに投げて、「何時集合にする?」と聞いてみる。……でも、なかなか返事はこない。
誰かの「どこでもいいよ〜」を受け取って、ふと気づく。
“あれ。私、ちょっと疲れてるかも。この集まり、楽しみにしていたはずなのにな”
「気がきくね」「まかせて安心」。そう言ってもらえるのは、やっぱりうれしい。
誰かが心地よく過ごせるように考えることも、みんなが楽しそうにしている姿を見ることも、きっと好きなのだと思う。
だからこそ、もったいない気もするのだ。
こんなにやさしい力を、いつも誰かのためだけに使って、自分のために使わないでいるのは。
そういえば、と思い出す。ずっと気になっていたカフェが、あったのだった。
今週末は自分のために、予定をひとつ入れてみる。“行ってみたかったカフェに、私をひとり招待しよう”
スマホのカレンダーに、みんなとの予定を書き込むときのように、自分の招待も入れてみる。

カフェでは、いちばん気になっていたものを頼む。スマホの通知は、少しのあいだ伏せておく。運ばれてくるのを、急がずに待つ。
この時間は、誰かの気持ちをおもんばからなくていい。周りに気をつかわなくていい。
ただ、私が「これがいい」と思うものを、選んでいけばいいのだ。
かわいいクマが描かれたラテアートを、くずさないようにそっとひとくち飲む。
“あぁ、私、こういう時間が好きだったな”
考えてみれば、いつも周りのためにやっていることと同じだった。「どうしたら喜ぶかな」「何があったらうれしいかな」。誰かのためなら、いくらでも想像できるのだから、たまには自分にも聞いてあげたい。
「私は、どうしたら、うれしい?」
たったそれだけで、いつもの一日が、少し違って見えてくるのかもしれない。
コーヒーを飲みながら気持ちがほどけると、「次からはもう少し、周りを頼ってみてもいいのかもしれない」そんな考えがぼんやり浮かんだ。
「お店選び、今回はお願いしてもいい?」「いまちょっとバタバタしてるから、おまかせしてもいいかな」。そんなふうに、少しずつ手放してみる。
最初は、ちょっと落ち着かないかもしれない。自分でやったほうが早いのに、と思うかも。
それでも誰かに委ねることは、自分のための余白を、ちゃんと残しておくこと、なのだと思う。
自分をケアすることも、きっと、特別なことじゃなくていいのだ。
たとえば、その日いちばんリラックスできる服を選んでおくこと。
たくさん歩いて、たくさん笑う日なら、締めつけの少ない、素肌にやさしいインナーをそっと仕込むといい。
誰かに見せるためじゃなくて、自分が心地よく過ごすために。外からは見えないところだけれど、自分だけは、その心地よさを知っている。
それはたぶん、「今日は無理しなくていいよ」「疲れたら、力を抜いていいからね」と、自分のからだにそっと声をかけてあげるようなこと。
誰かを気にかけるのが得意な人ほど、自分の小さな疲れには、気づきにくかったりするから。
——そう、これも、いつものあの力だ。相手を思いやって、先回りして、ちゃんと準備しておく、あのやさしい力。
その矛先を、ほんの少し、自分に向けてあげるだけ。
次の集まりの日。きっとまた、私はいろんなことに気を配っているのだと思う。
集合場所を確かめて、みんなの様子をうかがって。それはたぶん、変わらない。
でも、その日の私は、少しだけ違う。
朝、体型を気にせずお気に入りの洋服を選んでいる。
予定のどこかに、自分の「行きたい」をひとつ、忍ばせている。
帰り道、ケーキ屋に寄る楽しみを、こっそり決めている。
みんなのために準備をがんばることを、やめなくてもいい。
ただ、がんばっている私のことも、同じくらい、気にかけていられたら。それだけで、いつもの一日が、少しだけ愛おしくなる気がするのだ。
あ、いいかも
For you