こころの深呼吸
「こうあるべき」を、脱ぎ捨てよう
2026.03.04
黒や紺のブラトップを雑多に詰め込んだカゴの奥に、光るような黄緑色のレースのランジェリーが眠っている。
数年間、身につけていないのに捨てられない。そんな経験はきっとわたしだけじゃないはず。
9年前、アパレルショップでそのランジェリーを買った直後に妊娠をした。
ソファに横たわって動けないまま暗闇に包まれたり、唐揚げが無性に食べたくなって走り出したり。つわりにはじまり、ホルモンの荒波に揺られ、頭ではコントロールできないまま変化していくこころとからだ。
戸惑う間もなく、この世界へようこそと抱きしめた小さな命を守るために、乳も睡眠も、自分をほぼ丸ごと差し出した。
待ったなしの育児のプレッシャーと慌ただしさに押し流されるように、手洗いが必要なレースのランジェリーは、洗濯機に放り込めるブラトップへ。
背筋を伸ばして街を歩いたハイヒールは、公園を駆け回れるスニーカーに。アイロンをかけてまとったフレアのあるブラウスとスカートは、するんと着られるワンピースへ。
いつしか、おしゃれやときめきよりも、洗いやすさや着心地のよさ、「ラクさ」を求めるようになっていた。
インナーの収納カゴ、靴箱、ワードローブに、そこだけ時が止まったかのようにぽつんと輝くものたちを見ると、切ない気持ちも湧いてくる。
またすぐに身につける機会が戻ってくるだろう、戻ってこれるのか?と思いながら、捨てられずに数年が過ぎていた。
いまだに手放せずにいるのは、“あの頃”への執着だろうか。

終わらないToDoを前に「早く、早く」と子どもと自分を急かし、追われるように慌ただしい毎日。
それなのに、ふと自分に矢印を向けてみると「何もできなかった」と無力感を抱く夜もある。自分だけに目を向けられていた“あのころ”から、ずいぶん遠くに来てしまったよう。
けれど、家族に目を向けると──仕事をしながら、子どもの支度のサポートに習い事の送迎、食事の用意に寝かしつけ、感染する菌との戦いを含む体調管理、部屋の片づけ、買い出し、手続き──生活の歯車を滞りなく回すために、たくさんの「できたこと」がある。
本当によくやっている! と、自分で自分にはなまるをあげたい。
みんなが“当たり前”にやっているように見える家事や育児は、日の目を見ることもなく、繰り返す生活にゴールはない。
妊娠中の心身と同じように、自分の意志だけではコントロールできない状況に、はあ〜っとため息が漏れることだってある。
それでも、すーっと息を吸って、ままならなさを受け止めながら、家族の生活がすこやかであるほうを選んでいく。
その選択のひとつが「ラクさ」であり、ブラトップもスニーカーもワンピースも、自分と家族が快適に暮らすために自然と選んでいること。
自分を蔑ろにしているわけでも、怠惰でもなく、家族の生活を守るための聡明な選択なのだ。

「いってらっしゃい」と手を振る朝、「おかえり」とぎゅっとする夕方。手をつないで、しりとりをしながら歩く道。家族で手を合わせて囲む食卓。小さな背中にトントンとリズムを刻む夜。ぐっすり眠るかわいい寝顔。
今のわたしには、“あのころ”にはなかった、いとおしい存在と生活がある。
子どもを産む前のわたしが手にしたランジェリーは、当然だけれど、今のわたしには似合わない。体型も心持ちも生活も変わっているのだから。数年間眠らせたまま手に取らなかったのはしっくりきてなかったのだ。
今の自分を照らしてくれるのはきっと、ていねいに扱う必要のあるランジェリーではなく、雑に扱っても大丈夫でらくちんなブラトップ。
今の自分のこころとからだ、生活に合った心地よいインナーを素直にまとえばいい。罪悪感はきっと必要ない。
ランジェリーを捨てることは、過去の自分を手放すことではなく、その延長線上にいる今の自分を肯定すること。
“あの頃”に戻るのではなく、今の自分にフィットするものを選び続け、更新していくのだ。
しっかり働いて、できる範囲で家事をして、子どもと戯れ、ブラトップを洗濯機に放り込むわたしたちの今日を慈しんでいこう。
それが、明日もまた笑って走るための、一番のエネルギーになるのだから。
あ、いいかも
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