こころの深呼吸
「こうあるべき」を、脱ぎ捨てよう
2026.10.09
高校生のころ、夏服のブラウスから“ブラひも”がちらりとのぞいていて、友だちに言われたことがある。
「ねえ、ブラひも見えてるよ!」
その瞬間、顔がかっと熱くなった。
「えっ、うそ!」
あわてて肩を隠すようにカーディガンをはおって、そのあとは一日中、肩のあたりが気になって仕方がなかった。

思えば、大人になってからもそうだった。
お手洗いの鏡で、ブラやキャミソールの肩ひもがずれていないか確認する。
服の首もとが少し開いている日は、インナーが見えていないか気にする。
「下着は見せないもの」
「見えてしまったら、恥ずかしい」
「きちんと隠しておくのが、大人の身だしなみ」
そんな感覚が、いつの間にか私の中に染みついていたのだと思う。
だから、インナーを着るときも、まず「どう隠すか」を考えてきた。
ところが最近、街を歩くと様子が違う。
透け感のあるシアーなブラウスから、黒いキャミソールがうっすら。
首もとがゆるっと開いたニットから、きれいな色のストラップがちらり。
“あ、素敵……!”
思わず目で追ってしまうし、実は似たようなシアーシャツを、私も買ってある。
なのに、クローゼットにかかったまま、まだ一度も袖を通していない。
いざ鏡の前で合わせてみると、どうにも落ち着かないのだ。
「これ、私がやったら“下着が見えちゃってる人”になるんじゃない?」そう思った瞬間、昔の「ブラひも見えてるよ!」が、記憶の奥からひょいと顔を出す。
かといって、中にインナーをぴしっと着込んで全部を閉じてしまうのも、なんだかわくわくしない。
せっかく“素敵”と思えた気持ちまで、一緒にしまいこんでしまうみたいで。
そんなことを考えていたある日、ふと気づいた。
もしかしたら、私がソワソワするのは、インナーを「下着」の機能としか見てないからかもしれない。
下着が見えている、と思うと恥ずかしい。でも、Tシャツの上にシャツをはおるのと同じように、「重ね着のパーツのひとつ」だと思ってみたらどうだろう。
そう考えてみると、少し見え方が変わった。
見えちゃった、じゃない。
自分で選んで、重ねている。
それだけで、鏡の中の私の表情が少し変わる気がするのだ。

フリルやレースのストラップは、どうしても“下着感”が出やすい。選ぶなら、すっきりとした直線的なストレートストラップ。背中でクロスしていたり、少しアレンジが効いていたりするものも、かえって服のデザインの一部に見えて頼もしい。
これまでは、透けないようにベージュ一択だった。でも、見せる前提なら話は別。
服になじむ同系色でもいいし、黒やブラウン、きれいカラーを差し色にすると、ぐっと“おしゃれ”感が出る。中途半端に隠すより、自分で選んだ色を堂々と重ねるほうが、むしろ品よく見えるものなのかもしれない。
のぞかせるなら、首もとや背中から。
そのほうが、ぐっとヘルシーに見える気がする。素材も、つやのあるサテンより、リブやマットなコットンを選ぶと、服になじんで落ち着いた印象に。
「下着は見せないのがマナー」。
そう教わってきたことも、間違いじゃなかったのだと思う。
でも、ルールに縛られて窮屈に感じ始めたのなら、少しずつゆるめてもいい。その日の気分や好みに合わせて、少しだけ選び方を変えてみてもいいのかもしれない。
「今日はこれくらい見せてみようかな」
「この色、ちょっと好きかも」
そんな小さな気持ちを楽しみながら、自分のからだと服とのちょうどいい距離を探していく。
昔の「こうしなきゃ」より、今の私が「これなら心地いい」と思えるほうへ。
そんなふうに、インナーとの付き合い方も、少しずつ自由にしていけたらいいなと思う。
そうだ。まずは、このあいだ買ったシアーシャツに、首もとのすっきりしたおしゃれカラーのブラインナーを合わせてみよう。
鏡の前でソワソワしたら、「これも重ね着のひとつ」とニコっと笑って言い聞かせて。
あ、いいかも
For you