フェリシモCompany

阪神・淡路大震災を経験したわたしたちだからできる支援のありかた。フェリシモの災害支援の礎を築いた「毎月100円義援金」とは?【後編】

前編はこちら

「復旧は進んだけれど、復興はまだまだ」

1995年から6年半で4億円もの基金が集まり、支援を行ってきましたが、基金の残額が7000万円ありました。そこで、2003年には10市10町を対象とした「KOBE HYOGO 2005」というプロジェクトをスタートしました。震災復興のためにがんばる40歳以下の若手の事業や催事を対象に、上限300万円の支援を行うというもので、2期でおおよそ30プロジェクトを支援させていただきました。

復興についてはなす吉川さん

そして私はそのころに初めて、10市10町のすべての地域を訪問することができました。行政の方々や地域のリーダーの方たちとお話するなかで、「復旧は進んだけれど、復興はまだまだだ」という現状をお聞きしました。震災から8年が経過しても地域には課題が残っている。私たちに何ができるのか、改めて考えさせられました。フェリシモは行政ではありませんから、道路や街のインフラを整えることはできません。しかし、人や地域を元気づけ、活性化するためのお手伝いならフェリシモにできると改めて感じました。そして、息の長い支援の必要性を実感しました。ですから、東日本大震災が起きたときには、当初から最低10年間は支援を行うと決め、長期的な視点で支援計画を立てました。

神戸の経験があったからこそできる、災害支援

こうして、阪神・淡路大震災での経験が礎となって、災害が起こった際はいち早く支援体制をつくるようになっていきました。2011年3月11日に起きた東日本大震災は、想像を絶するような天災でした。フェリシモでは、震災の翌日にはいても立ってもいられなくなった社員が休日にも関わらず自発的に集まって、できること、やるべきことを整理して、すぐに支援にとりかかりました。そのころには、全国のNPOさんやNGOさんとのネットワークがあったので、比較的はやく情報が入るようになっていました。どこに何が必要で、いつ送ればいいのか現地にヒアリングをしながら、救援物資の手配を行いました。現地で必要とされるものは、災害が起きてから段階的に変わっていきます。長期的な視点で支援計画を立てていきました。しかし、フェリシモは緊急で必要な水・食料・毛布などの物資提供には強くないので、神戸の近隣の企業さまにお声がけして共同で物資をお送りしました。震災の7日後には「東日本大震災100円義援金」を立ち上げました。その後すぐに、「女性の元気が東北を元気に!」をコンセプトに「東北IPPO(いっぽ)プロジェクト」もスタートしました。

笑顔のみなさん

神戸と各地のご縁を紡いでいく

全国の被災地へ赴き、「神戸から支援にきました」というと「あぁ、神戸から…(よくお越しくださいました)」と心を開いてくださるようなところがあります。そしていまだに神戸のことを心配してくださる方もいらっしゃるんです。阪神・淡路大震災の経験がある神戸の企業だからこそ、早く打ち解けることができて、スピード感をもって支援プロジェクト進めることができるところがあるのかもしれません。また、東北や熊本などのそれまであまり知り合いのいかなった地にご縁ができて、新しいものづくりやプロジェクトが生まれている側面もあります。悲しいできごとがきっかけではありますが、それがないと繋がらなかったということもまた事実です。


これからの防災と基金の可能性

私たちはダイレクトマーケティングの会社ですから、お客さまとモノや情報のキャッチボールがあります。そのやりとりを活用してなにか支援ができないかということで、東日本大震災から10年後の2021年3月に「東日本大震災100円義援金」を終了しましたが、支援活動を継続していきたいという思いをお客さまにお伝えしました。そしてありがたいことに、今でも2万人弱の方から継続して支援をいただいております。現在は「もっとずっときっと基金」へと名称を変えて、支援対象をこれまでの岩手、宮城、福島の3県から日本全国へと広げました。また、これまでは復旧・復興を中心に基金を使わせていただきましたが、今後は防災・減災にも力を入れていきます。目的を変えてもお客さまのお気持ちを寄せていただき、フェリシモを通じて、ともに助け合うための取り組みに参加していただけることがうれしいです。

もっと、ずっと、きっと
「東日本大震災毎月100円義援金」から「もっとずっときっと基金」へ名称を変えて。災害から身を守り、互いに助け合える取り組みに活用していきます。

私たちは防災の未来についても考えていかねばならないと思います。防災には、自助・共助・公助という原則があります。自助は自分や身近な家族を守る。共助は地域のみんなで助け合う。公助は行政や国の制度を使って守るという意味ですね。私たちは、自助と共助との中間にある関係性をはぐくむことが、防災につながるのではないかと期待しています。ひとえに“地域”といっても規模感はさまざまです。現在は、隣に住んでいる人の顔もわからないようなケースも多々あると思います。“地域”ほどのエリアではなくても、2、3件隣の人たちと顔がわかる関係を普段からつくっておくことで、いざというときに一緒になって力を出せることがあると思うんです。例えば「フェリシモのお客さまバッジ」のようなごくシンプルなツールを通して連帯が生まれるとか、私たちが小さなきっかけをつくっていくとができればいいなと思います。

過去の経験を伝えていく使命がある

過去の経験を伝えていくことについて話す吉川さん

東北や熊本などの被災地に訪問するたびに思うことは、過去の災害から学び応用できている部分と、阪神・淡路大震災から25年以上経った今も同じような困りごとを抱えている現場があります。メディアをもつ私たちフェリシモは、過去の経験から得た知識や知恵を、もっともっと伝えていく使命があります。また、神戸には“災害×デザイン”という視点で活動をされている方もたくさんいらっしゃいます。フェリシモが得意とするファッションや雑貨などの分野と掛け合わせて、生活に身近なプロダクトやシステムをともに開発していきたいと思っています。
個人的なことになりますが、昨年防災士の資格を取得したんです。少しでも知識があれば、有事のときに地域のなかでお役に立てればという思いがありました。


1995年はフェリシモにとっても、私自身にとっても大きな転換期でした。その変化の根幹のひとつに、お客さまとの関係性があります。お客さまから自発的に支援をしていただくなかで、お客さまとフェリシモは、ただものを売り買いする関係ではなく、社会や未来をともにつくっていくパートナーであるという気づきがありました。「毎月100円義援金」は、支援をしていただくお客さまにとっては何の見返りもない基金です。それでも支援を続けてくださっていることに、私たちは真摯にお応えしなくてはなりませんし、これからもお客さまに問いかけ、ともに考えながら活動を続けていきたいです。

この記事をシェアする
Twitter
Facebook
LINE

コメント

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。

コメントを投稿する

コメント

  • こなちゃん より:

    阪神淡路大震災は大変だったょ

    • フェリシモ社会文化活動担当 より:

      こなちゃんさま
      コメントをいただきありがとうございます。
      大変だった経験を次世代へ語り継いでいくことも今を生きる私たちの役割でもあると思っています。
      今後もみなさまとともに、思いを未来へつなげてまいります。
      これからもどうぞよろしくお願いいたします!

      フェリシモ基金事務局

ページトップへ戻る