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~ その② 衝撃の風景 命との対峙~ 【2/10】

haco.スタッフの岩手県ボランティアレポート第2回。
ボランティアセンターに着いた夜。迎えてくれたボランティアの行動で気づかされたこと。
 
4月末の時点で岩手まで行く交通手段はいくつかありましたが、僕は飛行機でいわて花巻空港に飛びました。夕方発の飛行機だったため、遠野市に着いたのは夜の21時過ぎで、体育館に泊まるにしても受付はさすがに終わっているだろうと、内心焦っていました。
僕はちゃんと泊めてもらえるのか!?
しかし、そこでは遠方からかけつけてくるボランティアを24時間体制で受付できるようにと、交代受付当番をしており、無事に手続きを済ませることができたのです。
最初どこに行って、どんな手順で手続きすればいいか分からずに立ち尽くしていた私に、「受付ですか?じゃあこちらへどうぞ」と言って、担当者らしき男性が声をかけてくれました。
書類の記入から宿泊する体育館の案内、ここでのルールや注意事項などを、事細かく丁寧に説明してくれました。自分とほとんど年が同じくらいの男性だったのですが、その慣れた振る舞いなどから、彼はここの「職員」なんだろうと勝手に思っていました。
ところが説明を終えて持ち場に帰ろうとする彼の最後の言葉に驚かされます。
 「僕も今日ここに着いたばっかりなんですわ。ここではみんながボランティアなんですよ。」
そうなんです。
ここはボランティアの集合体であって、サービスセンターでも役場でもないんです。
運営する側もみんなボランティアの人なので、この受付も含め全部ひっくるめて、ずっと引き継ぎをしながら活動を続けているのです。
自分と同じ初日だったにも関わらず、きちんとした対応で迎えてくれた彼に感謝する気持ちが、「明日からは自分が、同じように新たなボランティアを迎えなければ。」という使命感を芽生えさせてくれました。
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受付の説明をしてくれる人も、数日前に来たボランティア
■想像をはるかに超えた被災地の状況
作業初日は海に近い大きな保冷倉庫から流出したサンマ・シャケ・イクラ(パック)などの回収作業に当たることになりました。この日は参加できるボランティアの種類が少なく、選択の余地もなくサンマ隊として動くことになります。この活動についてはうわさには聞いていましたが、腐った魚が放つ悪臭との戦いになるとのこと。
ボランティアが現地までいけるように朝には何台ものバスが用意されて目的地ごとに乗車します。
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朝礼風景。全国からたくさんのボランティアが集まってきます。
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途中の道の駅にかけてあった看板
バスの中では班長にあたる2名の人が人数確認や、現地での注意事項・作業手順などを細かく説明してくれ、自分たちがどういう場所で何をするのかを理解することができました。
そしてバスが陸前高田市に入った瞬間、目の前に飛び込んできたのはテレビで見ていた瓦礫がどこまでも散乱した風景。自分の目で見た実際の景色は想像をはるかに超えており、どこまでも続くその凄惨な様子にただただ言葉をなくすのみです。
クシャクシャになったおびただしい数のクルマ、線路ごともぎ取られて半分しか残っていない橋、住宅地だったはずの場所に1軒の家も残らずにまるでミキサーにかけられたように瓦礫だけになっている町、かろうじて建物の形が残っていても壁が崩れて中の台所が丸見えで、その流し台の上には洗濯機が突き刺さっている…。
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そして何より、この景色の中にまだ発見されていない方々(この時、陸前高田では約1000人が未だ行方不明)がいるのかもしれないと考えたときに、その壮絶な風景から生と死というものを強烈につきつけられるような感覚になり、心の奥の中心部分が激しくゆさぶられました。
これはバスに乗っているほとんどの人も同じだったようです。
そして、心の底からわきあがる共通の感情をこの時全員が持ったのだと思います。
「東北のために、なんとか自分ができることをして力になりたい」
無言の決意を胸に、バスはサンマ回収現場に到着します。
(次回に続く……)
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