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ウクライナのチョコレート

2022.11.02

チョコでウクライナとつながろう! その3


ヨーロッパでは一般の人がウクライナとつながる方法として、ウクライナのビジネス展示会がたくさん開催されているそうです。

寄付というよりも、普通にビジネスとして一般の人同士がつながりを続ける。

ウクライナの〈リビウハンドメイドチョコレート〉のスタッフさんもそのことを喜んでいました。これからももっともっと私たちのチョコを買ってくださいと。

私もウクライナのショコラティエからいいチョコを買いたいなと思いました。私はチョコレートバイヤーです。

ウクライナの問題が始まった時。
私はロシア人のショコラティエのことを考えていました。
2021年のカタログに向けて、ロシアのチョコレート特集を組んでサンクトペテルブルグに行こうとしてた時、コロナが始まって、ずっと行けなくなっていました。
彼らは素晴らしいチョコを作っています。でも今は、ロシアと経済活動ができないので彼らのチョコは買うことができないのです。

数年前から私の出張は東ヨーロッパの国に固まっていたので、ここ数年、ロシアから彼らが独立した1990年代の話をよく聞いていました。
バルト3国ではロシア人のショコラティエにも何人も会いました。「私の家族は長年ここでショコラティエをしているロシア人家族です」とプライドを持っておっしゃいます。お店にもあえて古いロシアの骨董品を置いてるくらいです。

独立運動の1990年ごろ、本当にこの人たちもつらい思いをしたんだろうな。さぞ、ご近所友だち同僚同士で複雑な思いをしたんだろう。「そんなん絶対いややなあ、みんながしんどかっただろうなあ。」と町の一番いいところにある独立のモニュメントを見るたび、深い思いをめぐらせていました。
各地でそういう場面に出会い、昔の時代ってたいへんだなあ、と歴史の教科書をリアルに見た気持ちでいました。

しかし、過去だと思っていたことが今起きてしまっています。
いろんな人が今まさにたいへんな思いをしているでしょう。
間違いなく言えるのは、戦火でもショコラティエは一生懸命チョコを作っています。近所の人をチョコで癒し続けています。

みんないい職人さん。
どんな時でも、チョコはチョコ。
ご近所みんなで一緒にチョコが食べられたらいいですね。

今なかなか東欧は輸送が難しく、ましてやロシアのチョコはまったく輸入ができませんが、またお仕事ができるようになったら、おいしいロシアのショコラティエのチョコも、ウクライナの素晴らしいチョコも、両方日本のみなさまに紹介したいと思っています。その日が来るのを心から待っています。

チョコで世界としあわせに。

チョコレートバイヤーみりは今日もお仕事したいと思います。

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チョコレートバイヤーみり

フェリシモでのチョコレートバイヤー歴25年以上、「チョコで世界中を笑顔にしたい」と世界各国のショコラティエをめぐり、数々のレアチョコを発掘。これまでに約500ブランド・約2,500種類のチョコレートを輸入販売した実績を持ち、その中でも日本に初上陸させたチョコレートは約250ブランド。チョコのストーリーを語らせたら止まりません! まだ知られていない素敵なチョコを紹介するため、今日も世界の果てまでチョコ探し!

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