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「人生は毎日が小さな修行」

慈眼寺 住職

塩沼亮潤さん

開催日
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プロフィール

1968年宮城県仙台市生まれ。東北高校卒業後、1987年吉野山金峯山寺で出家得度。1999年に、過去1300年で1人しか成し遂げられなかった、1日48kmの険しい山道を千日間歩き続ける「千日回峰行」を満行。その後、9日間の断食・断水・不眠・不臥の中、20万編の御真言を唱え続ける「四無行」を満行する。また、百日間の五穀断ち・塩断ちの前行の後、「八千枚大護摩供」を満行。大峯千日回峰行大行満大阿闍梨となる。 仏教の教えである“思いやりの心”、日本の“和の心”を説く教えは、国内のみならず世界中で反響を呼んでいる。著書『人生生涯小僧のこころ』は英訳され全世界に配信されている。現在、仙台市秋保・慈眼寺住職。

※プロフィールは、ご講演当時のものです。

講演録 Performance record

第1部

塩沼亮潤さん

(#紹介映像)

塩沼さん:
みなさん、こんにちは。私もいろいろな悩み、苦しみ、迷いでもがき、いちばんのしあわせとは何だろうと考えた時に、お互いに心と心が通い合っている人が世界のどこかに一人でもいてくれたならば、それが原動力となってこのうえもないしあわせとなって「がんばるぞ」という気持ちになると思いました。私たちは呼吸をしています。息を吐くから吸えるように、相手に対して思いやりを投げかけるからその人から、あるいはどこか違ったところから思いやりが返ってきます。この心と心のキャッチボールをしていると心がうるおってくると思いました。

修行前の私は心がわがままだったと思います。「もっと自分のことを理解してほしい」「自分はこう思うのに」と誰でも思いますが、そういうところをひとつひとつ洗い清めてくれて、心が段々きれいになってきたと思います。お坊さんと一般人の間に壁はないと思います。オギャーと生まれて、やがてあの世に旅立つまでのこの人生は、私たち人間にとって大事な修行の期間だと思います。お坊さんは人生の先生にならなければならないので、少しばかり修行というものを通して自分自身を見つめなおす時間を与えられるしあわせな存在だと思います。千日回峰行という与えられた大切な時間の中で、行も終盤、こんなことをつぶやいていました。

今日もいつもと変わらぬ朝を迎えて、いつものように歩いて、そして日が暮れようとしている。この9年間で体も一回り小さくなり、骨も細くなりました。歯もボロボロ、足もだいぶ弱くなりました。しかし、難行苦行の中から「行とは行じさせていただくものである」、また「人は生かされているものだ」というありがたさを知りました。人間は苦しい時の心がいちばん澄んでいるということも知りました。また明日、どんなにつらくても苦しくても、心豊かにやさしく笑っていたい。いつまでも忘れず、この心のまま歩いていたい。

塩沼さん:
こう書き綴っているわけですが、こういう心境に至るまではたくさんの汗と涙を流し、時には血のにじむおしっこを出しながら、からだを使ってひとつひとつ自分の心を成長させてきたのだと思います。

人間は誰でもひとつの石だと思います。どんな石でも磨けば必ず光り輝きます。ダイヤモンドやエメラルド、ルビーのような石もありますが、道ばたに落ちているような石でも磨くときれいに光り輝きます。世の中にはいろいろな役割の人がいて、お互いに支え合って社会が成り立っていると考えると、それぞれが大切な人生という修行の中でプラスとマイナス、明るい方と暗い方を常に行き来する心の針を自分でしっかりコントロールして、より感謝の世界、謙虚な世界へと心を向けていかなければなりません。

幼いころの私はそれができていたかと考えると、全然できていませんでした。オギャーと生まれて、気づいた時には母と祖母と父がいて、自分の人生というものが始まっていたわけです。子どもの気まま、わがままに親が向き合って「こういうことはだめなんだよ」と教育されていく中で少しずつマナーや礼儀を覚えるように、自分の心を成長させるのはとても時間がかかります。そういった意味で今日、みなさんが幼いころから今に至るまでどのような人生を歩んできて、どのように自分自身の心を成長させてきたかということと、私の修行の人生を照らし合わせてお話を進めていきたいと思います。

たくさんのお客さま

■千日回峰行への志を胸に入山

塩沼さん:
千日回峰行という修行にご縁があったのは、小学校高学年のころでした。夜8時過ぎのNHKのテレビを母と祖母が見ていて、その後ろで「何を見ているんだろう」と思って見ると、お坊さんが一日に何10キロと山を歩く千日回峰行の番組でした。当時はそのお坊さんがどういうことをしているのか、そしておなまえもわかりませんでしたが、その番組を見た瞬間に「この行がしたい」という素直な気持ちが芽ばえました。家は普通のサラリーマンで、なぜ修行に興味を持ったのかは今でもわかりませんが、これがご縁なのかと思います。例えば、みなさんに「なぜ今のご職業をなさっているのですか」と私が尋ねても「何だっただろう」というのが縁だと思います。

訳あって父と母が離婚し、私は母と母の親である祖母と3人の暮らしを選びました。生活が苦しくなると、夕方に近所の人や母の友人がおいしいおかずを持ってきてくれます。いつも玄関先に両手をついて「ありがとうございます」という母の後ろ姿を見ていると、「自分もがんばらないといけない」「みなさんにご恩返しをしないといけない」という心が芽ばえてきます。

高校を卒業するころになると「どうしても千日回峰行がしたい」という気持ちがどんどん大きくなってきました。特別、仏教に興味があったわけでも宗教に造詣があったわけでもありません。ただ「我々は大自然に生かされている。なぜ世の中の人たちはみな争ったり、お互いに傷つけあったりしているのだろう。まず自分自身を見つめてみよう」と思い、奈良の吉野山にあります金峯山寺(きんぶせんじ)という1300年の歴史があるお寺の門をたたきました。

19歳の春でした。朝、目が覚めますと台所からトントンと包丁の音が聞こえてきます。「母ちゃん、何してるの」「今日はおまえが出家するから、最後に母ちゃんのおいしい味噌汁を飲んでいきなさい」と刻んだ大根を鍋に入れて、祖母と3人で一汁一菜でご飯を食べました。仙台駅まで見送りに来てくれて、「がんばってきなよ」と言われて仙台をあとにしました。新幹線のドアが閉まった瞬間に「自分が就職すれば家計もらくになるのに、申し訳ないことをした」と涙がこみ上げてきました。出家をする、その瞬間に母は何をしたかというと、ご飯を食べ終わり、茶碗を洗い、その食器を全部ゴミ箱に投げて「おまえの帰ってくる場所はないと思いなさい。まして命がけの修行を志しているのならば、母ちゃんとばあちゃんのことは心配しなくていいから」と言って送り出されました。「もう後戻りはできない。母ちゃんとばあちゃんのことも思わないで自分の道をまっしぐらに進んでみよう」と思い、昭和62年5月6日、奈良の吉野山に入山をいたしました。

「お寺というのはどういう所だろう。修行をしている全国から集まってきたお坊さんたちがたくさんいる。みんな和気合い合いとお互い敬意を払いながら助け合い、常に笑いがあって天国のような修行道場に私は行くのかな」。現実は正反対で、「あんちくしょう、こんちくしょう、これが社会なんだ」と現実に引き戻されるわけです。

高校を卒業し、初めて私も社会の一員になり、修行道場で規則正しい生活が始まりました。まず、お坊さんとして仲間入りするためには頭を剃って、お師匠さんからお袈裟をいただきます。お師匠さんがこんなことを教えてくれました。「寺という所はひとつのたらいだ。修行道場というたらいに土のついたおいもさんが全国から集められてくるわけや。仙台から来たもんもいれば北海道から来たもんもおるやろ。土がついた状態やったら料理ができへん。どうやって洗う? 水を張ってお互いぶつかり合うことによって土が取れてくる」「土とは何ですか」「自我や我欲、感謝の心を知らず、足ることを知らず、思いやる心を知らないで生きているとお互い傷つく。人と人がぶつかり合うことによって迷惑をかけ、かけられ、お互いその中から人生とは何かというものが少しずつ薄皮をはぐようにわかってくるんだ」。そう考えると、お坊さんの人生の修行もこの娑婆世と言われるみなさんを取り巻く人間関係もすべて一緒なわけです。

「君たちは今まで俗世間で生きてきたから悪いことをしたのもおるやろう。知っていても人に迷惑をかけたり、いやなことをしたり、あるいは知らないうちに『これが正しい』と勢いよく手をあげて前に突き進んだがゆえに陰で泣く人がいたのではなかろうか。どんな人でも自我があり、我欲があるから多少なりとも罪業がある。今日から得度という悟りを求める道へ突き進んでいくのだから、過去の罪業をすべて精算しなさい」「どうやって精算するのですか」「2500年前にお釈迦さんがこんなことを言っていた。『ただ懺悔(さんげ)の力のみよく積罪を滅す』と言ってな、心から『本当に申し訳ございません』と懺悔をしたならばすべての罪は帳消しになる。私たちは何か迷惑をかけられても、その人の心からの言葉と態度で誠心誠意謝られた場合に『もういいよ』とそれ以上罪を咎めないように、心からの懺悔が必要なのだ」と言って「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身口意之所生 一切我今皆懺悔」(がしゃくしょぞうしょあくごう、かいゆうむしとんじんち、じゅうしんくいししょしょう、いっさいがこんかいさんげ)とお唱えをして、手を合わせて修行が始まりました。「わかったか」と言われて、みんな「わかりました」と答えました。「今日より明日、明日より明後日、過去最高のおつとめをするんだぞ」とある先輩が言ってくれました。その話はどこに発するかというと、お寺という所は毎日、同じことの繰り返しです。同じことを同じように情熱を失わずに繰り返していると悟る可能性があると2500年前にお釈迦さまが仰っています。ただ修行しても、精一杯修行しても1日は1日です。精一杯なすべきことをなして、今日より明日、明日より明後日と、情熱を失わない者だけが最後、「智目行足清涼池(ちもくぎょうそくしょうりょうち)に到る」ではありませんけれども穏やかな心になります。

「悟りへ向かって修行しなさい」と言っても、現実を見て「あんちくしょう、こんちくしょう」と心がこちら側にとらわれている人は真理を求めるのと違う方向に行っているわけです。私たちもそうです。いい本を読んで「がんばろう」と思っても、実際に面と向かったり体験すると「どうして」「なぜ」と。師匠に「ここがおかしい」「あそこがおかしい」と言われても、納得も理解もできるわけがありません。けれども、「はい、がんばります」という素直で謙虚な心があれば、昔のアナログラジオをチューニングしていくように周波数がパンと感覚的に合う時があります。「師匠が言っていることはこういうことだったんだ」「本に書いてあることはこういうことだったんだ」「あの時、あの話を聞いたのはこういうことだったんだ」と人生の体験に裏付けされて後から理解でき、納得するものなのです。

ですので、人生の修行は時間がかかり、なかなかすぐには花が咲きません。1つの花の種も、種を植えて次の日に花が咲くことはありません。双葉から始まり、天に向かって芽が出て、同時に見えない所ではしっかりと根を張ってきれいな花を咲かせます。きれいな花を咲かせるために根の部分では常に努力をしています。我々も見えないところで努力をしていないと、人生の花を咲かせることはできません。そういう目に見えない側に行ったら何かあるのだろうという夢、そして将来は一人でも誰かのためになるようなお坊さんになろうという夢を持って私の小僧生活は始まりました。

千日回峰行について話す塩沼さん

■大きな心の支えは母と祖母

塩沼さん:
千日回峰行は1300年の歴史の中で挑戦して達成した人が一人だけという非常にきびしい修行です。一旦修行に入ったならば、途中で「もう限界です」「足の骨が折れましたのでやめます」ということは許されません。なぜかというと、一旦仏さまに「私は千日回峰行に入り48000キロ歩き通します」という願を掛けたならば、決して仏さまに嘘をつくようなことはあってはいけないからです。「万が一、途中で行をやめる場合には、短刀で切腹してその場で朽ち果てなさい」というきびしい掟があります。これは決して命を軽んじる考え方ではなく、現代ではなく遠い昔から宗教的伝統に基づいて残っている言い伝えです。お師匠さんから「だめだったら切腹をしなさい」という強制もありませんが、行が始まる前に刀鍛冶屋さんで刀を新調し、23歳の春から修行が始まりました。行が始まったばかりの日記を読んでみたいと思います。

17日目、行者なんて次の一歩がわからないんだ。行くか行かないかじゃない。行くだけなんだ。理屈なんか通りやしない。行かなけりゃあ短刀で腹を切るしかない。そう、次の一歩がわからないんだ。
52日目。妥協しようと思ったらいくらでもできるかもしれない。しかし、「なにくそ、これしき」と思う。しかし、その勇気は大変だ。苦しみ、悩み、涙と汗を流せば流すほど心が成長する。たとえ雨でも雲の上は晴れている。心まで曇らせることなく歩いていかなければ。

塩沼さん:
毎日起床は23時30分。深夜、参籠所(さんろうしょ)で目を覚ますと、すぐに滝場に行って山に入る前のお清めとして滝行があります。階段を500段ほど登ってきますと深夜0時過ぎ。そこから25分ほどかけて朝ご飯に梅干しも入っていない小さな塩むすびを食べて山伏になる装束を整え、出発の準備をします。腹に何本もひもを結び、左の腰に短刀を差して、自分の念持仏(ねんじぶつ)に「今日も無事行って帰ってこられますように」とおつとめをします。左手に提灯、右手に杖を持ち、編み笠をかぶって、クマ除けの鈴をチリンチリンと鳴らしながら門前町を約3、400メートル行くと、そこから一気に急な上り坂が始まります。2キロほど行くと「水を分ける」と書いて水分神社、みくまり神社と読みますが、この神社から外灯がなくなります。4キロほど行った金峯神社(きんぶじんじゃ)から先は獣道みたいな非常に足場の悪い、石や木の根っこがゴツゴツした整備されていない山道をたった一人、黙々と山に向かって進んでいきます。

ルールとして「行って帰ってくるまでどんなことがあっても人と話してはいけない」というものがあります。きびしい山道なので年間を通して人とすれ違うことはほとんどありません。12、3キロ行った百丁茶屋跡に雨露をしのげる山小屋があり、朝ご飯を食べます。梅干しが入っているおにぎりひとつ半をお水と一緒に流し込みます。行が始まるのが毎年5月3日で、9月22日までの4カ月間はほとんど一日をおにぎりですごします。帰ってきてからやっとおかずがある一汁一菜の精進料理をいただきますが、その程度のカロリーですので、行が始まって一カ月ほど過ぎてつめをさわっているとつめがくだけてきます。

そして、来る日も来る日も寒さに耐えなければなりません。5月の初旬、1719メートルの山頂付近は氷点下になります。そこから一気に4、5時間で降りてきますとふもとは30度を超えている日もあって、暑いのか寒いのかわからなくなります。雨が降るとからだの芯まで冷えきって、ふもとでは20度を超えているはずなのに、ひもをほどくのが困難なほど手がかじかんでいたり、からだがボロボロになってきます。6月は毎日、大峯(おおみね)は雨になります。7月後半に梅雨明けを迎えますと一気に気温が変わってうだるような暑さになります。体力を消耗するので2年目以降、必ずと言っていいほど梅雨明けと同時に1週間ほど血尿が続きます。8月の1カ月は命からがら修行をして、また残りの8カ月は小僧生活というサイクルの中で、「行とはいったい何か」「人生とはいったい何か」「なぜ自分の気持ちというのは、山で反省して謙虚になっても、里に降りて自分の思いどおりにならない人やいやな人と出会うとマイナスの方に振れてしまうのだろう。修行が足りん」と悩みました。23、4歳のころは心がきちんと定まっていません。行に入るとラジオもテレビも新聞も家族との手紙のやりとりもできず、山にいるとたった一人、誰とも話ができないとなると、故郷にいる母ちゃんやばあちゃんは何をしているかなと初めのころにこんなことをつぶやいていました。

母ちゃん、この世では俺ぐらいの子を持つ親は、もう孫もいるよね。朝早く起きて無事を祈ってくれたり苦労をかけてすまないね。でも神さん、仏さんのために俺はがんばる。いつの日からこの道を歩み始めたのだろうか。母ちゃん、誰に聞いてもわからない。なぜかわからないけれども、今、毋ちゃんとばあちゃんと俺、何なんだろう。でも仏さまも羨むだろうよ、この絆は。一緒に暮らしたい。みんなのように親孝行をしたい。でも今はできないんだ。一緒に暮らしたい。誰がなんと言っても、そう、そうしたい。ばあちゃん、俺のためにお茶を断ってくれているんだって。苦しいだろうねえ。つらいだろうねえ。80を越えて、もう俺と話をする時間も少なくなってきているのに、昔は布団に入って8畳一間の家でよく話したね。今、そうしたいね。うんといっぱい話をしたいね。母ちゃん、ばあちゃん、3人でゆっくりしたいね。いつになったらできるのかな。3人で10年でも20年でも一生でも3人でいたいね。夜、寝ないででも話をしたいね。ゆっくり話をしたいね。でもそれができないんだ、今は。ばあちゃん、母ちゃん、いつかきっと早くその日がくるように。
167日。午前3時半。青根ケ峰(あおねがみね)より向こうで東の空には三日月が上り始め、明けの明星が上り、空には一面の星、目の前には雲海、大自然は偉大だ。それに比べ自分の心の小さいこと、小さいこと。目先のことしか見えずに悩んでしまうこともある。なんと情けないことだろうか。

塩沼さん:
行をしていると心の中にいろいろなことが巡ってきます。その中でどうしてくじけずに常に前に向かって「行くぞ」という気持ちでいられたのかと思うと、大きな心の支えは母や祖母でした。「遠く離れた東北の地から毎日私の無事を祈ってくれている」、そんな気持ちが誰もいない山の中にいるとひしひしと伝わってきます。「自分のためにお茶を絶ってくれているばあちゃんや祈ってくれている母がいる」、それがくじけそうになる時に心のつっかえ棒となって前に向かって進むことができたのだと思います。

そしてもうひとつは「今日より明日、明日より明後日、常に過去最高の勤行(ごんぎょう)をするんだぞ」、そう教えてくれた先輩がいました。私は千回のチャレンジを与えられているのです。相撲で言えば一日一日が取り組みで、何との戦いかというと自分の怠け心、行かなければならないから行くという惰性の心、そしてつらさや苦しさから逃れたい弱虫の自分です。そうなったら日誌には黒星をつけようと思いました。「もし黒星がついたら」と思うと怖いです。過去はいくら振り向いても絶対に取り戻すことはできないからです。「ならば千、毎日を白星で飾ってみよう」というわくわくするような挑戦にしました。ものすごく苦しい修行の中にも、そういう1つの遊び心みたいな余裕があったように思います。「今日より明日、いい修行にするぞ」と思いました。行って帰ってくることは当たり前で、行って帰ってきたらみんなが認識してまるをもらえます。中身までは見えませんが、「中身をしっかりしておかないと、後々自分の内面からにじみ出てくるものが弱くなるだろう」という単純な発想から毎日、追い込まれれば追い込まれるほど「いくぞ! 」という気持ちが途絶えたことはありませんでした。

■命にかかわる修羅場を乗り越える

塩沼さん:
「いったん行に入ると、命を落とすかあるいはギリギリの修羅場を3度ほどくぐり抜けると思う」と師匠が教えてくれました。「歴史と伝統がある大きな修行にはそういう言い伝えがあってな。わしは千日回峰行をしたことはないが、もしかするとそういう局面に追い込まれるぞ」と若いころから聞いていました。

一度目は近畿地方に前線が停滞して台風が2つほど一気にやってきて、大きな崩落がありました。その崩落現場を通るのにふだんならば20秒ほどで通り抜けるところを30分かかって通らなければなりませんでした。やがてその現場は雨がやみ、ギリギリ通れるくらいになりましたが、また雨が降り出した時に、山の高い所からものすごいスピードで大きな岩が落ちてきたのです。笠に大雨が当たる音と視界の悪さで落石を感知できませんでした。杖を前にストンと落としたところブルブルっという感覚があって、気がつくと杖がまっぷたつになり、大きな岩と杖が谷底に転がっていました。私のからだがもう0コンマ何秒前にあったらからだは粉々になり、そこで命は果てたと思います。

二度目は大きな地響きと共に牙を剥きだしにしたクマが襲ってきました。ウォーッという音に振り向くと、14~5メートル後ろに冷蔵庫が吹っ飛んでくるような勢いでクマがいました。森のくまさんのようなイメージは全くなく、一瞬で「これをどうやって乗り越えよう。まず逃げよう」と考えました。逃げている自分がスローモーションのように感じられます。頭の中では「数秒後には追いつかれてクマが襲いかかってくるだろう。これをどうやって乗り越えたらいいのだろう。振り向いて、クマに向かって行って大声で威嚇して杖を投げつける」、そういう判断ができるのです。躊躇していたらすぐに追いつかれますので、意を決して振り向いてクマに向かっていったところ、クマが山の上の方に逃げていってくれたので命からがら助かりました。

三度目は500日を目前とした488日目から10日で11キロもやせてしまうという体調不良でした。

488日。左足痛い、腹痛い、たまりません。冷たい風で冷えたのか、腹が痛い。体中の節が痛い。雷鳴りそう、たまらん、生き地獄。

塩沼さん:
ある日突然、高熱と下痢が治りません。行の掟として、山から帰ってきても山門から出てはいけないきまりになっています。前もって腹痛や解熱の薬を買っておきますが、どんな薬を飲んでも治りません。

489日。腹痛い、たまらん。体中の節々が痛く、たまらん。道に倒れ木に寄りかかり、涙と汗を流して、でも人前では毅然と。俺はみなさんに希望を与えさせていただく仕事。人の同情を買うようでは行者失格だと言い聞かせ、やっと蔵王堂に帰ってきた。何で48キロ歩けたんだろう。さっき近所のおばちゃんが「軽い足取りやねえ、元気そうやねえ」と言ってくれた。俺は「はい、ありがとうございます」と答えたが、本当は違う。舞台裏は誰も知らないだろう。いや、知ってくれなくていい。誰に見られることも意識しない野に咲く一輪の花の如く、御仏に対しただ清く正しくありたい。

塩沼さん:
こう書き綴って1日を終えるわけですが、人間というのはおだやかな守られた環境にいるとなかなか反省しないと思います。修行では三度の食事が修行道場で用意され、時にはお茶を飲め、雨露をしのげます。腹が減ればご飯を食べ、寝る時間になれば休むことができます。しかし、この修行はほとんど食べられない、雨露をしのぐ場所もありません。追い込まれるとどういう心境になっていくかというと、段々と感謝、自己を省みる反省の心、そしてどんな人に対しても敬う心、涙ながらに里での自分自身の言動を反省するようになります。

「野に咲く一輪の花のごとく、清く正しくありたい」と思ったのは、精神的にも肉体的にもボロボロになって、ふと足もとにあるきれいな花を見た時です。「何でこんな誰も来ない所で、この花はきれいな花を咲かせているのだろう。人に見せびらかすわけでもない。『私ってきれいでしょう』『こんなことができる私はすごいでしょう』と我々ならばすぐ自慢したがるのに、誰に見られるということも意識しない。天に向かってきれいな花を咲かせて、見えない部分では水分や栄養分を吸収して努力をし続けている。隣にきれいなお花が咲いていても決してねたまない、うらやまない、嫉妬しない。『なぜ? 』と不平不満を言わない。自分はこのお花さんよりも悟っていない」と思いました。追い込まれれば追い込まれるほど、そういう小さな悟りと出会うことができます。それは汗し、涙し、限界に追い込まれた時にふと心の中に浮かんでくるものです。「悟りとはこういうことなのだ」という小さな悟りをたくさん積み重ねて、修行者はまた里に戻ってこなければいけません。永遠に山で修行をしていたら仙人になります。山で小さな宝物を見つけ、里に帰ってきてみなさんにお伝えします。

でも、実際には山で悟っただけではだめでした。山は大学のようなもので、ふと浮かんだことは知識なのです。人として生きる仏さまの知恵、仏智(ぶっち)を授かるのですが、実際に里に降りると嫌いな人に笑顔ができなかったり、やさしい言葉をかけられませんでした。「なんて自分はだめなのだろう」と反省して、また次の年にお山に行きます。こんな繰り返しは学生で言うと研究と論文を書いているようなもので、私は人生の大学だと言っています。たまたまここは神戸学校ということで、みなさんの人生の学びの場が今日、ここにあるのだと思います。

日を追うごとに体力が落ちていき、1日1キロずつコンスタントに痩せてきて、488日目から1週間ほど過ぎても治りません。

490日。熱、38度。節々が痛く首も回らない。食べもんを食べれば下痢。でもみんなが言う。「元気そうやねえ」と。

塩沼さん:
なぜ元気にしていたかというと、自分で「行をさせてください」とお願いした立場、人に心配や迷惑をかけるようでは行者失格だと思い、出発する時間、ご飯と味噌汁を用意してくれるおじさんのために山小屋に到着する時間、帰ってくる時間は夕方の3時15分、みなさんにごあいさつをすべて終えるのは3時半と同じ時間に決めていました。けれども、どうしても体調がすぐれなくなりました。

494日目、今までにない苦しみ、下痢は20回以上。食ったもんは2時間で出てくる。小便は出ない。出ても真っ茶、いやこげ茶色。道端に倒れ、泣いて、ただ必死にボロボロになってたどり着いた。

塩沼さん:
「お師匠さん、今日も無事行って参りました」とごあいさつをすると、師匠は「どうや調子は」。調子が悪いとも言えません。「はい、ぼちぼちです」「そうか、しっかりやりや」。ほおがこけて、もう7キロから8キロ、一気にやせていますので体調不良は誰でも感じ取れたと思います。部屋に帰ってきて着替えをしようとした瞬間にからだがけいれんして涙がこみ上げてきました。それはつらい、苦しい涙ではなく、「ごめんね」と自分の心が自分のからだに謝っていました。「自分がこんなにつらい修行を志したからおまえにこんなに負担をかけて申し訳ない」という涙があふれて止まりません。そこにうずくまっていられるのならば、ずっとうずくまっていたい。けれども掃除、洗濯、次の日の用意、そしてお風呂に入らないと休めません。歯を食いしばってその日やらなければならないことをやって階段で500段ほど下り、そこから一気に記憶がなくなりました。ふと目を覚ますと、いつもならば出発していなければならない0時30分。「今日は遅刻をしてしまった。高熱が出て、からだもジョギンとなったまま動かない。けれども行かねば」と思い、激痛のからだを起こして這うように滝場に行って身を清め、階段を500段ほど登ってきましたが意識は朦朧としています。外灯がなくなる水分神社を過ぎた所で杖と提灯を持っていないので足もとが暗いことに気づきました。両手に持っていたのはたくさんの水が入った袋でした。おそらく無意識のうちに脱水症状になったら死ぬという思いがあったのだと思います。

100メーター、200メーター行っては倒れ、また数十メーター行っては倒れ、4キロほど過ぎて獣道みたいな行者道に入った時にはとうとう小さな石につまずいて宙を舞うように顔面からたたきつけられ、たくさんの水が散乱しました。「とても気持ちいい。このまま永遠に時間が止まってほしい」と思いました。感謝の真綿にからだをくるまれている感覚がして、幼いころに母や祖母と散歩をしながら会話をした記憶がよみがえってきます。

母ちゃんやばあちゃんは人として大切なことをたくさん教えてくれました。「『実るほど頭を垂れる稲穂かな』ってわかるか? 」「ううん、わかんない」「人はどんなに偉くなっても謙虚に、人の下から行きなさい。わかったか」「うん」。何十回、何百回、言い聞かせられたでしょうか。「好き嫌いをしてはいけませんよ」。にんじんやピーマン、ごぼうが苦手でしたが、上手にみじん切りにして「ほら、食べられるでしょう。好きなものと嫌いなものをわけへだてする心、これはだめですよ」としっかり教えられていたので、大人になっていやな仕事が来たりいやな人が目の前に現れても、100点満点ではありませんけれども極力、元気にニコニコできる土台ができていたと思います。「絶対に目上の人に口答えをしてはいけませんよ」と言われていたので、お坊さんの修行に入ってから理解できない、納得できないことを言われたとしても、とりあえず「がんばります」と言って、「理解できなから私はやりたくありません」「納得できないのでしません」という自分ではありませんでした。そう思うと、ほかの修行僧よりも自分はしあわせでした。「約束を守って、うそをつかない」。子どもは自分の都合のいいように言い訳をしますが、親がしっかりと見抜いて向き合って育ててくれたから社会に出て信用を得ることができました。

そういった人としての大切な何かというのは、本当は修行道場に入る前に家庭で教えられなければならないことです。昭和の時代、この国も裕福になり、バブルになるとそういう大切なことが少し薄れていた同世代の仲間たちと修行すると少し感覚的にあわず、「どうしてなんだろう」「なぜなんだろう」と、それが自分の苦痛にもなっていました。自分の好きな人には笑顔ややさしい言葉を与えられるのに、嫌いな人を見ると「どうしてもイヤだ」と拒絶してしまいました。「自分って本当に足りないな」と反省が出てきました。
その記憶の映像がどこで終わるかというと、19歳の春、出家の時に母は食器を全部投げ捨てて「おまえの帰ってくる場所はないと思いなさい。千日という修行は大変な修行だと思う。だから砂を噛むような苦しみをしてがんばってきなさい」と言ってくれました。その砂をかむような苦しみを自分はまだしたことがないと思って、躊躇なく泥をなめてかみ合わせたら「ここでこんなことをしちゃいられない」と、自分の99、消えかかった情熱がよみがえりました。「たくさんの人にご恩返しをしないといけないし、みなさんのお役に立てるようなお坊さんになろうという大きな夢があるじゃないか」と言うと目に力が入り、むくっと立ち上がって、水も全部投げ捨てて、ただ山頂に向かって大声を上げて歩き、小走りになり、やがて走っている自分がいました。その時、初めて天に向かって暴言を吐きました。「私に苦しみを与えるならば、もっと苦しみを与えてください。私は倒れません」。鬼のような形相で叫びながら、約束の8時30分に間に合うように山頂に向かって走って、走って、走りました。前日は何も食べずに48キロを歩き、その日もそんな力なんかあるわけがないのに、ただただ走って山頂に着くと、いつもと変わらない8時30分でした。山小屋のおじさんが全身から湯気が出ている私の姿を見て言いました。「どうしたんだ」。私はこう答えました。「今日、少し遅れたのでその坂を走ったからじゃないですか」「そうか、がんばりや」と根ほり葉ほり聞かない*ウラガキ*さんという山小屋のおじさんがとてもありがたく感じました。

過酷な修行について話す塩沼さん

■限界を押し上げた時、感謝の気持ちが芽ばえる

塩沼さん:
人間は限界を超えたら死に至ります。修行もきびしい方に自分を追い込めば死に至ると思います。決して死ぬために修行をするのではありません。苦しいことをした者がえらいわけでもありません。自分を極限の状況に持って行った時に出会える悟りの花をたくさん摘んで山から帰ってきて、みなさんにお伝えしながら自分の人生もきれいな花を咲かせる、そのために修行があると思います。三度の食事があり、気まま、わがままが通るところだと我々お坊さんもなかなか反省しません。ある程度の限界の所に行って汗し、涙した時に感じるもの、このからだを使って感覚で覚えるのがいちばん確かだと思います。人間は限界を超えたら死ですが、限界をギリギリ、1ミリ、2ミリ押し上げることはできると思ったのは、この苦しい体験が私に何かを教えてくれたからです。これ以降に書き綴っている日誌の内容が段々と変化をしてきます。

525日。人の心は誰でもしあわせになれると思います。しかし、そこに到るまでが四苦八苦です。心の持ち方次第でしあわせにもなれるし不幸にもなれます。答えは心の中にあります。決して逃げないで、くじけないで、死んだ方がいいなんて思ってはいけません。死んだらすべてが終わりです。人生の春夏秋冬、辛抱していれば必ず春は来る。苦しみを乗り越え、卑屈にならず、苦しみから逃れず、受け止めて乗り越える。種を植えて一日で咲いた花はありません。後ろを振り向くより、今を強くしなやかに辛抱することです。

塩沼さん:
四苦八苦と言いますけれども、オギャーと生まれて年老いて、病になって土に還る。生きとし生けるもの万物、命あるものすべての物質の定めです。生老病死、これはどう我々が努力しても克服できない苦しみです。これも釈尊が説いた代表的な教えです。

さらに4つの苦しみがあります。この4つは自分の心の持ち方次第でらくになることができます。それは何かというと求不得苦(ぐふとくく)、欲しいと思ってもなかなか手にできない時にストレスを感じることです。愛別離苦、出会いがあれば必ず別れがありますが、愛するものと別れる時はストレスを感じるものです。怨憎会苦(おんぞうえく)、自分の嫌いな人と会う時、しんどいと思います。五蘊盛苦(ごおんじょうく)、人生というのは全般的に光と陰のようにいいことと悪いことがあります。思いどおりにならないのが人生ですが、我々はストレスとして感じます。良好な関係でも、相手からイラッとするようなひとことを浴びせられると心の針がマイナスの方へプッと行きます。戻せればいいのですが、「どうしてあの人はこういうことを言うの」とずっと思っていると、こう生きてはいけないけれども心が恨みや憎しみの方に引っ張られてしまいます。勢いあまると悪いことをしてしまったりします。ここを我々はどうしていくか。「人生は苦しい」とストレスを感じるのは、心の針がマイナスの方に行っている時です。いいことがあると「もっとついてほしい」「永遠に続くのではないか」と有頂天になってしまう私たちは、この狭間の中で生きています。これを少しでもうまくプラスに向けて行けたら、という図式が体験を通してわかってきます。私が今、お話しする前から「何となくそういうことはわかっていた」とご苦労を経験されている人はわかるかもしれません。

563日、人はみな平等であるかもしれません。この星に生まれ、空気も、水も、光も、平等に与えられていることを感謝しなければならないと思います。夜空の星の数は、人間が一生かかっても数え切れないほどあると言います。それを考えたならば、もっと心豊かに生きていかなければならないと思いました。自分の胸に手をやれば心臓が動いています。しかし、この心臓も永遠に動いていることがないと思えば、人生という与えられし一生を大切に生きられるはずです。自分を大切にするように相手をまず尊重するということを忘れてはいけないと思います。思いやりの心が私たちにしあわせをもたらす道です。朝起きる、歩く、食べる、寝る。人間生活の原点に返り、たった一人、お山にいると、こんなことを考えてしまいます。
836日、辛い袋は裏を返せば幸せな福袋、今、辛い心を裏返せば辛いときでも今が一番幸せ。涙で滲みし大峯の道も、今は喜びの道、されど同じ道。
839日、誰でも疲れるし、誰でも腹減るし、でも雨風しのげ、三度の飯が食え、何音をあげている。今、わかんなくてもいい。いつかきっとわかるときがくる。のたうち回り血反吐をはくような思いをしても、それが表に出てくるようでは一流の人間とは言えない。
900日、雨もやんだ。風もやんだ。誰も気づかぬうちにおだやかな日差しを受けている。時は流れている。時間はどこから来てどこに行くんだろう。おだやかな一日に私は何を刻んでいけばよいのか。人として何ができるのだろうか。そう、答えは一つ。

塩沼さん:
このように感謝の気持ちになってきて、やがて、あっという間に999日を終えて山から帰ってきた時に、ひとつのある不安が頭をよぎりました。「999日を全部白星で飾ってきたが、万が一、明日、『行きたくない』『行かなければならない』という気持ちにならないだろうか。よくここまで白星を重ねてきたものだ。あと1回、行って帰ってこれば、お師匠さんは行を達成した証書と何か称号を与えてくれるかもしれないが、私は称号を得るためにお坊さんになったわけではない。ただ修行をし、自分自身を見つめ直し、50、70、そして人生の終盤、100歳までは現役で世界の人たちのお役に立てるようなお坊さんになりたいと思い、この山に来たのだ。私のお寺はさいわいにして千日をしたから大阿闍梨とか生き仏と崇め奉るようなお寺ではない。行が終われば19歳のころの小僧と一緒。ほうきとぞうきんを持ち、境内を駆け回っているお坊さんだ。それが原点であり、生涯この小僧の心を忘れたくない」と思い、たくさん色紙に「人生生涯小僧のこころ」と書いて休みました。

明くる1000日はいつもと同じように目が覚めて装束を整え、いつもと同じ気持ちでお山に行って帰ってきたら、たくさんの人が集まって「よくがんばったね」と拍手をしてくれて、みんなに祝っていただきました。「ありがとうございます」と言いながら、頭の中では「明日からは山に行かないけれども、みなさんにこうやってがんばったとほめてもらえるのも1000日のうちたった1日。みんなが拍手を送ってくれたのも48000キロのうちわずか数10メートル。あとの4万7千9百数十メートルは誰もいない山の中で天地、大自然、御仏と紡ぎあったこのきずなだけが残っている。それが自分の大切な宝物となって心には残っているものの、行というのは奥が深いと行じるたびに思う。辛いことや苦しいことがあって、涙を流せば流すほど自分が成長するのがわかる。まだまだ自分は修行が足りない」と考えていました。

■感謝の世界にくるまれた四無行

塩沼さん:
千日回峰行をしている時に頭の中はどう切り替わっているかというと、翌年の9日間、飲まない、食べない、寝ない、横にならない、「断水、断食、不眠、不臥」の四無行に向かっていました。この行は2000年9月28日から入りました。

1年かけていろいろな準備をしました。何がいちばん辛かったかというと、簡単な方から申し上げると横にならないことで、全く苦痛ではありませんでした。同じくらいらくだったのが空腹感です。段々食事を細くしていったので、9日間、おなかがすいたという感覚はいっさいありませんでした。準備が調っていたからだと思います。寝ないというのは初めの3日はきびしかったですが、おそらく千日回峰行を手を抜かずにしていたので長い修行の中で行のからだになっていて、どんなに苦しくても挑戦していくことができる感覚でしたので、3日目以降は眠らないことも全く苦痛ではなくなりました。

ただひとつ、行が始まり、20分くらいしてから「のどが渇いた」という感覚を覚えました。これは血液が段々濃くなっているから水を飲んでくださいというサインで、どうしたらおさまるかというと水を飲むしかないのです。我々はただ座って寝ているだけでも汗や吐く息から1日1リットルの水分が蒸発し、おしっこからも水分が出ていきます。その証として、1日1キロずつコンスタントにやせてきます。血液がどろどろになってくる証拠につま先や手の先から段々と紫になってきます。なぜかというと、自動車のエンジンで言ったらどろどろのオイルみたいなもので全身に酸素を運ばないといけないのですが、いちばん大事な脳に酸素を運ぶためにからだの遠いところから腐ってくるからです。本人は気づきませんが、24時間、私の体調を監視してくれている後輩たちが「3日目以降から死臭が漂っていた」と後で教えてくださいました。

5日目から1日1回のうがいが許されます。飲んではいけないのですが、おそらく少しの水分を皮膚から吸収するのか、うがいがあるととてもすっきりして、5日目以降は何か自分のペースをつかんだ感じになりました。大きな天目茶碗といううどんどんぶりくらいの茶碗が2つ用意されます。1つにはお水がなみなみとそそがれ、もうひとつの同じ大きさの茶碗に口移しをします。同じ高さにならないと飲んだということで行が失敗になるわけですが、多くの人に監視されているというよりも、自分はルールに則ってやりたい気持ちが強いので、最後の唾まで吐き出しました。辛いとか苦しいというより、感謝の世界にくるまれているような9日間で、あっという間に終わったと感じました。

四無の行、2日目。やはりこの行は手強い、こたこたに力は抜けるし、心臓は躍るし、熱も少しばかり。それにたまに何ともいえないほど吐き気がする。ちくしょー。でもお山で千日の間の苦しみを体が覚えているから、どんなことがあっても今に自分の調子にしてみせる。必ず負けない。
心臓の脈は座っているだけで90は越えている。自分では千日の回峰でお山に鍛えられているからこのくらい我慢できるが、動作はかなり遅くなってきている。お線香の灰がこぼれて砕ける。その音も聞こえる。普段臭いを感じないものまで臭いがして嫌になり吐き気がするほど五感が鋭くなってきている。
今日で6日目、袴も引っ掛かる所がないくらい痩せてきた。心の中の元気、やる気はたくさんある。今が幸せ、楽しい。四無の行参籠、6日目。
普段私たちはいかに幸せでしょう。ご飯も食べることができない人たちが世界にどれほどいるでしょう。その苦しみ、痛みからみれば、私の苦しみなんて。どんなに辛くとも苦しくとも取り乱さず、優しさと大らかさ、そしてのびのびと清らかなる心で修行をすれば、必ず護りがあります。
たとえ時代が変わろうと、お釈迦さまが示してくれたお手本どおりに歩む道こそ御仏に仕える者の定め。だから行に始まりも終わりもない。ただ無の心。

塩沼さん:
私の山での修行が終わりました。行を終えて24時間、睡眠をとっていて、ふと気がつくとお師匠さんが私の部屋にいてびっくりしました。「ようがんばったな。これからどうするんや。わしとしてみれば寺に残ってほしいけれども」「私は自分の家しかない仙台に帰って郊外にお寺を建てて、何もないところで一からやってみたいです」。お師匠さんは「そうか、がんばりや」と言って、2000年の暮れに仙台に帰ってきました。

山での修行を終えた後お師匠さんとした会話について話す塩沼さん

■懺悔を悟りとらわれていたことから解放される

塩沼さん:
また母と祖母との暮らしになりました。お寺にいる時にはお師匠さんが衣食住のすべてを守ってくれていましたが、社会というものはきびしく、檀家もない、お葬式もしない、お墓もない、そういうスタイルの宗派ですので、何もない中でご飯を食べていくのが大変でした。母ちゃんとばあちゃんに悪いと思いながらも、気持ちだけは「田舎にお寺を建てよう」と思っていると不思議とご縁がつながって、数年後に秋保(あきう)という山の中に、クマもイノシシも出る田舎ですが、今の慈眼寺を建立させていただきました。

お師匠さんは「仙台が忙しいからあんまり来なくてもいいぞ」と言ってくれましたが、自分の心の中には修行を終えてもまだ悶々としたものがありました。それは何かというと、好き嫌いがないように親に教わり、自分でも一万人いたら一万人、みんなに変わらない笑顔ややさしい言葉をかけたいのに、なぜかそれをできない人が心の中に残ってしまいます。修行は精一杯したものの、「まだ人生の修行が足りない」と感じる自分がいました。

仙台に帰ると辛いことや苦しいことがたくさん待っていました。ありがたいのは自分のことを心から思ってくれる親や祖母でした。どういうことかというと、私が修行を終えて一応、世間的には大阿闍梨という称号を得て仙台に帰るわけですから、普通なら親は喜んで少しばかりは自慢することもあると思うのですが、私の親は私が帰る前に「もうすぐ仙台に亮潤が帰ってきます。修行はしたものの単なる世間知らずです。どうぞみなさん、亮潤をいじめ倒してください。20年、30年、40年先を見越してぜひ鍛えてやってください」と私の知らないところでみんなにお願いしていました。そんなことを知らずに仙台に帰った私は「世間はつらい」と思いました。けれども、もともとお師匠さんも「いいか、『行をして行を捨てよ』という言葉がある。決して行を自慢することのないように」と10代のころから教えてくれました。また、仏教の世界でも「修行し抜くと悟る可能性がある。万が一悟っても悟ったことさえ、修行したことさえ全部捨ててしまえ。忘れてしまえ。とらわれるな」ということなのです。

その数年間、人生の大学で知識を得た私が社会に出てみなさんと同じように食べていくというお金の苦しみ、いろいろな苦しみや悲しみがいい味付けになって自分の心を成長させてくれたと思います。

数年ぶりに私がいやな人と再会した時に「なにかこの人を心から喜ばせたい」という気持ちで自分から走っていって話をしていると、相手からやさしい言葉と笑顔が返ってきたのです。「この感覚だ! 」。心と心が通い合っている時はこの上もないしあわせを感じます。頭の中が一瞬で高速回転して「そうか。お師匠さんが『ここから修行、ここから俗世間、懺悔せよ』と言って手を合わせてお経文を唱えたのは形と口だけだったんや。心が伴ってなかったんや」。その人と話をしながら「ごめんなさい。私はあなたのことが嫌いでした」と自分で自分の心に謝っているのです。好きになろうと思って99好きになっても、1、何か引っかかっていたのです。99対1という状態はボクシングだったら判定で白ですが、1、ありはあり、黒は黒なのです。「その1が自分の視線や態度、言葉の端々に出てあなたを傷つけたかもしれない」と心からごめんなさいと謝りながら楽しい会話をして、「では、さようなら」と別れた時にはサラサラの涙がほおをつたっていました。「こういうことだったのだ」とスキップするくらいに心が躍りました。懺悔から修行が始まり、悩み苦しみ、いろいろな修行を経験して最後、どこに心が収まったかというと「ごめんなさい。もう二度と同じ過ちを繰り返しません」という懺悔だったのです。

我々が「ごめんなさい」「ありがとう」、あるいは「はい」という言葉を伝えるためには、心と言葉の響きと態度、笑顔があってはじめて相手に伝わります。「はい」という1秒もないこの響きで、その人の心が手に取るようにわかります。会社で嫌な仕事を受けた時に「誰々くん、これやっといて」「はーい(嫌そうに)」、これはやりたくないという心を表しているのと一緒です。何を言われても「はい(元気よく)」「はい、ありがとうございます」と心と言葉と態度、この3つがつながってはじめて真実を相手に伝えることができます。「そういえば、十数年前に既にお師匠さんから教わっていた」と頭の中によぎります。30代半ば過ぎでしたが、その瞬間から自分の人生が好転していきます。今までは「どうしてこんなに運が悪いんだろう」「なぜなんだろう」と悶々としていた自分がいました。おそらく自分の心がその嫌な人に引っかかってとらわれていたのだと思います。私が一艘の小船ならば、岸にくくられている100本のロープを忘れて捨てて許して喜ぶ、チョキン、チョキンと99本切ったとしても、1本そこにあったら大海原に向かって船出はできません。マイナスの岸にくくられているその最後の1本がパーンと切れた瞬間、これは理論ではなく感覚的なものですが、相対したら「ああ、こうか」と合点がいきました。この瞬間を仏教では解脱といいます。悟りとは「我が心」と書くように、本当の自分の心と出会える瞬間です。すべて解き放て。嫌なこともいいこともすべてにとらわれるな。放下著(ほうげじゃく)と言いますが、すべて自分を解放してあげなさいということです。もしかすると「なぜ辛い苦しいこういう人生なのだろう」と我々をがんじがらめにしているのは私たちの心ではないでしょうか。

心の針がプラスに向いていればいい方へと運ばれますが自分の気持ちが恨みや憎しみだと暗い人生になっていきます。それが人相にも出て、雰囲気も暗くなってきます。そうではなく、自分の気持ちをプラスに向けようとしていると、上手でも下手でも毎日精一杯やっていると、段々と癖でこちらの方に行きます。漢字で「運ぶ」と書いて運と言いますが、運がいいも悪いも今の自分の心が将来を決めると思います。「念ぜば花開く」と言うように、念とは今の心です、今の心が明るければ人生も明るい方向に行きます。すべてを許して、いいことにも悪いことにもとらわれずに生きていこうとするのがいちばん理想的な生き方です。

江戸時代の沢庵というお坊さんは、臨終において弟子たちが「辞世の句は」と言うと大きく「夢」と書きました。「我々は生きていればいいことにも悪いことにもあう。今、自分はすべてにとらわれずに、すべてを解き放って解脱した夢のような心地である」と。人間は100年生きたとしても36500回、朝を迎えればあの世に行ってしまう。でも、自分が精一杯生きたこの36500という事実だけは残っているということです。そういう大きな世界観からみれば、日常の「ああもいかない、こうもいかない」という苦しみを自分で整理して、忘れたくないものを忘れて、捨てたくないものを捨てきって、許しきって、楽しく生きていった方がいいと私は思います。それが自分自身がオギャーと生まれてからの人生経験や修行、そして娑婆においてみなさんと同じ体験をさせていただいた中から「なるほどな」と現在、自分が悟っている生き方です。堰を乗り越えて上流を目指していく魚のように、人生の修行を最後の一息まで踏ん張って精一杯生きていきたいと思っています。ぜひみなさま方もとらわれをなくし、「楽しく生きていこう」という簡単なアイデアでしあわせになってください。ありがとうございました。

塩沼さんの著書「人生生涯小僧のこころ」

第2部

質問1

お客さま:
なにか物事を決めなければならない時、優先順位は何ですか。

塩沼さん:
私はめんどうくさくてむずかしい方を選ぶようにしています。私はお坊さんですが、1年を通じて人から悩みごとを相談されることがほとんどないのです。「お茶を飲んで楽しい話をしている間に何か答えがあるのです」と言われるのですが、たぶん、ほとんど質問を受けても「知らんがな」という感じなので、3つくらいしか悩みがないのではないでしょうか。

1つは人生の岐路に立たされた時です。こちらはらくで、ちょっと儲かるかもしれないけれど今までお世話になった人に後ろ足で砂をかけるような義に欠けていること。「今までよりこちらがいいのではないでしょうか」と言われて、私が「それでどちらに行きたいの? 」と言っても「こちらに行きたい」というのはほとんどたぶん決まっていて、私に同意を求めているだけなのです。でも、自分で決めないといけないのです。私はつらくてめんどうくさくて時間がかかる方、これが最終的に近道だと自分が失敗して覚えています。私はほとんど悩み事相談は受けないのですが、それがまずひとつです。

もうひとつは人間関係です。これは先ほどの私のようにゼロ、100で相手ばかりが悪いということはないと思います。なので自分も省みないといけないので、まあ「知らんがな」という感じです。

最後は「お金がないです」と言われて、「俺もないから貸せないな」というオーラを出しているのであまり悩み事はないのですが、人生の岐路に立った時にはつらくてめんどうくさい方をおすすめします。どちらを選ぶかはみなさんが自分の心で決めてくださいとお伝えしています。

補足でお話ししておくと、私は一匹の魚に自分の人生をたとえています。さけは生まれた場所に遡上するためにいくつもの堰を乗り越えて、常に逆行していかないといけません。これをどうクリアしていくかという強い意志と、その先に何かはわからないけれども楽しいことがあるのではないかという好奇心、この2つが自分の内面を成長させてくれるポイントであると理解しています。堰を乗り越えるにはものすごいストレスとプレッシャーがあると思いますが、それらが自分を育ててくれることがよく理解できます。

人生を振り返ったら、オギャーと生まれて、気づいたらお坊さんになって、体験したことがない修行を手探りでやっていったら修行をクリアし、仙台に帰ってきて食うに食えないような世界の中でお寺を建てるという堰を血のおしっこを出しながら乗り越えて、やっとほっとしたら今度は「人前で話をしろ」「文章を書け」と言われて、さっきからべらべらしゃべりまくっていますけれども、36歳くらいまでは人前で30秒も話せないような人間だったのです。次から次へとお話をいただいて、「全部やらないといけない」と思って1カ月で7回か8回くらい全国どこかで講演をし、1年で本を2冊ずつコンスタントに書いていた時期がありました。その他、いろいろな取材だとかなんだとかある日突然そうなって、元来まじめなので一生懸命やっていたのですが血のおしっこが出ました。「これ以上やったら死ぬ」と思ったので、今はほとんど講演もしていないし、本も書いていません。それまでみなさんの前では本当に緊張して顔から汗が出て、心臓はバクバクで、足がふるえていましたが、自分のお茶の間にいる雰囲気で1000人の前でも1万人の前でもお話できるようになりたいと思ったら、49歳になったら自然にできるようになり、テレビカメラを5台、6台と置かれても、いつもと同じ自分でストレスを感じなくなりました。

ストレスとプレッシャーが自分を大きくしてくれると思ったので、これではだめだと思って満の49歳、数えの50歳の時にニューヨークに行こうと決めました。何の縁もつてもないし、英語も話せませんでしたが、行こうと決めたらすぐ弾丸のように飛んでいくので、今から1年3カ月くらい前にバーンとニューヨークに行きました。月に2回行って、行ったら2、3週間は帰ってきませんでした。

自分がこの修行を通して感じたことは何かというと、先ほどお話をさせていただいたことにプラスして「なぜ我々はいがみあったり、あるいは地域によっては戦ったりしているのだろうか」。それには宗教が少し絡んでいて、自分は同じ宗教者として「なぜなのだろう」と山の中で思っていました。例えると、富士山のような大きな山があるとします。西から登るルートもあれば東から、南から、北から、いろいろなルートがあります。行き着くところ、頂上は一緒です。私はたまたま日本で生まれ、神道と仏教が合わさった修行という世界の中から「人生とは何か」「宗教とは何か」「生きるとは何か」とアプローチをしていって、頂上についたら「そうか、いいことをして悪いことをしない。愛と祈り、これが宗教の根元ではないか。イスラム教、ユダヤ教、いろいろな宗教に縁があった人が自分自身を深く見つめて知識と共に実践し、心に何のとらわれもなくなった時にみんながここであいまみえることができて、『明るく楽しく生きていこう。みんな仲よくなろう』という1つのアイデアでみんなが平和になるのではないか」、そういう考えに私は到りました。もちろん、日本という国に生まれ、「うちだけが一番」「ほかの教えはだめ」という排他性、独善性がない風土で育った私のアイデアです。違う国で生まれた宗教は「誰々がこう言った。だからこうしなければならない」というさまざまな文化があります。

世界で最も影響力が強い都市はニューヨーク、2番目がロンドン、パリ、4番目に東京が来ますが、いろいろな人種が集まり、肌も髪の毛も目の色も違う中でお互いに敬意を払いながら磨きあっているニューヨークで、自分が考えていることをはたしてどう世界に伝えていったらいいかという新たな挑戦をしています。めんどうくさくて遠回りですが、20年、50から70歳くらいまでは下積みをして、ネイティブレベルに英語も話せるようになって、という新たな修行を始めています。

常に挑戦していたいのです。むずかしいものやめんどうくさい方が近道で、あの手この手を使ったり、欲を出すのはあまりプラスにならないことは人生の中で自分が失敗してよくわかっているので、ぜひみなさんにもめんどうくさい方法をおすすめいたします。

なにか物事を決める時の優先順位について話す塩沼さん

質問2

お客さま:
「今を生きる」とよく巷で耳にしますが、今を生きるのがむずかしいです。「ああなったらどうしよう」「ああしたからこうなったんだ」と悩んでばかりです。今を生きる方法の具体的なワークなどございましたら教えてください。

塩沼さん:
自分で試行錯誤しながらアイデアを出して、今をいかに楽しく生きるかだと思います。私も昔、楽しいというオーラに今ほど包まれていなかった時には、同じように「どうしてなんだろう」「なぜなんだろう」と思っていた時期がありました。けど、自分が楽しくなければ一緒にいる人も楽しくないし、やっぱり自分の人生を楽しくしていかないといけないと思うので、いろいろなことにチャレンジして、常に周りの人に気遣いをしながら、失敗しながら、今の生き方というようなものを学んできました。

これは感覚で覚えるものなので、言葉で言うのはむずかしいです。私たちの世界では「不立文字 教外別伝」(ふりゅうもんじ きょうげべつでん)という言葉があります。どういう意味かというと「自分で会得した感覚的な悟りは言葉や文字では表現できない」ということです。例えば、私が嫌な人に声をかけて、相手から返ってくる反応で「ああ、そうだったんだ! 」とスキップするような気持ちになったという話を聞いても体験しなければわかりません。師匠が熱い口調で我々に語ってくれました。「五穀と塩を絶って100日間過ごしていた時、日に日に体力が衰弱してくるんや」。10代の小僧たちは「ははっ」と聞いています。「その時にある人の言葉でわしは体力的にどんどん弱っていったんや」。その人は何と言ったかというと、「いやー、館長さん、だいぶ弱ってきましたな」。「本当に弱るとこれはこたえるんや。自分、死ぬんちゃうかと思った」。五穀と塩を絶つというのはものすごく危険です。千日回峰行と四無行をした人しか八千枚大護摩供はできないのですが、段階をふまえてからだが修行のからだになっているからそれができるわけです。「でも、わしはある時、真夜中にお水を仏さまにあげるために、仁王門に大きな仁王さんがおるやろう、あそこの黒い仁王さんをわあっと見た時にな、『今までこの仁王さんを何人の人が見たんだ。人はみな死ぬんや』と思って、スキップして心躍るように帰ってきたんや。わかるやろ」と。全然わからないです。その人にしかわからないことなのです。これが「不立文字 教外別伝」といって感覚的なものとパーンとスパークできた時に「ああ、生きるってこういうことだな」とわかってきます。

そのポイントとしては、先ほど申し上げましたように、毎日、私たちの生活リズムはほぼルーティンのように決まっています。お掃除をする時にも、人とお話をする時にも、会社に行ってコミュニケーションをとる時にも、今日より明日、明日より明後日、もっとうまくコミュニケーションを取ってみようとすることです。「具体的にどういうことをしたらいいですか」と聞かれます。私は今、昔ほどからだを使ったきびしい修行はしていませんが、心の中のやる気や元気は千日回峰行や四無行をしている時より上です。普通は自分を追い込まなければ精神面もダラっとなるでしょうけど、間違いなく上がっています。個人的に努力をしていることは、テレビを見る時でも正座をし、本を読む時でも姿勢を正し、自分の身の回り、整理整とん、掃除はきちんとして、人が見ていない時の行動をしっかりとしておきます。なぜかというと、今日のようにライトを当てられて、みなさんの前でお話をさせていただくことがあります。私はもともと話が下手ですが、私の話を聞く前に「塩沼亮潤さんです。どうぞ」と言われて舞台の袖からここに来るまでの歩き方やからだの雰囲気でほぼ、みなさんの品さだめは終わっています。人の陰でやっている行動は必ずどこかに雰囲気として現れてくるので、一人でいる時の行動を慎み深く、慎むは「真の心」と書きますが、きちんとしていようとする努力です。

もうひとつ、我々はどうしても好き嫌いをしてしまいます。「もっとよくなりたい」という欲もあります。生活の中で1日1回、何かみなさんのためになるようなことをお布施をしてください。お布施というのは金品だけではありません。出会った人や自分のそばにいる人に1日1回でもいいからやさしい言葉をかけてあげてください。愛語施(あいごせ)、これもお布施です。なにも言わなくてもニコっとしただけでも「和の顔の施し」と書いて和顔施(わがんせ)と言います。1日1回でも誰かのためにやさしい言葉や笑顔、あるいは困っていたら何か助けてあげたり、1日1回いいことをします。そして1日1回、どこかで「もっと欲しい」「ああなりたい」「これを食べたい」という気持ちが起きた時に足ることを知り、その手を伸ばさずに自分を戒めます。要するに、相手を思う利他の心と足ることを知る知足を1日1回、どこかで実践してみたらいいのではないでしょうか。そして、人が見ているところだけきちんとするのではなく、陰の部分もきちんとしておくと、スイッチのオンとオフがないから自然体の人生を歩むことができます。この3つを実践してみると「生きていてよかった」という感覚に出会えると思います。

頭で理論的に考えるとめんどうくさくむずかしくなって、言い訳ばかり考えたり「ああもいかない。こうもいかない」になります。それよりは何か実践してみて、感覚でつかむものだと思います。自転車もそうです。お子さんが自転車に乗れるように、お父さんやお母さんが理論的に説明したとします。「ある程度推進力があって、そこでペダルを踏むと倒れない。いいか、行け! 」と言っても、初めから乗れるお子さんはいません。何度も転んで失敗して、でも、クッと感覚をつかむと一生忘れません。我々もどう生きていくべきかということを失敗しながら、自分の感覚でしあわせをつかんでほしいと思います。こういう説明でおわかりいただけましたでしょうか。

お客さま:
ありがとうございます。

今を生きる方法の具体的なワークについて話す塩沼さん

フェリシモ:
ありがとうございました。それでは最後に神戸学校を代表して質問をさせていただきます。改めまして塩沼亮潤大阿闍梨さまにご質問です。一生をかけてやり遂げたい夢について教えていただけますでしょうか。

塩沼さん:
一生をかけてやり遂げたい夢は、あまり言いたくないのですが、遊び心で、本気ですが、本気の遊び心で、みなさんは私のことをお坊さんという宗教者として認識されていると思います。先ほど富士山の話を申し上げたとおりに、いろいろな宗教や文化、その国や地域、それぞれのものがあっていいと思います。それぞれが尊いと思います。もちろん日本の宗教にもたくさんの宗派があり、いろいろな新興宗教もあります。すべて利他の心を持つという根源的なものが富士山の頂上にある信仰だと私は思います。そして「どうせ短い人生なのだから楽しくすごそう。みんな仲よくなろう」という時代だと私は思います。いろいろな宗教がありますが、「こうしなければならない」という強制があってはいけないと思います。信仰は自由で、心でするもので、一人でもでき、いいことして悪いことをしない、心の中で感謝の気持ちを持ち、自分自身を省み、相手を責めず、どんな存在に対しても敬意を払う、こういう簡単なアイデアでみんながつながる時代だと思います。

今や、ポチっとボタンを押すと全世界に自分の考えが伝わる時代です。ネット環境に国境がないように、我々人間にもお互い人と人、心と心に壁や国境があってはならないと思います。その隔たりをなくして、出会った人がみんな楽しく、恨みなく、憎しみなくという世界がおそらく平らな和と書いて平和だと思うのです。いろいろな紛争がどうのこうのと言うより、身近な平和、自分たちの環境の中で出会った人たちと少しでも住みやすく、お互いにストレスがないように足し算ばかりではなく引いてみたりといった案配を世界に伝えていきたいと思います。日本は「是が非でも」ではなく、大岡越前ではありませんが情状酌量の余地みたいな「こうだけども、とはいえこうだよね」という考えができる民族なので、日本から世界平和に貢献できるような若い人たちを育てていきたいと思います。

もうめんどうくさい理論で「ああもいかない、こうもいかない」という時代ではないということを、下積みしてから70歳を過ぎたら世界に発信して、できるかできないかはわかりませんが、自分が生きている間に水がない地域には水を、お米がない時にはお米を持って行ったり、「そうだよな」とみんなで助け合いながらやりたいです。奇跡の星と言われるこんなきれいな美しい星でそういうアイデアが世界に広まればいいと思うし、誰がではなく自分が成し遂げたいという熱い思いがあるので、今でもがんばれるのだと思います。でも、一にも二にも健康が大事なので、50歳から睡眠時間を7時間にしました。みなさんも健康に気を使って、飲み過ぎ、食べ過ぎだけは気をつけて、そしてみんながしあわせになれればいいと思います。

もう少し言うと、何でがんばれるのかというと遊び心です。何でも一番が好きなのです。一番、二番、そういうものにとらわれること自体、仏教の教義的には違うと指摘されるかもしれませんが、一番になりたいと思うからオリンピックもがんばるのであって、みんな一緒というのでは何かつまらないと思うのです。なるなら世界一のお坊さんに、世界一の宗教者になりたいです。それは何々教会のトップではないです。裏のボスです。ローマ法王の携帯を知っていて、「今、ニューヨークに来てるんだけどさ、おいしいステーキ屋を見つけたからちょっと来ない? 」とか、イスラム教の若手指導者に*ドロール*という人がいますが、「*ドロール*、いい店を見つけたから今日、ちょっと会おうよ」とか、裏のボスになりたいという遊び心はあるのですが、思っているとそうなるのです。だから絶対にあきらめないことだと思います。やってだめ、やってだめ、やってだめ、とやると必ずどこかでパンとうまくいきます。絶対、簡単にはいきません。カンカンカンカンとやっていくと、突破口みたいなものがどこか見つかります。何歳になってからでも遅くありません。是非、みなさんもいろいろなものに挑戦してください。何にもとらわれないで元気に明るく生きていったらいいと思います。

特にこの神戸地区、我々の宮城も震災がありました。つらい、苦しい、悲しいことがあると思います。でも、残された私たちがいつまでも過去にとらわれていても過去は戻ってこないし、亡くなった人もいますが、我々もあと何万回、何千回生きられるかわかりません。ならば、私たち、命ある者たちががんばって「あいつ、すごいな」「がんばってるな」と霊界から見る方があの世の人たちも喜ぶと思います。私たちも歯をくいしばって残された時間を最大限に生かして生きていくことが亡くなった人に対しての供養でもありますし、

お客さま(子どもが叫ぶ):
ワー。

塩沼さん:
(子どもに向かって)な! イエイ! ハハハ、という感じだと私は思います。ありがとうございます。

フェリシモ:
塩沼亮潤大阿闍梨さま、ありがとうございます。

塩沼さん:
ありがとうございました。

塩沼さんと集合写真
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