フェリシモCompany

「壁と向き合い、頂点を目指す」

プロクライマー

尾川とも子さん

開催日
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Profile

1978年4月14日、愛知県田原市出身。宇宙飛行士を目指して進学した早稲田大学理工学部物理学科を卒業。 在学時の2000年、国体山岳競技に誘われたことがきっかけで、クライマーの道へ。2003年「Asian X-games」で優勝し、競技歴わずか3年でアジアのトップクライマーとなった。 06年も同大会で優勝。その後はチャレンジの舞台を自然界の岩場へ移し、2008年4月に日本人女性初となる難度V12を達成した。2009年秋より、女性では前人未到の難度V14の岩に挑み始める。数ミリ単位で指や足の位置を研究し続け、2012年10月ついに完登。 世界の女性で初となる記録が称賛され、2012年には世界で最も活躍したクライマーに送られる「Golden Piton賞」、2014年には「Golden Climbing Shoes賞」を受賞した。 2014年に第1子、2016年に第2子を出産し、現在はアスリートと母親の立場を両立させつつ、「学校にボルダリングウォールを」という夢を追いながら活動中。

※プロフィールは、ご講演当時のものです。

講演録 Performance record

第1部

尾川とも子さん

フェリシモ:
尾川さん、本日は神戸学校へお越しいただき本当にありがとうございます。それでは早速ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

尾川さん:
本日はこういうご時世ですので、透明なマスクをして話させていただこうと思います。改めまして、プロクライマーの尾川とも子です。今日はありがとうございます。よろしくお願いします。

「#拍手」

尾川さん:
スポーツクライミングはオリンピック(競技)になっていたのですが延長してしまって、選手たちもやきもきしながら練習していると思うのですが、来年にめがけてみなさまも応援を万全な体勢にしてくれたらいいなと思っております。本日は、クライミングとはどんなスポーツなのか、私がクライミングと出会ったきっかけ、最後にTurning Up、自分の価値観が変わった登った岩の話ができればと思います。よろしくお願いします。

スポーツクライミングという競技を知らない方もいらっしゃると思いますので、まずスポーツクライミング、ロッククライミングとはどういうスポーツなのかというビデオをまとめてまいりました。すべて私が登っている映像です。現役時代のものなので映像が古いのですがご了承ください。

「#ビデオ」

尾川さん:
クライミングは2種類ありまして、1種類目はスポーツクライミング、人工の壁を登っていきます。(これは)3種目ありまして、(ひとつめは)スピードを競うものです。私が出ていたときはこんな感じで、今とは違います。今は石の配置が同じなので練習して大会に臨みますが、私が出たときは練習なしのぶっつけ本番でしたのでちょっと遅いです。今、男子で早い人は5秒台でこれを登っていきますが、私はこのとき、16秒で登っていました。

「#ビデオ:リード」

尾川さん:
ふたつめは命綱をつけて高さを競うものになります。12メートル以上の傾斜のあるドーンとオーバーハングした壁をどこまで登れたかを競います。持久戦になります。落ちるとズドーンとかなり落ちてしまって、私はあそこまでのポイントというふうになります。

「#ビデオ:ボルダリング」

尾川さん:
みっつめはボルダリングといいまして、4、5メートル程の壁を登ります。逆さになっていますが、動きの限界といいますか、いちばん激しく動く種目になります。制限時間の中で石の配置を見て、手順を考えて登っていかなければいけません。この3種目をスポーツクライミングとしてオリンピックでもやります。

「#ビデオ:ランジ」

尾川さん:
クライミングの技の紹介です。こんな感じでジャンプするランジという技があります。届かないところはこのように激しくからだを動かして、腕力だけでやみくもに登るのではなく、いろいろな技を駆使して選手たちは登っていきます。小さい石があったり、大きい石があったり、持ちにくかったり、持ちやすかったり、なかなか上まで登れないように石が配置されているので、選手はそこをどうやって攻略していくかを何回も考えて全身を使ってチャレンジしていきます。

「#ビデオ:フィギュア4」

尾川さん:
いろいろな技がある中で、これはすごくみなさまに「おおっ! 」と言われるのですが、足場がないときに足を手の所にあてて、からだをてこの原理で上げていきます。フィギュア4という技です。オリンピックでもこんな技が見られたらぜひ覚えておいてください。

「#ビデオ:大会」

尾川さん:
「うまくいかないな」と思えば、「足場がちょっと悪いけど足場を使ってみようか」と考えたり、いろいろその場で攻略を練ります。こんなふうに走っていって取るというのもあります。スタートがあの赤いカラーコーンのようなものですが、取れないからまだスタートにもならなくて、スタートがむずかしいということもあります。私がこの大会に出ていたころは壁が7メートルもありました。7メートルというと3階くらい(の高さが)あるので、登っている方も実は非常に怖いです。この大会はマレーシアで行われたものですが、気温が40℃近くありまして、いるだけでめちゃくちゃ暑くて汗ビシャビシャでやった記憶があります。うしろにぶら下げているものには滑り止めのチョークが入っています。ちょっと手が離せるところで、こうやって手を入れて滑り止めをつけながら登っていったりもします。7メートル先のゴールがあの四角で囲われたところですが、そこを取り損ねてしまって落ちたことがありましたけど、上の方まで行ったので、私が、このときは優勝できました。

「#ビデオ:ハッチリング」

マレーシアでのクライミングの様子

尾川さん:
(クライミングの)もうひとつは天然の岩を登るロッククライミングです。これは南アフリカにある「ハッチリング」という岩です。V11というのはレベルで、数字が上がるほどむずかしくなります。私が登った思い出の岩、ふたつをピックアップして、そのうちのひとつになります。

岩のなまえは初めて登った人がつけられるのですが、ハッチリングというのは英語で「卵が孵化した」という意味らしいです。卵が割れて孵化したような岩の形をしていませんか。そこから多分、初めて登った人が想像してなまえをつけたのです。結構、高いです。こんな(ふうに)何回も落ちるところをチャレンジするわけです。実は、下に夫がいて応援しているのですが、ハネムーンでここに行きました。子どものころはハワイでまったりハネムーンなんて想像していたのですが、クライマーになったばっかりに、こんな岩のハネムーンに行きました。持つところが小さいので4日、チャレンジして、ようやく上までたどり着いて、すごい奇声を上げていますが、それくらいうれしかった、怖かった、いろいろな気持ちが混ざっていました。降りるときは裏からちょこちょこと簡単に降りられます。わざわざむずかしいところを登っています。

「#ビデオ:カタルシス」

これが私が登った中でいちばんの思い出の岩です。V14といういちばんむずかしい岩でした。なまえは「カタルシス」といいます。「自己浄化」という意味があるそうです。さっきの(岩の)ように全く高くないから簡単じゃないかと思われるのですが、これは天井で、今、持っているところは割りばしくらいの太さしかありません。そこに指を引っかけて、足場もペットボトルのふたくらいしかないところにかけて、この一手が取れないのです。この一手のために3年、かかりました。たった一手のために指を1ミリずらし、足を1度ずらし、研究に研究を重ね、3年目にスタートからもう一度チャレンジしました。いちばんむずかしかった核心部、3年間取れなかったところは700回くらいやりました。雨の日も、風の日も、雪の日もやり続けました。

そして3年目、700回にしてようやく取れたというところです。この岩は天井パートがさらに4メーター続きます。今、持っているところも1本指です。そんなところがむずかしさのひとつです。栃木県にある岩で、10月に登ったのですがとても寒くて、かじかむと力が出ないので、今、ハーッと(息を吹き)かけています。全部、第一関節がかからない持ち具合です。岩が冷たくて指の感覚がなくなるので、血流をよくするように首もとをさわってあたためています。もう少しで垂壁(垂直の壁)の安定した部分に出るところです。

「#ビデオ:カタルシス成功」

尾川さん:
「3年目にしてようやく登れた! 」という感情が湧き出している感じです。「ようやく登れた」という実感が湧いたのは1週間後です。このときは、どちらかというと「もう明日からやらなくていい」「肩の荷がおりた」という(気持ちの)方が大きかったです。岩の頂上に立てたので、完全に登り切った「完登」ということになりました。これが私のクライミング人生の中でいちばんむずかしかった岩で、このパフォーマンスによりGolden Piton賞やGolden Climbing Shoes賞をいただきました。

「#ビデオ(スペイン)」

スペインでのクライミングの様子

尾川さん
これは去年、スペインに子どもふたりを連れて岩登りに行ったときの映像です。
ありがとうございました。ビデオは以上になります。

「#拍手」

■クライミングの可能性を広げるペーパークライミング

尾川さん
何となく「クライミングってこんなものかな」というのをわかっていただけたと思います。
せっかくですのでぜひみなさまにもクライミングの醍醐味を味わっていただけたらと思って、お配りした資料の中にこんなものを用意してあります。出していただいてもいいですか。私はクライミングのおもしろさは、もちろんゴールまで行ったことの達成感が一番だと思います。そしてもうひとつは、腕力だけではなく頭も使わないと登れないことです。将棋のように次の手を考えていないと手詰まりして登れないのです。今日は実際に登れないので、みなさまにその頭の部分を指で登ってもらって、登るにはどう考えなければならないかを体験していただけたらと思います。

「課題例」というページを出してください。膝の上でやりにくいかもしれませんが、三角のスタートの所に、まず右手の人差し指と中指と親指を置いてください。いきますよ。1番に人差し指を置いて、2番に中指、3番に親指、4番に中指、5番に人差し指、6番に親指、これでゴールの三角に三本指が収まりましたか。これは課題例ですが、ルールはふたつです。指を一本ずつ歩かせて登ることと、もうひとつは黒丸は親指で、白丸は人差し指か中指のいずれかということです。それを踏まえて、ぜひみなさまに課題1に制限時間1分でチャレンジしていただけたらと思います。1分、計ります。用意、スタート。

「#課題1」

尾川さん
スポーツクライミングの選手たちはこうやって1分くらいで考えて登っています。そしてボルダリングは制限時間が5分や4分の中でさらにチャレンジをしていくという作業をするわけです。どうでしょうか。ヒントとして、Bの丸に人差し指を先に出すとうまく指が動いていくと思います。残り10秒です。1分って意外と早いです。はい、4、3、2、1、ピーッということで終了ですが、上まで行けた方はいらっしゃいますか?

なかなかむずかしいですが、裏に回答があるので一緒にやっていきましょう。右手を出しまして、Bの丸に1番、人差し指です。そして「2番、中指」「3番、親指」「4番、中指」「5番、人差し指」「6番、親指」、ちょっと指が大変ですが、ここからゴールまで。「指がひらかない」「指の柔軟性が」とよく言われますが、選手も同じです。柔軟性があればその分メリットになりますし、「指がもうちょっと長ければ」「腕がもうちょっと長ければ」とか全く同じです。そんな感じで選手の気持ちになってやってもらえるとうれしいです。では課題2もまた1分でやってみましょう。行きますよ、ヨーイ、スタート。

「#課題2」

尾川さん
ヒントとしては、Bと人差し指が近いからBの丸に人差し指を置きたくなってしまうのですが、置くと行き詰まります。なので、中指から置かないとこれは進みません。指が交差しますけど、クライミングでも腕を交差して登っていく場面があります。どうでしょうか。「つめの方まで裏返っちゃう」でもOKです。何でもいいのです。私たちは膝も、あごも、頭もからだ全部、使って登っていいのです。5秒前になりました。4、3、2、1、ピーッということで競技終了です。

解答合わせをしてみましょうか。どうでしょう、登れましたか?小学校の講演でもこれをしますが、意外と大人より子どもの方が登れるのです。では行きます。Bの丸、1を中指です。「2番、人差し指」「3番、親指」「4番、人差し指」「5番、中指」「6番、親指」、ちょっと指をがんばってゴールです。どうでしょうか。指がつってきましたか。そこまで大丈夫ですか。おうちでお子さんがいらっしゃる方とかいたらぜひ遊んでみてください。

これが選手にとっては右手、左手とか、右足、左足となるわけです。こうやって考えながら登っています。「これは売っていますか」とよく聞かれますが、私が考えたものです。紙のクライミングでペーパークライミングといいます。私のクライミング人生の夢のひとつに「クライミングの可能性を広げたい」というものがあります。いろいろなところでいろいろな人に講演や活動イベントをしてきました。例えば足が不自由なハンディキャップや知的なハンディキャップを持っていて登りたいのに登れない方や、全校児童がたった三人の岡山県の山奥の小学校に講演に行ったこともありました。クライミングを登りたいのに登りに行けない人たちにスポーツクライミングの楽しさ、醍醐味、素晴らしさ、魅力を少しでも伝えたいとき、お金さえかければ何とか実際の壁を持ってくることもできますが大変です。そこでこういうものだったら手軽に配れて、クライミングの魅力が伝わるのではないかと考えたのです。これでひとつ可能性ができたと思いました。

もうひとつ、今、小学校のイベントでやっているのは、これを発展させて、シートを敷いて床で四つん這いでやることです。手や足順を考えないといけないので、実際に壁が登れない環境であってもクライミングの「考える」という部分の可能性を引き出して、スポーツクライミングの魅力が伝えられる活動をしています。今、それが広がっていけばいいなという夢があります。

今、スポーツクライミングはオリンピック(競技)にもなっていて、どの国が強いかというと、やっぱり日本は強いです。いちばん大きな大会である世界選手権でも日本人はメダルを取っていまして、男子は金メダルも取っています。オリンピックが開催され、スポーツクライミングを応援してくれたらうれしいです。簡単ですが、これでどんなスポーツかというのをわかっていただけたらと思います。

課題の答え合わせ

■エベレストに登るためにクライミングを始める

尾川さん
次は「私とクライミングの出会い」をお話します。クライミング人生の中で大事にしていることがらはみっつです。本当にシンプルで何もむずかしいことはないのですが、ひとつは「とにかく続けること」、もうひとつは聞いたことがあると思いますが「ピンチをチャンスに変えること」、最後、みっつめは「夢を持ち続けること」です。今日は「壁と向き合い、頂点を目指す」という題ですが、「夢」「頂点」「ゴール」、言葉が違うだけで一緒だと思います。夢を持ち続けること、それが壁と向き合ってきた私のクライミング人生で今、出ている答えです。

200校くらい小学校で講演をしましたが、「夢なんかない」と言う子が今、すごく多いです。そういう子に「自分の夢を書いてください」と言うと白紙で提出してくるわけです。「そういった子どもたちに何て声を掛けようか」とずっと考えていました。そして、私の中で出たひとつの答えは「夢はなくてもいい。夢を探すことを夢にしたらいい」ということでした。自分の中で目標があればそれに向かっていけるからいいですが、ないこともあります。あきらめざるをえなくて夢がなくなってしまうことも、人生の中では多々あると思います。それでもいいのです。でも、「次の夢をまた探し続けることが夢です」と言えるような人間になりたいと私は思っています。夢がないから夢を探すことが夢であっていい、そういう意味で夢を持つことは大事だと思います。なので、「続けること」「ピンチをチャンスに変えること」「夢を持ち続けることをあきらめないこと」、それがクライミング人生の中で壁と向き合ってきた中で、今、出ている私の中の答えです。

それを踏まえて出会いの話に戻ります。私はクライミング歴20年になります。今ではオリンピック(競技)になりましたが、20年前にどうしてこんなマイナーなスポーツに出会ったのかというところをお話します。

小さいころからやっていたかというとそうではありません。今のオリンピック選手はみんな3歳や4歳や、本当に小さいころからやっています。私がクライミングを始めたのは23歳のころで、本当に遅くに始めました。それまではどんな夢があったかというと、宇宙飛行士になりたかったのです。小学校高学年のときに毛利衛さんが宇宙飛行士に選ばれて宇宙に行ったのをリアルタイムで見て、「私も後に続きたい。日本人女性初の宇宙飛行士になりたい」と思ったのがひとつのきっかけでした。誰も行ったことがない宇宙に行ってみたい、少しでもそんな気持ちが味わえないかと考えたときに「富士山に登れば、日本一高いから日本でいちばん宇宙に近づける」と思って富士山に登りました。中学校の夏休みでした。それが私と「登る」ということの出会いのひとつでした。

登ることに出会いましたが、それでも宇宙飛行士の夢があきらめられなくて、大学まで宇宙関係の理学部でがんばって勉強していました。なぜ宇宙飛行士の夢をあきらめてしまったかというと簡単で、大学に入って勉強に全くついていけなくなったのです。「もうこれはだめだ」と思ってあきらめてしまいました。私の中のキーワードで先ほど「続けること」と言いましたが、宇宙飛行士が夢だった子どものときに毛利衛さんの講演会に行ったことがありました。そして毛利さんに「私も宇宙飛行士になりたいのですが、どうしたらなれますか」と質問したのです。毛利さんの答えはこうでした。「何も要らない。大人になるまで宇宙飛行士になりたいと思い続けることだけが大事」と言ったのです。勉強についていけないと思ったあのときに、それでも宇宙飛行士になりたいと思い続けていたらなっていたかもしれない。思うことすら続けることはむずかしいと、今では思ってしまいます。

宇宙飛行士の夢をあきらめてどうしたかというと、中学のときに登った富士山の思い出が強烈に印象的でした。宇宙に近づいたみたいに星がきれいで、空気が薄くて宇宙に行ったような気分でした。「登山は宇宙に近づける」と思って、大学では登山の部活に入りました。宇宙飛行士の夢をあきらめたあとは登山に熱中して、登ることばかりでした。先輩から「エベレストに登らないか」という誘いがあり、「エベレストは足だけでは登れない。手も使って四つん這いになって断崖絶壁を登っていかなければいけない部分があるからクライミングの練習が必要だ」と言われました。それが私とクライミングの初めての出会いでした。なので、もともとはエベレストを登るために始めたというのがきっかけでした。

そのうちボルダリングの施設ができて、雨の日や学校が休みの日や学校が終わったあとにそのようなジムでトレーニングしていました。そこに私と同い年の子がいて、「国体の競技でクライミングの大会があるから出てみないか」と誘われたのもひとつのきっかけでした。エベレストに登ろうと思って始めたクライミングで競技の世界に誘われたわけです。初めて競技があることを知って、そこから私のスポーツクライミングの競技人生が始まることになりました。そうしたら、どんどん競技の方に入れ込んでしまって、エベレストに登りたいという夢が薄らいでいきました。そこからスポーツクライミングの魅力の虜になって入れ込むことになりました。

「まず国体に出てみよう」ということで、国体に出ることになりました。がんばった甲斐あって、3人1チームの総合得点でしたが、(クライミングを)始めて半年で国体準優勝しました。チームのリーダーから「尾川さん、たった半年の練習で国体準優勝できた。尾川さんひとりだけの力ではないかもしれないけれどセンスがある。才能がある。クライミングをやり続けたら絶対、日本を背負って立つクライマーになる」とめちゃくちゃ褒められました。この褒められたきっかけがすごく大きくて、それが20年続ける理由になりました。ここで人の心を動かすには褒めることが大事だと学びました。だから今、うちも3歳、6歳と(子どもが)いますが、なるべく褒めるようにして何でも続けさせようとがんばって手探りで子育てをしています。そんな感じで私がリーダーに心を動かされ、調子に乗ったと言えば調子に乗っただけですが、それで20年、続けることができました。

そこから今度はチームではなく個人で大会をがんばってみようと思い、いろいろな海外の個人戦の大会に行き、続けることになりました。ひとつ大きなきっかけとなったのが、先ほどのビデオにあった金メダルを取った大会でした。アジア大会で優勝したことで「これで食べていこう。スポーツクライミングでこれから人生を歩んでいこう」と思いました。ちょうど就職活動の時期と重なっていて、就職活動をしながら大会に出ていたのですが、「金メダルを取ったからもうやめた。一本で行くぞ!」と就職活動を途中でやめてしまい、そこからクライミングの大会に出まくりました。

クライミングについて語る尾川さん

■資金難を乗り越えてワールドカップに挑戦する

尾川さん
出まくったといっても、当時は何の補助もなく全部自費ですし、自分で要項を取り寄せて英語に翻訳していました。アルバイトを何個も掛け持って、朝5時からファーストフード店でアルバイトをし、昼間は中高年の方にクライミングの施設でインストラクターをして、夜は高校生や中学生に家庭教師をして、それから1時間だけ練習して、また朝5時から起きて、みたいな生活をしながらお金を貯めて、ワールドカップはヨーロッパで行われることが多かったのですが、ヨーロッパに遠征して大会に出るということをやっていました。

それでも予選落ちです。なかなか成果が出ませんでした。理由はわかっていました。たった1時間の練習で世界に通用するか(といったら)するわけがないです。でもアルバイトを辞めてしまったら行く資金すらありません。当時はめちゃくちゃ節約していました。ヨーロッパに行っても高いからホテルには泊まりません。野宿です。レストランにも行きません。日本の百円ショップで小さい鍋を買って、向こうでパスタを買ってゆでて、全部、自炊でした。もちろん交通費も出ないから、現地でボロボロの格安レンタカーを借りて移動したり、そんなことをしながらワールドカップに出ていました。

そのとき、1時間の練習とアルバイトの両立をどうしたらいいのか悩み、このピンチをどうチャンスに変えるかでいろいろアイデアを考えました。そこで「時給を上げてもらおう」と思い浮かび、各アルバイトに直談判に行きました。いちばん手ごたえがありそうだと思ったのが、昼間にインストラクションをやっていたクライミングジムのオーナーさんでした。「ワールドカップに出たいのですがお金がなくて。時給を上げてください。上がった時給分の時間を使って練習して、ワールドカップに出たいのです」と事情を話しました。「尾川さんだけえこひいきはできないからだめだ」と言われました。でも「その代わり、かぎを渡してあげよう。お客さまがはけた閉店後に練習していいよ」と言って私にボルダリングジムのかぎを渡してくれました。オーナーさんがしてくれたことがすごくうれしかったです。

それからファーストフード店でアルバイトして、インストラクションのアルバイトをして、そのあと家庭教師をして、閉店まで1時間練習して、閉店したあとお客さまがはけてからまたかぎを開けて夜中まで練習して、仮眠を3時間くらいして、朝5時からまたファーストフード店にアルバイトに行って、とずっとそういう日々を暮らしました。でも、1時間の練習時間が3、4時間になったわけです。「練習できる! 」とめちゃくちゃうれしかったです。それでどうなったかというと、ワールドカップに出たら、あとひとり上に行けば決勝に行けるというところまで来ました。

そして日本に帰ってきてぶっ倒れました。この生活は続いて3カ月でした。点滴を打って3日くらい入院していました。そこで考えていたのは、また、この「ピンチをチャンスに」です。「どうしたらいいのか」と入院しながらずっと考えていました。「この生活は続かない。続けられないと意味がない。退院したらスポンサー探しの営業に行こう」と思いました。スポンサーを探して軍資金が得られれば、その分、たっぷり練習できて海外に行けます。そのとき、ボルダリングなんていう言葉は世の中に浸透していないし、クライミングという言葉も知らない人ばかりでした。そこで退院後、(クライミングを)一から説明して、自分がどんな活動をしているかという資料を全部自分で作って、思いつく限りのありとあらゆる企業に電話して営業に行きました。「こんなスポーツをしているのですがスポンサードをお願いします」。門前払いばかりでした。「知らないからいりません」、そんな言葉を突きつけられるたびに「私って世の中に必要のない人なんだ」と心をグサグサ刺されながら帰っていく日々が続きました。

でも唯一、OKの返事が出たところがあったのです。フリーペーパーの会社でした。営業で「あなたのことを知らない」「ボルダリングを知らない」と言われるたびに「どうしたら知ってもらえるだろう」と考えて、まずは少しでもいいからメディアに出て、「この雑誌に載っている私です」「このテレビに出た私です」と言えば少しでも話を聞いてくれるのではないかと思って、フリーペーパーの会社にも営業に行きました。そうしたら、そこのフリーペーパーの小さい記事ですが「ぜひボルダリングを紹介したい」というお話があって、載せてもらうことができたのです。とてもうれしかったです。何社も行って断られていたので「あきらめずにとりあえずやり続けてよかった」と思いました。

この小さな記事が掲載されて、それを読んだキャスティング会社の人から後日、私のアルバイト先に電話がありました。「ぜひわが社のCMに出てください」というオファーでした。びっくりしました。しかも、その会社がスポンサードしてくれる、あの小さな記事からそんなお話をいただいたのです。びっくりして、でもそこで「これはチャンスだ」と思ってアルバイトを全部やめて、いただいたスポンサーのお金だけで遠征に行くことになりました。それから、一日練習することができるようになりました。それでどうなったかといいますと、なんと決勝まで行けたのです。初の決勝進出です。でも、先に言っておきますと、最初で最後の決勝でした。クライミング人生で一度しか決勝に行ったことがありませんでした。そのあとはまたずっと予選落ちでしたが、それでもそのときは何とか決勝に行けて、本当にうれしかったです。

なぜスポンサードを探してまでがんばっていたのかというと、「尾川さん、そんなことまでしなくても親御さんの支援を受ければよかったんじゃない? 」とよく言われますが、うちの親はこのスポーツに関して大反対でした。今は「オリンピック(競技)になったからやろう」という親御さんはいくらでもいます。でも、ボルタリングのボの字もクライミングのクの字も知らない世の中で、「うちの娘は訳のわからんスポーツをやっている。こんなので飯を食ってくとか言っている。そんなの反対に決まってるじゃないか」と。当然ですよね。多分、お子さんがいる方も多くおられると思いますが、自分の娘が、息子が訳のわからないスポーツで飯を食っていくと言い出したら、何て声をかけますか?私は「何をやってるんだ」と、ずっと大反対されていました。だから「もう親の縁なんか切ってやる」くらいの勢いで、モノを放り投げてうちを出てきたのです。だから親の応援も支援もいっさいなかったので、スポンサードされてアルバイトを全部やめるという覚悟は、「明日、ホームレスになるかも。明日、私はこの道路に段ボールで寝ているかもしれない」、それくらいの思いでワールドカップに出ていたわけです。決勝に行けたということで「一歩進んだな」と気持ち的にも大きかったです。

先ほども言いましたが、これが最初で最後の決勝で、あとは予選落ちばかり。ずっといわゆる落ちこぼれでした。周りを見れば自分だけ最年長で、ほかに出ているのは10代、優勝する子は15歳、私はもう30みたいな、そういう時でした。「始めたのはいつ? 」と聞けばみんな3歳、4歳。私が始めたのが23歳。「この20年の競技歴のギャップをどう埋めたらいいんだろう」と限界を感じてしまいました。そのころは精神的に参っていた時期でした。

■選手登録を剥奪されロッククライミングの世界へ

尾川さん
さらに追い打ちをかけるように山岳協会から電話がきました。「今から尾川さんの選手登録を剥奪します」という電話でした。「ええっ! どうしてですか?」 そうしたらこんな答えが返ってきました。「尾川さん、CMに出たでしょう。」「はい、出ました。」 あの小さい記事から縁があってCMに出た会社さんのことです。「あそこは消費者金融、いわゆる借金の会社でしょう」と言われたのです。そうでした。当時はサラ金と言われていて、あまりいいイメージがなかったのです。そこで協会の人が言ったのは「酒、タバコ、借金。この類いのメディアに出たり、かかわったりする選手はアスリートとしてあるまじきだから選手登録を今から剥奪します」ということでした。

「ええっ!!」と思いました。ちょっと言い返してもみたくなったので言い返しました。男のクライマーの大先輩がビールのCMに出ていたので「あの選手の登録は剥奪しないのですか?」と聞いたら「大丈夫」、私だけだというわけです。「お酒がだめだと言ったのに、何でビールはよくて私はだめなのですか?」と聞いたら、「5パーセント未満は酒じゃない」と言われました。「ええ! 」と思って。そんな協会も今は八海山のスポンサードを受けています。「これは何なんだ」と言いたくもなってしまいますけど、よくよく聞きますと、「こんな予選落ちばかりの古い選手はいらない。そろそろ若手に補助金を出したいから、あなたはどいて」みたいな感じだったようです。それを、なぜかこんな感じで突きつけられてしまったがために私の心はずたずたになってしまいました。

「このピンチをどう変えるか」というところで、私は「じゃあ、いい。スポーツクライミングの世界は一線を退こう。ロッククライミングの世界もクライミングにはある。そっちでチャレンジしよう」ということになりました。ここから競技の世界を離れ、ロッククライミングという世界でチャレンジしていくターニングアップのお話になっていきます。チャレンジしようと思ったのが先ほど、(動画の)最後に出たむずかしい岩を登ることで、そちらで頂点を目指していこうという気持ちになりました。

ちょうど協会に選手登録を剥奪すると言われた時期と重なってどんなできごとがあったかというと、(資料としてお配りしている)マンガを読みます。数十年前、選手登録を剥奪しますと言われるまでは、まだ少し競技をしていました。ある有名番組、“何とか大陸”の出演の打診がありました。いろいろ打ち合わせをして「お話、ありがとうございました。尾川さんから聞いたお話をプロデューサーさんに提出して、番組にするかどうか判断します」と(言われました)。メディアに出ることがすべてではありませんが、世間に知らしめるという意味でプロクライマーとして大きな一歩で可能性にあふれているということはありました。だから活用できるものは活用したいという思いがありました。

2コマ目です。数日後、「プロデューサーさんに相談したら、尾川さんにすごみがないからだめだ」という回答で、なしになりました。日本人で当時(ワールドカップに)出ていた女子は私、ひとりだけでした。でも、「ずっとワールドカップは予選落ちだったもんな。当然だよな。しょうがないな」と、そう思いました。

3コマ目です。1年後、また「この○○大陸にぜひ」と打診が来たのです。「やった! 2回目きた! 」 その時は全米大会で優勝しました。「これで行けるだろう」と思ったら、「ちょっとすごさが足りない」ということで「なしで」と言われました。そして2年後にまた「番組にぜひ」と3回目を言われました。このときは最初で最後だったワールドカップの決勝に行ったときです。「決勝に行ったんだから今回は! 」と思いましたが、それでも「すごくない」というプロデューサーさんの判断でなしになりました。このとき、みんなが思う「すごさ」って何なんだろう。ボルダリング、クライミングの「すごさ」って、一体何なの?
とすごく考えました。

4コマ目です。「あなたが考えるすごさって何だよ。すごいって思うのに登ってやる」という思いもあって、競技は選手登録剥奪ということもあったので、「ロッククライミングでがんばろう」と、そのときにまずは日本人女性初の四段というところに登りました。4回目はもう来ませんでしたが、そのときは「もっとすごいものを登るぞ。今度は日本初ではなくて世界初のものを登るぞ」と思って登ったのが、先ほど言った3年間で700回もがんばった岩です。いろいろ重なって、スポーツクライミングの競技の第一線を退いてロッククライミングにチャレンジしていくことになった、いわゆるターニングポイントでした。

ターニングポイントについてかたる尾川さん

■カタルシスを機に岩との向き合い方が変わる

尾川さん
最後のセクション、そこからどうターニングアップしていくかというお話をしていこうと思います。まず、ビデオで見ていただいたカタルシスという、壁は低いですが天井みたいな岩、世界の女子で初めての難易度のところを登ることにチャレンジします。この岩を登って、自分の考え方や岩との向き合い方がどんどん変わっていきました。変わったことはみっつありました。

ひとつは原点です。スポーツクライミングからロッククライミングに挑戦するにあたって、「自分の原点は何だろう。何で自分はクライミングが好きで、何でやりたかったのだろう」という原点回帰でした。スポーツクライミングは制限時間の中で上まで登れても登れなくても、ポイントによって勝手に順位がついていきます。優勝してしまえば登れなくてもいいのです。それがスポーツクライミングのある意味、おもしろみでもあるのですが、私はもともと何のためにクライミングを始めたかといったらエベレストを登りきるために始めたわけです。私は登れても登れなくても順位がついていくクライミングが好きだったのか、それとも登りきるクライミングが好きだったのかと思ったときに、私はやっぱり登りきって岩の頂上に立つクライミングが好きでした。原点にまた戻っただけだという思いがあり、自分のしたかったことは何だったのだろうと考えるきっかけになりました。

ふたつめは、岩との向き合い方が変わりました。スポーツクライミングをしているときも岩で練習することはありました。それまでは「岩を制覇してやろう」「岩をやっつけてやろう」「私が頂上まで行って踏みつけてやろう」みたいな、それくらいの勢いで岩に登っていました。でも、この3年かかった岩はそんな気持ちでは全く登れませんでした。どう向き合えばよいかと考え、経験していくうちにわかったことは、「制覇するんじゃない。やっつけるんじゃない。岩を理解して一体化しないと登れない」ということです。これは人間も一緒だと思います。恋愛に例えるとわかりやすいですが、「あの人、私の彼氏にならないかな」というときに、ぐいぐいと「制覇してやろう」「あの人を落としてやろう」みたいな気持ちで行くよりも、「あの人は何が好きかしら」「どんなことが趣味なのかしら」と相手を理解していこうと思った方が仲よくなれます。岩も同じだと思います。「敵対しても登れない。岩をどう理解していこうか。どう一体化していくのかを理解しないと登れない」ということに気づいたのです。岩は天気によって持ち具合が変わります。割りばしやつまようじみたいな小さいところに足場を踏んだりするので、湿度が1パーセント違うだけ、気温が0.1℃違うだけ、風力が違うだけで、今日できた指の形でも明日はできないことが多々あるのです。岩や天気を理解していかないと、なかなか岩には登れないのです。だからそこがすごく大事だという考えに変わっていきました。

カタルシスといういちばんむずかしい岩を登ったときは、初めは敵対していたから岩がめちゃくちゃ“ドラゴン”でした。「このドラゴンをやっつけてやるぞ!」という岩のイメージで登っていたのですが、登っていくうちに「岩を理解していかないといけない」と思いが変わってきたら、岩がどんどんウサギとかチューリップのお花畑みたいなイメージにやさしくなっていきました。登れたときは「もうお友だち」みたいな感覚です。それが私と岩の向き合い方でした。本当に1ミリ、1℃の気温や湿度で変わっていくので、たった一手できないだけで3年間で700回(挑戦しましたが)、その中でどれだけの分析結果と指の形のアイデアを出して、少しの勇気を持って行動できるかというのが解決の糸口だと思います。これは本当の岩の壁だけではなくて物事のピンチの壁も一緒だと思います。ピンチの壁に出会って「越えられない」と思ったときに、越えられないパートに自分がどれだけのアイデアを注げるか、岩だったら指の形をこうすればいい、ああすればいいとか、小指で持っていたけど親指の方がいい、あるいは、足はこの角度よりこっちの方がいいなどと考えますが、物事のピンチの壁に対してもどれだけ分析をして、そこにアイデアを注いで実践してやってみるかというのは一緒だと思います。

みっつめはとにかくやり続けることです。3年間、あの一手のために続けてきました。お話につなげる前にクイズを出したいと思います。

「#クイズ」

尾川さん
マンガの隣に3種類の岩がありますが、むずかしい順番に番号を並べてみてください。「2、3、1」とか「2、1、3」とか「3、2、1」とか、どうでしょうか。できましたか?

ある番組で同じ問題を出して、アナウンサーの方に答えてもらいました。そのアナウンサーの方は「いちばんむずかしいのが3、次が2、次が1」という答えでした。何で3番がむずかしいと思ったかというと、「地面がすごく下にあって、多分、高いところを登っていて、これだけ傾斜があるからむずかしそう」という理由でした。(次にむずかしいのが)2番だった理由は、「これも高いところを登っているけど、真ん中に穴のようなものがあってガボッとつかめる。傾斜もゆるいから、高いけど2番目かな」という理由でした。1番がいちばん簡単という理由は、「見た目に岩がゴロっと小さそうで、すぐ登れそう」という理由で、むずかしい順に「3、2、1です」とアナウンサーの方はおっしゃいました。

実は、答えは「1、2、3」で上から順にむずかしいです。理由を言いますと、1番はV7という7番目にむずかしい(岩)です。意外とつるつるで、持つところがないのです。岩は小さいのですが、滑ってなかなか登れません。2番目はV3で、3番目のむずかしさです。確かにアナウンサーの方がおっしゃるように傾斜も寝ているし、ガボッとしたところがあるので、2番目にむずかしいです。3番はレベルが1でいちばん簡単です。見切れていますが、すぐ下が地面なので高くないです。写真の撮り方でこうなっているだけで、傾斜があるけれどもガボッと持てるので簡単というところで、本当の答えと全く逆の答えでした。

これで何が言えるかというと、私がどんなにむずかしい岩を登って、天井で割りばしくらいしかつかめないところやペットボトルのふたのような小さいところをつかんで登っていくとどんなに言っても伝わらないということです。みんなにむずかしさを伝えようと思っても伝わらないし、そこにすごさを求めてしまうと人の心は動かないということに気づきました。

小学校で同じような講演をします。そして、岩を登るむずかしさを伝えようと、子どもたちにわかりやすいように具体的に「本当に小さいんだよ。このエアコンのフィルターの隙間くらいしか持てないのを天井で持つんだよ。それを5メートルも行くんだよ。それで3年間、700回かかったんだよ」と説明しても、「あんな小さいところを持って、尾川先生はすごいと思いました」という感想文を書く子は誰ひとりいませんでした。みんな、どんな感想を書いてきたかというと、「3年間で700回もやったことがすごかったです」という感想でした。

どんなに岩の写真を見せて「こんなにむずかしい」と表面的なスペックを説明してもすごさが伝わらないのです。何がすごいかというと、岩のむずかしさではなくて、困難と思われたものを、どれだけあきらめずに、どれだけ自分が思いを注いで、どれだけ挑戦して、どれだけ成し遂げようとしたかで、そこでやっぱり人の心が動くし、自分の壁を乗り越えることでもあります。7や14というむずかしさの数字ではないというところに、子どもたちに講演をして気づいたのです。

そういう意味で、考え方が変わった3番目は「続けること」です。困難だと思われたことをどれだけあきらめずに続けて挑戦したかという思いがやっぱりすごさなのです。私はテレビ番組で断り続けられたとき、表面的なスペックしか求めていませんでした。「むずかしい14という数字さえ登ればいいんでしょう」「優勝すればいいんでしょう」と、数字しか出そうとしなかったのです。「だから断られたのかな」とあとから思いました。そこではなくて、どれだけの思いをかけて困難なものに挑戦してきたかというところにボルダリングの本当のすごさがあるということに気づかされた岩でした。それはボルダリングだけではなくてほかのことでも言えると思います。

もう一回言いますが、私の壁の向かい合い方は、ひとつは原点です。原点は夢と通じるところがあります。夢のもとは「何がやりたいか」という原点だと思います。(2番目は)岩の向き合い方でピンチに対してどれだけアイデアを注げるか、そこで一歩を踏み出せるかというところで、3番目が挑戦し続けることがすごさだというところです。この岩にチャレンジするにあたって、考え方がすごく変わりました。

原点について話す尾川さん

■壁と向き合うように病気と向き合う

尾川さん
おまけのお話になりますが、実は、このチャレンジを3年間した2年目くらいに、突然、舌がんの前がん病変なりました。「このまま放っておくと舌がんになります」というがんの前段階ですが、お医者さんに言わせたら「もう一生治りません」という病気にかかったのです。唾液が出ない、味覚がない、食べられない、飲めない、唾液が出ないと人間は水すら飲めないのです。舌は普通は赤いですが、真っ白に硬くなってしまいました。がんだったら舌を取りますが、腫瘍ができているのに「まだ前段階だから取らなくていい」と舌を切るにも切らせてもらえず、でも切ったら再生しませんからずっとチューブ食になってしまう、そういう病気にかかりました。4、5件くらい大学病院に行きましたが、どこのお医者さんも「そのままにするしかない。がんになったら切りましょう」と同じ答えでした。「あんな洞窟みたいな場所で2年間も『1ミリ、1ミリ』とか言いながら精神をすり減らしていたら、これだけストレスがかかるんだな」と思ってしまったのですが、完治しました。普通にしゃべることもできるし、味も感じるし、みなさまと変わりません。少し違うとすれば「唾液の出が悪いかな」くらいで、舌も赤いままで大丈夫です。病気に対しても岩と同じ向き合い方をしました。初めはめちゃくちゃテンパって「このまま死ぬのかも」「おいしいご飯を二度と食べられないかも」「ずっと介護食かも」と悩みました。でも、「壁と向き合うのも病気と向き合うのも一緒だ」という考えに立って、同じことを考えました。

まず、自分の原点は何か、夢は何かと思って、「生きたい」「がんになりたくない」「治したい」、そこが夢で原点でした。病気も「やっつけてやろう。何とか治したい」と思っているとどんどん痛くなるし、唾液も出なくなるし、ひどくなる一方で、この先、どうなるんだろうと不安でした。そうではなくて、岩と一緒で、この病気と向き合わなければいけない、どんな症状になってどんなことがあるのか理解しなければいけないと、病気自体を勉強しました。「いろいろな症状の人がいる」「いろいろな年代の人がいる」「男女で差がある」と勉強し、これで症状がよくなったというものがあれば試してみたりして病気と向き合っていきました。岩と全く同じでした。最後は続けることですが、日常生活で食事やベースになる簡単なことを続けました。ストレッチとかからだにいいと思われることはとりあえずやりましたが、この病気で続けることの大変さを思い知らされました。

例えば、みなさま、唯一、子どものころから今まで続けられるけど多分、続いていないだろうというものでラジオ体操とかどうですか。子どものころ、夏休みにラジオ体操をしましたが、からだにいいと思っても、今まで一度も休まずに続けている方はいらっしゃいますか?あんなに簡単な2、3分の体操ですが続けられないわけです。野菜ジュースやサプリメント、唾液が出る首のストレッチなど病気のためにからだにいいものをいろいろ考えました。でも1、2カ月は続くけれども半年くらいしたらもうやめてしまっていて、これではなかなか病気はよくなりません。食事もすぐグチャグチャになってしまうし、どうしたら続けられるだろうと考えました。

この話をすると「しょうもないな」と言われるのですが、クイズです。特にやらなくても生きていけるし、たまに「めんどうくさい」「やりたくない」と思っても、みなさまが子どものころから今の年齢まで、唯一、続けられていることがあると思います。多分、みんな同じだと思いますが何だと思いますか? 私は歯みがきだと思いました。歯みがきはめんどうくさいと思うこともあるし、歯はきれいになりますが、(歯みがきを)している時間は、鏡を見ているだけで無駄な時間だ。この時間をどうにかできないかと思ってしまいます。でも、子どものころからいやいやながら、うちの子どももいやいや言いながらしていますが、この年齢まで、病気にはなるかもしれませんが、やらなくても死なないだろうに続けてこられたというのは、歯みがきに何か理由があるのではないかと歯みがきを深掘りしたことがありました。

そして「歯みがきは習慣になっているから続けられる」と思ったのです。だから、続けたいと思ったら習慣にするしかないし、習慣にするのがむずかしいなら歯みがきのときにやればいいと思って、舌にいい首のストレッチを歯みがきのときにするようにしました。そうしたら続けられるようになりました。「どうしたらあきらめない心がつきますか」とよく質問されますが、人間だからあきらめたくなることもあります。だから習慣にするしかないと思いました。まずは歯みがきのときに何でもいいから一緒にやります。今では首のストレッチをしながら片足で立って、体幹トレーニングをついでにやっています。全部ついでです。習慣の中に入れ込んでいくしか続けられる方法はないのではないかと思います。

スラックラインという綱渡りみたいなものを体幹トレーニングにいいから5万円くらいかけて買いましたが、なかなかやらなかったのです。「どうしたらやるかな」と思って、玄関からリビングまで絶対、通らなければいけない所に置いておけばいいと思って、邪魔ですが、毎日、スラックラインで綱渡りしないとリビングに行けないようにしてしまいました。生活導線や習慣に取り入れれば絶対、あきらめないと思います。あきらめることももちろんありますが、目に見えているから忘れません。「やらなきゃ」と思い続けるとあきらめないですむので、それもひとつ、大切だと思いました。

それが私の壁と向きあって乗り越える方法です。実際の岩の壁と向き合うのと物事の壁、例えば病気の壁、健康の壁、例外の壁、子育ての壁も全部一緒だと私は思っていて、向き合う方法として原点回帰、理解すること、続けることが大事だと思っています。

最後になりますが、コロナウイルスの時期、ピンチといえばいろいろなことでピンチでした。私にとって身近なことでいえば、マスクをしながら練習しなければいけないわけです。マスクがあると息苦しいし、非常にうっとうしいです。このピンチをみなさまだったらどうチャンスに変えますか? めんどうくさいですし、マスクをしながらジョギングとか、絶対、やりたくないです。そこで私はピンチをチャンスにどう変えたかというと、低酸素マスクを買いました。どうせマスクをしなければいけないのだから、マスクでも余計息苦しくして低酸素トレーニングで登ってやれと思って、今、低酸素マスクでトレーニングしています。半年したらこの効果が現れるでしょうか。そういうふうに、日常の中でもピンチをチャンスになるべく変えています。私のクライミング人生で得た壁と向き合う答えがみなさまにどれだけ役立つかわかりませんが、もし参考になって明日からの活力になればいいと思います。オリンピックが開催されたら、ぜひスポーツクライミングを応援していただければと思います。本日はどうもありがとうございました。

尾川さんの著書

第2部

フェリシモ
第2部もどうぞよろしくお願いいたします。第2部ではお客さまからいただいたご質問にお答えいただきます。それでは、いただいたご質問の中からいくつか私が代読いたします。たくさん質問をいただいていますが、ひとつめ、ニックネーム、クライミングファンさまからのご質問です。「自分もクライミングをしております。ハイボルダーやリードの簡単なルートでも、ランナウトしていると登っている途中で恐怖心や『だめかもな』というネガティブな気持ちがわき上がってきて、あきらめてしまうことがあります。勇気を出して一歩踏み出すために尾川さんはどんなことをしていますか」ということですが、尾川さん、いかがでしょうか。

尾川さん
クライミングをやっていない方にわかりやすく質問を説明しますと、要は高い岩に登ったときに恐怖心がわいてしまうので、どうしたら恐怖心に打ち勝つかということです。視点が足もとにあると落ちたときにボーンとたくさん落ちるので、命綱をつけていても落ちるのが怖いと思うわけです。

私の場合は、一気にゴールを見てしまうと「あそこまで登らなければいけない」と不安になってしまいます。まずは、今あるパートを見てちょっとずつやっていきます。それこそ1ミリの作業です。「1ミリだけ出してみよう」ともう1回チャレンジ、「次、2ミリ出してみよう」ともう1回チャレンジ。一気にゴールを見ようとするから不安で怖いと思ってしまいます。ちょっとずつの積み重ねで恐怖や不安は減っていくと私は思います。なので、ちょっとずつ、1ミリ、1センチの積み重ねを大事にしていくというところだと思います。「一気にやってしまおう」とか、ダイエットでも1週間で一気に3キロ減らすという目標を持ってしまうから怖いし、できなかったときに愕然とするから、「1日、100グラムずつダイエットしていこう」的な「1ミリずつ出していこう」というところで不安や恐怖を消しています。

フェリシモ
ありがとうございます。一手、一手を大切にされているということです。続いてオンラインのライブ配信でご視聴いただいているマリオさまからのご質問です。「絶望的なほどの逆境にあっても前向きに進まれるお話に感銘を受けました。クライミングで集中力を培われていることが不安に飲まれないで現実に集中できる理由ではないかと推察したのですが、クライミング中にクライミングと関係ないことを思い浮かべることはありますか。例えば『エアコン消し忘れたな』とか」。尾川さん、いかがでしょうか。

尾川さん
あります。「かぎ、閉め忘れたかな」「家を出るとき、ガス、大丈夫だったかな」と思いながらクライミングをやっていたりします。現役時代の軍資金の話をしましたが、明日の生活をどうしようかなとか思いながら練習していて、全然、練習に集中できなかった時期がありました。そのころはがむしゃらだったので、対策もせずに「不安よ、叩き壊せ」みたいな感じでやっていましたが、今、どんな言葉を当時の自分にかけられるかなと思うと、呼吸を大事にということです。不安になるとハッハッと呼吸が浅くなるじゃないですか。不安と呼吸は、恐怖もそうですけど、連動していると思うのです。先ほどの高い岩に登るのもそうだと思いますが、瞑想とまではいきませんが、深呼吸して長く、深く(呼吸)できれば自然と心も落ち着いてくるから、余分な不安が頭に浮かびにくくなると思います。当時の不安になりながら登っていた自分に声をかけるとしたら、「筋力やメンタル、技術のトレーニングをする前に、まず呼吸のトレーニングをしなさい」と声をかけます。深く長く呼吸して心を落ち着かせることがすべてにつながっていくと思います。

フェリシモ
ほかのことを考えてしまうと、次の一手にかかわりますね。

尾川さん
やっぱり影響しますので、どんなことでも呼吸は大事だと思います。

フェリシモ
ありがとうございます。続いてニックネーム、トシさまからご家族さまに関するご質問をいただいています。「プライベートなことで恐縮です。だんなさまになった方へはどんなチャレンジで征服、イコール結婚されたのですか。また、ひとことで言うとどんな感じの方ですか。教えてください」ということですが、尾川さん、いかがでしょうか。

尾川さん
うちの夫は一般的なサラリーマンですけど、趣味でボルダリングをやっていて、それで出会いました。同い年だったので話も合って、という感じです。どうやって征服したかというか、岩と同じです。私から好きだと言ったのですが「理解しよう」という気持ちではありました。そんなにガツガツいかなかったです。

フェリシモ
デートのときはやっぱりクライミングをしに行かれるのですか。

尾川さん
ほとんど岩や山に行っていました。ビデオでもありましたけど、南アフリカもハネムーンで行きました。全然、ハネムーンではなくて合宿です。2週間くらい休みを取って、実質、8日間登れたのですが、時間がもったいないと言って朝5時に起きて夜の7時まで登り倒してバタッと寝て、また朝5時に起きて、指の皮もすり減って死にそうな合宿みたいなハネムーンでした。

フェリシモ
ありがとうございます。それではお子さまについて、ニックネーム、ごま塩さまからのご質問です。「お子さまもクライミングをされるのですか。また、お子さまにも登ってほしいと思われますか」ということですが、いかがでしょうか。

尾川さん
うちの子は今、3歳と6歳で、もちろん私がボルダリングジムや岩場に行くときは一緒に連れて行くのでやるのですが、好きかどうかと言われたらうちの子はボルダリングをそんなに好きではないと思います。当たり前になりすぎていて「別に今日、登らなくてもいいや」とか家族の甘えみたいなのがあって、「登りなよ」と言ってもなかなか登りません。うちの子はそんな感じです。

私は親からこの道を反対されたという話をしましたが、私はやっぱり自分の道を親に応援してほしかったと思っていました。だから無理矢理、登らせたいという思いは自分の子にはなくて、「自分の好きなことを見つけてね」と思っています。私はどんな道に行っても応援してあげたいという気持ちでいます。

フェリシモ
ありがとうございます。続いてニックネーム、クライマー好きのひとりさまからのご質問です。「ボルダーで高い壁から落ちたり、むずかしい課題への挑戦で指やからだを痛めることはないですか。私もクライミング好きでやっていますが、特に指は痛めて変形もしています。尾川さんはとてもおきれいです。細くて、華奢で、お子さんがおふたりいるとは思えません。からだや指のメンテナンスやトレーニングを含め、食生活などクライミングのために取り組まれていることを教えていただきたいです」とのことですが、尾川さん、いかがでしょうか。

質疑応答の様子

尾川さん
いろいろお褒めいただいてありがとうございます。指に関してですが、ほかの競技と違うのは指で、私の指は今、どうなっているかと言いますと、いただきます(の形)に手を合わせようとすると(指がぴったり)つきません。変形してしまっていて、指にそれだけ負担がかかるということです。この話をするとみなさま驚かれますが、男子のトップ選手は小指1本で片腕懸垂ができます。楢崎選手(のなまえ)は聞いたことがありますか? 彼は余裕でできます。小指1本で男性の70キロとか60キロの体重を支えられるって不思議ですよね。壊れないのかと思われるかもしれませんが、それくらい指に負担がかかるので、クライミングをしていると指の怪我をしやすいです。

もちろん指が曲がっているのはよくなくて、まっすぐになっていた方がいいです。けれども、指だけのケアをすればいいわけではないと思います。というのは、指が(内側に)曲がっていると腕をからだの横で伸ばしたときに自然とひじが内側に入るのです。そうすると今度、肩も内側に入るのです。肩が内側に入ると猫背になります。指が曲がっているだけで私は猫背になりやすいのです。

猫背になるとどんなデメリットがあるかというと、競技で言えば、届くものが届かなくなります。胸を(はって)姿勢を正せば少し伸びます。あと、猫背は肺も小さくなるし、呼吸も浅くなります。先程、呼吸を深くすればいいと言いましたが、逆になってしまうのです。呼吸がしにくくなるから酸素を取り込めないというデメリットがあります。スポーツをされない一般の方でも猫背になったら姿勢も悪くなって病気になるし、腰が痛いというのはそこが原因だと思っています。なので、指をケアしたいと思ったら、私も気をつけていますが、まず姿勢を正して胸を広げていく、そこをまずベースにしておいてから指のケア、肩のケア、としていかないと、土台がしっかりしていないのに指だけケアしても、また舞い戻ってしまう悪循環になるので、まず姿勢を正すことが大事だと思います。

舌の病気のことをお話ししましたが、(原因は)姿勢でした。これはあまり公表していないのですが、今、私は左耳が聞こえません。難聴です。不思議ですが講演するときだけ聞こえません。そして舌も悪いです。多分、私は顔の左側がよくないのです。鍼に行くと、先生に「首がすごく凝っていますね」と言われます。猫背で首が前に出ていて、頭の5~6キロの負担が全部首にかかっているのが原因だと思います。だから首がコリコリになって唾液も出ないから舌も悪くなる、左ほおのあたりの耳管の筋肉がかたくなって耳も聞こえないという悪循環になっているわけです。だから、健康に関して姿勢をよくするということは大事だと思います。スポーツをされない方でも美しく見えるし、ダイエットにも効果があると思うので、どんなスポーツでも、日常生活でも、ケアのべースは姿勢だと思っています。

食事も、病気になってどうにか続けられる食事をしようと考えて、いろいろ実践しました。初めはカロリー計算したり、βカロテンやリコピンや栄養成分を何ミリグラム取ればいいとか栄養士さんみたいな勉強をして、「これさえ食べていれば病気が治る」と思ってやっていたのですが、そんなことをしていたら1カ月も続きません。ダイエットも同じだと思います。「ケーキが400キロカロリーで、これが何カロリーで」と、いつも電卓を持って計算しながら食事をしていたらやる気がなくなってしまいます。やっぱりこの食事法は続けられませんでした。でも、続けることが大事なので、どうしたら続けられる食事ができるか、ピンチをチャンスに変えるためにアイデアをひたすら考えました。

私が病気のときから今でも続けているのは五色食事法です。食材に色がありまして、小学校の家庭科でやると思いますが、白、赤、黄、緑、黒、この五色です。黒ならごま、白ならお豆腐やごはん、赤ならお肉、縁なら葉もの、黄ならにんじんやみかんなど、その五色がそろっていれば大体バランスがよく、栄養もとれているというものです。外食でもできるし、自分で作ってもできるし、健康でもスポーツでもできます。五色食事法が今でも続けられるいちばん簡単な食事法でしたので、もしよかったらみなさま、実践していただければと思います。

フェリシモ
ありがとうございます。続いて姫路市からお越しのお客さまから、こちらもトレーニングに関するご質問です。「落下したときのからだへのダメージは大きいと思います。落下時の防衛のような訓練や筋トレなどはしていますか」ということですが、尾川さん、いかがでしょうか。

尾川さん
ボルダリングといって、命綱を使わないときの落下に限定してお話します。命綱をつけているときはロープがちゃんとブヨーンとなって(落ちないので)大丈夫ですが、ボルダリングといって命綱を使わないときの落下は確かに4メートル、5メートルからとなかなか高いし、マットは敷いてありますが、落ちると結構、負担がかかります。

落ち方の練習というわけではないのですが、きれいに落ちるのがプロのクライマーだと私は思っています。落ちる姿すら美しい、失敗する姿すら美しい、それがプロであることだと思っています。だから、現役の選手を見ても落ち方がみんなきれいです。どうきれいかというと、ふわっと膝のクッションを使って、不意に落ちたとしてもちゃんと受け身を取れています。きれいな落ち方をする人は登っても上手に美しく登れます。だから、落ち方の練習は、まずは全身のバネを使って、バネが縮むような落ち方をする練習をするといいと思います。からだは直線的に動かすとだめで、円というか、楕円というか、ぐるぐると(動かします)。だから落ちるときも直線的だと絶対にケガをするので、膝の円の動きを使って落ちます。登るときも一緒で、「えいっ」と直線的だと絶対、登れません。円の動きで登っていきます。野球とかテニスとか、全部、同じだと思います。バットを振るのも、直線的(な動き)でホームランを打てるかといったら多分(打てないし)、ゴルフのスイングも(直線的な動きだと)なかなか飛ばないと思います。からだの円の運動を全部使うことでいっぱい飛んでいくし、力強くできると思います。

フェリシモ
ありがとうございます。続いてのご質問です。「続けることの大切さを再認識できました。ありがとうございました。尾川さんがいちばん印象に残っている続けることの大切さを実感したチャレンジやできごととはどんなことですか」ということですが、いかがでしょうか。

尾川さん
同じことになってしまいますが、やっぱりカタルシスという最後にいちばんむずかしい岩を登ったとき、そして病気になったときに続けることの大切さを実感しました。続けるには、全部同じことですが、ちょっとずつ、ちょっとずつなのです。1日に1ミリ、2ミリでしか積み重なっていかないので、それを少しずつ積み重ねていくところが大事だと思います。続けるためには日常の中で習慣化してしまうことがいちばん続けられる方法だと思います。

フェリシモ
ありがとうございます。続いてニックネーム、チカさまからのご質問です。「趣味でクライミングを楽しんでいる者です。クライミングを始めたころ、尾川さんのBS番組や著書でよく練習していました。カタルシスの動画では手に汗を握り、息が止まりそうでした。今、精力的にクライミングを通じた活動をされていますが、例えば10年後に向けて何か始めておられることがあれば教えてください。ご自身のことでも、クライミング界のことでも、それ以外でも」ということですが、尾川さん、いかがでしょうか。

尾川さん
最初にやっていただいたペーパークライミングを実用化して商品としてみなさまに提供できないか模索しています。今、ペーパークライミングから発展したシートクライミングも小学校の講演会ではやっています。ブルーシートみたいな大きなシートに、ペーパークライミングではマルで描かれていた所にガムテープで手が入るくらいの枠を囲って、いかにも手づくり感満載というシートですが、敷きます。そして子どもたちと「四つん這いになって、手と足で順番をちゃんと考えて登らないと、ブルーシートのこっちの端からあっちの端まで行けないからやってみてね。これがクライミングの『考える』の醍醐味だよ」という感じでやっています。なにぶんガムテープなので、30人も生徒がいればボロボロになってベトベト剥がれます。東北の学校に行くと、「これは体育館の遊びにいいです。冬は雪で子どもたちは外で遊べないから、冬場の遊びに欲しいです」と先生がおっしゃってくれたりするのですが、ブルーシートにガムテープを貼っただけのものを学校さんに渡してもすぐ剥がれてしまうので、ちゃんとした商品として学校に提供できれば、クライミングの壁がない学校でもクライミングの醍醐味が楽しめる可能性を見出せるので何とかできないかと(思っています)。全国の学校に1個ずつシートクライミングがあればいいのにと思っていて、それを夢に今は活動しています。

フェリシモ
ありがとうございます。クライミングというと壁が必要なイメージですが、床でやるという発想の転換で、いつか家の中や床でもクライミングができる文化が生まれそうだと今、聞いていて思いました。

尾川さん
お相撲部屋に近くて、お相撲をしているお子さんたちがいっぱいいる東京の学校に講演に行ったことがあります。そこの技術の先生がクライマーだったみたいで、体育館にクライミングウォールを立てていました。「おー! 」と思って講演のあと、1クラス、体験会をさせていただいたのですが、なにぶんお相撲をやっている体重の重い子たちがいっぱいいて、登れなくて大変でした。先生も「せっかくあるのにもったいないな」という感じだったので、私がシートのボルダリングを持っていくと「これはいい」と。できる子は壁でやればいいし、「お相撲をしていて体重が…」という子はシートでやれば安全です。楽しんでやってくれて、「これなら1クラスみんな一緒に体育館でできる。ぜひ欲しい」とおっしゃってくださったこともあったので、ぜひ、手づくりっぽいものではなくてちゃんとしたものができればと思っています。

フェリシモ
クライミングの幅が広がりそうだと感じました。ありがとうございます。それでは続いてクライマーさまからのご質問です。「スポーツクライミングやオリンピック競技を観戦する際、素人でもわかりやすい楽しみ方のポイントを教えてほしいです」とのことですが、いかがでしょうか。

尾川さん
初めに説明させていただきましたが忘れてしまったかもしれないのでもう一度、説明しますと、スポーツクライミングの種目は3種目ありまして、速さを競うスピードクライミング、ふたつめは命綱を使って高さを競うリードクライミング、みっつめは登れた壁の数を競っていく登りの限界を求めるような壁の低いところを登る命綱のないボルダリングです。その順位を掛け算して、(例えば)順位が1位、2位、3位だったら1掛ける、2掛ける、3でポイントになりますが、それが少ない人から上位になっていきます。

何で足し算ではなくて掛け算なのかというと、1位に価値を置くためです。どこかの種目で1位を取るとかなり順位が上がっていくシステムになっています。予選ではひとつだけガクンと下がって2種目だけいいという選手よりも、まんべんなくあまり変化のない数字を取れた人が決勝に上がってきます。ただ、決勝は今度、逆で、3種目の中でどれか1位を取っておかないと掛け算なので確実にメダルは取れません。まんべんなく2位、2位、2位の選手より、スピードで1位ならリードでビリでもどこかで1位を取った選手の方がメダル圏内になります。なので、この選手はどこで1位を取るべきなのかというところにひとつ見どころがあると思います。

フェリシモ
ありがとうございます。続いて初心者マークさまからのご質問です。オンラインのライブ配信でご視聴いただいております。「ブログやSNSを拝見しています。更新や運用は大変だと思いますが、いろいろな発信をされる際に伝えたいと思われていることはどのようなことでしょうか」ということですが、いかがでしょうか。

尾川さん
かなりSNSをやっていまして、プロフィールにもありますようにTwitter、Instagram、アメーバブログ、Facebook、noteなどいろいろしています。今、4コマ漫画を描いています。というのは、コロナで講演会の仕事がしばらくなかったものですからうちで子どもたちと過ごす時間が多くなって、子どもたちとお絵かきをしながら、私も漫画を描くのが好きで、子どものころに描いていたなと思いながら、自分のクライミングの体験談を4コマ漫画にしてSNSにアップしたのがきっかけです。それでしばらく自分の体験やエピソード、トラブル、笑い話を4コマ漫画に描いて、どこまで続くかわかりませんが、アップしています。

SNSでひとつ気をつけていることは炎上です。叩かれやすいのか、私もSNSで何回か炎上したことがありました。何で炎上したかというと、いちばん大きかったのがカタルシスに登ったときです。大会なら審判がいて「あなたは1位です」「2位です」とジャッジがつきますが、ロッククライミングの世界には審判はいません。ではどうやってジャッジされるかと言うと、SNSに動画をアップして「登れました」と世界に配信して、世界の人に「登れましたね」と認められたらその岩に登れたことになるという世界なのです。それで私は「カタルシスというむずかしい岩に登りました」と言ってYouTubeやいろいろ(なところで)動画を配信しました。そうしたら「誰だ、これ」「どこのクライマーが登ったんだ」「本当に登れたのか」「知らないぞ、なまえ」という反応が来ました。私はずっとワールドカップの予選落ちで、世界からみれば名もなき選手だったわけです。「そういう人が世界初とか登れるのか」みたいなことで大炎上してしまいました。「これは虚偽だろう」「編集したんじゃないか」「これは14というけど、実は違う岩を登っているんじゃないか」みたいな炎上を世界中のSNSでしてしまい、1週間くらい登れたことをあまり認めてもらえませんでした。

どうやって(炎上が)落ち着いて、賞までいただけるようになったかというと、炎上したきっかけのひとつは、栃木県の岩だったので当時、日本人しか登っていなかったことがあります。どうやって岩のレベルを決めるかと言いますと、初めて登った人がまずなまえをつけて「これは14ではないか」と提案します。レベルが14というのはひとりの意見です。そしてふたりめが登ったときに「これはちょっと簡単だから14もない。13だ」、そしてもうひとり登ったときに「14ではない。もっとむずかしい。15ではないか」と議論的なことをしていきます。10人、20人と登れば大体安定してきて平均的な数字が出てくるので、それで「この岩のむずかしさは14かな」となるわけです。

世界から見たら、「この栃木県の岩は日本人しか登っていないから日本人の意見しか入っていないじゃないか。欧米人がひとり登ったら14ではなくて13と言うかもしれないから14ではないだろう」というわけです。そんなことでなかなか認めてもらえなかったのですが、そのとき、ダニエル・ウッズという当時、世界最難の16というレベルを登っていたアメリカのトップクライマーがちょうど来日していまして、私が登ったカタルシスの岩をSNSにアップしてくれたのです。そして「確かにトモコ・オガワが登ったのは14だ」と書いたのです。そうしたら世界中のやんややんや言っていた人たちは「世界最難を登るダニエル・ウッズが言うのなら14か」みたいな感じで収まり、認められました。そこは私の努力以外のところで、ある意味、運がよかったのかもしれません。それは認められたのですが、そんなこともありましたので、SNSで気をつけているというよりも、心がズタズタになるので炎上はしたくないなというところです。

フェリシモ
ありがとうございます。それに関して私から質問したいのですが、TikTokで音楽に合わせて「課題1」とかを登っている尾川さんを見ました。こういう動画では気をつけるところや「こういうところが登りやすい」というアドバイスをされるのですか。

尾川さん
TikTokでも動画を流していて、今、中国がなんだかんだでちょっとやめていますが、落ち着いたらもう一回やろうと思っています。コロナの緊急事態のときにクライミングジムやボルダリングジムが閉店してずっと登れない期間があったのでどうしようというときに、このピンチをチャンスに変えるために、念願だったプライベートウォールを購入しました。マンションの六畳一間を空けて、壁を立てて部屋で登っていました。その壁は世界共通で売り出されている壁で、同じ石の配置なので専用のアプリで「これと、これと、この岩を使って登ったら難易度は幾つです」というのが世界中の人たちと共有でき、自分が指定した石の配置や、ほかの人が指定した石の配置をアプリを見て登ることができます。それで私は「こんな課題を作りました」「こんな登り方のものを作りました」「こんな難易度のものを作りました」と自分が作った石の配置のラインをTikTokでアップしています。「どうやって登ろうか」と考えるのがおもしろいので、「右手はこうやると登りやすい」「こういう持ち方をするといい」と答え的なものを書いてしまうと登る人はたぶんおもしろくないです。だから動画だけ載せて答えは書いていません。

フェリシモ
「TikTokの動画にチャレンジしてください」という意味で配信されているということですか。

尾川さん
そうです。

フェリシモ
ありがとうございます。それでは最後のご質問となります。今、オンラインライブで視聴いただいているルイジさまからのご質問です。「自然の岩を登られるということで実際に見てみたくなりました。神戸や関西でおすすめの自然の岩はありますか」ということですが、いかがでしょうか。

尾川さん
関西だと奈良県の御手洗。「お手洗い」と書いて「みたらい」というところや、武庫川にボルダリングがあり、1、2回くらい登りに行ったことがあります。関西のクライミングをしている方は、四国に岩だらけのところがあって、高知県まで3~4時間くらいで行けるので登りに行ったりしているようです。

フェリシモ
ありがとうございます。クライミング用の岩を検索するとき、どう調べたら出てきますか。

尾川さん
ガイドブックがあります。クライミングショップや山岳ショップに行くとガイドブックを売っているので、購入して登りに行きます。「どこの岩でも勝手に登っていいのですか」とよく質問されますが、やみくもにどこでも登っていいかといったらそういうわけではなくて、私有地の岩は登れませんし、観光地の岩場は、私たちは絶対、登りません。ご神体になっているような神さまの岩にも登りません。そういうところはすごく気をつけていて、登っていい岩といけない岩の分別は、私たちはマナーの上でつけているつもりです。ですから山岳ショップでガイドブックを購入して、登っていい岩を見つけて行ってもらいます。

いろいろな問題があって、岩を管理している地元のクライマーの人たちもいて、その方たちが精力的に行政や地主さんたちと「この岩に登っていいですか」と打ち合わせをして許可をいただいたり、たくさんクライマーが来たら駐車違反の車もでてくるので駐車場をどうしようとか、お手洗いも行かなければいけないから簡易トイレを付けるか、付けないかとか、大変な思いをしてやっています。自然を破壊しない、ゴミは持ち帰る、そして滑り止めのチョークを使いますが、クライミングしたあと、チョークを落としてきれいにして帰るとか、そういうところをがんばってやっているクライマーの方たちもいますので、岩場にはまずルールやマナーを学んでから行かれるといいと思います。

フェリシモ
ありがとうございます。以上で質問のお時間を終了とします。たくさんのご質問をいただきありがとうございました。それでは最後に尾川さんに神戸学校を代表して質問いたします。改めまして、尾川さんが一生をかけてやり遂げたい夢について教えていただけますか。

尾川さん

私が一生かけてやりたいことは、一生、クライミング、ボルダリングを続けることです。簡単なようで本当にむずかしいことだと思います。私の生徒さんで最高齢が80歳の方がいらっしゃいました。80歳の方がボルダリングのあの高い壁を登るのです。その方は一回テレビ出演したことがあって、某筋肉タレントさんと対決したのですが、全然余裕で80代の生徒さんの方が壁を登っていて、本当にすごいと思いました。その方はもうご寿命で亡くなられていますけれども、その生徒さんを見たときに、私もこの方のように命尽きるまでボルダリングをずっとやり続けたいし、そういう人生でありたいと思いました。それが夢です。

集合写真

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