フェリシモCompany

「結果を決めて努力で帳尻!」

一般社団法人COMIN’KOBE実行委員会・委員長

松原裕さん

開催日
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プロフィール

一般社団法人COMIN’KOBE実行委員会・委員長。1979年神戸市北区生まれ。神戸市内にて、ライブハウスや飲食店、レコーディングスタジオ、インディーズレーベル、音楽プロダクションなど、音楽に関連するさまざまな事業を広く手がける。震災の復興支援として2005年より入場無料の音楽フェスティバル「COMIN’KOBE」(2010年までは「GOING KOBE」)を開催。株式会社パインフィールズ代表取締役。music zoo KOBE「太陽と虎」代表。20歳で結婚し、23歳で離婚。現在中学3年生と高校2年生の息子と生活中のマルイチシングルファザー! 座右の銘は「結果を決めて努力で帳尻」! 人生3倍速早送りの一時停止禁止で気がつけば38歳。 ロックはスピード、ライブハウスはバランス。最終的には愛情で神戸から常識のモノサシ破壊を日々繰り返す。

※プロフィールは、ご講演当時のものです。

講演録 Performance record

第2部

フェリシモ:
第1部では、今年(2017年)のCOMIN’KOBE(カミングコウベ)の概要を紹介する映像を、みなさまに見ていただきました。松原さんは「これからの時間は自分のために使う」とおっしゃっていましたが、ご自分のために使っておられますか。

松原さん:
自分というか、自分の子どものために使っていますけど、だんだん飽きてきてテレビゲームに時間を使ったり、そういったふうになってきています。

フェリシモ:
そうなのですね。

松原さん:
すみません、滑り止めの軍手をください。軽く滑ったので。

フェリシモ:
滑り止めですか!

松原さん:
僕はガンで医者にストレスがよくないと言われています。みなさんぱっと見た感じではなかなか冷たい心の持ち主のようなので、もっと気を使って笑ってくれたらいいのに冷たい目をするのでこういう滑り止めがあったりした方がいいのかな、と。

僕が滑るとガンが進行することになると思うので、たくさんお守りを持って、これでたぶん大丈夫だと思いますので滑り知らずでいきたいと思っています。

よろしくお願いします。いま、あわてて軍手を探してもらいました。ありがとうございます。

……暑いので脱ぎます。

「#軍手を脱いで放り投げる」

「#会場笑い」

フェリシモ:
本日はCOMIN’KOBEについてはもちろんですが、音楽事業にかかわる会社も経営されているということで、音楽に抱く思いやご病気の話、神戸という町、音楽に託す未来など松原さんの生き方についてもおうかがいしたいと思います。

松原さん:
よろしくお願いします。

■COMIN’KOBEが始まるきっかけ

松原さん:
阪神・淡路大震災が起こったのが1995年で、僕が中学3年生の時でした。その時には音楽に目覚めていて、高校に入ったらバンドを組もうと思っていました。

バンドを組むにはギターがいるじゃないですか。ドラムでもいいですけど僕はギターをやろうと思っていたので、親に「ギターを買ってほしい」と言ったら「公立の志望校に受かったら買ってあげるよ」と。ということは、僕がバンドを始めるには公立の高校に受かることが第一となって、だから受験勉強をがんばろうと。ロックと勉強は相反するものですが、振り返れば結構ストイックに勉強をがんばっていました。でも、やっぱり勉強ばかりしているのでおもしろくないなと思っていました。

1月17日に地震が起きて、地震が起きたことはわかっているのですが「とりあえず学校に行って勉強しないと」と思って学校に行ったら、学校には来るなと先生に言われて、そこから学校が休みになって勉強できなくなりました。私立高校は2月に受験なので、もう受験できないから内申書だけで合格したり、僕にとって阪神・淡路大震災が、語弊があるかもしれないですが、ラッキーなことになってしまいました。勉強せずに家で曲や詩を書いたり、ダメですけどバイクで食料を探しに行っても警察に怒られないし、非日常がすごく楽しくて、もちろん大変なことだということはわかっていても、どこか他人事でした。

そして高校を卒業して初めてツアーで7日間くらい東京を回って「神戸から来ましたー」とライブハウスで言うと、終わったあとお客さんとかライブハウスの人から「神戸の地震、大丈夫だったか」とか「あの時すごく心配していたけど神戸の人に何もできなかったからいま、君に何かごちそうするわ」とか、家に泊めてもらったり、ご飯をおごってもらったり、神戸から来たというだけですごく手厚くしてもらいました。

自分が思っている地震とギャップを感じて神戸に帰ってから改めて地震について考えることになり、阪神・淡路大震災のイベントにも参加して、そこで「自分は何ということをしたんや」と。遊んで、復興の活動もせずに、しかもラッキーとまで思って、だからそこですごく罪悪感が生まれて、いま、大人になってからでもできることがあるのではないかということでこのイベントを立ち上げたというのがきっかけです。

フェリシモ:
そのような経緯があってから、スタートが震災の10年後だったということですが、年々規模が大きくなっていっていまや一大イベントに成長しています。

松原さん:
いやいや、ありがとうございます。もっと言ってください。

フェリシモ:
動員数も今年は約4万人になって、募金額も去年は700万円だったのが今年は1,200万円になったと発表されていて、本当になくてはならないイベントになっていると思いますが……。

松原さん:
いえいえ、もっと言ってください。

フェリシモ:
どうしてこんなに盛り上がりを見せていると松原さんは思いますか。

松原さん:
いろいろなイベントや催し物があると思いますが、血の通った思いとかイベントをやるまでのドラマとかいろいろなところをお見せして、根からイベントのことを応援してもらいたいと思っています。イベントの趣旨的にどうしても堅くなってしまうというか、ことがことだけに軽くできないですが、それは教科書やテレビ局がやってくれるので、COMIN’KOBEは「生きててよかったじゃん、ラッキーじゃん」みたいな前向きなところも足して伝えたいと思ってやったのが支持をいただいたのかなと思っています。

フェリシモ:
第1部の映像ではお客さまへのインタビューで「とっても自由なところが楽しい」とか「来年も絶対来ます」みたいなコメントがあがっているのはそういう思いがあるからなのでしょうね。

松原さん:
そう思っていただいたらうれしいです。私どもはお金がないので、逆にそれが自由につながっていることになるかもしれないですけど。

フェリシモ:
手づくりな感じということですか。

松原さん:
楽屋なんか勇気さえあれば誰でも入れますから。パスがなくても入りたいという勇気さえあればパッと入れます。

フェリシモ:
ファンの方はいま、いい情報を得たかもしれないです。

松原さん:
勇気があるなら。もちろん見つけたら怒りますよ、僕は。

フェリシモ:
そうですね、勇気と常識。

松原裕さん:
勇気と常識があるならば。

フェリシモ:
お客さまからもアーティストのみなさまからもとても愛されているイベントだと思います。

松原さん:
ありがとうございます。

フェリシモ:
さっきの映像でも、みなさまがCOMIN’KOBEの趣旨に賛同しているコメントがあったり、開催が近づくと「まだ呼ばれていないぞ」というミュージシャンの方の投稿を見かけたり、本当にすごいなと思っています。豪華なアーティストさんたちには松原さんがお声掛けをしているとうかがったのですが。

松原さん:
そうです。基本的には僕が声を掛けさせてもらっています。

フェリシモ:
どういうポイントでお声掛けされているのですか。

松原さん:
商業イベントだったらある程度人気のあるアーティストからブッキングしていくとチケットも売れるのでいいと思いますが、COMIN’KOBEはチケットを売るのが目的ではないので、ライブを1回は生で見させていただいて、そのあと一緒にお酒を飲んでそのアーティストの言葉や考えを聞いて、このアーティストなら僕が伝えたいことややりたいことを理解してこういう感じで表現してもらえるなというアーティストにお声掛けさせてもらっています。

フェリシモ:
そのポイントもさっきおっしゃっていた血が通ったイベントという気持ちにつながっているような気がします。

松原さん:
そうですか、うれしいです。だから女の子を紹介してくれたからとか、少し包んでもらったからブッキングするというのもちょっとしかないです。

フェリシモ:
ちょっとはあるのですか。

松原さん:
それは人間なので。

■全員が同じ立場で参加するために入場は無料

フェリシモ:
そんなCOMIN’KOBEでも何度か開催中止の危機に直面したということで、例えば突如予定していた会場が使えなくなり、お金が足りなくなってクラウドファンディングで2,000万円を集めて無事に開催された歴史があります。それでもずっと入場無料で、もちろん場内で募金は集めますが、チケットを売らないというところにこだわってきた理由を教えてください。

松原さん:
最初に無料を思いついたのは、まず若い世代に気兼ねなく来てもらいたいというのがありました。そして、必ずしもそうではないですけれど、有料だと観客とアーティストにどうしても段差があると思うのです。お金をもらった以上アーティストも楽しませなくてはいけない。それは当たり前のことだと思いますが、無料にすることによって、決してゼロにはならないですけど、気持ち的にはフラットな立場になれると僕は思っています。

だからスタッフもお金をもらっていないし、参加者さん(お客さん)もお金を払っていないし、アーティストもお金をもらっていない。全員が同じ壇上でイベントに参加していることがすごく大事だと思ってこだわってやっています。

フェリシモ:
お客さまもCOMIN’KOBEのスタッフとまではいかなくてもCOMIN’KOBEの雰囲気を作る一員なのですね。

松原さん:
そうです。僕のブログでも全部そうですが、実は徹底して「お客さん」という言葉は使っていなくて、「参加者さん」という言葉しか使っていません。とか言いながら、もし使っているのがあったら教えてください。すぐ直します。COMIN’KOBEの時は徹底して僕は「お客さん」と呼んでいなくて、全員が参加者と思ってやっています。

フェリシモ:
いろいろなこだわりにつながってくるかもしれませんが、COMIN’KOBEがチャリティということを抜きにしても、ここがほかのフェスとは違うと松原さんが胸を張れることは何ですか。

松原さん:
さっきの話と少しかぶってくるかもしれませんが、アーティストは心意気で出てもらっているので、それがそのほかのイベントとは違います。有料のイベントだからって悪くないですし、有料のイベントでも僕が尊敬するイベントはたくさんあるので無料だからいいということではないですけど、ほかのイベントとはフィールドが違うというか、上下ではなくて完全に別物なので、それがCOMIN’KOBEのひとつの魅力だと僕は思います。

フェリシモ:
松原さんが「このイベント好きだな」と思うものはありますか。

松原さん:
COMIN’KOBE以外ですか。ないです。

「#会場笑い」

松原さん:
そうですね、例えば京都でやっている京都大作戦というイベントやアーティストが主催しているイベントはすごく好きです。「このイベントは見なあかん」という温度があるというか、血が通っているイベントになっているので、思いがあるイベントは好きです。

■ロックと社会の共存を目指す

フェリシモ:
毎年、会場内で集まった募金を直接手渡ししておられ、例えば今年は熊本の被災地の方に渡されていますが、どんな思いで渡されていらっしゃいますか。

松原さん:
正直言うとおいしいものを食べにいこうくらいの感じもありますけど、お渡しして感謝の言葉をいただく時は本当に「やっててよかったな」としみじみ思います。来年の活力になっています。だから届けたいと思います。

フェリシモ:
どういった場所に募金を渡しておられるのですか。

松原さん:
僕は阪神・淡路大震災の時には中学生でしたが、未成年は親に守られていると少し他人事になりがちなところあると思うので、未成年の方たちに使ってもらいたいと思って小学校、中学校、高校、あとは震災孤児の学費にあてるような基金に寄付しています。

フェリシモ:
COMIN’KOBEは平成25年度にロックという部門では初めて神戸市文化奨励賞を受賞されて、本当に神戸になくてはならないイベントだと思いますが、なんとなく公的なものとロックというものに少し差があるような気がします。どうしてそういった賞をいただくまでになったのだと思いますか。

松原さん:
僕が高校生の時に、例えば夏休みに髪にカラースプレーを振って金髪にしてギターを持って家を出ると、隣の家から、僕は裕というなまえですが、「裕君、不良になったんやな」という心の声が聞こえてくるのです。

フェリシモ:
心の声ですか。

松原さん:
そうです。そういう目で見てきて、母も「不良になったんか」みたいなことを言ってきます。別にロックが好きイコール不良ではない、でもそう思われるのは仕方がないとは思っていました。

大人になってからも、たまたま同級生とすれ違った時に「松原、まだバンドやってんの」みたいな、バンドイコールまだ子どもみたいな、社会に溶け込めていないみたいな感じがしてすごく悔しくて、ライブハウスもやっているのですが町とどうやって共存してロックが認められるのか、それこそ行政をロックが動かすみたいなことになればバンドマンはこれからもバンドを続けやすいのではないかと思ったのです。「まだやってんの、バンド」と言われるのではなくて、バンドが市民権を得てひとつの職業になっても絶対におかしくないから、そこはすごく目指してやっていました。

だから市長を表敬訪問した時も100人くらい格好がめちゃくちゃのバンドも集めて市役所の1階でゲリラライブをして上がっていきました。その中には市長の価値がわかっていない「市長っておいしいん?」とか言っているアホなバンドマンもいて、タメ口をきいたりとかするわけです。

そういうのもいますが、ロックが認められるようなものにしていきたいと思ってやっていました。その中で文化奨励賞というのは目指していたもののひとつとしては非常にうれしく、ありがたく頂戴しました。僕が尖っていれば「そんなもんいらん」とか言えたのですが、もうジャンピング土下座で「ありがとうございます」とありがたく頂戴しました。

フェリシモ:
ロックと社会の共存を目指す松原さんは株式会社パインフィールズの代表としてアーティストさんのマネジメント業務、ライブハウス「太陽と虎」の運営、グッズ制作、レストランまで音楽にかかわる事業活動を手広くされておられますが、どうしてそれらの会社を立ち上げて事業を続けているのですか。

松原さん:
やらざるをえなくなったと言ったら語弊があるかもしれませんが、最初にライブハウスを作りました。気に入ったアーティストを、例えばメジャーなレコード会社に紹介してデビューさせていくのですが、中には「こんなやり方やったら売れへんのにな」と思っていたやり方もあって、案の定やっぱり売れなくて解散してしまったバンドもいくつか見てきて悔しいなと思っていました。自分だったらこうやってアーティストを売るのに、それならもう自分でやってみようと思いました。

アーティストをプロデュースして、CDデビューさせて、ありがたく売れたらレコーディングをしていかなくてはいけないのでレコーディングスタジオを押さえるのですが、いいスタジオを押さえるのは大変なのです。それならもう自分で作ろうと思ってレコーディングスタジオを作りました。

アーティストがどんどん売れていったらグッズを販売します。業者にTシャツとかを発注するのですが、納期も時間もかかるし融通もききにくいから、もうそれだったら自分でマーチャンダイズの会社を作ろうと思って作りました。

そしてリハーサルスタジオもいるなということで作って、どんどん広がっていって、最終的にはライブハウスで打ち上げをしていくのですが、バンドマンは打ち上げをすると派手なのでクレームが来ます。だんだん三宮で打ち上げができる場所がなくなっていって、それで仕方なくレストランを作りました。

フェリシモ:
すごい。

松原さん:
だから何かやろうと思ってやったわけではなくて、もう全部仕方なくそうなっていっただけで、ほんとにそれだけです。

フェリシモ:
お父さんのように「やったろ」というような、あたたかみがすごいです。

松原さん:
やったろというかケチだから、「お金が外にいかないように自分の中で」みたいなところがあるかもしれないです。バンドマンに「ライブハウス借りてお金払って、打ち上げもあんたの店でお金払って、もうむさぼりとられてるな」と言われたことがあります。

フェリシモ:
むさぼりとられているという言い方はちょっとどうかと思いますが、確かにそういう面も…(笑)。

松原さん:
言い方はあれですけどね。そんなバンドはもう絶対COMIN’KOBEに出しませんけど。

フェリシモ:
ハハハ、そうですね。最初に立ち上げられたライブハウスは太陽と虎ですね。私も太陽と虎が大好きで、今日、お守りでチケットを持ってきました。

松原さん:
ほんまですか。いや、たまたまでしょう、これ。

フェリシモ:
たまたまじゃないです。

松原さん:
好きとかいいながら、じゃあ何回来たことあるんですか。

フェリシモ:
それはちょっと。

松原裕さん:
ほらもう口だけ、ほんま。
すみません、冗談です。

フェリシモ:
COMIN’KOBEもそうですが、パインフィールズさんや太陽と虎のホームページとか、チケットの裏側にある注意事項もユニークな言葉であふれています。

少し読ませていただくと、「みんなでまもって、みんなのライブ」「おやくそくをまもつて、みんなたのしい1日にしようね」とか、「本券の払い戻しや再発行はできないよ。なくさないでね」「入演前に半券を切り離すと無効になるよ。ふたりをひきはなさないでね」とか。あとは……

(一瞬、間があいたので)

松原さん:
いま、正式に滑ったじゃないですか。ちょっと待ってくださいよ。

「#会場笑い」

フェリシモ:
次に笑えるのをどれを読もうかなと思って考えていたのですが。

松原さん:
オフィシャルで滑りましたよ、いま、これ、僕が考えてボケて書いたのに。

フェリシモ:
ごめんなさい。

松原さん:
ああ、ガンが痛い。

フェリシモ:
ごめんなさい。笑ってください。

松原さん:
ああ。うそうそ。

フェリシモ:
ユニークで、守ってほしい注意事項も笑って「わかりました」と言えるところが多くて、そういうこだわりについておうかがいしたいです。

松原さん:
単純に読んでもらいたいので。COMIN’KOBEのホームページもガイドラインのページの中に注意事項を書いていますが、いまどきだいたいのイベントは「ケガをした時はみなさんの責任ですよ」とか、責任転嫁ではないですがイベントを守ることを書いていますけど、そんなの面倒くさいし読まないじゃないですか。でも読んでもらいたいこともあるから、そこに少しふざけたことを書いていればおもしろがって読んでくれるのでやっていて、それがどんどんエスカレートしていっていま、2文に1文がボケみたいなことになってすごく散らかっています。この間警察に「注意事項はどんなものを出しているのか」と言われて出した時にやっぱり少し抵抗がありました。「すみません。これなんです」と言って。

フェリシモ:
これで大丈夫なのかと言われてしまうかも。

松原さん:
そう。警備会社もすごいフォローで「松原さんのそういうユニークさ、僕は大好きですけど、最後に『まじめな注意事項はこちら』といって別のページを作りませんか」と言うので「それやと結局意味ないやないかい。読ませるためにふざけたことを書いてんのに、次にまじめなページに行ったらそれはもうあれやんか」というなんかすごいことになっていました。

フェリシモ:
あれは松原さんが書いていらっしゃるのですか。

松原さん:
そうです。家でニヤニヤしながら書いています。

好きな音楽をビジネスにするうえで大切にしていることを話す松原さん

フェリシモ:
松原さんが好きな音楽をビジネスにされるうえで大切にされていることをおうかがいしたいと思います。例えば、いまは違法ダウンロードで音楽が自由に聞けてしまう時代で、中高生の子たちがその価値にお金を払うことを他人事に感じるようになっていったら嫌だなと思うのですが、今後はどうなっていくと思いますか。

松原さん:
音楽の違法ダウンロードに関して、僕個人としてはそれは仕方がないことでいままでが逆に少しおかしかったのかなとさえ思っています。音楽の仕事をしながら「CDを買ってください」と言うのは僕はもうナンセンスかなと思っていて、音楽はある程度自由に無料でどんどん聞いていったらいいのではないかと思っています。その中でアーティストがどうやってご飯を食べていくかということを考えるのがやっと僕たちの仕事になってきて本領発揮というところにいっているので、音楽に関してはこれで僕はいいと思いますし、いまからまた価値が変わることはないと思います。サブスクリプションという定額の音楽聞き放題サービスも始まりましたし、音楽は無料で聞くものでもいいと思います。

■腎臓ガンになったけど人生全部がガンになったわけではない

フェリシモ:
次はご病気のことについてうかがいたいのですが、先ほど映像の中でもありましたとおり、昨年(2016年)の3月に腎臓ガンが見つかっていまも治療を続けながら活動されています。驚いたのが腎臓ガンの方を集めてランチ会をされたことです。

松原さん:
はい、やりました。

フェリシモ:
なまえが「腎臓ガンたち大集合だワイワイ!」なのは、岡崎体育さんの曲(『感情のピクセル』)の歌詞のもじりでしょうか。

松原さん:
そこからパクりました。

フェリシモ:
楽しそうに報告をされていてすごいなと思いました。どうしてそんな会を開かれたのですか。

松原さん:
7月に入院していた時、看護師さんが日曜日なのにコンコンとドアをノックして「松原さん、怪しくないですけど松原さんの知らない方がいて、怪しくないですけど会いたいと言っているので、本当に怪しくないですけどどうします?」と言うのです。「いや、めっちゃ怪しいやん」と思いましたけど、「僕は知らないんですよね」「そうです。その人は松原さんのことを知っていて『会いたい』と言っているんです。私は看護師の立場からあまり言えないのですが怪しくない人です」と言うから、おもしろいなと思って「通してください」と言いました。

来られた方は僕と同じ病院に入院している同じ腎臓ガンの患者さんで、その看護師さんがよく見ている患者さんでした。僕のブログを見ていて、僕は窓からの景色の写真をあげていたので同じ病院だということがわかって、なんとしても少し会いたいと看護師さんに相談に行ったらしいのです。

すごいことだと思ってその人と話をしていて、同じ腎臓ガンの人と仲よく楽しく話したことが初めてだったのですごく勇気をもらえたというか「その副作用わかる」みたいな腎臓ガンあるあるがおもしろくて「こういうのを絶対やった方がいいな」と思って企画したという感じです。

フェリシモ:
当日はどれくらいの方が集まったのですか。

松原さん:
17名集まりました。東京から来られたホカホカの腎臓ガンの人や、ステージ1のひよっこから僕みたいなステージ4のベテランまで幅広くありまして。

フェリシモ:
ヒエラルキーがあるんですね。

松原さん:
もちろん。ステージ1はボコボコにいじめますし、会費は多めにとります。

フェリシモ:
なんとなく病気の話になると少し重いじゃないですか。「マジで」な感じになるものもユーモアであたたかくいろいろな人をつなげておられるなと思います。

松原さん:
そう言ってもらうとあれですけど。ガンになって発表するか悩みましたが、別に隠すことではないと思ったのでSNSでバーンと発表しました。

そこから町ゆく中でもすごく心配されたり、かわいそうな目で見られたりすることがちょこちょこあって、その時にこっちはこう思うのです。ガンになりましたけど僕の人生全部がガンになっていないし、もちろん楽しくていろいろな人生がいっぱいある中のガンなので、このガンが僕の人生覆ったみたいな見られ方になっていることに少しびっくりして、でもそうじゃないから、と。

ガンになったことですごく落ち込んで精神的に病んでしまう方が多いですけど、そうならないためにも生き方とか、なんかきれいごとですけど、本当にそう思ったのです。「もう、これはギャグにせなあかんな」と思いました。

3月21日にわかったのでどうおもしろく発表しようかなと。「再来週、エイプリルフールやな」と思って、エイプリルフールの嘘のネタとうまくガンを掛けてめちゃくちゃ笑いを僕の中で作って台本を考えました。「これおもしろいと思うねん。これで発表するわ」とスタッフに見せたら全員から白目で怒られて「一応生死がかかわってるから笑いにはせんといてくれ」と言われて普通に発表しました。そこからは楽しく腎臓ガンと闘いながら生きていきたいと思ってやっています。

フェリシモ:
病気が発覚されてからご自身の中で何か変わったことはありますか。

松原さん:
死生観が変わったとかいろいろ言われますけど、そんなに大きくは変わっていないと思います。いつ死ぬかわからないということを思いながら生きるのは阪神・淡路大震災や東日本の地震で学んだつもりなので、1日1日後悔しないような生き方はさせてもらいました。

ガンがわかった日はさすがに家に帰ってなかなか寝付けずポロポロ涙も流しましたけど、いつ死んでもそんなに後悔はないのかなというふうには思っています。とはいえ、1日1日を大事にしていく思いは強くなりました。

あとはふたりの息子に対する思いはより強く出ました。いままで「勉強せい」とかあまり怒ったことがないのですが、めっちゃ怒るようになりました。息子からしたらえらいとばっちりを受けていると思います。

フェリシモ:
いままで言われなかったのに。

松原さん:
別の意味でガンになってほしくなかったと思っています。

フェリシモ:
二重の意味で。

松原さん:
はい。

フェリシモ:
いま、息子さんたちはおいくつですか。

松原さん:
中学3年生と高校2年生です。

フェリシモ:
どんな大人になってほしいと思いますか。

松原さん:
むずかしいですけど、友だちの多い人になってもらいたいです。ふたつ道があったらしんどい方を選べと口酸っぱく言っていますが、自分にきびしく人に甘く生きるような子どもたちになってほしいです。まだ中3と高2なので全然伝わらないですけど。

フェリシモ:
反抗期があったりしますか。

松原さん:
いえ、幸い両方とも音楽を好きになって、お兄ちゃんはバンドを始めたのでふたりが好きなバンドに会わせてあげたりしました。そのバンドがええやつらで「お父ちゃんに世話なってんで」とひと言言ってくれるので意外と反抗期がなくラッキーだったと思っています。

「#会場笑い」

松原さん:
この仕事をやっていてよかったなと思いました。自慢です。

フェリシモ:
それも松原さんの人徳ですね。

松原さん:
いえいえ、でもそうですね。

「#会場笑い」

■アーティストが本当にやりたいことをやるような時代に変わっていってほしい

フェリシモ:
息子さんたちが生きていく未来について、松原さんが見ている先についておうかがいします。松原さんがいろいろな活動をされている中で大切にされていること、例えばCOMIN’KOBEは「震災を風化させない」というテーマを掲げられていますが、その先にもっとこんな世の中になったらいいなと思っておられることがあるのかなと思います。そういったことがあればお聞かせください。

松原さん:
でかいですね。「こんな世の中になったら」ですか。そこまではおこがましいですけど音楽業界の中で少し言わせていただくと、CDバカ売れしていたCDバブルの時代はバブルとも重なりますが、あの時が少し音楽をおかしくしたというかCDが売れすぎてミリオンセラーでないと売れてないみたいな時代がありました。

計算したのをお伝えしたいくらいですけど、ミリオンセラーになるととんでもないお金が入ります。それに狂った大人たちが利権を守るために、例えば権利とか著作権とかJASRACとかで音楽業界を複雑にして、アーティストがそれを理解するにはなかなか大変なことにしてしまったと僕は思っています。

それがいま、CDが売れなくなって淘汰されているので、アーティストがマネジメントを雇って本当にやりたいことをやるような時代に変わっていってほしいと思っています。まだ死んでいないですけど、ガンがわかった時に「このまま死んだら、そういう世の中を作りたいと思っていたのにここは志半ばやな」という思いになりました。

フェリシモ:
そういった世の中になるように、こういう人たちはよくやっているなというアーティストや会社は松原さんから見ておられますか。

松原さん:
たくさんあるので具体的なところはあえて伏せさせてもらいますけど、いま、ネット社会の中でいろいろな情報が飛び交って知識をつけてということは確実に増えています。例えば先ほど出た岡崎体育も自分でマネジメントをしています。そういうミュージシャンは本当に応援したいです。

フェリシモ:
COMIN’KOBEにまたお話が戻りますが、神戸の大学に通う大学生のみなさまが授業の一環でボランティアとしてかかわっておられます。それがどうして始まって続けられているのかについてお聞かせください。

松原さん:
さっき言ったとおりスタッフもターゲットというか、いま、来てくれる方だけではなくて作り上げる側の人間も未成年なのでスタッフとして参加していろいろ学んでほしいという思いからです。4月に学校が始まったタイミングで音楽の専門学校4~5校、大学も2~3校行ってCOMIN’KOBEのことを話して、手伝ってくださいと言ってボランティアを集めています。

フェリシモ:
参加率は年々増えているのですか。

松原さん:
高いです。スタッフが多ければいいということではないし、いま、必要な人数はある程度集まっているので学校を広げてはいませんが、いろいろな大学や高校に行ってスタッフを集めたいと思っています。

フェリシモ:
神戸の大学に通っている若い世代がかかわることでそういった取り組みをされているCOMIN’KOBEの活動についても深く知ってもらえるし、思いを持って参加することでその子たちが大人になって働き始めたらそういう気持ちでいろいろなことをするかもしれないし、種を植えているような気がしてとても素敵だと思います。

松原さん:
現にボランティアで来て、いま、音楽の会社に就職してCOMIN’KOBEを運営しているスタッフも結構いるのでそれを考えるとすごくうれしいです。

フェリシモ:
本当ですね。育ててまた戻ってきてくれてCOMIN’KOBEが大きくなって。

松原さん:
だからかわいい子がいてもあとあと響くからうかつに手を出せないなと思って、そこはストイックにさせてもらっています。

フェリシモ:
そうなのですね。ありがとうございます。

松原さん:
いえ、全然。いまの滑ってました?

「#会場笑い」

松原さん:
どう? ぶっちゃけどうです?

フェリシモ:
笑ってください。もっと笑ってください。

松原さん:
いや、あの、本音で。やっぱり滑ってましたよね。

フェリシモ:
この辺のお客さまにうけていました。

松原さん:
本当ですか、手前だけは。そうですか。手前は何を言っても笑うので。

フェリシモ:
そうなのですか。

松原さん:
うそうそ、冗談冗談。

司会者を笑わせる松原さん

■COMIN’KOBEをやめるという選択肢は自分の中では浮かばない

フェリシモ:
そんなCOMIN’KOBEですが、来年の準備を進められているのをブログで拝見しました。その中でいろいろな問題があるのかなとお見受けしているのですが。

松原さん:
めちゃくちゃありまして、ここで言いたいのですがまだ言えないところもあります。(この講演は)生配信されていますよね。

フェリシモ:
はい。

松原さん:
そうですよね。やっぱりちょっと。でも、早く言いたいなと思って、これはもう言ってもいいのかな、どうだろう、もう何が怒られるかもわからなくなってきてあれなんですけれども、いままでの会場では客席を大きくドーンと使っていました。来られた方がいらっしゃったらわかると思いますがこれは実はなかなかなくて、ほかの所だったら将棋倒しとかになっても最小限でおさめるという意味でブロック分け(ゾーニング)が基本的には義務づけられています。兵庫県は珍しく1回そこが甘かったのですが、COMIN’KOBEもきびしくしていきましょうということになってしまったので、COMIN’KOBEで使っている会場も細かくブロック分けをしなければいけなくなってしまいました。フリーイベントは指定席やブロック指定ができないのでお客さんを……いま、「お客さん」と言いましたけど。

「#会場笑い」

フェリシモ:
はい、「参加者さん」ですね。

松原さん:
ゴリゴリぶれてますけど、どうブロックに誘導していくかというのがめちゃくちゃむずかしいというか不可能に近いのです。消防や警察といろいろ協議した結果、いままでの形だとむずかしいので、じゃあどうしようかということである場所をいま、候補で考えています。3万人を運ぶのは大変なことで、輸送のインフラ面の問題をどうクリアしていこうかというところをいま、やっています。ここまでは言っても大丈夫だと思いますけど。

フェリシモ:
ありがとうございます。まさか伺えるとは思わなくてびっくりしました。

松原さん:
いま、本当にドキドキで、先週の打ち合わせはそれこそ開催できるかできないかくらいの瀬戸際の打ち合わせでした。一応「やりましょう」みたいにはなったので、なんとか開催できるかなというところまではいっているので、とはいえなかなか油断できないですけど。

フェリシモ:
ぜひ次の年も開催されたらいいなと一ファンとして思っています。

松原さん:
ありがとうございます。

フェリシモ:
終演後にCOMIN’KOBEの歴史について詳しく書かれている本を販売しますが、それを読んでいてもいままでも警察と安全面に対する折衝やいろいろなことがあって、それでも「今年はもうやめます」みたいにならずに続けてこられることが本当にすごいと思っています。少し変な質問ですが、どうして続けようと思えるのですか。

松原さん:
よく聞かれますけど、やめるという道を選ぶのはすごく簡単です。子どもたちにも言っているとおり、僕はふたつ道があったらしんどい方を選ぶように生きてきたつもりなので開催は絶対しようと思います。実際、「もうくじけそう、やめたいな」と思った時にお世話になった人たちやこのイベントを支えてくれた人たちの顔がバーっと浮かぶと「もうやめられないな」と思います。続けることがその人たちへの恩返しになっていると思い込んでやっているので、やめるという選択肢は自分の中では浮かばないです。

フェリシモ:
追い込まれていないか心配になるくらいご自身を駆り立てていらっしゃると思います。第1部の映像の中では「いいことをするためにとか、ほめてほしくてやってるわけじゃない。自分の中の罪悪感でやっている」とおっしゃっていました。いろいろな方に恩返しをする気持ちでイベントを続けておられるわけですが、松原さんご自身で罪悪感の気持ちの整理はつきましたか。

松原さん:
2005年の阪神・淡路大震災の10年目からCOMIN’KOBEを始めました。10年間、神戸に対して阪神・淡路大震災の復興の活動を何もできなかった自分がいたので、10年間続けたら罪悪感みたいなものはなくなるのではないかと思って、10年続けた年はやっぱりすごく感慨深かったですし、自分が何もしなかった10年間と同じ時間をやりきったのでこれですっきりできるかと思いましたが、あくまでフラットになっただけ、その10年間を埋められただけでした。

次の11年目の時は阪神・淡路大震災の20年目の年で、20年目という思いもあってあまり考えずにできました。でもその次の年にやり切った感じが正直ありました。ここからきちんとやっていくことが復興の活動だという思いはあったのですが、どこにモチベーションを持って行くかというところで迷子になっていて、でも続けたいという、自分の中でもあまり整理がつかないままやっていました。そうしたら、少しいやらしい話ですが、毎年、当日のことをイメージしながら準備をしていくのがその年はイメージできなかったし、ステージの上で何を話すかということも浮かばなかったのです。

と思っていたら(2016年)3月にガンがわかって、その年やる意味がまた生まれたので、よくできているなと思っています。ガンがわかったのも少しぶれかけている自分への神さまのお叱りということだったのかなと。ただ、その年はCOMIN’KOBEの趣旨よりも僕の追悼ライブみたいな空気にはなってしまいました。

フェリシモ:
まだ亡くなっていないのに。

松原さん:
ほとんどのバンドが泣きながらMCをするので、「いや、まだ生きてるしなあ」と思っていました。そんな感じにならないように、もっとふざけようと思って、やりとおしましたけどね。

フェリシモ:
私は高校生の時に3.11を経験しました。東京だったので家がなくなったりとかはありませんでしたが、とても衝撃的でした。直後に何かしないといけないと思って、友だちと募金を校内で集めてどこかに送ってみようとしましたがそれでも気持ちの整理はつかなくて、そのままなんとなく「あの時何もできなかったな」みたいなことを思いながら、でも少しでも何か助けになれるように活動していきたいと思っています。

COMIN’KOBEに参加させていただくことで趣旨に賛同し、募金も被災地に送られ、あとに起きた震災にも広がっていきます。あの時に迷ってしまった人たちにも道を作ってくれているような気がして本当にありがたいと思っています。

松原さん:
ごめんなさい。寝てたのであんまり聞いてなかった。すみません。

フェリシモ:
おもしろい話ができなくてすみません。

松原さん:
寝不足ですみません。「いいこと言ってるな」とは思っていました。すみません、うっかり。

フェリシモ:
すみません、失礼しました。

松原さん:
いや、でもそう思っていただいたらうれしいです。

■言ってしまったらやるしかない。楽をしていたら何も進まない

フェリシモ:
本日、神戸学校のタイトルにさせていただいた「結果を決めて努力で帳尻」、これは松原さんの座右の銘ということでお借りしました。松原さんは高校受験で勉強されている時からストイックで、息子さんたちにもふたつ道があったらつらいと思う方を選べとおっしゃるくらいストイックな方ではありますが、どうしてこんなにストイックな言葉が松原さんの座右の銘なのですか。

松原さん:
ストイックという見られ方があるというのは初めて感じましたけど、やっぱり僕も弱い人間で楽をしがちなので、それでは何も成功しないし、何も進まないし、助けたい人がいた時に助ける力さえもないと思った時に、これをやると決めて言いふらして自分が逃げられないように。COMIN’KOBEを始める時も、その年の1月に居酒屋で「実はやりたいんすよねー」と言ったらバンドマンの子たちが「やったらいいやん」みたいにわーっとなって、少し悩みましたけど「ここでもう言ってまお」と、逃げられないところまで作っていこうと思って「じゃあ俺、やります。見ててよ。その代わり出演してね」みたいな約束までしてしまいました。

COMIN’KOBEの1年目は8月でしたが、その8ヵ月間は想像を絶するいろいろがありましたが、もう言ってしまったのでやるしかなくて、メンツもありますしカッコつけなのでカッコつけたいですし。それでやれたので、その時にこの言葉を思いついてこれを自分の座右の銘にして何でもやりたいことを決めたら発表してしまうくらいのことでいこうと思ってやっています。

フェリシモ:
みんなに言って自分を追い込んで導いていくわけですね。

松原さん:
そうですね、はい。

フェリシモ:
そうなのですね、ありがとうございます。

松原さん:
いえいえ。

……欲しい答えではなかった感じがしますね。

「#会場笑い」

フェリシモ:
いや、違います。ごめんなさい。

松原さん:
ほんまですか。なんか「そうじゃないのになー」みたいな。

フェリシモ:
違います。

松原さん:
そういう感じが、いま、ゴーっと出てましたよ。なぐられたんかな思うくらい出てましたよ。

フェリシモ:
上手にお話を聞けなくて申し訳ありません。

松原さん:
さっきの僕への仕返しじゃないですか?

フェリシモ:
違います。

松原さん:
陰険な仕返ししてくるなあ。

フェリシモ:
すみません。

松原さん:
いや、いいですけど。

フェリシモ:
ごめんなさい、あの、ありがとうございます。

なんか、ちょっと。

松原さん:
落ち着いてください。

フェリシモ:
頭の中が真っ白になっちゃった。

松原さん:
そうですね、すみません。

■終わって泣きくずれるくらい追い込まれた2007年のCOMIN’KOBE

フェリシモ:
いままでのCOMIN’KOBEの中でいちばん感動した年があったら教えてください。

松原さん:
むずかしいです。「あれ2008年ね」とか「2009年ね」と思い出されるくらい毎年本当にいろいろなドラマがあるのですが、人生でいちばん追い込まれたのは2007年です。本でも書いていますが、会場が1ヵ月前に使えなくなり、本当にしんどかったです。

これは発表して新聞に載ったから、もう言ってもいいと思いますけど、やろうとした会場ですごい力を持っている自治会長さんから「COMIN’KOBEなんかやらせるな」みたいな、鶴の一声がありました。こちらが順番を間違えて報告したのも悪いのですが、1ヵ月前のある日、政治家や管理している神戸市の第三セクターの方からも「開催するな」となりました。その時は軽く考えていて、場所なんか探したらあると思っていました。だから「わかりました。ここで開催しないで違う場所を探します」と言って、そこからあちこちに電話していったら、言っていいのかわからないですが、いろいろな根回しをされていて使えなくなっていました。会えなかったり、「ここを使いたい」と言ったら「ここはここの団体とここの団体の許可をもらってからここの許可を取りに行く」みたいなめちゃめちゃ複雑なことにされていて、2週間くらい動きまわりましたがどこも使えなくてびっくりしました。

1ヵ月前なので場所も時間も出演者も全部発表していてもう変えられないしどうしようかとなって、それこそグーグルマップで神戸市の空いている土地とか探していました。「ここ、空いてんちゃいます?」と言ってすぐ連絡したり、企業のグラウンドとかあちこち電話して1週間、これは嘘抜きで、寝ずに動きました。行政の玄関が開く9時に出待ちではなく入り待ちするくらい市役所にも張り付いてバーっと話しても結局だめでした。ゴールデンウィークに入ってしまって、これでゴールデンウィークがあけたら開催まであと2週間半とか3週間に迫ると。さすがにこれはだめやなと。もう開催中止の発表をするしかないなと。迫れば迫るだけ損害が大きいので、中止の発表の文も考えて、損害のお金も出して、幸い保険に入っていたので損害の保険会社といろいろやり取りをしていました。

「もう中止かあ」と思っていた5月2日、ゴールデンウィークのちょうどあきの平日でしたが3時くらいに夙川学院大学の小野田教授から「やったぞー」と興奮した電話がかかってきました。「とりあえずいまからワールド記念ホールに行くぞ」と言われて、「なんでですか」「空いたんや、空いたんや」「いや、空いてない。僕、調べたんで空いてないです。フットサルの試合で埋まってたんで」と言ったら、教育委員会にお願いして、教育委員会の方がフットサルの試合を1週間ずらしてくれてCOMIN’KOBEの日と5月27日をあけてくれたのです。開催地が夙川学院大学の野外グラウンドだったのですが場所がすごく近いので、最悪、アナウンスが行き届かなくてもそんなにトラブルにはなりません。

ワールド記念ホールに行ったら本当にあけてくれていて、そこから3週間でババーっと全部プランを立てて開催できて、その年は終わってもう本当に泣きくずれました。

フェリシモ:
その年に開催中止にならなかったから、いまなお続けているのですね。

松原さん:
思い出したらウルウルするくらい本当に悔しかったですし、警察の方が悪いとは言えなくて、安全のためにきびしくしているだけで嫌がらせをしているわけではないのですが、その時はわからないしそこまで考えられないのですごく恨みましたし、ダメを出している行政の方たちにめちゃめちゃムカつきましたし悔しかったです。でもいまとなっては、これを乗り越えられたからですけど、よかったと思います。あのミラクルがあったからいまの自分がある、このイベントがあると思っています。あの年は一生忘れない年です。

フェリシモ:
そんな歴史が詰まった書籍が本日、終演後に販売されますのでみなさまどうぞお買い求めください。

松原さん:
すみません、宣伝になっていますね。

第3部

松原さん:
軍手が僕の席に戻されているのは、深い意味はないですよね。

フェリシモ:
スタッフの気遣いかと。

松原さん:
滑ってたってことですか。

フェリシモ:
いやいやいや。

松原さん:
深い意味はないですか。

フェリシモ:
もしよかったらつけたままにしてください。

松原さん:
そういうことですか。さっきあいさつに来た時も冷たかったですもんね。

フェリシモ:
違います。

質問1

お客さま:
オファーしていないけれどCOMIN’KOBEに来てくれたらパワーをもらえるミュージシャンは誰ですか。

松原さん:
むずかしいな。でも実現しそうなアーティスト名を言ったらほとんどオファーしたことになりますよね。

フェリシモ:
そうですね、ヒントになりますね。

松原さん:
むずかしいな、誰かな。自分がバンドを始めるきっかけになったアーティストや初めて行ったライブのバンドに過去、実は出てもらったことがあるのですが、やっぱり感慨深いものがありました。とは言っても僕が最初にロックに目覚めたのは尾崎豊さんで、いまいらっしゃらないので、息子さんが出られたら話してみたいと思います。

質問2

お客さま:
COMIN’KOBEについて出演者のイベントの意義の考え方はどう変わっていっていると思われますか。ながく続けていく中でお客さまの意識がよくも悪くも変わっていっているように思うのですが、そういうのは出演者の方々にもあるのかなとふと思いました。

松原さん:
すごくあると思います。募金額を見ると明確で、地震があった年はやっぱり増えます。例えば新潟の中越地震があった年は募金額がパーンと増えて、数年たつとまた落ちます。東日本の地震の次の年も爆発的に募金額が上がりましたし、アーティストのライブ中のトークもすごく変わったので、参加者もアーティストもみんな同じようにイベントと共に成長していると思います。

質問3

お客さま:
チャリティイベント以外ではどんなイベントやフェスをしてみたいですか。

松原さん:
仕事ではやっていて、例えば12月に京都でやったりとか、9月には大阪の野外音楽堂でやったりとかあるのでなかなかむずかしいですが、いま、各地でいろいろな主催者が思いを持ってイベントをやるにあたってノウハウがないから手伝ってくれというオファーがちょこちょこあります。

例えば小豆島でやっている「島フェス」というイベントや高槻でやっている「高槻魂!!」というイベントとか、そういうイベントのお手伝いをできるのはむちゃくちゃうれしいですし、お金ではなくて本当に生き甲斐になります。

質問4

お客さま:
私は神戸生まれ、神戸育ちです。松原さんが作ってくださったCOMIN’KOBEのおかげでもっと神戸のことが好きになりました。松原さんも毎日神戸で過ごされていますが、神戸のどんなところが好きですか。

それから、どうぞおからだを大切になさってください。

松原さん:
ありがとうございます。大切にします。

僕も神戸の町並みとか歴史とか、新聞で読んでいると神戸大空襲や阪神・淡路大震災とかいろいろなものを乗り越えた神戸はかっこいいなと思って好きですが、COMIN’KOBEを始めて、例えば社長さんとかと出会って、この町で活躍されている人たちが本当に好きになりました。

今日お見えになられている方たちも多いですが、みなさんがいるから神戸が好きだと思います。別に来年の協賛金を集めたいから言っているのではなくて、素直に思っています。この言葉で協賛金が増えたらうれしいですけど。

質問5

お客さま:
松原さんにとってロック、または音楽とは何ですか。

松原さん:
むずかしいですけど、最初は生き甲斐や趣味みたいなものからだんだん仕事になっていって、最近になって切り離せないくらいからだの一部になったと改めて思いました。

フェリシモ:
お仕事にされることで嫌だなと思ってしまうことはなかったですか。

松原さん:
あまりないですけど、アーティストからたくさんCDをもらいますがバンバン仕事をして病気がわかる前は正直、仕事をしながら、ご飯を食べながら、お風呂に入りながら、どこか流れ作業でCDを聞いていたところがありました。いま、時間がある程度できるようになって、歌詞カードを見ながらCDをじっくり再生させるという時間が増えました。この音楽の楽しみ方は知らず知らず忘れていたので、最近になって改めて音楽を楽しめるようになりました。

質問6

お客さま:
高槻魂!!のファンです。太陽と虎にも何度かおうかがいしたことがあります。ライブファンのひとりとしてうかがいたいのですが、もうステージに立たれるご予定はないのでしょうか。

松原さん:
自分でバンドをもう1回やらないかってこと? ないですね、たぶん。

お客さま:
聞いてみたいので勇気を持って言ったのですが。

松原さん:
やりたい気持ちは少しありますがやめる時にそれだけの覚悟を持ってバンドをやめたつもりなので、遊びでさわるけどライブをすることはないと思います。

お客さま:
わかりました。

松原さん:
すみません、ありがとうございます。でもこんなことを言っておきながら、いつかもし立ったらすみません。

フェリシモ:
ちなみにバンドをやめられた決意というのは何だったのですか。

松原さん:
バンドで一生ご飯を食べていくだけの音楽的な才能はないということは途中で気づいたので、途中からは音楽業界で仕事をするための就職活動みたいな気持ちでバンドが活動するようになっていました。アルバイトをしていたライブハウスの店長が辞めるので新しく店長にならないかというタイミングで、いろいろ悩みましたが、もう裏方に徹しようと。バンドをしっかり応援するには中途半端なことはできないから自分のバンドはたたもうと思いました。

ホストの友だちに誘われてホストになるかライブハウスをやるかでめちゃくちゃ悩んで、やっていることは打ち上げに行ってお酒を飲んでいるから一緒だなと思いましたがライブハウスの方を選んだという感じです。

フェリシモ:
ホストでも絶対に活躍されていたと思います。

「#会場笑い」

松原さん:
そんなフォローいいですけど。

「#会場笑い」

質問7

お客さま:
ライブがすごく好きで毎月行っています。先週、台風がすごくて大変だった日も太陽と虎でのライブに行かせていただきました。

松原さん:
おー、あの。

お客さま:
キュウソネコカミとG-FREAK FACTORYのライブの日です。

松原さん:
僕も行きました。

お客さま:
お見かけしたら元気そうなのでよかったなと。

松原さん:
声を掛けてくれたらよかったのに。

お客さま:
2年ぶりくらいに太陽と虎に行かせていただいて、中もすごく素敵だなと思いました。太陽と虎というなまえもユニークですし、中の作りも、行かれた方はわかると思いますが、ぬいぐるみの動物たちがいたり、ジャングルっぽい作りだったりします。どういうコンセプトで立ち上げられたライブハウスなのかが気になっていたのでお聞かせいただきたいです。

松原さん:
了解です。太陽と虎を作る時に、英語のなまえだとありふれているので聞き流されると思ったのでインパクトのあるなまえにしたいと思っていました。設定としては銀行をコンセプトに「マネーハウス」とするか、動物園をコンセプトに「太陽と虎」にするかでぎりぎりまで悩みました。銀行でも遊べたのですがお金は生々しいので、太陽と虎は英語ではないのもいいなというところで動物園にしようと思いました。

普通のライブハウスにプラスアルファの、ほかでも楽しめるような設定ということで動物園をコンセプトにしているので、作った当初は店長のことを園長、スタッフのことを係員とか飼育員と呼んだり、ステージの前に柵がありますが檻を模様にした感じにしたりして徹底していました。いまは普通に店長とかスタッフとか言っていて8年経つのでだいぶんぶれていますけど一応そんな感じで作りました。

フェリシモ:
ありがとうございました。では続いてのご質問、いかがでしょうか。よろしければお手をおあげください。

松原さん:
場内に大先輩たちがいらっしゃるので目線をどこにやっていいか困ります。すごい人たちがいるので。

質問8

お客さま:
松原さんが普段相手にされるのはプロのミュージシャンたちばかりだと思いますが、音楽業界ほどすそ野の広い業界というのもなかなかないと思います。いろいろな層のあまたのアマチュアミュージシャンががんばっていると思いますが、そうしたアマチュアミュージシャンに対するメッセージや求めること、お考えをお聞かせください。

松原さん:
仕事をしながら趣味でバンドを続けている人たちはたくさんいて、僕はそういうアーティストこそ応援すべき……というと言い方があれですけど、そういう形でいいので音楽を続けてもらいたいです。バンドは本当に楽しいので、バンドの魅力を多くの人につなげて広めていくことを僕の使命と思っています。そういったミュージシャンたちがながく続けていけるようなライブハウスや環境を僕が作っていきたいと思うので、奥さんやお母さんから「あんた、まだやってんの」とか言われるでしょうけど、めげずにがんばっていただきたいと思っています。こんなんで大丈夫ですか。追加で質問があったらラインで送ってください。

フェリシモ:
ありがとうございます。ちなみにどういった間柄での大先輩なのですか。差し支えなければ。

松原さん:
差し支えありますよね。

[#質問されたお客さまに確認して]

職業をお伝えしても大丈夫ですか。OKですか。弁護士をされている方で、僕はよくトラブルをやるのでいつも助けてもらっています。

フェリシモ:
この方のおかげでCOMIN’KOBEが続いているのですね。

松原さん:
COMIN’KOBEもうちの会社も本当に助けてもらっています。さまさまです。

フェリシモ:
たくさんのご質問をいただき、ありがとうございました。

最後に松原さんが一生をかけてやり遂げたい夢についてお聞かせいただけますでしょうか。

松原さん:
先ほどもちらっと言いましたが、僕は音楽が好きだと思ってずっとやってきたのですが、ある時、もちろん音楽やロックは好きですが、僕はバンドが好きなんだなということに気づきました。バンドを夢見て、バンドを組んで、バンドで一所懸命がんばっているアーティストを応援することにすごく生き甲斐を持っています。

バンドにはそれぞれドラマがあって、例えば4人メンバーがいれば4人のいろいろなストーリーの中で奇跡が起きて続けられて、そういう4人のドラマを横で見ながら彼らが作った音楽を聞くことがめちゃくちゃ楽しいし、彼らが出すライブ、言葉、MCにもすごく生きる活力をもらっているということに最近気づきました。僕は一生ライブハウスのおっさんでいたい。ライブハウスという肩書きをずっと持ちながらこれからも生きていきたいと思っています。最後ちょっとまじめな話ですけど。

フェリシモ:
本日は神戸学校にお越しいただき本当にありがとうございました。みなさま、拍手をお願いいたします。

「#拍手」

フェリシモ:
本来でしたらここで終了とさせていただくのですが、少々お待ちいただいてもよろしいですか。

松原さん:
はい。何ですか。

「#歌」

松原さん:
何ですか、このシュールな歌。

「#歌」

松原さん:
何を聞かされているんですか、これ。

「#歌」

「#鉄さんが花束を持って登場」

花束を受け取る松原さん

松原さん:
え?

鉄さん:
おまえのためにフルコーラス歌うから。

松原さん:
こういう時って有名人が出てきて「ワー、キャー」なるのに、ごりごり無名やん。

「#歌」

松原さん:
いやいやいや「時間返して」てなるって。いや、いらん、いらん、有名じゃないしその曲。もう「誰?」ってなってるって、みんな。夢半ばであきらめたバンドマンやん。何この時間。

鉄さん:
一緒にいこう。

松原さん:
俺、久々にどう思っていいかわからへん。おまえはどういう気持ちで歌ってんの。

鉄さん:
やりきる。

松原さん:
これをやりきるの。マジか。でもみんな知らん曲やし、どう思うよ。感情移入できへんやん。いや、マジですか。ごめんな、かつてのバンドの売れなかった曲やから。ほかにいなかったんですか、もうちょっと有名なアーティスト。

「#会場から手拍子」

「#歌終了」

「#拍手」

フェリシモ:
ありがとうございます。本日、松原さんには内緒で、もって20年のおつきあいという親交の深いバンド、もとイオンサプライのボーカル、鉄さんにサプライズでご登場いただきました。もう一度拍手をお願いいたします。

「#拍手」

鉄さん:
ごめんな。

松原さん:
サプライズっていろいろな意味がありますけど、そっちのサプライズですか。「こんなやつが来るわけない」の方ですよ。「こんな人が来た、わーっ」じゃなくて下のサプライズの方。

鉄さん:
俺はこの結果、見えてたんやで。

松原さん:
そうやんな、なんで断わらへんの。

鉄さん:
来たら断らへん。飛んできたボールは打ち返す。

松原さん:
なるほど、俺もそれブログで書いてたもんね。

鉄さん:
そうそう。

「#拍手」

フェリシモ:
今回、お忙しい松原さんにぜひ神戸学校にご出演いただきたいと無理を言ってお越しいただきましたため、感謝の気持ちを伝えたく、スタッフたちと相談しまして松原さんを泣かせようと思って鉄さんにお越しいただきました。いまの気持ちはいかがですか。

松原さん:
約20年やってるんですよね。なんかもっと学んでないんですか。なんて言うんですかね、人の感動・・・…

鉄さん:
俺は言うたんやで。「松原、恥かくぞ」て。

松原さん:
そうですよね、言うたんやね。素人丸出しやん。

フェリシモ:
鉄さん、松原さん、本当にありがとうございました。

松原さん:
淡々と進めるな、もう。えーーーー。

鉄さん:
会いたかったしね。

松原さん:
会いたくないわけではないけど、ほんまにそんなうれしくないわ。ありがとうございます。

フェリシモ:
ありがとうございます。

松原さん:
ほんまにこれで終わりですか。えーーーーー。

フェリシモ:
それではおふたりがご退場されます。

松原さん:
マジで。

フェリシモ:
みなさま、どうぞ盛大な拍手でお見送りください。

松原さん:
えーーーーー。デザートこの味ですか。ありがとうございました。

楽屋の松原さん
松原さんと集合写真

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