#35 [2025/12.03]
わたしたちの、このごろ
だれもが居場所を失わないために、届けるべき人に届けたいです
吉村友葵さんYuki Yoshimura
こう語るのは、現在地域に根差した活動をしている病院で広報やデザインを担当している吉村友葵(よしむら・ゆうき)さん、24歳だ。
吉村さんは、社会人歴でいうと実は6年目。
今の会社で正社員として働き始めてから、今年(2025年)で3年目になる。
彼女がまちを歩くと、たくさんの人が笑顔で「ゆうちゃん」と声をかける。
高校を中退したり、フリーターをしたり。これまでの道のりは順風満帆とは言えないかもしれないけれど、その歩みの中に彼女がまちと人を愛し、愛される理由があった。
感化されやすいこどもだったのかも
小さいころから、絵を描くのが好きだったという吉村さん。
好きになったきっかけは思い出せないけれど、まわりの人やものに影響を受けやすいこどもだったと語る。
吉村さん:読んでいる漫画に影響されて、漫画を描いてみたり、小説を書いてみたりしていました。誰にも見せずにベッドの下にしまいこんで(笑)
親戚にファッションデザイナーの人がいたから、デザインにもあこがれがずっとありましたね。
中学時代には、当時話題になっていた「ビリギャル」にこれまた感化されて、学年トップを目指したことも。
吉村さん:「自分でもやれるかもしらん!」って思って、急に猛勉強をはじめたんです。さすがに学年トップまでは厳しかったけど、5教科100点くらいのところから、400点くらいまで上がったんです。

そのやる気のまま、高校も難関校受験を目指した。しかし、周りの大人たちから猛反対されたという。
吉村さん:先生にも「なんでいけると思ってんねん」って言われたし、親にも「レベルを下げたら」と言われていました。でも、自分で決めたことに対して最後までがんばりたいという気持ちがあったので譲りませんでした。
世界を旅する人にあこがれて。
価値観がひっくり返った高校時代
そうして挑戦した高校受験だったが、思い届かず私立高校に通うことに。
大学こそ難関校に行く!とまた勉強をはじめたが、新たなものに魅せられることになる。それが、世界を旅するYouTuberだった。
吉村さん:世界を旅するなら、カメラスキルと英語力が必要だと思って、観光地に来ている外国人に話しかけて写真をプレゼントしたりもしていました。「Take a photo?って」(笑)

高校2年生のときに、旅行会社が運営する学生団体の募集を見かけた吉村さん。旅の魅力を広めるためのイベントを学生主体で企画運営をしていく団体で、自分のやりたいことはこれだ、と迷わず応募したという。
吉村さん:入ってみるとまわりは賢い大学生だらけで、最初は意見も言わずに黙っていたんですけど、「高校生なりのあなたの意見が聞きたい」と言われたんです。
積極的に意見を出し、活動しはじめると、学歴や年齢にかかわらず自分にもできることがあった。
その一方で、あこがれていたはずの難関大学の学生が単位を取るためだけに大学に行っている姿を目の当たりにして、大学へ行くことへの疑問が膨らんでいく。
吉村さん:学歴のためにとりあえず大学に行って、とりあえず就職してみたいな、自分の意思とは関係なく世間的にいいとされているからそれを選ぶような生き方は自分はしたくないなと思ったんです。高校にも当たり前に行っていたけど、理由もなくなんとなく行っているのは、その人たちと同じだと思うようになりました。
高校での生活も楽しく、友人のことも好きだった。
けれど、なんとなく高校に行き続けることを彼女の正義は許さなかった。
何者でもなくなった喪失感がつらかった
「ここにいてはダメだ」と高校3年生で高校をやめ、通信高校へ。
そんな吉村さんを待っていたのは、大きな喪失感だった。
吉村さん:活動をしていた1年間が刺激的すぎて、それが終わったら急に自分が何をやりたかったのかわからなくなってしまったんです。電車に乗っているとき、スーツを着てるサラリーマンや制服を着てる高校生の中、私服の自分には居場所がないように思えました。

憂うつな1年間のあと、大学受験も就職活動もせずにフリーターに。
世間的にいいとされていることをなんとなく選択したくない。そんな自分の正義を離さず生きてきたけれど、だからといって熱量を注げるような何かを見つけられたわけではなかった。
吉村さん:やりたくないことをやらないようにしていても、やりたいことに辿り着くわけじゃないなって気づいたんです。そんな中でも旅をしながら働きたいというあこがれだけは残っていて。
旅をしながら働くなら、フリーランスに。フリーランスなら、デザインをしてみたい。
そう考えて、アルバイトをしながらデザインの勉強をはじめたのだった。
デザインを学びながら、
自分ができることを見つめ直した
デザインを独学で学ぶのは、困難の連続だった。
けれど、立ち止まるたびに自分との話し合いを繰り返したという。
吉村さん:「コードができないのなら、グラフィックデザインに絞ろう」とか「独学でフリーランスが無理そうなら、一度アルバイトでもいいから働いてみよう」とか自分と話し合って次の手を決めていきました。
そして、デザイナーとしてアルバイトをしはじめた会社で、上司から「専門学校に行った方がいい」と言われたことがきっかけで、デザインの専門学校に通い始めた。
吉村さん:「自分と同じレベルの人がたくさんいる環境で勉強した方が、自分がデザインにおいて何が得意で何が不得意かがわかるようになるよ」と。デザインの道でプロになりたいと思い始めていたので、その言葉に納得して専門学校に行くことを決めました。

バイトをしながら、デザインを学ぶ日々。とある授業で、自分をプロデュースし、デザインを発表する課題が出たとき、彼女はまた自分を見つめ直したという。
吉村さん:まちにずっと興味があったんです。不動産の会社で何度か働いたので知識もあって。そして自分が今できることは、デザイン・写真・文章だから、それをかけあわせて「お部屋探しをまち探しからはじめる」をコンセプトに何かやってみようと。
授業では架空のSNSアカウントをデザインして発表したが、実際に運営してみたい!とSNSで発信を始めた吉村さん。その活動の中で、とあるまちと運命の出会いがあった。
大好きなまちで働き、暮らすには
まちを歩いて、いいなと思う瞬間を切り取って、魅力を発信する。
そんな活動を続けている中で、いま住んでいるまちに出会ったという。
吉村さん:まちづくりとして大きなイベントも開催しながら、下町の風景もしっかり残っているのが、おもしろいまちだなと思いました。なにより家の前に植物を植えている家が多かったのが、なんかいいなと思って。

まちをもっとよく知るためには、そのまちで働き、暮らしたい。
そう思って求人を探すと、そのまちの病院の広報デザインの仕事が目に留まった。
吉村さん:デザイン会社ではないけれど、福祉施設を運営したり、まちづくりにも関わっている病院で。まちづくりや福祉も自分の軸のひとつだったので、ぴったりやん!とすぐ応募しました。
そうして、現在の会社で働くことになった吉村さん。デザイナーとして多くの案件を請け負うような働き方ではないけれど、今の仕事がしっくりきているという。
吉村さん:暮らしていく中で、このまちが大好きになっていったし、つながりもできていって。「便利だからいい」だけじゃないまちの魅力をもっと伝えていきたいし、どうしたらよくなるか?を考え続けるのがわたしらしい仕事だなと思います。
広報を通して、
誰かの大切な場所を守りたい
彼女は現在、本業での広報の仕事とは別に、自力でまちの個人店を集めたイベントを開催するなど、少しずつ活動の幅を広げている。個人店を集めたのは、「まちの魅力は個人店にある」と考えたからだった。
吉村さん:なんかいいまちだなと思うのと、なんかいい店だなって思うのって似ていると思ってて。だから、お店を基準にまちに似たような人が集まれば、つながりができていって、まちの中に居場所ができると思うんです。

吉村さん:近所に知り合いがいないよりも、まちを歩いていて声をかけあえる方が、「自分がここにいる」って安心できるんじゃないかな。高3の時居場所がないと思っていた自分が一番それを求めていたし、今は仕事と家の往復でつらくなってしまったような人が居場所を見つけるヒントになったらなって思っています。
そんな吉村さんの今後の展望を聞くと、「大きい意味で”広報”は一生続けたい」という。
彼女の思う”広報”とは、届けるべき人にちゃんと届けることだ。

吉村さん:とにかく広く届けるというより、そのまちやお店に合うような人に届けるということを意識しています。広く届けすぎると、空気感に合わない人にも届いてしまう。そのお店を必要としていてお店の空気感にあったお客さんが増えれば、店主の人も、他の常連さんも居場所を失わずにお店を続けていくことができると思うんです。それを守れるのが、”広報”の仕事なのかもしれないと思っています。
吉村さんとまちを歩いていて驚くのは、四方八方から「ゆうちゃん!」と声がかかることだ。地元ならまだしも、ここ数年住んでいるだけのまちの中でこんなにもあたたかい関係性を築くことができる。彼女を見ていると、だれしもが居場所を見つけられるのだという希望が、その先にきらりと瞬くような気がする。
人が大好きで、なんかいいなと思うことを大切にしたい。
そんなやわらかい部分を持ちながらも、自分の正義は誰に何を言われても守り通す。
彼女自身がその二面性に揺れ動かされてきたけれど、最後には自分の正義を手放さないその強さが、今はまちやお店を守り育てているのだと感じる。
彼女の届けるメッセージが、居場所を必要としている誰かに届き続けることを願っている。
STAFF
photo / text : Hinako Takezawa



