#32 [2025/10.17]
わたしたちの、このごろ
誰かの支えになる「処方せん」のようなものを、届けられるようになりたいです
三木心力さんMotoki Miki


こう語るのは、現在、世界各地から届く生豆(焙煎前のコーヒー豆)を扱う会社で品質管理や出荷の仕事をしている、三木心力さん、25歳だ。
自己表現が苦手だった幼少期から、留学、芸術、コーヒーの世界へ……
揺れながら選び取ってきた道を、自分の言葉でたどってくれた。
自分の気持ちを閉じ込めていた子ども時代
三木さんは、子ども時代を振り返り、自分を前に出すのが苦手だったと話す。
三木さん:興味は目の前のことだけ。もの静かで、自分を表現するのがすごく苦手でした。
習い事も、親や兄弟に勧められたものを「とりあえずやってみる」。自分の意思で選ぶ実感が乏しく、言葉にならないもやもやが胸の奥に残り続けたという。

三木さん:高校一年の終わり、ため込んだ感情が一気にあふれてしまって、一時期家にこもって学校に行けなくなってしまいました。
その後、環境を変えるために通信制の高校への転入を決意。転入時の面談で、教師から告げられた言葉が、三木さんの心に刺さった。
三木さん:「三木君は普通の子です。特に問題はない」と言われたんです。その学校には、いじめなどで心が傷ついた人たちが多く通っていて、僕はそういった外的要因がなかったことから「普通」という表現をされたと思うのですが、妙にそれが怖くなってしまって。このままだと、自分は色のない人間になってしまうんじゃないかと思いました。
これまでの自分から脱却するために決めた、
カナダへの留学
三木さんが通い始めた通信制の高校には、カナダ・バンクーバーに6ヵ月間の語学留学へ行けるプログラムが用意されていた。
三木さん:先生にそのプログラムを勧められて。もちろん留学なんて考えたことはありませんでしたが、なにか大きな変化を経験しなければ、これまでの自分となにも変わらない気がして、両親に必死に頼み込んで、なんとか留学を許してもらいました。

バンクーバーで過ごした6ヵ月間。多国籍の学生が集まり、自分の意見を発言しなければ会話に置いていかれる環境。
三木さん:自分を出すことが苦手なんて考える暇もない、そんなスピード感で。必死に英語を学んで、考えたことを口に出す日々を送りました。
プログラムを無事に修了し、日本に帰国した三木さんを見て、両親から「目つきが変わった」と言われたそう。
三木さん:自分の気持ちを言葉にしてストレートに伝えられるようになりました。帰ってきてからは、両親への感謝の気持ちもたくさん伝えるようになった気がします。

一方で、通信制の学校の友人関係では、ネガティブな変化もあったそう。
三木さん:自分をさらけ出すようになってから、「変わってしまった」と避けられることもありました。でも「行ってよかった」という実感の方が勝っていて。きっとメンタルも鍛えられたんだと思います。
一杯のカフェラテが
人生で初めて探究心を動かした
バンクーバーで得たのは、自分をさらけ出す力だけではなかった。
三木さん:留学中、休日はいろんなカフェを巡ることが好きだったのですが、ある一軒のカフェで飲んだカフェラテが驚くほどおいしくて。コーヒーは苦いものだと思っていた世界が一気に変わったんです。
人生で初めて没頭できる趣味を見つけた三木さん。
帰国後は器具をそろえ、カフェやロースターを巡ることが趣味になったという。産地や焙煎による味の違いを、独学で少しずつ確かめていった。
三木さん:高校生だったので「働く」まではいけなかったけど、細々と探求を続けるのが単純に楽しかったです。

もっと自己表現ができるようになりたい
それでも三木さんは、すぐにコーヒーの世界に進んだわけではなかった。
自分をさらけ出せるようになったことから、さらに上の「自己表現」を学びたいという意欲が湧き、京都芸術大学の舞台芸術学科に進学。
しかし、入学早々にコロナ禍で授業はオンラインとなり、部屋でひとりパソコンに向かって演技する日々。
三木さん:なんのために演技しているのか、だんだん分からなくなってしまって。学校の授業は引き続き受けながらも、もっと自分で外に出てみようと思いました。

そのなかで、舞台関係者と出会い、コンテンポラリーダンスにふれた三木さん。
三木さん:身体そのもので表現する感覚が、当時の自分にはすごくしっくりきて。どんどんのめり込んでいきました。
その後、仲間と挑んだコンテストでは奨励賞を受賞するなど、自信もつき、一時はダンサーとして生きる夢も抱いたが、予定された舞台がコロナで次々と中止になる状況で、芸術で生きるむずかしさを痛感したという。
大学卒業二ヵ月前に断たれた農業への道
本格的に就職活動を始めたとき、三木さんの頭には、意外にも「農業」が思い浮かんだそう。
三木さん:大学時代、自炊の習慣ができて、近所の八百屋に通うようになったんです。同じ野菜でも味が違う。それがコーヒーに似ていて、おもしろいなと思っていて、一度経験してみたいと思いました。
しかし、またも突然に夢は敗れてしまう。
縁のあった鳥取の農家への就職が決まりかけた矢先、自然災害の影響で事業がくずれ、卒業二ヵ月前に取り消しの連絡が届いたそう。
三木さん:やばい、何もなくなったと思いました。
原点回帰。コーヒーの道へ。
行き先を失ったとき、ようやく原点であったコーヒーの世界に再び呼ばれているような気がした三木さん。大学卒業後、京都の小川珈琲でバリスタとして働く道を選んだ。
しかし、一年ほど経ったころ、接客とオペレーションの厳しさにぶつかったという。
三木さん:クレーム対応で心が折れる日も多々あり、自分はコーヒーが本当に好きだったのかなと揺れることもありました。

そんな折、SNSで見つけた、コーヒー豆の自家焙煎を行っている宿泊施設「焙煎する宿」に興味を持ち、2週間の滞在を予約。通勤しながら泊まり込みで過ごす中で、宿のスタッフから現在働く会社を紹介されたという。
三木さん:ご縁を感じて、声をかけてもらったままに、転職しました。重い生豆を運び、袋詰めし、発送する仕事から始まり、今は、焙煎部門にも関わらせてもらえるようになっています。豆にふれ、違いを見て学べるのが楽しくて、やっぱり自分はコーヒーが好きなんだと気づくことができました。
自分の心を健やかに保つ
働き方を模索している
しかし、コーヒーに向き合う日々は充実していたものの、気づかないうちに心身に負荷がたまっていたと語る三木さん。
ある時体調をくずし、適応障害と診断されたそう。休息を余儀なくされたその期間は、自分の働き方を深く考えるきっかけになった。
三木さん:今は落ち着いていますが、発作的に出ることもあって。まずは自分のからだを見つめながら、どういう働き方ができるかを探していて、週4日の勤務で無理なく働いています。

心を健やかに保てる働き方を探すことに集中している現在、将来のやりたいことは、まだはっきりとは言えないという三木さん。それでも、漠然とした夢はある。
三木さん:自分自身が体調をくずしたこともあって、誰かの支えになる「処方せん」のようなものを、コーヒーや別のなにかを通して届けられるようになりたいと思っています。
留学、芸術、コーヒー……選び取った道は異なっても、その根には「自分の色を探し、表現したい」という一貫した衝動がある。
迷いながらも、その時々の自分に正直に、何度でも出発し直してきた三木さん。
私には、その揺れこそが彼の大きな力に思える。
自分を変えるために海を渡った高校時代。身体で語る表現を求めた大学時代。原点回帰してコーヒーの深い世界へ挑む日々。どの選択も、未来の三木さんが誰かを支える「処方せん」を紡ぐための確かな素材になっていくはずだ。
これからの道はまだ輪郭を持たない。
けれど、どんな形であれ、心の奥で光る衝動が次の景色を連れてくるだろう。
その一歩を見つけていく三木さんを、これからも応援したい。
STAFF
photo / text : Nana Nose