#30 [2025/08.27]

わたしたちの、このごろ

人間が紡いできた本質的な価値を、ものづくりに取り戻したいんです

湯田安樹さんAnge Yuda

こう語るのは、プロダクトデザイナーとして約3年のキャリアを積んだのち、北欧の大学院への進学を目指し、今年4月に会社を退職した湯田安樹さん、26歳だ。

一度キャリアを積んだ後、「もう一度学びたい」と思った背景には、長い時間をかけ、現代社会における「ものづくり」の在り方を多角的に見つめる中で、「根源的で揺るがないものづくりを模索したい」という強い思いが芽生えたからだった。

こども時代の暮らしが、今の自分の原点だった

湯田さんは、芸術一家に生まれ育った。
父親はコピーライターやグラフィックデザイナー、母親はフラワーアレンジメントの仕事をしており、住まいの中には、両親の感性とこだわりが詰まっていたという。

湯田さん:物心ついたときから、デザインにこだわった家具や、選び抜かれた暮らしの道具に囲まれていたので、そういったものに関する感性や興味は、知らない間に育まれていたのではないかと思います。

そうした環境のなかで、ものをつくることは、湯田さんにとってごく自然な営みだった。
絵を描いたり、粘土で遊んだり、1歳のころから始めたというレゴにも夢中になったそう。また、父親と続けていた「絵しりとり」も、記憶に残る大切な体験だったという。

部屋に置かれた小物のひとつひとつが、一貫性があるわけではないのにまとまって見えるのが不思議

湯田さん:毎晩、父とノートを使って絵しりとりをしていました。朝起きたら、前の晩にリクエストした絵が描かれていて、それを受け取って自分も描き返す、というのを繰り返していました。

暮らしのなかに、日常的に「表現する」時間があった湯田さん。そんな時間の積み重ねが、ものづくりへの確かな基盤になっていった。

建築にふれ、空間に惹かれ、
また小さなスケールへと戻ってきた

転機が訪れたのは、中学生のころ。母親の知人に連れられて訪れた安藤忠雄の建築に、湯田さんは強い衝撃を受けた。

湯田さん:家具とか器とか、小さなものをつくることにずっと興味を持っていたのですが、安藤さんの建築を見て、空間そのものがこんなにも感情を動かすんだと初めて思ったんです。

以降、安藤忠雄の生い立ちや作品を熱心に調べるなかで、安藤が影響を受けた建築家、ル・コルビュジエの存在を知ったそう。空間を手がけながら、その空間に合った家具までも自ら設計する姿勢に、強く惹かれたという。

湯田さん:空間とモノが一体であるという発想に、深く共感したんです。

高校に入ってからは、夜行バスに乗って日本各地の建築をひとりで見に行くほど、その熱は加速。高校2年生ごろまでは、将来は建築家になりたいと思っていたが、コルビュジエの思想にふれるなかで、「空間」そのものより、空間を構成するモノ、家具や道具のような、小さなスケールの存在に、あらためて心が向いていった湯田さん。

大きな世界に心を奪われたからこそ、再び「小さなもの」が放つ力に気づけたのかもしれない。空間とモノ、スケールを自在に行き来するまなざしが、湯田さんの中に少しずつ育ちはじめた。

大学で知った現実と、希望をつなぎなおす出会い

大学ではプロダクトデザインを専攻。湯田さんが惹かれていたのは、手ざわり感があって、デザイン性に富んだプロダクトをつくること。しかし、実際に学んでいくうち、理想と現実のギャップにも直面したという。

大量生産を前提としたものづくりでは、効率や合理性が最優先される。機能性やコストパフォーマンスが求められる世界で、自分の感覚をどう位置づけていけばいいのか、分からなくなってしまう時期もあったと語る。

湯田さん:正直ショックでした。自分が好きなものづくりって、こういう世界の中でどう意味を持つんだろう……って。

本棚には建築やデザインから、日本人の精神性について書いた本まで、さまざまなジャンルが並ぶ

そんな迷いのなかで、湯田さんの道標となったのが、ある先生との出会いだった。

湯田さん:人と道具の新しい関係性をデザインの力で築くことをテーマに研究されている先生で。物理的なスペックや用途だけではなく、道具が持つ役割とか、人とものとの間に生まれる精神的な価値について語ってくれる人でした。

たくさん集められたレコード。特に昔の音楽が好きだという

人がものとどんな関係を築けるのか、感情や記憶とどうつながっていけるのか。湯田さんはその姿勢に深く共鳴し、自らも「人間らしいものづくりとは何か」を考えるようになっていったそう。

また、幼いころから夜は小さな照明やキャンドルであかりをとり、冷暖房に頼らず工夫するような暮らしをしてきた経験も影響しているかもしれないと、湯田さんは語る。

湯田さん:そうした環境で育ったからこそ、テクノロジーに依存しすぎない生活の中で自然とのつながりを意識できたのだと思います。

その後は、光の揺らぎなど、情緒的な価値をテーマにした照明作品をつくるなど、自然との関係性や人の感性に寄り添うようなデザインを模索するようになったという。

湯田さんがデザインした照明

湯田さん:先生の存在と育ってきた環境があったから、自分のなかにあった迷いや違和感を希望に変えていけた気がします。ものづくりって、もっと自由に、もっと人間的であっていいんだと。

この時代に「つくる」とはなにか。その問いを抱えながら、彼の歩みはまた少しずつ、進みはじめた。

もっとプリミティブなものをつくっていきたい

大学卒業後に入社したのは、自然素材とテクノロジーを掛け合わせた製品をつくるスタートアップ企業。
プロダクトデザインだけでなく、ソフトウェアや映像、グラフィックまで幅広く関わることができ、領域を横断する創造の現場は、湯田さんにとって刺激に満ちていたと語る。

湯田さん:会社の思想にも共感していましたし、空間や人ににそっと寄り添うようなものづくりができることに手応えもありました。表現の幅がとても広くて、おもしろかったです。

カセットや昔のiPod。デザインのかわいいプロダクトが並ぶ

しかし、日々の実践のなかで、徐々に自分の奥底から湧き上がってくる感覚があったという。

湯田さん:やっぱり、自分はもっともう一度、道具の本質的な価値を見つめ直したい、と。

それは、最新の技術やデジタル表現の可能性に惹かれながらも、どうしても離れがたい感覚だった。もっと自然に根ざした、人間の根源的な営みに通じるものを、もう一度信じたい。そんな想いが強くなっていったそう。

湯田さん:人間が仮想空間に行かない限りは、家具をはじめとした暮らしの道具や日用品は生活から切っても切り離せない。これからの時代で長く暮らしの中に息づくものを自分の手でつくりたいと思い、次のステップに進むことを決めました。

次の学びの場として湯田さんが目指しているのは、北欧の大学院だった。
自然との共生や、暮らしそのものを大切にする文化。彼がこれまでずっと惹かれてきた価値観が、特別なものではなく、日々の生活に当たり前のように根づいている場所。

湯田さん:日本にも、かつて自然と調和した美しい暮らしの営みがあったと思うんです。でも今は、そうした感覚がどんどんと失われているように感じていて……。人間が紡いできた本質的な価値を、ものづくりに取り戻したいんです。だからこそ、北欧の地でその精神をあらためて体感、吸収して、日本に持ち帰りたいと思っています。

編集部のまとめ

テクノロジーと共存するこれからの時代においても、人と自然の距離が近く、暮らしが感性を育てるような在り方は、ものづくりの土台としてきっと揺るがない。そう確信するからこそ、彼はあえて遠く離れた場所で、もう一度、自分の軸を深く見つめ直そうとしている。

子どものころから途切れることのなかった「好奇心」。
大学で育まれた、思索する「思想」。
そして社会の中で得た、実践的な「視点」。
そのすべてを携えて、湯田さんは今、新たな一歩を踏み出そうとしている。

STAFF
photo / text : Nana Nose