#31 [2025/10.11]

わたしたちの、このごろ

いつか自分の店を持つために、今は紅茶の道を極めていきたいです

濱田大亮さんDisuke Hamada

こう語るのは、現在老舗紅茶メーカーで紅茶鑑定士として働く濱田大亮(はまだ・だいすけ)さん、27歳だ。

「まずは一服しませんか」

部屋に入るとひと言目にそう言って、彼は私のために紅茶を入れてくれた。
ポットの中で蒸らした茶葉からたちのぼる香りが部屋を満たして、緊張していた私も少し頬がゆるんだ。

約1年前までは東京の大手企業で経理として働いていた濱田さんは、今では大好きな神戸の街で、大好きなお茶を仕事にして生活している。

自分の輪郭を少しずつなぞっていく、そんな彼の生き方に迫った。

友達の名前を呼べなかったこども時代

奈良県に生まれ育った濱田さんは、2人兄妹の長男。学童に通っていた幼少期、アニメやゲームに夢中になる同級生と違って、昔ながらの遊びや世界観のあるものが好きだったそう。

濱田さん:流行りに乗るのはどこかダサいと思っていて(笑)。けん玉や百人一首のような電子を介さない遊びが好きでしたね。本も気に入ったものを何回も読んでしまうタイプで、ハリーポッターばかり読んでいました。

浪漫を感じさせる部屋の小物たち。スタジオジブリの作品も大好きで、久石譲さんのレコードをかけてくれた

こどものころから、周りに流されず自分の好きなものを追求したい性格だった濱田さん。
その反面、自己開示をすることは極端に苦手だったという。その理由のひとつに、小学校から中学校まで続けていたサッカークラブでの経験があった。

濱田さん:監督が怖くて、いつも怒られないようにばかり考えていました。そのころから素の自分を押し殺す癖がついてしまって。

それに加えて、小学校から中学校卒業までなぜか「友達を名前で呼べないこと」が、コンプレックスになっていたと振り返る。

濱田さん:小4くらいの時に、友達に「人の名前呼ばへんよな」って言われて初めて気がついたんです。でもそこからいきなり変えるのも恥ずかしくてできなくて。
相手の名前を呼べないと本音で話しづらくて、そのころは誰ひとりとして心を許してなかったような気がします。

高校に進学するタイミングで、「人の名前を呼べる自分」に変わる決意をした濱田さん。
入学初日、心臓をバクバクさせながら友達の名前を呼んでみると、何の違和感もなく受け入れられたそう。

濱田さん:友達からしたら当たり前だったと思うけど、僕にとっては大きな変化でしたね。高校からようやく自己開示の方法を覚えはじめて、人間関係が築きやすくなって。その経験から、「変わる勇気」を持つことって大切なんだなと思うようになりました。

部活動ひとすじで、
「やりたいこと」がわからなかった

高校では、少しずつ自己開示ができる環境に身を置いてきた濱田さん。
サッカーを辞め、ずっと入りたかったバトミントン部に入部したが、日々の練習は想像以上に過酷なものだった。

濱田さん:朝から晩まで練習して、身体的にもうあかんって思ったこともありましたね。でも、自分の決断で入った部活だったから逃げたくなくて、最後までやりきりました。

過酷ながらも好成績を収め、やりがいもあった部活動。しかし、受験期に入ると突然「将来、何がやりたいのか」考えなくてはいけなくなった。濱田さんは途方に暮れたという。

濱田さん:他のことを考えられないくらい、部活動ひとすじだったので。受験のタイミングで「やりたいこと」をいくら考えても思い浮かびませんでした。

やりたいことがないならとりあえず勉強して選択肢を広げよう。
そんな父の言葉に従い、部活動の合間をぬって塾に通うも、1年目は全ての大学に落ちてしまう。その後、1年間の浪人期間を経て志望校に合格した。

濱田さん:浪人は、いい人生経験でした。結局やりたいことは見つからず、成績に合わせて経営学部を選んだんですけど、自分で納得できるまで勉強に打ち込めたのはよかったですね。

厳しい部活動に没頭する中で「自分らしくあること」を抑圧され、「やりたいこと」がわからなかった濱田さん。
それでも、うまくいかないこと、失敗することの中で少しずつ自分の輪郭を捉えていった。

アカペラと出会って、
表現したい自分に気がついた

大学に入学後、歌や音楽が好きだった濱田さんは、アカペラサークルに入部。
アカペラでは、ミュージカルのような身振り手振りも見どころになる。サークル活動の中で濱田さんは、表現で観客を魅了する人を羨ましく思う自分に気がついたという。

濱田さん:自己表現したいけど、人に見られるのは恥ずかしいと思ってしまう自分がいて。だから、ステージでからだを使って表現ができる仲間が輝いて見えましたね。

サークルには、歌も表現も上手な仲間が多く所属していた。自信を失うこともあった反面、「自分」を見つめることもできた4年間だった。

濱田さん:うまい人はうまい。でも声って千差万別で。だからこそ「自分のよさってなんだろう」っていうことをひたすら考え抜くことができたんです。

アカペラに打ち込む大学生活で、もうひとつ濱田さんを夢中にさせたのが、喫茶店だった。
ハリーポッターや昔ながらのおもちゃなど、世界観のあるものが好きだった濱田さん。喫茶店に通い詰める中で、将来自分のお店を持って自分の世界観を表現できたらいいなと思うようになったという。

濱田さん:ステージに立つのは気恥ずかしさとの葛藤もある。でも自分のお店を持てば思い切り自己表現ができるんじゃないかと思ったんです。

こだわりの茶器と、レコードが並ぶ。この部屋も彼の自己表現のひとつ

やりたいことを探し続ける日々の中で
出会ったのは「お茶」の世界だった

お店を持つことはいつかはしたい。しかし、大学を卒業してすぐ開業するのはリスクが大きく、まだ明確にやりたいことが見えている訳でもない。

どうせなら経営学部の知識を活かせて、今後何をするにしても役に立つ仕事をしよう。そう考えて大手企業の経理職を志望したという。

濱田さん:「働く」とはどういうことか体感してからじゃないと、迷走すると思ったんです。やりたいことがないなら選択肢を増やすという無難な道をまた選びましたが、お店をやる上でも経理を経験しておいてよかったです。

学びも多かったが、それ以上に経理の仕事は苦しかった。常に次の決算期のために準備し続けるルーティーンの日々の中で、徐々にストレスが溜まっていったという。

濱田さん:ずっと少し先の決算のことを考え続けるのが、今を生きていない感じがして。会社の商品にもどうしても興味が持てなかったので、仕事でも自分の好きなものに関わりたいと思うようになりました。

自分が好きなもの、やりたいことを探しながら、目の前の仕事をこなしていく日々。
そんなとき、たまたま友人と行った鎌倉の喫茶店でとある一杯の紅茶と運命の出会いを果たした。

濱田さん:飲んだ瞬間、あまりのおいしさに電流が走りました。喫茶店をやるなら、当然コーヒーだと思っていた価値観がひっくり返りましたね。

その日、購入したというポット。ここから濱田さんの紅茶への扉が開くことになる

この出会いから、紅茶がメインの喫茶店を巡るようになった濱田さん。
いつかお店を持つなら、紅茶の道を極めてみたい。そんな思いが膨らむようになった。

今は毎日が自己表現。
夢に着々と近づいている実感がある

転職を本格的に考え始めたある日、何気なく転職サイトで「神戸 紅茶」と調べた濱田さん。

大学時代を過ごした神戸に戻れたら。紅茶に関する仕事ができたら。
そんな軽い気持ちで検索ボタンを押すと、なんと神戸の紅茶メーカーの「紅茶鑑定士」という仕事がヒットした。

濱田さん:運命だと思って、これは自分が受けなあかん!と思いましたね。(笑)覚悟を決めてすぐ神戸に面接に行って。熱量を買ってもらって内定が出ました。

入社してからは毎日、大好きな紅茶を飲んで、学んで、調合する日々。
「今は毎日が楽しくて、ほんまに天職やと思う」と濱田さんは屈託なく笑った。

入れていただいた紅茶。特別な茶葉を使った一杯だそう

濱田さんにとって紅茶鑑定士の仕事は、日々の自己表現にも、いつかお店を持ちたいという夢にも繋がっている。

濱田さん:自分で考えて生み出せて、それがおいしいって言ってもらえる。こんなにうれしいことはないです。コンセプトやお客様に合わせてブレンドをつくることが自己表現にもなっているし、しばらくはここで紅茶の道を極めたいと思っています。いつか満を持してお店をやりたいですね。

編集部のまとめ

好きなことに向き合うことも、やりたいことを見つけることも、一朝一夕でできる簡単なことではない。まあいっかと諦めて無難な人生に迎合してしまいたくなることもあるだろう。

でも彼は、時に自分の選択肢を広げながら、時に自分の輪郭を確かめながら、好きなことを諦めずに、やりたいことを探し続けた。

「どんな経験も無駄じゃなかったって思えるように生きたい」
そう語る彼の人生からは、いつか点と点が繋がっていくのを待つのではなく、点と点を自らの手で繋げていこうとする力強さを感じた。

STAFF
photo / text : Hinako Takezawa