#028 [2025/05.19]

わたしたちの、このごろ

ここでなら、自分の意思に反さずに働けると思いました。

赤池稀未さんNozomi Akaike

こう語るのは、現在フェアトレードショップ「シサムコウボウ京都本店」で、販売員として働く、赤池稀未(あかいけ・のぞみ)さん、25歳だ。

「社会で働くことは自分には合わないことだと思っていたけれど、意外と悪くないかもしれないって、ここに来て思えたんです」

ふとこぼれたその言葉の奥には、遠回りしながらも、自分の道を探し続けてきた確かな時間があった。

自由な環境の中で、
のびのびと自分の「好き」を見つけた日々

「自由で、奔放な子どもだった」と幼少期を振り返る赤池さん。
2歳半で母を亡くし、父とともに香川へ移った彼女は、祖父母のもとで、のびのびと育ったという。

赤池さん:厳しく叱られることも、手を引かれることもなくて。ただじっと「この子は何に興味を持つんだろう」と見守ってくれる父の存在は、すごく有り難かったですね。

そんな環境で育った赤池さんが、初めて心から夢中になったのが、トランペットだった。中学校では吹奏楽部に入部。その延長線上でさらに彼女の心を鷲掴みにしたのが、マーチングバンドだったそう。

赤池さん:地元のマーチングで名の知れた高校の先輩が、毎年指導に来てくれていたのですが、本当にかっこよくて。マーチングをするためにその高校へ進学することを決めました。

もっと色んな世界をみたい
アメリカへのホームステイが人生を変えた

中学時代に思い描いていた通り、高校ではマーチングにどっぷりと没頭した赤池さん。その一方で、もうひとつの新しい世界の扉が開く。

赤池さん:私が進学したのが、英語に特化したコースだったこともあり、高校2年生のときに、2週間アメリカにホームステイに行ったんですよ。その経験が、私にとってのひとつの人生のターニングポイントでした。

見たこともない景色、違う文化、違う価値観……。

赤池さん:世界って、こんなに広いんだって。香川しか知らなかった私には、すべてが信じられないくらい新鮮で、衝撃の連続でした。

シサム工房の店内の壁には、パートナーである生産者の紹介、どのようなものづくりをしているのかが分かるマップが貼られている

さらに、ちょうど同じころ、知人を訪ねてカンボジアへ行っていた父から聞いた話にも心を揺さぶられたそう。

赤池さん:「現地の学校には電気やエアコンなど、日本に当たり前にある便利なものはないけれど、子どもたちはみんな工夫しながら元気に楽しく暮らしていて驚いた」と言っていて。アメリカで受けたカルチャーショックとはまた違う角度から新たな世界を見たような気がしました。

まだ見ぬ世界を、自分の目でもっとたくさん見に行きたい。実際にその土地に立って、そこで暮らす人たちの息づかいを感じたい。そんな思いが、じわじわと赤池さんの中で大きくなっていった。

フィリピンに幼稚園を建てた
それは今でも誇れること

もっといろんな世界を自分の目でみたい。やがてその思いは「国際協力」へと具体的に輪郭を持ち始めた。

赤池さん:国際協力に興味を持ったのは、やっぱり父のカンボジアでの話を聞いたことが大きかったと思います。

大学選びも、海外に行けることと、国際協力が出来ることの二軸で決めたという。

大学入学後、迷わず飛び込んだのは、国際ボランティアサークルだった。活動の中心は、現地に行って、現地の人たちとともに必要な支援を考え、かたちにしていくこと。

店内の風景。フェアトレードのオリジナルの洋服を中心に、国内の作家の作品なども扱う

赤池さん:ただ遠くから支援するのではなくて、同じ場所に立って、同じ空気を吸いながら、必要とされるものを探していく。そんな姿勢に、まさに自分のやりたいことだと思いました。

サークルで取り組んだ大きなプロジェクトのひとつが、フィリピンに幼稚園を建てるというもの。資金を集め、現地の人たちと対話を重ね、赤池さんが活動している間に、現地にひとつの幼稚園を完成させることができたという。

赤池さん:本当にうれしかったですね。その幼稚園には今でも子どもたちが通っていて、みんなで守り続けている。大きな変化ではないかもしれないけれど、自分も世界を変えていけるという手応えを得られた大切な経験になりました。

コロナ禍で心がすり減ってしまった

もっと世界に関わりたい。もっと誰かの力になりたい。そんな気持ちが日に日に大きくなっていた矢先、コロナ禍による海外渡航の禁止が決まり、大学の授業も、サークルの活動も、すべてが凍りつくように止まってしまった。

赤池さん:このままではサークル自体が無くなってしまうのではないかと思いました。そうならないように毎週のようにオンラインでのイベントを企画して、サークル内部のつながりも、支援先とのつながりも途切れないように必死に動きました。

しかし、がんばればがんばるほど、うまくいかないことも多く、心が空回りしていく感覚だけが日に日に強まっていったという。

赤池さん:どんどん苦しくなってしまって……。誰にもなにも言わずに、サークルの引き継ぎだけをして大学を辞めることを決意しました。

フリーターになって見つけた、
自由と「なんとかなる」感覚

大学を離れたあと、赤池さんは2年間、フリーターとして生活することを選んだ。派遣やアルバイトでお金を貯めて、海外へ旅行する日々を続けたという。

赤池さん:大学を辞めて、肩の荷が下りました。なににも縛られず、自分の意思で好きなときに好きな場所へ行けたのは、本当に楽しかったですね。

たしかに生活は不安定だった。きちんとした給料があるわけでもなかったし、将来の見通しが立っていたわけでもない。それでも、あの時間は、かけがえのないものだったと振り返る。

赤池さん:人生って案外なんとかなるなって思えたというか。世界の色んな景色を見ながら、人と同じ道じゃなくてもいいと、自分自身を肯定できたような気がします。

オリジナルのマスコット。ひとつひとつ微妙に表情が違うらしい。赤池さんも自宅に飾っているという

けれど、どこかでうすうす感じていた。この自由な暮らしも、永遠には続けられないことを。あるとき、働いていた派遣の契約が突然打ち切られたことで、その思いは現実のものになる。

赤池さん:ずっとこのままはむずかしいなと。ちゃんと働いて、生活を安定させないといけないと思いました。

そのとき、自然と心はある原点へと立ち返っていった。

赤池さん:やっぱり、社会貢献ができる仕事をしたい。できれば海外に行って、現地の人たちと関わるようなかたちで。

一度は遠ざかっていた国際協力への思いは、心の底で灯り続けていた。その後、NGO職員や国際支援団体など、社会貢献に関われる仕事を探し始めたという。

赤池さん:でも現実は厳しくて。求められるスキルや経験のハードルが高く、いくつか挑戦してみたものの、思うようには進みませんでした。そんな中で、海外に行けなくても自分の思いを叶えられる場所を探していたときに、今の職場と出会いました。

自分の仕事が
世界とつながっている手応えを感じる

「お買い物とは、どんな社会に一票を投じるかということ」

そんなスローガンを掲げるフェアトレードショップ「シサムコウボウ」。

レジの壁に大きく掲げられたスローガン

主にオリジナルのフェアトレード商品を扱い、現地の生産者と直接パートナーシップを結びながら、誰かの犠牲の上に成り立たない、持続可能な社会を目指して活動している会社だ。

赤池さん:現地の生産者さんたちが、ちゃんと自立できるような仕組みづくりをしていたり、環境への配慮も徹底されていたり。働くスタッフに対しても、すごく誠実に向き合っているのが伝わってきて。ここでなら、自分の意思に反さずに働けると思いました。

実際に働き始めて約2年。最初に抱いた直感は、少しも間違っていなかったと語る。

赤池さん:もちろん、しんどいことがゼロなわけではありません。でも、ここにはちゃんと言いたいことを言える空気があって、一人ひとりの声をきちんと拾ってもらえる。環境にも、生産者にも、働くスタッフにも、そしてお客さまにも、嘘をつかない。それを本気でやっている会社だと思います。ここに来て、私が思っていたより社会って意外と悪くないのかもしれないって思えるようになりました。

働きながら、少しずつ自分自身の見え方も変わった。世界を大きく変えることはできなくても、この場所での積み重ねが、誰かの暮らしと、世界ときちんとつながっている。その手応えを、赤池さんは日々感じている。

赤池さん:やっぱり、いつかは現地に渡って働きたいという思いも持っています。そのためにも、今はこの場所でさまざまな支援のかたちを学び、自分のものにしていきたいと思っています。

シサム工房についてもっと詳しく

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編集部のまとめ

赤池さんの歩みは、決してまっすぐではない。

何度も立ち止まり、遠回りし、ときには心がすり減るほどにもがきながら、それでも「自分はどう在りたいか」という問いだけは、最後まで手放さずにいた。

よりよい社会をつくるという大きな言葉の中に、自分の存在を重ねたいという気持ち。いま、その思いを仕事として、日々の中で叶えている。

これから、彼女がどんな形で社会と関わっていくのか。
どんなふうに、世界を変えていくのか。その続きが、とてもたのしみだ。

STAFF
photo / text : Nana Nose