#026 [2025/04.17]

わたしたちの、このごろ

今、やりたいことがあふれてきて追いつかない

市川琴音さんKotone Ichikawa

こう語るのは、現在事務職として働きながら、趣味で焼いたパンやお菓子のイベントをしている市川琴音(いちかわ・ことね)さん、24歳だ。

「これがやりたい!」と自信を持って言えるようなものが、昔はなかった。
自分の内側から湧き上がってくる「好き」に出会えないまま、どこか空っぽな自分を感じていたという。

でも今は違う。パンを焼き、お菓子をつくり、自分の手で何かを生み出していくことが、喜びになっている。

その変化の背景には、「自分で決めて、動いてみること」を少しずつ重ねてきた、これまでの時間があった。

自分の殻に閉じこもったままだった子ども時代

愛知県で生まれ育ち、社会人一年目までは実家で暮らしていた市川さん。三姉妹の末っ子ということもあり、いつも誰かの後ろを歩くようにして育ったという。

市川さん:自分で選んで何かをするっていうより、姉がやっていることをそのまま真似していました。何を決めるにも不安で……

小心者で、人と話すのも得意ではなかった。小学校の低学年までは、学校に行くのもつらくて、泣きながら通っていた記憶もあるそう。そんななかで唯一、楽しいと思えたのが、家で母と一緒にするお菓子作りやパン作りだった。けれど当時は、それを「特別に好きなこと」として意識することもなかったそう。

音楽は昔から好きだった。ライブに行くことがエネルギー。特に「いきものがかり」のファンだという

市川さん:好きではあったんですけど、夢中という感じではなくて。ただなんとなく、楽しいなって思いながらやっていました。

高校までの自分を「ずっと殻にこもっていた」と表現する彼女。勉強や習い事にも取り組んではいたが、「何かに夢中になる感覚」や「やりたいこと」に出会えないまま過ごしていた。

自分の足で歩き始めた大学生活

そんな市川さんが変わり始めたのは、大学に入ってからだった。
やりたいことが分からないからこそ、いろんな分野にふれられる総合政策学部を選び、「自分から何かに挑戦すること」を心に決めて大学生活を始めた。

市川さん:最初は本当に不安でいっぱいでした。でも、これまで誰かの後ろをついてきた分、今度は自分から動いてみようと思ったんです。

実際に自分の足で飛び込んだインターンや旅のなかで、市川さんは少しずつ殻をやぶっていく。

写真を撮ることも好きになった。本棚の上にいろんなカメラが置かれている

中でも大きなきっかけとなったのが、福島県双葉町での「復興創生インターン」だった。震災から時が経ってもなお、全町避難区域が続いていた双葉町。そこで市川さんは、町の人々に話を聞きながら、関係人口創出のきっかけになるようなノベルティグッズの企画をしたという。

市川さん:自分から人の話を聞いて、何かを提案するなんて、昔の自分なら絶対にできなかった。でも、やってみたらできたというか、むしろ楽しかったんですよね。

「自分にはできない」と思い込んでいたことが、実はそうではなかった。その経験から、「とりあえずなんでもやってみよう」という思考が、市川さんのなかに根づき始めた。

点が線になって、やがて面になる

もうひとつ、市川さんに大きな影響を与えたのが「村留学」と呼ばれるプログラムだ。九州の山間部・五ヶ瀬や、京都の久多など、昔ながらの暮らしが残る村に滞在し、現地の人々と生活を共にしながら学ぶというもの。

村留学のパンフレット(下)と、村留学の際に市川さんが携わった冊子(上)

当時、いろんな活動に手を出しすぎて、逆に自分が何をしたいのか分からなくなっていた市川さん。そんな彼女に、村で出会った人がかけてくれた言葉が、今でも心に残っているという。

市川さん:「今やっていることは全部点だけど、それが線になって、やがて面になるよ」と言ってもらって。今はこれでいいんだと思えるようになりました。

たくさんの活動をしても、「これが自分だ」と言える何かを見つけられたわけではない。でも、点を打ち続けること自体に意味があるのだと、気持ちが軽くなった。

人と深く関わることがむずかしい営業が怖くて、
転職を決意

大学卒業後、市川さんが選んだのは、地元の信用金庫での仕事だった。
社会人としての基礎を身につけたいという思いと、「将来いつか、自分の好きなものを形にできたら」という、漠然としたあこがれがあったからだ。

市川さん:パンやお菓子をつくるのはずっと好きだったので、もしかしたら将来、自分でお店を持つかもしれない。そんなときにお金の知識って、きっと役に立つと思ったんです。

けれど実際に働いてみると、想像以上に仕事量が多く、次第に苦しさが募っていった。

市川さんが住むシェアハウスの屋上からの景色

市川さん:優先順位のつけ方や、キャパオーバーになりそうなときの対処法は学べました。でも、営業の業務が始まったときに、どうしてもつらくなってしまって……

事務の仕事は好きだった。でも、数字を追いかけるような営業の仕事には、自分の性格がどうしてもついていかなかったという。

市川さん:人と深く関わるのは好き。でも、仕事や成績のために関わることにしんどさを感じてしまって。

それが自分の本質なのだと受け入れ、事務職にしぼって働ける今の職場へと転職した。

メロンパンがくれた、新しい扉

転職活動を進めていたころ、市川さんは村留学で出会った神戸の友人に会いに行く機会があったそう。そのとき、おみやげにと実家で焼いて持っていったメロンパンが、思いがけず人生の扉を開くきっかけとなる。

市川さん:パンを渡した人のひとりが、「今度イベントするんだけど、パン焼いてくれない?」って誘ってくれて。まさかそんなことになるとは思ってませんでした(笑)

言葉に乗せられるまま、そのイベントに出てみることにした市川さん。ひょんなきっかけだったが、会場ではたくさんの人が自分のパンを食べて喜んでくれて、新しい出会いがいくつも生まれたという。

市川さん:そのときに「神戸に住みたい」と思いました。自分が自分らしくいられる場所に出会えたような気がしたんですよね。

急遽転職先にエリアの変更を希望し、許可を得て、神戸への移住を決めたという。

近い将来、
自分の作ったもので誰かを元気にしたい

神戸に来てからの暮らしは、「毎日がすごく濃い」と市川さんは言う。
イベントにも定期的に出店し、趣味だったパンやお菓子作りが、今ではたくさんの人とのつながりを運んできてくれているそう。

市川さん:昔は、自分の中からやりたいことが湧いてくる感覚なんて全然なかった。でも今は、やりたいことがあふれてきていて、追いつかないくらいなんです(笑)

市川さんが作ったタルト。食材の甘さが際立っておいしい

今後数年は、現在の事務の仕事を続けながら社会人経験を積みたい。けれど、ゆくゆくは自分のお店を持ちたいという夢がある。

市川さん:社会人一年目のとき、落ち込んだときにお気に入りのパン屋さんに行ってパンを買って食べるとすごく元気が出た。あの感じを、自分のつくるもので届けられたらいいなと思っています。

編集部のまとめ

「これが自分だ」と語れる何かがないこと。それに焦って、自分を責めてしまった時間。けれど彼女は、「わからない自分」と一緒に歩くことをやめなかった。自分の輪郭がぼんやりしているときも、足もとを見ながら一歩ずつ動いてきた。

はっきりとしたゴールが見えなくても、目の前の「やってみたい」に素直になってきた日々。そうして重ねてきた選択が、少しずつ今の暮らしをつくっている。

焦らず、でも止まらず。そんな歩き方を、私も見習いたいと思った。

STAFF
photo / text : Nana Nose