フェリシモCompany

立ち話から新しい“日本製”をつくる。職人とともに誰かの想いや憧れが沁み込んだ「物語」をかたちにするものづくり、「日本職人プロジェクト」。

こんにちは、フェリシモ環境コミュニケーション事務局のFukuです。

「日本職人プロジェクト」は2004年にスタート。「お父さんのお下がりみたいなダレス鞄」を作ることからはじまった、リーダー山猫こと山根雄作さん(以下、山猫さん)が立ち上げたプロジェクトです。商品を企画をすればヒット商品となり、社内横断プロジェクトでもさまざまな新しい取り組みに携わってきた山猫さんが、ときに数年の歳月をかけて日本の職人とともにつくるのは、プロダクトとしての“もの”ではなくて、誰かの憧れや思い出をかたちにした「物語」のある“もの”。つくるからには、日本の職人とともに、誰かに自慢したくなるものづくりをとの想いを胸に、これまで17年かけて鞄、財布、靴、時計、帽子などのオリジナルアイテムをつくってきた山猫さんに、「日本職人プロジェクト」のものづくりの真髄とそこにかける想いを聞きました。

話し手: 山根雄作(山猫) さん
聞き手:環境コミュニケーション事務局

山猫さん

Q1、「日本職人プロジェクト」をひとことで言うと? 

立ち話、でしょうか。立ち話ってみんな嘘を言わないですよね。日常会話で聞いた極めて個人的な言葉が転がり、「物語」が生まれ、商品になっていくプロダクトデザインプロジェクトだと思っています。

Q2、プロジェクトはどのように始まったのでしょうか?

入社してから3~4年が経った頃、アジアの工場に依頼して大量生産するのがあたりまえのビジネスモデルの中で、「日本のものづくりはこれからどうなっていくんだろう?」という疑問がわいてきたんです。その気持ちがふくらんでいって、あるときに知人を介して鞄の産地である兵庫県豊岡市へ赴き、数ヵ所ほどの鞄縫製工場を訪問させてもらったんです。海外製品が増えるなかで、きっと大変なのだろうと思っていたら、職人さんによっては、なんだかそうでもなさそうで。しかし、よくよく話を聞いていくと、海外で作られた縫製品の最終仕上げをメインのなりわいとしている方や大口の仕事はなくパチンコ屋の清掃のアルバイトに出かける方などいらっしゃって、実際にたくさんの職人さんに出会うことで、実態がわかっていきました。過去の栄光は話してくれるんだけど、今、手がけておられる仕事については納得をしている印象ではなかったんです。そういう職人さんの現状を目の当たりにして悶々として過ごしていたら、フェリシモが年に1度発行していた「サンタブック」というカタログの商品企画をする時期がやってきたんです。本来は季節需要に特化した商品や流行を意識した企画をするのですが、なにか日本製の商品を企画してみようと思い、「お父さんのお下がりみたいなダレス鞄」を企画したんです。

プロジェクトについて話す山根さん

Q3、「日本職人プロジェクト」のサイトでも紹介されているお母さまやお父さまのエピソードが、どのようにして企画のヒントになったのでしょうか?

まず、日本製のものを作ろうと思ったときに、自分がずっと大切にできるもので、数万円出しても買いたいと思えるものが鞄だったんですね。そして、世の中にないたったひとつのオリジナル商品とはなんだろうと考え続けていたら、父が長年使っていたくたくたになった本革の鞄のことや母が大事にしていたオパールのブローチのことなんかを思い出したんです。ものへの想い入れや記憶って、その人自身の中にしかないものだから、それをかたちにすればどこにもない商品がつくれるのではないかと思ったんです。さらに、ファッションチームの女性と話をしていたら「“ちょっと”おじさんぽいものが絶妙に感じがいいんですよ!」と聞いて、今度は“おじさんへの憧れ”みたいなものを追求して、「ちょっとくたっとした本革遣いの鞄がいいのかな?」などと考えはじめたらどんどんおもしろくなってきて。私の父や母のエピソードや、同僚が持っている“おじさんぽい”というイメージって、その人にしか感じられない情緒で。その想いを私が読みとって、文脈を整えてお客さまに伝えれば、その「物語」ごとにオリジナル商品ができるのではないかと考え、その気持ちを豊岡の職人さんに伝えにいったら、ある職人さんが「あぁ、山猫さんがつくりたいのは、壮大な思い出の物語が込められた“映画みたいな鞄”なんだね」って言ってくださって!そうして2004年に最初のダレスバッグの企画を開始し、2005年 発売の「お父さんのお下がりみたいなダレス鞄」から販売がスタートしました。

山猫さんのお父さまの「物語」であり「日本職人プロジェクト」の原点となった初代のダレスバッグ。17年の時を経て、お母さま理想のダレスバッグ「お婆ちゃんになっても愛用したい 職人本革仕上げのレトロダレス鞄〈ノアール〉」も企画。
山猫さんのお父さまの「物語」であり「日本職人プロジェクト」の原点となった初代のダレスバッグ。17年の時を経て、お母さまの理想のダレスバッグ「お婆ちゃんになっても愛用したい 職人本革仕上げのレトロダレス鞄〈ノアール〉」も企画。

Q4、「日本職人プロジェクト」のキーワードを「Stories」とし、サイトには「開発秘話」があります。先ほどあった、「文脈を整える」ことと関連があるのでしょうか?

はい。ものごとにはそれぞれきれいに伝わりやすい本来の「文脈」があると思います。でもその軸が、作り手の中心となる職人さんだけではどうにも伝わりづらいものとなることが多いように思えたんです。モノづくりの発端となる想いや憧れ、それに見合ったデザインや材料手配、そして販売場所、そしてそれらをきれいにつなげることのできる理想の職人のモノづくり。「想い」という文脈の「糸」をすべてつなげるからきれいな文脈が生まれ、人に伝わる日本製になっていくと考えています。

そうやって足りない部分を補いながら本来あるべき文脈に整えていくことが、今すべき新しい日本製をつくることだと思うんです。ただの高品質やこだわりだけが日本製ではなくて。フェリシモでアジア圏での大量生産品の企画をしながら多角的な視点でブランディングしていく一方で、ひと言では定義しづらい大量生産とは逆行するような新しい価値をつくっていくことも「日本職人プロジェクト」のミッションなのかなと思っています。だからカタログもサイトも、単なる商品説明をするだけではなくて、きれいな文脈が潜む「物語」を伝えられるツールにしたいんです。

「Stories」について話す山根さん

Q5、「開発秘話」には、商品とは一見関係なさそうな情報も掲載されていますね。本音が多い記事だなと感じます。

整理して文脈は整えるのですが、ただきれいなだけのうそのある言葉を並べたいとは思っていなくて。だから「開発秘話」には、プロジェクトを手伝ってくれている関係者が登場し、職人さんのところへ行く道中でなにを食べた、一度企画がストップしたけどまた始まった、6回失敗して7回目でいい靴ができた!などと、企画の界隈にあるあれこれを見せることで、本当の「物語」を伝えたいという気持ちがあります。

職人さんの仕事内容や一般的な秘話みたいなものって、テレビやネットを通してほとんどの情報が流れているんです。だから、ただ職人さんが作ったとか、工程を紹介するだけでは情報としておもしろくないんです。だから、私たちの主観を職人の世界に持ち込んで、それを起点にして「物語」とともに商品が生まれていく。その過程で起きたこと、職人仕事やものにまつわるうんちくなどを伝え、ものを使う人がその「物語」を受け取って、今度は自分が主役となり新たなストーリーを展開していく。それも文脈を整えていくことであり、すごく手間も時間もかかるのですが、最高に楽しい作業なんです。

Q6、(ウィングチップシューズを手に取って)ところで山猫さん、この革靴、ちょっと履いてみてもいいですか。実はずっと気になっていて!

ぜひ!この「長田靴職人の本革仕立て シンプルレースアップレザーシューズ」は、神戸・長田の靴メーカーさんとともに1年半かけてつくったものです。社内でアンケートをとってみると、「かっこいい革靴は持っているけれど、靴擦れするからあんまり履いていない」「足の甲が高くて幅広だから、履きたくても足に合うものがない」などという声がたくさんあったんです。世の中には1日中、革靴を履いて立ち仕事をする人も多いのですが、条件をクリアしている革靴ってなかなか存在していなかったんですね。価格もそれなりに高いものだし、それなら究極にかっこいい革靴をつくろう!ということで、ウイングシューズ好きの靴メーカーのデザイナー森下さんとともに3年くらい試行錯誤しながら企画しました。

ウィングチップシューズ
素足でも履けそうな心地よさ!欲しい……

底はスニーカーみたいにやわらかく幅を広くして、全体は足を包み込んでくれて歩きやすいフォルムにしました。外側を牛革にし、内側は伸びのいい豚革を使用したのもポイント。幅広の方にも対応した型にしながらも、トウを少し長めにとったり消音ヒールをつけたりして足のスタイルがよく見えるように工夫がされています。走れるようにつま先は曲げやすく、サイドがくるぶしに当たって痛いという声も多かったので、通常よりくるぶし部分を0.5cmほど下げました。

Q7、私も革靴は痛いから、たいていオフィスで履き慣らしてから外に出ます。でもこのシューズは、履いた瞬間に欲しくなりました!「そういう配慮が欲しかった」というポイントがいくつも網羅されていますよね。開発期間1年半とおっしゃいましたが、常に長きにわたる検証を経て、商品が生まれているのでしょうか?

そういう声が聞きたくて商品を企画しているから、うれしいです! 
職人さんにお願いしても、新しいチャレンジってなかなか受け入れてもらえないこともありますし、何度もサンプルをつくりなおしてもらうなかで職人さんがあきれてしまうこともあったりして。でも、本気でなにかを生み出そうと思ったら、その工程の中で職人さんに「それはちがう」ということも伝えていかなくてはならないし、とんがり過ぎている部分を削ぎ落とさないといけないことだってあります。だから、お互いにモチベーションを高く維持することって難しい場合が多いです。

山猫さんの私物。
山猫さんの私物。余った馬革で自分で作ったケースと、「大好きな映画の主人公がつけてそうな時計が欲しい!」と憧れを滋賀の時計職人に伝えて作ってもらった腕時計。

けれど、気持ちが乗らないまま商品をつくっていてもいいものはできないので、時間がかかっても納得いくまで一緒に検証を重ねて、ものをいくつも同時進行でつくっていきます。2年とか5年と数年かかけてやっと完成した商品がヒットすると「このやり方でいいんだ!」と職人さんが家族ぐるみ喜んで、納得して、次はもっとモチベーション高く商品がつくれるようになる。そこまで持っていくのは大変だけど、それもまた「物語」なんですよね。だから私は、鞄にはじまり、靴、帽子、など全部全力で企画・修正・試作品の検証を重ねます。販売価格もフェリシモのほかの商品と比べるとずいぶんと高くなりますが、素材もつくりも丈夫で長く使える商品が完成します。ただ売れそうなものを企画して発注することもできるかもしれませんが、それではお互いに成長はありませんよね。私たちもそのなかで学ぶことはたくさんあるし、それまではクライアントとなる企業からの一方通行な受注生産ばかりを手がけてきた職人さんにとっては、ものごとを新しくリノベーションしていく力を身につけてもらえるチャンスなのかもしれません。

Q8、作る過程において物語が紡がれていますが、山猫さんが気になっている職人さんがいて、それが起点となって新たに商品が生まれるケースもあるのでしょうか?

職人さんとの出会いが発端だとしても、ものをつくりたいと思うきっかけは、やはり個人の独特なエピソードです。隣の席に座っているプロジェクトメンバーのNISHIYANが美しい芸術品のようなガラスのグラスをうれしそうに毎日使っていて、私もだんだん興味が出てきたんですよ。誰かが強烈に魅了されるモノの背景を知りたくて、遂には小田原までそのグラスを作っている職人さんに会いに行ったんです。その職人さんにお話を聞くと、自分の生き方を見つめ直した時に、以前から考えていたガラス職人になる夢を叶えようと、修行をし始めて。その後独立したものの、作品が売れて軌道に乗るまでは資金づくりのためにトラックの運転手をしながら過ごしていたとのことでした。小さいお子さんもいながら「いつかガラス職人だけで食べてい きたい」という想いを持ち続け、たくさんのご縁を大切にしながら現状に至った…という話にグッときて。そうやって、お会いしたときに、“人となり”が“ものとなり”になっているんだなと感じたときはすぐ商品化につながります。その人にしかないストーリーってやっぱり嘘がないからだと思います。どこかから引用してきた事実とか、知識の積み上げから発されるうんちくはどこか嘘っぽくなってしまう。だから、商品のかたちがオリジナルということにこだわるのではなくて、つくり方や出会い方も含めて、「物語」さえあれば商品になりえるのではないかと思っています。だから、お客さまにも「物語」の断片を共有してもらうために、あえてたくさんの情報に触れていただけるようにしています。

15年ほど前には1年かけて革雑貨づくりを学べる「レザークラフトレッスンプログラム」を企画。職人を応援することは買うことだけではなく、自分で職人技を習得し体感することというコンセプト。
これをきっかけに本気で職人さんを目指すお客さまもいらしゃったのだそう。

Q9、誰かのエピソードがきっかけではあるものの、立ち話しかり、山猫さんと誰かの“関係性”がきっかけとなり、ものが生まれていく流れもあるようにみえます。

長年おつきあいのあった日本職人プロジェクトのデビューとなったダレスバッグを作ってくれたメーカーさんが、色々な事情で突然倒産してしまったことがあったんです。そのあと、もうあの鞄シリーズを作ることはできないのかと思ったのですが、倒産したメーカーさんの先にいる職人さんたちが「山猫さ ん、変わらず私たちはいいモノ作っていきますよ!日本職人プロジェクトのものづくりが好きです」と言ってくれたのでどうにか継続できたことがありまし た。大切なものがなくなったけど、同時にまた大切なものにつながることができたと感じました。人を魅了する物語と人の縁はどんどんつながっていく。それが普遍的なものづくりの姿勢=ブランドになっていくと感じ、ものや関係性を循環させていくことも「日本職人プロジェクト」のミッションだと思うようになりました。 

循環といえば、誰かが持っていたものの続編をつくる、というような側面もあります。友人のプロダクトデザイナーさんと作った革のトートバッグは、その方がずっと使っていたキャンバス地のバッグに着想を得てスタートした企画でした。革の耐久性をいかして、キャンバス地のバッグにはなかったポケットをつけたり、底の部分の切り返しをなくしたり、アップデートして完成した商品です。

プロダクトデザイナーさんの私物をアップデートしてできたトートバッグ「プロダクトデザイナーと作った 職人本革仕上げのお仕事鞄」は、その人やものの「物語」の続き。

ちなみに革材は管理が難しく、長く置いておくと硬化したり、色抜けしたり、カビが生えたりします。だから、生産に使う部分を抜いた革材の残りは、処分されることが多いです。でも私はできる限り素材を使い切るために、ひとつの商品に対して革のいろんな部分を使ってもらうようにしています。また、余った革があればその使い道も職人さんと相談して決めます。これまでにも、レザークラフトレッスンで余った馬革を使ってパスケースを作ったり、商品を買ってくださったお客さまに感謝を伝えるためのノベルティーとして革のチャームやブレスレットを作ったりしてきました。

Q10、最後に、今後の展望をお聞かせください。

福岡の鞄作家と作った 本革スヴニールバッグ」は
作家さんが使っているのを見た山猫さんが惚れ込んで商品化が実現したのだとか。

そろそろプロジェクトからブランドにしていく時期ととらえ、いろいろと整理しています。それは決して、コンセプトやロゴをつくってブランディングしていくということではなくて、いい「物語」が集約しているシンボルをフェリシモの中に掲げておきたいという想いがあるからなんです。だから、退職まで残りの12年を「日本職人プロジェクト」にかけたいと思っています。今の日本には「職人」の定義はなくて、言葉が勝手にひとり歩きして、“伝統を受け継ぐ”とか”高品質を維持する“などといった、いい部分だけを切り取って職人さんを神格化してしまっているのではないかと思うんです。そんな世の中でも時代に歩みよりながら黙々とものづくりを続けている人たちに、誰かのリアルな想いや憧れのものをつくっていただくことが、私のチャレンジです。

既存の”日本製“や”職人“ という言葉の奥にある「物語」こそが新しい日本製だと私は思うし、新しい”日本製“や”職人“を提案できる場が、フェリシモの「日本職人プロジェクト」だと思っています。これからもそうやってものづくりを行う人たちとたくさん出会い、「物語」のあるものをつくり続けていきたいです。そしてそのものが、買った人が死ぬまで大事にしたくなる「物語」となればなおうれしいです。

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