あれからの、わたしたち

#005[2026/08.26]

あれからの、わたしたち

正解の人生よりも、モヤモヤのない選択を。
「二足のわらじ」を脱ぎ捨て、自分の言葉で歩き出すまで

山口健太さんKenta Yamaguchi

「何者かになったわけじゃない。今はまた、1年目のスタートラインに立った感覚です」
吹っ切れたような明るい表情でそう語るのは、スリーピースバンド「Re:name」のドラマーであり、執筆やラジオ、MVの脚本など、枠にとらわれない表現を広げる山口健太(やまぐち・けんた)さんだ。

約2年半前、会社員として、カタログの編集業務をこなしながらバンド活動を続けていた彼にインタビューしたとき、自らの生活をこう表現していた。
「ふたつの居場所があることでお互いに回復し合える。今後もこのスタイルを変えることはない」と。

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「二足のわらじ」で精神のすこやかさを保っていたはずの彼は今、勤めていた会社を辞め、フリーランスという新しいステージに立っている。 安定というセーフティーネットから飛び出し、自らの目線で世界を切り拓こうと決意した彼の、その後の物語を聞いた。

出会ってしまった「大切なもの」と、
正面から向き合うために

現在、山口さんはバンド活動の傍ら、noteでの連載や、ラジオパーソナリティ、物語や脚本の執筆など、怒涛のような日々を送っている。

会社員として編集や企画の仕事をこなし、休日や夜にバンドを走らせる生活は、一見すると順風満帆で健康的だった。しかし、さまざまな仕事を経験すればするほど、彼の心の中であるひとつの感情が大きくなっていったという。

山口さん: 会社の中でも、自分の好きな監督を招いた企画や、言葉を軸にした活動など、刺激的な経験をたくさんさせてもらいました。でも、いろんなことにふれるほど、自分の中で「歌詞を書くこと」だけが、明らかに輝いて見えるようになったんです。恥ずかしい言い方ですけど、大切なものに「すでに出会ってしまっている」という感覚がありました。

しかし、バンドにおける作詞は、メンバーから曲が届いて初めてスタートする。
自分にとって人生をかけるほど大切な創作が、誰かとの関係性やバンドの状況に委ねられたままでいいのか。 忙しさを理由に思考を止めていたけれど、会社に入って3年がたち、20代半ばを迎えたとき、自分の心と正面から向き合うことを決めたそう。

山口さん: 最初は「書くこと」が好きだと思っていたんです。でも時間を取って深く考えてみると、僕が本当に好きなのは、文章を書く作業そのものというより、「自分が見た世界や作品を、自分の目線で切り取って誰かに伝えること」だった。それに気づいたとき、歌詞だけではなくて、エッセイや物語、脚本という道にも興味を持つようになりました。

目標やアイデアを書き留めているというノート。中身は恥ずかしいので秘密とのこと

けれど、会社員とバンドを続けながらでは、圧倒的に時間が足りない。これ以上時間をつくるなら睡眠を削るしかなかった。「このまま片手間の状態で好きなことを続けて生きていくのは違う」。そう悟った彼は、会社を辞めるという大きな決断を下した。

「連載がないなら、自分でつくればいい」
手探りで手繰り寄せた表現の場所

会社を辞めると決めたとき、当然、安定した収入が消える不安や周囲からの心配もあったそう。信頼する会社の先輩からは「話がまだぼんやりしている」と指摘されたものの、最後に掛けられた言葉が彼の背中を押したと振り返る。

山口さん: 「いまヤマケン(山口さんの愛称)はすごくモヤモヤしている。そのモヤモヤだけは確かだよ」と言ってもらえて。それがすごく腑に落ちた。今、会社を辞めて、あれほど抱えていたモヤモヤは明らかに晴れたんですよね。

独立してから、これまでの8か月間は、まさに泥くさい挑戦の連続だったと振り返る。
「エッセイストや脚本家になりたい」と会社を辞めたものの、最初は当然仕事などない。連載がないなら自分で作ればいいと、月額制のnoteメンバーシップを開始。「会社を辞めた27歳のバンドマンがメジャーデビューするまで」をテーマに文章を書き始めた。
脚本の書き方も分からなかったけれど、あこがれの監督に直接連絡を取って話を聞いてみたり、独学で短編小説を執筆してみたり……。

初めて書いた脚本だという「ワンルーム」
メンバーシップ内で行っているラジオ番組「ヤマラジ」のリスナーから寄せられた声を集めてつくったというZINE「100文字日記」

山口さん: やりたいと思ったことは、とりあえず全部やってみる。話を聞きたい人がいれば、迷わず連絡してみる。きびしく言えば「連絡しただけ」「つくっただけ」かもしれないけれど、芽を出すためには自分で動き出すしかありませんでした。

守るための「居場所」を捨てて手に入れた、
世界へ飛び出すフットワーク

かつての彼は、「会社員」と「バンドマン」というふたつの居場所を行き来することで、傷ついたメンタルを回復させていた。しかし会社を辞め、時間の使い方が自由になった今、「生き方のフットワーク」も劇的に軽くなっている。
会社員のころからずっとあこがれていたというチェコへ旅をしたり、最近では香港へも足を運んだそう。それも、SNSで興味を持っていた、会ったことのない人に「ご飯に行きませんか」と連絡を取ったことから始まった縁だという。

チェコ・プラハの景色(山口さんご提供)

山口さん: 以前よりも、行きたい場所に行って、会いたい人に会うための心理的ハードルは確実に下がりました。香港に行ったときも、現地でバーテンダーとして働き始めた知人の家に泊めてもらったんです。自分の目で見た景色や、現地で生まれた感情が、そのまま次のエッセイや言葉の原料になっていく感覚があります。

2年前は、ネガティブに沈まないためのセーフティーネットだった生活スタイル。
しかし今の彼は、自分の身ひとつで世界へ飛び出し、新しい刺激を自ら汲みあげにいっている。「守るための両立」から、「表現するための自由」へと変化していた。

30代になるころには、
「山口健太」として
いろんな人に知ってもらいたい

けれど、すべてがうまくいっていたわけではないという。
歌詞への想いが強まる一方で、「自分はドラマーなのに、他のドラマーほどドラムを愛せていないのではないか」という葛藤から、一時期は「バンドを辞めること」すら頭をよぎっていた。

そんな彼の迷いを吹き飛ばしたのは、2026年3月に開催された、Re:name結成10周年のフリーライブだったと語る。
キャパシティ約2,000人という大舞台。開催が決まってからは、会社を辞めて芽ばえた行動力をフルに発揮し、さまざまなライブ会場へ足を運んでは1,000枚以上のビラを配り歩いた。

山口さん: 結果として、約2,000人ものお客さんが集まってくれました。あのとき初めて、心から「達成した」と思えたんです。そこでようやく、バンドの中にいる自分を肯定できたような気がしました。

香港の市場にて(山口さんご提供)

かつては「居場所を分散させて逃げ場をつくっていた」彼が、今はすべての活動において正面から向き合い、全力で汗をかいている。

山口さん:今はまだ、「Re:nameの山口健太がいろいろやっている」という見え方の方が大きいかもしれません。でも30代になるころには、「山口健太という人間がいて、その活動のひとつとしてRe:nameがある」という状態にまで持っていけたらうれしいなと思っています。山口健太という存在が大きくなることで、バンドにもより大きな還元をしていきたいです。

あとがき

誰しも、傷つかないための逃げ道をつくっておきたくなるものだ。
だからこそ、自分の安全地帯を抜け出し、身ひとつで大切な表現の世界へ飛び込んだ山口さんの決断に、深く胸を打たれた。

自分の心から湧き上がる衝動を信じ、自分の足で歩く言葉には、嘘がない。
自分の手で人生を切り拓いていく彼の選んだ道を、まっすぐに見据えて歩くその背中には、もうなんの迷いもないように見えた。

STAFF
photo / text : Nana Nose