#016 [2024/04.23]

わたしたちの、このごろ

会社員とバンドマン、二足のわらじを履くことで僕のメンタルは健やかに保たれています

山口健太さんKenta Yamaguchi

こう語るのは、現在、生活雑貨を扱う通信販売の会社でカタログの編集業務をこなしながら、プロのバンドマンとしても活動する山口健太さん、24歳だ。

「会社員とバンド活動を両立している青年がいるのですが、取材してきてもらえませんか?」と依頼を受けたとき、私の頭の中には「はてなマーク」が飛び交った。

似ている職種ならまだしも、一体どのように生活をコントロールしているのだろう?
頭がごちゃごちゃにならないのかな……?

そんな素朴な疑問は、彼の話を聞くうち、いつの間にか完全に消えていた。
あえて二足のわらじを履き続ける意味と、そうすることで得られるメリットが明確に分かってきたからだ。

文化系と体育会系
振り返ると子ども時代から
二足のわらじを履いていたのかもしれない

山口さんにどんな子どもだったのかを聞いたとき、開口一番出てきた言葉は「テレビっ子」だった。

山口さん:僕、本当にテレビが好きで。幼いころは自分の部屋にあったブラウン管テレビをずっと見ていた記憶があります。好きすぎて、自分もいつかテレビに出てみたいと思っていました。

そんな山口さんの姿を見て、母が悪知恵を働かせたエピソードも。

山口さん:「この試験に合格すれば大好きなバラエティー番組に出られるよ」と言われて受けた試験が、私立の小学校の試験だったんですよ(笑)初めて人に騙された経験ですね。

テレビの横に置かれたカメラと小物。
部屋の至るところからカルチャー好きがうかがえる

テレビを入り口にしてカルチャー全般に興味があった山口さん。小学5年生の時には、クラスの友人4人で毎月テーマを決め、月刊誌をつくっていたそう。

山口さん:一人5ページずつ担当して、それを編集長の友人に提出、集まったものを製本して教室に置いていました。いつも「今月どんな感じにする?」と話し合う時間は楽しかったですね。

その一方で小学4年生まではサッカー、小学5年生から中学3年生までは野球と、体育会系の活動にも熱心に取り組んでいた山口さん。

山口さん:上手くはなかったけど、どちらも好きでした。今考えてみれば当時から二足のわらじを履いていたのかもしれません。

中学時代に感じた人間関係の複雑さ。
漫画に救いを求め、その経験は
今にも生かされている

文化系と体育会系の活動を両立し、クラスのムードメーカー的存在だった山口さんだが、小学校の卒業間際に突然人間関係がこじれる経験をしたそう。

山口さん:特に理由はなくて、リーダー格の子の気分でいじめが回ってくるんです。卒業間際に僕に回ってきて、そのまま卒業してしまいました。でも、中学ではほかの小学校も統合になるので、なんとなくリセットされたというか。

しかしその後、山口さんをいじめていた彼が今度はいじめの標的となり、登校拒否に。家が近かったこともあり、先生に頼まれて山口さんが様子を伺いに行くと、「ありがとう……」と言われる始末。言語化できないモヤモヤが山口さんの心を覆った。

山口さん:必然的に人間関係について深く考えるようになりました。その時に僕を救ってくれたのは漫画で、人間の性というか本質というか、そういった部分を生々しく描いている作品を読み漁りました。

現在、バンド活動ではドラマーを務めながら、一部作詞も手がける山口さん。その当時の経験や感情が歌詞を書く上では役立っていると話す。

山口さん:経験できてよかったとは言えませんが、あの経験があったからいろんな角度で物事を見つめられるようになりました。経験していなかったら、もっと薄っぺらい歌詞しか書けていないんじゃないかな。

高校から始めたバンド活動
ゼロベースから自分たちで道をつくった

バンド活動は高校のクラスメート4人で開始。山口さんは音楽未経験者だったが、小学校の音楽会でドラムを担当したことをきっかけに、「いつかやりたい」とずっと興味を持っていたそう。
とはいえ何もかもが一からのスタート。演奏技術もイベント出演もすべて手探りで進めたという。

山口さん:演奏はYouTubeを見ながら独学で学びました。「ライブしたいんですけど、どうしたらいいですか?」って自分からライブハウスに連絡したり(笑)無知だからこそできることですよね。

少しずつイベントを組んでもらったり、オリジナルソングを制作したりしていたものの、際立った結果を得ることはできなかった。そんななか、メンバー間のモチベーションの差も生まれ始め、初めに組んだバンドは1年で解散。

高校2年生で新たに組み直した3人のメンバーが、現在活動する「Re:name」だ。
メンバーが皆、同じモチベーションでバンド活動に打ち込み、「Re:name」はメキメキと成長。高校生バンドとしてはかなり注目される存在になったという。

山口さん:さまざまな大会で優勝したり、決勝に進んだり。ファンも増えて我ながら注目されているという実感はすごくありました。オリジナル曲も高校時代に10曲は作りましたね。

しかし、全員が大学進学を希望していたこともあり、再結成を誓って高校3年の夏に一旦活動を休止。受験勉強に励んだ。

内省の日々の中で
自分のやりたいことが明確になった大学時代

大学は商学部へと進んだ山口さん。バンド活動の中でイベントの企画やマネジメントの役割もこなしていたことから、もっと深く学びたいと思ったそう。
活動休止していた「Re:name」も大学入学後に再結成。新たなスタートを切った。

勉学もバンド活動も順風満帆に思えた大学生活。しかし、日を追うごとに山口さんの心には説明できない苦しさが募っていったという。

山口さん:どうして苦しいのか、自分でも分かりませんでした。その気持ちとは反対にファンの方や周りの友人からは「楽しそうでいいね」とか、「バンドがあるから就活しなくてもいいね、羨ましい」と言われることもあって、すごく辛かったです。

苦しさの原因を考えれば考えるほど辛くなり、「バンドを辞める」という究極の選択も頭をよぎったが、そのタイミングで就職活動とコロナ禍が重なったこともあり、「自分と向き合う」ということから逃げられなかった山口さん。少しずつ苦しさの原因が見えてきたそう。

山口さん:高校時代は僕が作詞することもあったのですが、大学に入ってから作詞はほとんどボーカルがやっていました。というのも、僕は基本的に日本語で作詞しますが、ボーカルは英詞が多く、歌うのも英語の方がイキイキしているように見えて、知らず知らずのうちに遠慮するようになってしまったんだと思います。

歌詞を考える上で読書は常に欠かさない。
いい言葉、表現をいつも探しているという

内省の日々のなか、歌詞を書くことが大好きなんだと気づいた山口さん。ドラムと作詞の両立を取り戻すことで、苦しい日々から解放された。

就職しない選択は考えなかった
居場所が2つあることでお互いに回復し合える

子ども時代は文化系の活動と体育会系の活動、バンド内ではドラムに作詞と、常に二足のわらじを履いてきた山口さんは、「就職しない」という選択肢を考えることはなかった。

山口さん:バンドの活動を続けながら働ける場所を探すなかで、今働く会社と出会いました。バンドとの両立はむずかしいと言われる企業が多いなか、説明会で「バンドいいじゃん!自分の好きなことと両立している社員が多いよ」と言ってもらえて、ここだ!と。

平日は8時間会社員として過ごし、隙間時間にバンドの練習、そして休日はライブに駆け回る生活。2つの世界を行き来することで、持ちつ持たれつ、彼のメンタルは健康な状態を維持できているという。

山口さん:仕事でミスをすることもバンドでミスをすることももちろんあって、すごく落ち込むんですが、違う世界にいくことでその感情がリセットできるんです。ネガティブな方には絶対沈んでいかない。お互いに回復しあっている感覚です。僕にとってはいつも2つの居場所を持っていることが大事。今後もこのスタイルを変えることはないですね。

編集部のまとめ

一見すると共通点のないようなことでも、世の中にあるものごとは、すべてどこかで繋がっている。

きっと、通販の会社での仕事も、音楽を作るという活動も、熱い想いを持ったものを世の中に出すという点では同じこと。

2つの世界を知っている山口さんにしかできない仕事や音楽が必ずある。
目の前のものごとから少し枠をずらして、違う世界に片足を入れてみることで、唯一無二の感性が育まれていくのかもしれない。

STAFF
photo / text : Nana Nose