あれからの、わたしたち

#002[2026/04.15]

あれからの、わたしたち

理想との距離を、少しずつうめていく。
溺れていたわたしが見つけた、確かな呼吸のしかた

山本花純さんKasumi Yamamoto

「今は、アーティスティックスイミングしているみたいに、笑顔でバタ足してる感じです」

大阪の街角。2025年にオープンした、建築設計事務所「KURU」が営むショップ兼ギャラリー「KURUTO」。その立ち上げ責任者として店内に立つ山本花純(やまもと・かすみ)さんは、そう言って笑った。

2年前、同じ事務所の企画職として3年目を迎えていた彼女にインタビューしたとき、彼女は自らの仕事をこう表現していた。 「水の中にいて、溺れているのか進んでいるのか分からない毎日」だと。

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あれから2年。計5年の歳月を、同じ組織で積み重ね、彼女はいま、自らリスクを背負い、場所を動かす「運営」という新しいステージに立っている。水面に顔を出し、呼吸を整え、自分の意志で進む方向を決めた彼女の、その後の物語を聞いた。

「無責任」の違和感を、
一歩踏み出すエネルギーに変えて

現在、山本さんが注力している「KURUTO」は、彼女が勤める設計事務所が自社で運営する拠点だ。事務所のすぐ隣という立地を活かし、設計の仕事で関わった作り手のプロダクトや、山本さん自身が、お客さまに心から薦めたいと選んだ商品の数々が並ぶ。

長く続けてきた「企画」の仕事は、未来への妄想をかたちにする楽しさがある一方で、キャリアを重ねるほどに、どこか実体のないもどかしさをはらんでいたという。

山本さん: 「こういう状況になればおもしろい」という提案はできるけれど、実際の運営はクライアントに委ねることになる。その後の責任が持てないことに、どこかもどかしさを感じていたんです。だから、クライアントさんと同じ土俵に立って企画をできるようになるためにも、「自分で運営できる場所を持ちたい」と、ずっと会社に伝えていました。

彼女のこの「現場を知りたい」という思いは徹底している。実は設計事務所の仕事のかたわら、副業として、カレースナックでのアルバイトを続けてきた。

山本さん: 飲食店の方々がクライアントになることも多いのですが、その立場の人たちの気持ちや、現場の空気感が分からないと、必要なものは分からないし、いいものはつくれない。「分からないことを想像で埋めるのではなく、体感する」というのが、私の仕事のやり方なのだと思います。かなり効率は悪いと思いますが(笑)

「運営をやらせてもらえないなら、会社を辞めます」とまで社長に直談判したこともあったそう。その強い意志が実を結んだのは、偶然にも会社の隣の物件が空いたときだった。「もう、ここしかない」と、自社運営のプロジェクトが動き出した。

山本さん: コンセプトづくりから、何を売るか、どう選ぶか……本当に何もない状態からひとつずつ決めていきました。今は日々の運営に追われていっぱいいっぱいですが、自分がやりたいと言い続けてきたことなので、必死にがんばっています。

「KURUTO」のコンセプトは、「つくる人の思いを伝えること」、そして「新しい価値観に気づくきっかけになること」。

セレクトされる商品は、ただの生活雑貨ではない。たとえば、夜に心を静めるために一杯飲むジン。それがあることで、誰かが自分をご機嫌にする時間を持てるかもしれない。そんな「誰かの人生が少しだけ心地よくなるきっかけ」を、手渡していく。

会社としての挑戦でありながら、山本さん自身のテーマでもあるという「ご機嫌な生活の提案」を丸ごと包括したその場所は、今、何ものにも代えがたい「表現のステージ」となっている。

ライフステージが変わって
一度仕事を離れても、
戻れる成果を出したい

話を聞いていると、順風満帆に見えるキャリアステップだが、その裏側には、20代後半特有のヒリつくような「焦り」が常にあったそう。

山本さん: 仲のよい友達には、高卒でアパレルに入って10年目くらいの子が多いんです。店長になっていたり、自分のブランドを任されていたり。そんな彼女たちと自分を比べて、何も形にできていない自分にずっと暗中模索していました。もし将来、結婚や出産で一度現場を離れることになっても、戻ってこられるだけの成果を28歳ごろまでには持っておきたい。そんなタイムリミットのような感覚が、ずっとありました。

特に、SNSを開けば同世代が華やかに活躍する姿が嫌でも目に入る。画面越しに見えるのは、泥臭いプロセスを削ぎ落とした「成功の瞬間」ばかりだ。

山本さん: SNSで見えるのは、みんなが必死にがんばって形にした結果の部分だけ。それを見ては、尊敬と同時に「自分はそこまで必死になれているかな」と、自分を追い詰めてしまうこともあった。その裏側にある悩みや苦労が見えないから、余計に自分だけが停滞しているような気がして。

でも今、自分の裁量で動かせるKURUTOというステージを持ったことで、その霧は少しずつ晴れつつある。未来の妄想を語るだけでなく、目の前のお客さんの反応がダイレクトに返ってくる日々。「やると決めて動けば、意外と人や物が集まってくる」。その確かな手応えが、一歩ずつ、確実に前へと進ませている。

「雑なわたし」を
笑って受け入れられるようになった

プライベートでも、この2年は大きな転換期だったと教えてくれた。東京と大阪に分かれて、2年半に及ぶ遠距離恋愛をしてきたパートナーとの新しい生活を始めたという。

山本さん: 去年の12月に彼が大阪に戻ってきて、一緒に住み始めました。実は、来月結婚することになったんです。

「人と住むことにはまだ慣れなくて」と照れくさそうに笑う山本さん。完璧主義で、人前では常に「丁寧」であろうとしてきた彼女だが、共同生活の中で、思わぬ自分と出会うことにもなったそう。

山本さん: わたし、見た目は丁寧そうに見られるんですけど、実はすごく雑なんです。一緒に住み始めて、彼に「思った倍、雑だね」って言われました(笑)。遠距離のときは見せなくてよかった部分まで、全部さらけ出さなきゃいけない。でも、お互いにひとりの時間を大切にできるリズムが見つかって、今はすごくすこやかです。

丁寧な自分という鎧を脱ぎ捨て、「雑なわたし」を笑って受け入れられるようになったこと。それは、彼女が「自分自身の生活」の運営をも、自分らしく司れるようになった証なのかもしれない。

突飛な活躍はできないから、
がんばり続ける

今、山本さんの目には新しい夢が映っている。ホスピタリティ溢れるパートナーとともに、いつか「宿泊と物販が組み合わさった場所」をつくること。それは数年前から二人で温めてきた、大切な未来の種だ。けれど、まずは今の場所で、この「運営」という荒波を乗りこなすことに全力を注ぎたいと考えていると話す。

山本さん: 運営を経験したあとで、また企画の仕事に戻ったら、数年前とは全然違う提案ができると思うんです。現場での苦労も喜びも知った今なら、もっと責任を持って、クライアントさんに寄り添えるはず。この場所で得た繋がりや知識を武器に、また新しい景色を作っていきたいと思っています。

2年前、水の中で溺れているようだと語っていた彼女は、今もまだ、穏やかな水面を優雅に泳いでいるわけではない。むしろ、かつてよりもずっと重い責任を引き受け、沈まないように必死で足を動かし続けている。

山本さん: 理想がここにあって、自分はそこから遠い場所にいて。その差が苦しいからがんばる。そうやって少しずつ差を縮めていくことでしか、わたしは進めないんだなと分かってきたんです。

あとがき

「急に突飛な活躍をするタイプではない」と自らを分析する山本さん。
けれど、2年前のインタビューで語っていた「一歩前進できそうな予感」は、今、確かな手応えへと変わっている。

周りがどうかではなくて、自分がどういう人間なのか。どうがんばれば、少しだけ息継ぎをしやすくなるのか。この2年間、もがきながらも歩き続けた時間は、彼女にその「コツ」を教えてくれたのかもしれない。

少しずつしか前には進めなくても、きっと大丈夫。 そう自分に言えるだけの自信と誇りのようなものが、彼女の表情にあらわれていた。

STAFF
photo / text : Nana Nose