「今、めちゃくちゃすこやかです。自分にとってのヘルシーなバランスを見つけられた気がします」
京都の閑静な住宅街。古い家並みに溶け込むように暮らす齊藤里莉子さんは、そう言って屈託のない笑顔を見せた。
2年と少し前、大阪の街で出会った彼女は24歳だった。「周りに対しても自分に対しても、多様であることを受け入れたい」と語り、デザイン事務所と宿泊施設での仕事を掛け持つ、いわゆる「二足のわらじ」の生活を送り始めたばかりだった。
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当時の彼女は、新しい働き方に納得しつつも、どこか「理想の自分」に向かって背伸びをしているような、みずみずしくも危うい美しさがあったように思う。
あれから3年。彼女が辿ってきたのは、その「多様さ」の中に、自分を決して見失わないための「重心」を見つけ出す日々だった。
理想の裏側にあった、
自立へのジレンマ
3年前、希望を持って門を叩いたデザイン事務所。けれど、現実は甘くなかった。
齊藤さん:実は、前回の記事が出る直前に事務所を辞めちゃったんです。人間関係がいちばん大事なのに、どうしてもそこが噛み合わなくて。

そこから彼女は、イラストの仕事をフリーで請け負いつつ、以前から続けていた宿泊施設でのアルバイトを継続する。 「多様な働き方」は、彼女にとって生きやすさの鍵だったはずだ。
けれど、実家暮らしを続けながら自由に働く生活の中で、ある違和感が募っていったと話す。
齊藤さん:この生活が成り立っているのは、実家という担保があるからだって、本当は気づいてた。気づかないふりをして甘えていた自分に対して、どこかずっと後ろめたさがあったんです。親からも「好きなことをするなら自立しなさい」と言われていて。正社員ではない自由な働き方をしている自分が、このまま家族に甘え続けていいのか。そんなジレンマが、常に心の片隅にありました。
そこに追い打ちをかけたのが、大切にしていた対人関係の中で起きた、予期せぬトラブルだった。
齊藤さん:よかれと思ってサポートしていた友人との関係が、思わぬ方向に歪んでしまって……。最終的には誰も信じられなくなるほど心がボロボロになりました。大好きだったはずの居場所が、嘘をつかなければ居られない場所に変わってしまった。もう、ここではない場所に行かないと心が死ぬ。そう直感して、大阪で続けていた宿泊施設での仕事にも距離を置き、逃げるように京都への移住を決めたんです。

「自立」なんてかっこいい動機ではなかった。ただ、自分を上書きしなければ壊れてしまう。そんな切実な思いで、彼女は住み慣れた大阪を離れた。
やりたいことと、
お金を稼ぐことがつながらなかった
移住先に京都を選んだのは、20代前半のころから、街の雰囲気にあこがれていたからだという。次にひとり暮らしをするならこの街がいいと、自然に思っていたそう。
しかし、そんな新生活は、決して優雅なものではなかった。 引っ越し直後、頼りにしていた継続的なイラストの仕事の予算が削られ、収入が激減。「せっかく引っ越したのに、家賃を払い続けることができるのか」。そんな不安が頭をよぎった。
齊藤さん:実家に帰るという選択肢もありました。でも、ここで帰ってしまったら、一生変われない気がした。短期バイトをいくつも掛け持ちして、なんとかやりくりしました。でもある夜、糸がプツンと切れて、シェアハウスのリビングでルームメイトの前で大泣きしてしまいました。「やりたいことがあるのに、生活ができない。どうしたらいいかわからない」って。

家族という担保を失い、初めてむき出しの社会に放り出された20代後半。 そのどん底で彼女を救ったのは、シェアハウスでの新しい人間関係だった。
人間不信のトラウマを抱えながらも、あえてひとり暮らしではなく、シェアハウスという他人の気配を感じる場所を選んでいるのが不思議だったが、彼女はその理由をこう語る。
齊藤さん:また傷つくのが怖くて、引っ越す前はドキドキでした。でも、もともとは人が好きなんです。人を嫌になったままの自分を、誰かとのすこやかな関係で上書きしたかった。ルームメイトたちがわたしと同じように悩みながらも前に進もうとする姿を見て、少しずつ心が解けていきました。絶望した原因も人間関係だったけれど、救ってくれたのもまた、人だったんですよね。
自分の感性を守れる場所を最優先する、
ヘルシーな生き方
そんな日々に転機が訪れたのは、意外にも泣き腫らした夜の数日後。
愛着はあったけれど、「ここにい続けたら自分の心が壊れてしまう」という思いで、一度逃げるようにして離れた大阪。そこで続けていた宿泊施設から連絡が届いたのだ。現場を任せる「リーダー」としての役割を担ってくれないかという打診だった。
齊藤さん:つらい思い出のある大阪で働くことには少しの怖さもあったけれど、それ以上に、その場所での仕事が私は好きだったし、家族のような大切な人たちがいる場所でもあったんです。新たな気持ちで、もう一度戻ってみようと思いました。

今の彼女は、月の半分を宿泊施設の運営に注ぎ、残りの半分でイラストを描く生活を送っている。
3年前も「二足のわらじ」を履いていたけれど、当時はまだ、未知の世界に飛び込み、自分の可能性を必死に広げようとする「挑戦」の真っ只中にいたように思う。今の彼女にとってこのスタイルは、自分自身のすこやかさを維持するための「戦略的で、やさしい選択」へと進化していた。
齊藤さん:自分をすり減らさず、信頼できる人たちのために働く場所がある。その経済的・精神的な安心感があるからこそ、イラストという表現も、純粋に楽しみながら描き続けられるんです。どちらがメインでどちらがサブかという境目もあまり重要ではなくて。自分の感性を守れる場所を最優先したからこそ、このヘルシーなバランスに辿り着けたんだと思います。

また、自立という険しい道を選んだことで、家族との関係も以前よりずっと良好になったという。
齊藤さん:実家にいたころは、母の言葉を重荷に感じて反発してしまうこともありました。でも離れてみて、母が言っていた「甘えないでほしい」という言葉が、私を一人前の大人として送り出すための愛情だったんだと、納得できる。たまに帰省すると、母も弟も喜んでくれる。ちょうどいい距離感が必要だったんだと思います。

今の彼女には、自分で選び取った「居場所」がある。
シェアハウスの自分の部屋で、好きな藤井風の曲を聴き、ヨガをして、自分自身と会話する。ひとりでスーパーへ行き、旬の野菜や道端の花に季節を感じる。そんな些細な日常の営みが、彼女に自信を与えているような気がした。
なにかがくずれても、
また自分軸に戻ってこれる

今、改めてこれからの目標を尋ねると、すがすがしい顔でこんな答えが返ってきた。
齊藤さん:究極、やりたいことはないんです。ただ、今日という日を心地よくすることだけに努めたい。なにかがくずれても、また自分軸に戻ってこれる。人生はその繰り返しを成長として楽しむゲームなんだって。そう思えるようになったことが、この3年間の最大の収穫かもしれません。

