#015 [2024/03.15]

わたしたちの、このごろ

溺れているのか進んでいるのか分からない日々がずっと続いていたけれど、
今、やっと一歩前に進めそうな気がしています

山本花純さんKasumi Yamamoto

こう語るのは、現在、大阪府の建築設計事務所で企画職として働く山本花純さん、25歳だ。

今回彼女にインタビューをお願いしたのは、私の信頼する友人が「素敵な子がいるから」と太鼓判を押して紹介してくれたからだった。

実際に会って話を聞くうち、彼女の選ぶ美しい言葉からは思慮の深さがにじみ出ていて、「素敵な子」というその評判が、現実味を帯びて私の前にも迫ってきた。

ずっと自分の隣にあった
建築の仕事

山本さん:父が建築関係の仕事をしていることから、よく家にマンションの間取り図が置いてあったんです。なぜかそれを見るのがすごく好きで、小学生のころにはすでに将来は建築系の仕事に就きたいなと考えていました。

中学校に入学するタイミングで私立の女子校を受験した山本さん。その学校を選んだのも、大学で建築を学ぶことを見越してのことだった。

山本さん:進学した学校は大学に建築学科があったんですよ。最終的にそこに行けたらいいなとぼんやり思って受験しました。

彼女のなかにある軸は今とさほど変わらないものの、中学から高校にかけ、自分の性格を一変させたと話す山本さん。

ネガティブだった自分を変えたくて
ポジティブになる練習をし続けた

山本さん:実はもともと、とてもネガティブな性格で、そのうえ完璧主義でもあったので、急に起こるアクシデントにすごく弱かったんです。例えば小学生のとき、一生懸命仕上げた漢字ドリルを家に忘れてしまって学校で号泣したり(笑)。私に対して「明るい」とか「ポジティブ」というイメージは誰も持っていなかったと思います。

山本さんはそんな自分を変えようと、毎日日記をつけるようになったそう。

山本さんは幼いころから読書が大好き。
小学生のころは友人から「本の虫」と呼ばれるほどだったそう。

山本さん:その日あった出来事をめちゃくちゃポジティブに表現するんです。本当に些細なこと。今日は板書の字がきれいに書けたとか、一日晴れていたからハッピーとか。

少し行き過ぎなのでは?と思うくらいのポジティブな気持ちに意識的になることで、みるみる性格は変化していったと話す。

山本さん:いろんな人と交わるのもそんなに好きな方ではなかったのですが、だんだんたくさんの人とコミュニケーションをとることが好きになっていきました。変わろうと思ってちゃんと変われた、確信を持ってそう言える体験ですね。

その場所で誰がどんなふうに過ごして
どんな気持ちになるのかを
考えることが好きだと気づいた

その後、大学では小学生のときからの計画どおり、建築学科に進学。
当時イメージしていた建築の仕事は、建築家や大手メーカーの設計士だったが、大学で学びを深めるうち、考え方が多様化していったという。

センスのよいこだわりのインテリアが並ぶ、
日当たりのよいワンルームの部屋。

山本さん:大学一回生の時に出会った先生に「建築というのは裾野が広くて誰にでも自分にぴったりあう居場所がみつけられる」と言われました。初めはあまりピンと来なかったのですが、やっていくうちにその言葉の意味が分かるようになりました。

例えば建築専門の写真家やイラストレーターがいたり、建築の知識を持ちながら不動産の仕事をしている人もいたり。デザインが苦手なら計算や構造系の分野もあるし、建築に軸足を置きながらさまざまな分野で活躍できるんだと気づきました。

その中でも山本さんが特におもしろさを感じたのは、建物を建てる前の段階である、コンセプト決めだったそう。

山本さん:例えばこの敷地に対し「◯人が住む家を建て、カフェも併設させてください」といった課題が出たとき、建物のディテールには正直あまり興味がなくて、いつもコンセプトを考える段階にすごく時間をかけていました。

建物そのものの形態より、その場所で誰がどんなふうに過ごしてどんな気持ちになるのかを考えることが好きだと気づいた山本さん。

山本さん:一度建物を建てたら、そこには住む人がいて、何十年もそこに残っていく。それを考えると、考えなしに建物を建てるのってすごく怖い。私は建築のハード面ではなく、ソフトを考える仕事がしたいと思うようになって、そういったことができる会社を選んで就活をし始めました。

就職して3年目、
やっと一歩前進できそうな気がしている

やりたいことができて自分の力を発揮できそうな就職先を考えていたとき、山本さんはある内装会社と出会い、「ここだ!」と心を決めたそう。熱い想いが伝わったのか、最終面接まで進んだタイミングで、「コロナの影響で今年は一人も採用できなくなった」という連絡がきたという。

山本さん:一社にしぼって告白するような気持ちで受けていたので、ショックは相当なものでした。人事の方から「絶対に採りたいと思っていた、ごめんなさい」と号泣しながら伝えられ、誰も悪くないよな……と。その日は母と深夜まで飲み明かし、たくさん泣きましたが、次の日からは「仕方ない!」と切り替えましたね。

ここでも、かつてのポジティブになる訓練が役に立ったのかもしれないと笑う山本さん。

また一からゆっくりと就職先を探し始めたとき、現在働く設計事務所と出会った。

山本さん:募集要項に「設計事務所の企画職」と書いてあるのを見て、「私がやりたいことだ!」とピンときました。ただそんなに大きな会社ではなくて、新卒を採るのも初めて。企画の部署ができたのも最近で、ノウハウは全くないという状況でした。

始めたての事業で取引先が少ないなか、山本さんはとにかくたくさん提案をしにいこうと決め、自ら企画書をつくり、さまざまな企業に提案しにいく日々を続けたという。

山本さん:例えば土地を持っている企業があって、でもそこで何をするかは決まっていない、街のためになることがしたいけど……という状況があったとき、「こういう企画をやってみるのはどうですか?」と持っていく。1000本ノックみたいな感じです(笑)。でも相談されているわけではないので、もちろんそんなには実らなくて。水の中にいて、溺れているのか進んでいるのか分からないような毎日でした。

そんな日々を続けること約3年。
少しずつではあるものの、やってきたことがかたちになり始めているそう。

山本さん:今、自分が企画して動いているプロジェクトがあって、それが成功したらやっと一歩前進できそうな気がしています。小さな成功体験を積み重ねながら、一歩ずつ前に進んでいけたらな、と思います。

編集部のまとめ

検索すれば大抵のことは答えが出てくる時代。
結果や正しい手法が明確でないことをやり続けるのは、とても勇気がいる。

しかし、なりたい自分の姿ややりたい仕事に対し、たとえ先行きが見えなくても独自の方法で、結果が出るまで挑戦し続ける山本さん。

分からないことに立ち向かい、自分の頭で考えて行動する、その繰り返しが、不確かな世の中を生き抜く力になるのだと思った。

STAFF
photo / text : Nana Nose