#008 [2023/12.12]

わたしたちの、このごろ

周りに対しても自分に対しても、
常に多様であることを
受け入れたいと思っています。

齋藤りり子さんRiriko Saito

こう語るのは、大阪府・布施にあるSEKAI HOTELでアルバイトをしながら、デザイン事務所に所属し、駆け出しのデザイナーとして奮闘する齋藤りり子さん、24歳だ。

週に半分ずつ、ホテルとデザイン事務所で働くというライフスタイルを確立したのは約半年前。短期間でありながら、彼女が今の生活に心から納得しているということが、いきいきとした笑顔から伝わってくるのと同時に、どこか安堵感のようなものも感じ取れた。

話を聞けば、このライフスタイルを掴み取るまで、長く暗いトンネルを必死に歩いてきていたことが分かってきた。

ずっと不安だった幼少期。
自分のやりたいことを
考えないようにしていた

齋藤さんの人生を紐解こうと「どんな子ども時代でしたか?」と質問をしたとき、彼女の表情が少し曇るのが分かった。

齋藤さん実は幼少期のころの記憶があまりないんです。というのも7歳の時、父が事故で突然亡くなってしまい、生活が一変しました。幼いながらに毎日が不安でいっぱい。3人兄弟の長女だったこともあり、母を困らせないようにとお金のかかることは遠慮していたような気がします。やりたいことを初めから考えないようにしていたのかもしれません。

学校内では、極力親の話題にふれないように過ごし、「かわいそうな子」と思われないよう、辛い気持ちを押し殺してできるだけ明るく振舞っていたそう。

そんな生活に光が差し始めたのは、高校生になってからだった。

自分の意見を主張しないと
生きていけない高校生活。
少しずつ自分の人生に
フォーカスを当てていく

齋藤さん:中学生になるころには、家族全体として父のいない生活への不安が徐々に解消されつつあって、もう少し自分の人生にフォーカスを当ててみてもいいかな?と。

小さいころから世界地図を見るのが好きで、海外に行ってみたいという思いを秘めていた齋藤さんは、母が進めてくれた留学制度のある高校へ進学。それが自分の人生を生きる初めの一歩だったと振り返る。

最近読んでよかった本。オードリーの若林さんが好きなんだとか。

齋藤さん:入学すると「海外で活躍したい」という高い志を持った人が周りにたくさんいて、自分の意見をみんな主張する。逆に主張しないと生きていけないというか(笑)。そんな環境にいながら、私も自然と自分の意思を周りに伝えられるようになりました。そこから父のことも話せるようになった気がします。

また、1年間海外へ留学に行ったことがきっかけとなり、「海外ばかりに目が向いていたけれど、日本のことを全然知らない。もっと学びたい」という新しい志ができたそう。

地域のブランディングに携わる
仕事がしたい!
しかし、夢破れた社会人生活

大学時代は、「日本のことを学びたい」という想いをかなえるため、長期休暇を使って日本全国を転々としながら、白川郷の喫茶店や福島のワイナリーで働いたりと、地方に根付く文化を実際に体験しながら学ぶ生活を送ったという。

齋藤さん:だんだん観光業や地域ブランディングの文脈に興味が湧いてきて、今まで学んできたことを掛け合わせながら、そういったことに携われる仕事を考えたとき、関西空港の運営の仕事に就きたいと思い始めました。

しかし、時代は奇しくもコロナ禍に突入。関西空港の採用試験は途中で止まってしまった。そんなとき知人に「地域ブランディングや国際系をもっと広くみる方法として、ITの分野だと地方自治体や海外に関われることもあるよ」と言われ、「とにかく就職しなきゃ」という焦りが募っていくなかで思い切って方向転換。
その選択に自分が納得しているのかも分からないまま、流れで決まったIT企業に就職することを決めた。

緑地公園。ここでお散歩をするのが日課だそう。

齋藤さん:やっとできた選択肢だったので、腑に落ちているはずだと思い込ませていた気がします。今となっては、そんなに焦って就職しなくても良かったな……と。そのあとが本当に苦しかったですから。

就職後、「あれ?思っていたのと違うかも?」という違和感に少しずつ気づき始めた齋藤さん。働く意味ややりたいことなど、自分の価値観とは全く違う人ばかりで、心を通わせることがどうしても出来なかったという。また、配属先は関東。苦しい時期に慣れない土地でひとり暮らしという状況が彼女をさらに追い詰めた。

齋藤さん:就職したばかりで、ホワイト企業だったこともあり、「これでいいはず」と自分に言い聞かせるように過ごしていました。でも、10ヵ月が経ち、とうとういっぱいいっぱいになったとき、大学時代に地方で出会った友人が相談に乗ってくれて、「きっと心のインフルエンザになっちゃったんだよ。家に帰ったほうがいい。」と言ってくれました。その言葉に背中を押され、休職することを決め、実家へ帰りました。

キャリアブレイクという選択肢。
久しぶりに生き返る。
そしてまた歩き始めた

実家へ戻り、4ヵ月間の休職をした齋藤さん。その間、キャリアを見つめ直す小休止期間「キャリアブレイク」という言葉を提唱した北野貴大さんと出会い、彼女の心は軽くなったという。

齋藤さん:休職を決めて、自信も喪失していたのですが、北野さんに出会い、久しぶりに生き返った感覚になりました。自分と同じ悩みを持っている人に出会えて、なんでも話せる。疎外感が全くないんです。こんな選択肢もアリなんだ!って。次にやることが明確に決まっていなくても、休んでいる間に色々なことをして自分を見つめ直す期間。自分もそうしようと、思い切って会社を退職しました。

緑地公園では季節の花がかわるがわる見れるそう。
この日はコスモスが満開でした。

その後、デザイナーとして地域のブランディングに携わってみたいという思いで、デザインの専門学校へ半年間通い、時間をかけて自信を取り戻していったという。そして今年、晴れてデザイナーとしての一歩を踏み出した齋藤さん。今はとても充実した暮らしを送れているそう。

専門学校に通っていたとき、練習で描いていたというイラスト。

齋藤さん:デザイナーという狭き門は、未経験でフルタイムで働くのはむずかしいです。まずはアシスタントという立ち位置で経験を積み、いろいろな知見をつけたいと思っています。アルバイト先のホテルも大好きですし、「デザイナーとしてフルタイムにこだわらなくてもいいや!」と、以前より視野が広くなって生きやすくなりました。「こうでなきゃ!」ではなくて、自分に対しても周りに対しても、常に多様であることを受け入れたいと思っています


編集部のまとめ

大学を卒業したら就職する当たり前、就職したら年々キャリアアップして年収が上がっていく当たり前、30歳手前になると結婚する当たり前……。

時代の流れとともに当たり前の中身に変化はあるものの、多かれ少なかれ私たちは誰かが決めた当たり前を基準に自分の暮らしを見つめてしまう。しかし、その当たり前は自分の「しあわせ」にとって本当に必要なものだろうか?
齋藤さんの歩んできた人生は、私にそんな問いを投げかけてくれた。誰かやなにかと比べて疎外感を感じたときは、その比較対象が固定概念に縛られたものではないかを考えてみてほしい。もしそうなら、それは悩む必要のないことなのかもしれない。

自分らしさは、分かりやすい肩書きやしあわせではなく、その裏にあるもっと分かりにくい部分に溢れているものなのだから。

STAFF
photo / text : Nana Nose