現在、ニュージーランドのウェリントンで暮らす折田真吾さん、33歳。
食品会社で営業を担当し、日本の食材を現地へ届けている。今は永住権取得を目指すために会社に所属しているが、その先に見据えているのは、コーヒーを軸にした自分の店を持つことだ。
これまで数年間を過ごしたオーストラリアでは、コーヒー文化を学びながら、自らが「本当においしい」と感じるコーヒーを広めるための活動をインディペンデントに続けてきた。
教師を目指していた大学時代。青年海外協力隊として過ごしたエチオピア。エネルギー会社での営業職。そして、内定も家の契約も手放して飛び込んだオーストラリアから、現在暮らすニュージーランドへ。
日本を離れ、世界を渡り歩きながら、自分なりの豊かさや働き方を探し続けてきた折田さん。その歩みについて話を聞いた。
先生になる前に、もっと世界を見たかった
学生時代、折田さんの生活の中心にはいつもサッカーがあった。
折田さん:プロになるのはむずかしいと思っていましたが、スポーツに関わって生きていけたらと思い、大学時代には体育教師になることを志していました。
教育実習などを経験し、教師という仕事のおもしろさも、やりがいも感じた。それでも、卒業後すぐに教壇に立つことには、少しの引っかかりがあったのだそう。
折田さん:それまでの人生は、学校とサッカーを通して関わってきた世界しか知らなくて。それ以外の社会のことを知らないまま、いきなり教える立場になることには違和感がありました。
自分自身の経験が増えれば、将来、子どもたちに伝えられることもきっと増える。そんなときに出会ったのが、青年海外協力隊だった。
折田さん:学校教育にもつながると思いましたし、教員採用試験でも評価されることがある。そういう現実的な利点もあって、思い切って行ってみようと思いました。
当たり前が覆ることの連続だった、
エチオピア生活
2016年10月、青年海外協力隊として、エチオピアへ渡った折田さん。
配属先は、市役所の中にあるスポーツ課のような部署。地域のサッカーチームに関わり、コーチとして選手を集め、練習をし、大会に出る。学校を巡回して体育指導をすることもあった。
折田さん:自分の得意なスポーツを通して、なにか力になれることがあるといいなと思っていたので、当初想定していた活動はできたと思います。サッカーを教えていた子のなかには、大きな都市のアカデミーに進み、プロになった子もいて。自分が現地で関わった子たちが、夢を持って今もがんばってくれていることは、本当にうれしいです。

一方で、エチオピアでの生活は、それまでの「当たり前」が音を立てて覆る日々の連続でもあった。
折田さん:ガスはない。電気は通っているものの、停電は日常茶飯事。何よりも困ったのは、水がないことでした。しょっちゅう断水が起こるんですよ。1日目はまだ大丈夫。でも2日目、3日目になると、飲み水すらなくなってきて……
現地では、大きなタンクに水をため、10日ほど断水しても生活できるように備えることが当たり前。水が出ないなら、今日はシャワーを我慢する。電気がつかないなら、予定を少し変更する。最初は戸惑っていた折田さんも、次第にその環境にからだを合わせていった。
折田さん:環境に適応する能力や、何もないなかでサバイブしていくための野生的な感覚は、この時にすごく鍛えられたと思います。
インフラを整えることで、
より多くの人を助けたかった
エチオピア生活での気づきは、帰国後の進路に大きな変化をもたらした。
もともとは「教師になる前の経験」として参加したはずだったが、現地のきびしい現実にふれるうち、教育だけでは届かない領域があることに気づく。
折田さん:学校教育で自分が関われるのは、主に自分の受け持つクラスや地域の子どもたちです。それはそれで尊いけれど、もっと幅広い人たちの命や生活に直結する関わり方はないのかと考えるようになりました。
生活インフラが整っていないために、学校にすら行けない子どもたち。サッカーをしたくても、その時間や環境自体を奪われている現実を、目の前で数多く見てきた。
折田さん:学校に来られる子には教育でアプローチできても、そもそもそこに来られない子たちには届かない。インフラを整えることは、一見遠回りに見えて、子どもたちに教育や好きなことに向かう「時間と安心」を生み出すベースになると思ったんです。

帰国後、その想いを胸に、東京に拠点を構えるエネルギー供給会社へ入社。
しかし、配属されたのは、石油事業の営業職。国内の顧客に向けて石油を販売する仕事だった。
折田さん:数字を追うことや、どうしたら売れるのかをマーケティング視点で考えること自体はおもしろかったです。でも、自分が本当にやりたかった「インフラを未整備の地に整えて、困った人の生活の基盤をつくる」という手応えとは、どうしても距離があって……
会社員として大切な役割を果たしている自負はありつつも、折田さんの中では「だれの役に立っているのか」という手応えがつかみにくかったそう。さらにコロナ禍が重なり、閉ざされた空間で数字だけに追われるなか、ふと前を見る。
折田さん:先輩を見て、5年後、10年後の自分が想像できたんです。そのときに、「自分の人生はこれじゃない」と思いました。安定した会社だったし、一般的に見れば、辞める理由はなかったのかもしれない。それでも、その場所に居続ける自分を、どうしても受け入れられませんでした。
「お前、それでええの?」
友人のひとことが変えた進路
モヤモヤを抱えたまま、次に進めばなにかが変わるかもしれないと、全く違う業界であるIT企業への転職活動を進めた。
内定が決まり、新しい家を契約する直前。あとは書類に判を押すだけ。人生の新しい「会社員としてのレール」が敷かれようとしていたとき、大学時代の友人にかけられたひとことが、彼の足を止めた。
折田さん:「お前、それでええの?」って言われて。最初は「納得してるよ」と言っていたけど、話しているうちにどんどん違和感が募ってきて。業界を変えて、会社を変えても、結局は大きな組織の看板を借りて生きることに変わりはない。時間がたてば、また同じ理由で「自分の人生はこれじゃない」と悩む姿が透けて見えました。
「もう、だれかの敷いたレールの上を歩くのはやめよう」
その場で不動産の契約をストップし、内定も辞退。退路を断った彼の脳裏に、ひとつの選択肢が浮かび上がる。それが「コーヒー」だった。

折田さん:突拍子もない思いつきに見えるかもしれませんが、昔から珈琲が好きで、老後は喫茶店を持てたらいいなと考えていたんです。老後にやりたいと思っていることなら、別に今から準備してもいいんじゃないか、と。
挑戦して無理だったら、また戻ればいい。そんな思いで、珈琲文化が日常に深く根付くオーストラリアへのワーキングホリデーを決意。出国までの半年ほどは、日本のコーヒーショップで働きながら、コーヒーや焙煎の基礎、接客を学んだ。
自分が心からいいと思うものを信じたい
オーストラリアでの仕事探しは簡単ではなかった。最初の1ヶ月で、90件ほどのお店を回り、ようやくカフェで働きはじめ、生活費を稼ぎながら、現地のコーヒー文化を学んだという。
そのかたわら、折田さんにはもうひとつ挑戦していたことがあった。
日本での修業時代に惚れ込んだ焙煎所のコーヒー豆をオーストラリアへ持ち込み、現地の人々を集めてプライベートなテイスティングイベントを定期的に開催することだ。将来、自分の店を持つなら必ず扱いたいと心に決めている豆だった。

折田さん:オーストラリアではフルーティーな浅煎りのコーヒーが主流ですが、その豆は、しっかりと深みのある深煎りなんです。自分が信じる味が、海外のカルチャーの中でどう受け取られるのか、確かめたかった。
実際に試飲してもらうと、興味深い反応が返ってきた。
折田さん:コーヒー通の人たちよりも、むしろ「ふだんは苦くてコーヒーが苦手」という人たちが、「これならおいしく飲める」と喜んでくれたんです。そのとき、ハッとしました。
流行りの浅煎りだからいい、有名な希少豆だからいい。そうした業界の評価やトレンドに縛られる必要はない。目の前の人が、自分の味覚で「本当においしい」と感じる感覚こそがすべてなのだ、と。
折田さん:世間の評価や組織のトレンドに無理に合わせる必要はない。自分が心からいいと信じるものを、自分の手で提供する。その感覚が、将来自分の店を持つときの絶対的な軸になりました。
自分の手の届く範囲の人を
コーヒーでしあわせにしたい
オーストラリアでの暮らしが長くなるにつれ、折田さんのなかには「今後日本に戻ったとしても、いつでもまた海外で暮らしたり働いたりできる選択肢を持っていたい」という思いが強くなっていったという。
当初はオーストラリアでの永住権取得を考えていたが、制度的なハードルは高かった。そこで昨年秋、新たな挑戦の場として選んだのがニュージーランドだった。

現在はウェリントンの日系食品会社で働きながら、営業や仕入れを担当し、日本の食材を現地へ届ける日々。週末にはカフェに立ち、コーヒーを淹れることもあるそうだ。
一見すると、また会社員に戻ったようにも見えるが、今の折田さんのマインドは、かつて大企業で数字を追っていたころとはまったく違う。
折田さん:今は、海外で生きる選択肢を手に入れるために、会社に所属しています。将来、自分の店を持つ場所はまだ分かりませんが、どこでお店を持つにしても、今ここで現地の商習慣を学ぶことは、自分が目指す未来のための、すごく前向きなステップだと思っています。

海外生活のなかで、かつて「社会のインフラを変えたい」と願っていた価値観も、変化してきたという。
折田さん:以前は、大きな組織を動かして、たくさんの人の役に立ちたいと思っていました。でも、海外で身近なコミュニティを大切にする人たちにふれるなかで、考え方が変わって。社会を大きく変えることはできなくても、自分の手の届く範囲なら、人をしあわせにすることはできる。自分が淹れた一杯のコーヒーで目の前の人が笑顔になる。そんな小さな積み重ねもまた、社会をよくするひとつのかたちだと信じて、今後も精進していこうと思います。

