現在、図書館の司書として働きながら、ウェブメディアの外部ライター、そして写真家としても活動する大西文香さん。
週の半分以上は司書として働き、週に1日は飲食店でアルバイト。その合間にカメラを手に取り、日々の生活や、そこに流れる時間をファインダー越しに追い続けている。
めまぐるしく動き回る生き方の根っこには「自分が心地いいと思える場所に身をおく」という、シンプルな思いがあるという。
「以前は、特別な生き方をしている人が正解だと思い込んでいたんです。でも、今のわたしにとっては、目の前にある日常や、飾らない暮らしの風景がいちばんいとおしい」
そう語る大西さんの言葉の裏には、20代特有の「何者かにならなければいけない」という焦りと葛藤、それらを削ぎ落とすプロセス、 そして写真を撮ることで見つけてきた大切な気づきがあった。
会社員として組織で生きることが
すべてではない。
固定観念がくずれた、京都での時間
大西さんが「生き方」について自覚的になった原点は、大学卒業後に就職した神戸のウェディングプランナー時代にある。
大学では日本語日本文学科で学び、海外の人に日本語を教えるゼミに所属。並行して学芸員と司書の資格も取得した。しかし、就職活動では「みんなが笑顔で楽しそう」という直感で、ブライダル業界へ飛び込んだ。
大西さん:結婚式という晴れの舞台はすごく好きでしたし、仕事を通して充実した日々を送っていました。でも、土日休みではないので学生時代の友だちと予定が合わなくなって。自然と、休日にひとりで行動することが増えていきました。
そんな時、本屋で手にした地域情報誌の京都特集に出会う。昔から歴史や古い町並みが大好きだった大西さんは、吸いよせられるようにひとりで京都へ通い詰めるようになった。
同時に、このころから自分の「好き」を記録するためにカメラを本格的に扱い始めたという。

大西さん:京都のカフェで、お店を営む人やものづくりをしている人と偶然おしゃべりする機会がたくさんあって。その時に「あ、会社員として組織で生きることだけがすべてじゃないんだ」って、ものすごい衝撃を受けたんです。その時の京都での楽しい時間が大好きで、いつもカメラを向けていたら自然と「写真家の文香ちゃん」と呼ばれていました。
それまでの「普通に就職して生きていく」という固定観念が、ガラガラとくずれた瞬間だった。
大西さん:そこからはもう、とにかく京都に住みたくて。休日は始発の電車で京都へ行き、終電で帰るという生活を2年間続けました。キャリアに執着はなかったので、プランナーを辞めて移住することにも迷いはありませんでした。
肩書きに縛られない、
身軽な生き方を選ぶ理由
2019年、24歳になる直前で念願の京都移住を果たした大西さん。
昼は美術館の職員として働き、夜はカフェやレストランのスタッフとして働く、がっつりとした兼業生活がスタートした。美術館ではメンバーシップに関する事務全般から経理、冊子編集、イベント運営まで、さまざまな裏方業務を経験し、同時期には大好きだったライフスタイル誌の編集者としての活動も始めたという。
充実した日々の中で、大西さんがあえて正社員ではなく、アルバイトや複数の役割を組み合わせる働き方を選んだのには、ある明確な意思があった。
大西さん:「自分がいつどこに住みたくなるか分からないから、いつでも動けるように身軽でいたい」という気持ちがずっと根底にありました。特定の組織やひとつの肩書きに縛られるのではなく、その時々の自分がいちばん心地いいと思える場所にいたい。

京都での暮らしは刺激的だったものの、3年が経つころ、大西さんの中で少しずつ変化が訪れる。
雑誌の取材などで多くの「ものづくり」や「表現」に携わる人たちの生活にふれるうち、もっとつくり手の熱量がダイレクトに感じられる現場へ身をおいてみたい、という欲求がむくむくと芽を出し始めたのだという。
大西さん:ご縁で出会った和歌山の作家さんやギャラリーを通して、ものづくりの熱気や人の温かさにものすごく惹かれて。京都での生活に一度区切りをつけ、和歌山で暮らしてみようと思い立ちました。
役割から降りて、
ただの自分になれた場所
和歌山での新しい生活は刺激的だった一方で、大西さんは予期せぬ葛藤に直面することになる。

当時、写真家や編集者としての活動を通して、自身の好きだったはずの「特別な生き方」が心を縛っていった。
大西さん:雑誌の取材などで、自分の手でなにかを成しとげている人や、熱量を持ってものづくりをしている魅力的な人たちに出会う機会が本当に多くて。その輝きを近くで見ているうちに、どこかで「そういう生き方こそが正しい」「自分も彼らのように、特別な何者かになっていかなければいけない」という思い込みが強くなっていきました。
また、写真家としての喜びはありながらも、そのように周囲と関わる自身にも違和感を抱くようになり、気づけば等身大の自分を置き去りにしているような感覚になってしまったそう。
大西さん:ありがたいことに仕事をいただける一方で、周りから写真家の大西さんとかライターさんという、肩書きや役割だけで見られているようなプレッシャーを勝手に感じてしまうようになって。内面の未熟さと、周囲からいただく肩書きとのギャップに迷い、ひとりで思い詰めてしまうようになりました。

そんな張り詰めた文香さんを救ってくれたひとつが、和歌山で働き始めた図書館のコミュニティだった。
大西さん:そこでは、何者でもない普通の大西文香として、みんながフラットに接してくれたんです。みんなと関わる時間によって、写真家としての前に、自分が自分であることの価値に気づかせてもらいました。
図書館には、学生から主婦まで幅広い世代の人が働いていた。それぞれが自分の人生を、自分のペースで一生懸命に楽しんでいる姿を間近で見るなかで、大西さんのかたくなだった価値観がほどけていく。
大西さん:それまでは、特別な何者かとして生きていくことが正解だと思っていましたが、図書館の人たちと接して、一人ひとり好きなものやうれしいこと、豊かさを感じる場面が違っていて「人それぞれの人生の尊さ」に気づかされ、どのような生き方も正解なのだと、心がらくになりました。だからこそ、肩書きにこだわらず自分の立場で社会や他者のために何ができるかを考える大切さに気づき、また、改めて写真に対しても真心と責任を持って向き合おうと思えるようになりました。
豊かさはブランドではなく、自分の視点次第
「何者かになることに価値がある」という呪縛から解放された大西さんは、今年の1月、4年過ごした和歌山を離れて地元の兵庫県へと戻ってきた。
大西さん:実家では、母が20数年間ずっと大事に使ってきた名もない器が食卓に並んでいる光景に、ハッとさせられましたね。以前のわたしはブランドによって特別な価値が生まれると思っていました。でも、名もない器であっても、使う人が時間を積み重ねて大切に育むことで、それは特別なものになる。暮らしの豊かさって、物自体の価値だけではなく、自分の視点と営み次第で変わっていくものなんだな、と。
その「飾らない日常の尊さ」に気づいた大西さんの視点は、写真家としての表現にも芯をもたらした。
大西さん:わたしがこれからも写真で撮り続けるのは、そこに息づく生の営みそのもの。日常の何気ない光景や、暮らしから生まれるものづくりの様子、この世界を満たしている光。わたしの写真を通して、大切な誰かを想ったり、日常の愛しさに気づいたり、自分を好きになったり。そのようなささやかでやさしいエネルギーを目にする人に与えられたらいいなと思います。

20代の激しい変化と葛藤を経て、30代を迎えた今、これからの生き方を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
大西さん:今はたまたま地元にいますけど、また自分の心が「ここで生きてみたい」と赴く場所が見つかれば、いつでも軽やかに移動したいと思っています。
20代のころは、何者かになることに価値があると信じ、まだ見ぬ先のことばかりを考えて焦っていた。けれど今は、背伸びをすることはしない。
大西さん:今は、仕事終わりに「今日のごはんは何かな」って思いながら実家に帰り、家族とごはんを食べる時間がいちばんしあわせです。でも、その時々の自分の「心地よさ」に素直でいること。それがわたしの変わらない生き方です。

