これから、この場所でインタビュー記事を執筆するわたしが、まずは手始めに自らの思いを綴ってみた。
2025年11月、30歳になった。
子どものころのわたしは、30歳という年齢を、それはそれは立派で、いろんなことが分かっていて、後輩に「人生っていうのはね」なんて格好いいアドバイスのひとつでも言えちゃうようになるのかしら……なんて考えていた。
けれど実際にその年齢を迎えてみたわたしはといえば、相変わらず靴下の左右はたまに間違えるし、大切なパスワードを忘れ、何度も入力し直しては、結局ロックがかかって途方に暮れるなんてことは日常茶飯事。分かっていることなんてこの世界のほんの爪の先くらいしかない。日々小さな失敗を繰り返しては、周りの人たちのやさしさに支えられ、どうにかこうにか生きている。
でも今は、それでいいのだ、とも思っている。
完全な状態なんてものはこの世になくて、みんなでちょっとずつ迷惑をかけ合って、ごめんねって言いながら、不完全なまま歩いていくことこそが、きっと「生きていく」ということの正体なんじゃないか。そんなふうに思えるようになったことが、わたしの手に入れた、ささやかな「大人」の証なのかもしれない。
ただ、10代から20代になるときと、20代から30代になるときで、決定的に違ったことがひとつだけある。
それは、「自分がこの社会の中でなにをして生きていきたいのか」という太い軸を、しっかりと掴んだ状態で新しい10年の扉を開けたことだった。

わたしは今、文筆家として生活をしている。
もともと、文章を書くことが好きだった。というより、それしか誇れるものがなかった、というほうが正しいかもしれない。
幼いころのわたしは、なんでも器用にこなす姉の背中に、いつも隠れるようにして生きていた。姉が「やりたい」と言った習い事に、おまけのおもちゃみたいについていく毎日。運動も勉強もパッとせず、自分で選んだわけでもない習い事は、全部「中の下」くらいで終わってしまう。なにをやっても一生懸命に成果を出す姉を横目に、「どうせわたしなんて」と卑屈になっていた。
姉が机に向かう隣で、わたしは床に寝転び、ただぼんやりと天井を眺めていた。あのときわたしを包んでいた、どこにも行き場のないような透明で重たい空気のことを、今でもふと思い出す。深夜のテレビショッピングで、絶対に買わない腹筋マシンの説明を、ただ眺めているときなんかに。

そんなわたしを救ってくれたのは、小学校六年生のとき、担任の先生と毎日取り組んでいた交換日記だった。何気なく綴る言葉たちを、先生はいつも「すごくいい文章!あなたには才能があるよ」と言って、作文コンクールへと送り出してくれた。
姉の道連れではなく、自分の言葉で世界と確かに繋がれているという実感。それが、わたしにじわじわと自信をもたらしてくれた。
はじめて褒めてもらったあの日、日記帳を抱きしめて、小学校からの下り坂を駆け下りたときの頬を打つ風の冷たさと、胸の奥の熱さ。 それが、わたしの「書くこと」の原点なのだと思う。


25歳で文章を書く人間として歩き始めてからは、主にインタビューという仕事を通して、誰かの想いを受け取り、それを確かな言葉に変えて届ける仕事をしてきた。 人と対話をし、その人生にふれる時間は、わたしにいくつもの新しい視点を与えてくれる。楽しくてしかたがない。これは間違いなく天職だと言い切れると思う。
けれど、30歳が近づくにつれて、別の想いがむくむくと立ち上がってきた。それは、「人の言葉を代弁するだけではなくて、自分自身が表現者でありたい」という思いだった。

自分の中にある、もっと深くて、わかりにくい言葉を、そのまま世の中に差し出してみたい。
じゃあ、わたしが伝えたいことってなんなんだろう。
そう考えたときに、わたしが人生をかけて向き合いたいテーマは、「自らが経験していない戦争の記憶を、正しく受け取り、語ることはできるのか」。その問いを軸に、執筆と対話を重ねることだった。
というのも、第二次世界大戦で亡くなった青年たちの死生観を研究していた大学時代。
戦禍に残された切実な言葉を読み続ける日々は、不安定に揺れるこの社会のなかで、自分がどちらを向いて立っていたいのかを教えてくれる時間でもあった。
戦後80年を超えて、戦争を経験していないわたしたちがその記憶を引き継いでいく時代。戦禍に思いを馳せ、さまざまな対話が生まれていくような文章を、わたしはライフワークとして書いていきたいと思った。

20代最後の一年は、そのための準備を着々としてきた。
外側に向け続けてきた矢印を、もう一度内側に向けて自分と対話する。その過程で、わたしの中の「本当の言葉」を取り戻していくような時間を過ごした。
そして今春、一年をかけて書き上げた、はじめての著書を出版した。
第二次世界大戦末期に戦没した、日本の学徒兵の遺稿集『きけ わだつみのこえ』への「きわめて個人的な視点」からの応答をとおして、戦争を体験していない世代による「記憶の継承」の新たなアプローチを試みたエッセイ集だ。

自分の内側をありのままに世の中に差し出すことは、裸で歩くみたいに恥ずかしいし、怖い。
でも、きっとこの道の先には、心が震えるような新しい出会いや経験が待っている。 そんな気がして、今はとてもワクワクしているのだ。
……と、ここまで書いて、とても大それたことを言っているような気持ちになってきた。危ないあぶない。
実態は、もちろん毎日が輝いているわけではない。原稿の締め切りに追われては、納得のいく文章が書けずに頭を抱え、ときにはパジャマのまま一日を無駄に溶かしてしまう日だってある。それでも、20代を必死に生きる中で見つけた、自分が向かうべき道を持っている安心感は、今のわたしを支える足場になっている。

あと10年後には、もしかしたらまた、ぜんぜん違うことを言っているかもしれないけれど、ひとまず、わたしの現在地はこんなところだ。

