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ファンレターってこんなに尊い! ファンレター未経験のライターが推し活の新たな扉を叩いてみた

みなさんは推しへファンレターを書いたことがありますか?

あふれんばかりの愛を推しへ直接伝えられるファンレター、いいですよね。今はSNSでの発信を重視している推しも多いので、ファンとしても応援の声を届ける方法としてそれが一番利用しやすいかもしれません。ですが、先日公開した記事「\結果発表/教えて!あなたのファンレター事情vol.2」 でも紹介したように、SNSやファンレターにまつわる私たちファンの心理は、実はそう単純なものでもないようです。

今回は推し活が生活の心臓部(!)と言っても過言ではない私、ライター・遠山が、自身のファンレターやSNSでの推しとの距離感、コミュニケーションについて振り返りつつ、読み応えたっぷりのみなさんのアンケート回答から感じたことを書いてみたいと思います。

立ちはだかるファンレターへの壁

実はファンレターにまつわる思い出、私にはほとんどありません。なぜなら大人になってからファンレターというものを書いたことがないから(子どもの頃には書いたような気も……しますが、記憶が曖昧)。今の自分の推し界隈にはたまたまファンレター文化がなさそう、という現実的な理由もあるけれど、考えてみれば私はそもそも「ファンレターを書こう!」と思い立ったことすらなかったと今回初めて気が付きました。その理由を改めて自分に問うてみると、「ファンレターなんてきっと読んでくれない」「本人に届くはずがない」「そもそも何を書いたらいいかわからない」「なんか上級者のものって感じ」などなど、ファンレターというものになぜだかすごく壁を感じていたんですね。先日のアンケート回答にも似た意見があり、そうか、推しを持つ人の一定数は同じような気持ちを抱いているのかもしれないな……と思いました。

ではファンレターを書く人は、どうやってそのハードルを乗り越えているのでしょうか(もちろん初めからハードルがない方もいらっしゃいますが!)。アンケートの回答を振り返ってみました。

今感じてる感動をただただ届けたいから。(中略)作品については良くも悪くも感想は気になるものだと思うし、リアクションは必要かな、と勝手に思ってます。(ももさん)

うんうん、わかります。

逆の立場で、自分がもらったら嬉しいなと思ったので。(Nineさん)

盲点!それは確かに。

推しにとってマイナスなこと(ダメ出しや批判)は一切書かないので、私の手紙で推しの心が軽くなってくれたら嬉しいので。(しゃきさん)

それは本当にそう……! これ大事だな、テストに出る(何の)。

肯定的な内容のファンレターは、喜んでもらえるはずなので。(中略)ファンレターが来ているという事実が周りに認識されればそれだけでもいい。(ハドリさん)

け、けけ、健気……!!

最後の回答からはもう、「推しの助けになりたい」という親心、そして「人知れず推しを支えたい」という切実な思いが感じられました。

ファンレターを書くことに抵抗がない方の回答を読んでいると、総じてみなさん、「恥ずかしい」や「どうせ読んでもらえない」など自分視点の気持ちよりも、「作品に対するリアクションが知りたいはず」「推しの助けになれるのでは」など、推しにとってどうか、という視点によってファンレターを書くに至っているのだなと感じました。推しのためなら恥も手間もいとわない……なんて一途なんでしょうか……素敵です。

ケーススタディ:SNSリプライの克服

ここで再度、よくよく自分のこれまでの思考を振り返ってみました。

ファンレターからは少し離れますが、推しとのコミュニケーションツールという点では同じであるSNSについて。推し活開始当初、私は推しのSNSへのリプライにも抵抗がありました。「直接リプするなんておこがましくて……」「推しに自分の存在を認識されたくない」「フォロワーさんなど周囲の人に見られるのは恥ずかしい」きっとそんな思いからだったと思います。アンケートでも同じような意見がたくさん届き、ああ、みなさん同志……!とぶんぶんうなずきながら読みました。

そんな私ですが、実は少し前からこのハードルを軽々と超えました。ええ、それはもう、軽々と、易々と。「がんばって」超えたのではなく、「自然と、いつのまにか」超えていたんですね。推しが「新曲どうだった?」と言えば「最高でした!」と答え、推しの誕生日が来れば「おめでとうございます!」と即座に書き込むようになったのです。「いいね」はできても一切リプを打ち込むことができなかった私が。なぜか。

それはとにもかくにも「もっともっと推しを応援したいから」という、あまりにシンプルな理由からでした。心の中で自分ひとりで応援することにももちろん意味はありますが、ふとしたとき「私は『推しから見える形で』応援したい!」と思うようになったのです。「恥ずかしい」を、「推しに声を届けたい」が上回った瞬間でした。

そこに至るまでには「すでに自分のタイムラインに推しへの愛を垂れ流していた(フォロワーさんにも推しがいる事実を認識されていた)」とか、「同じ推しを持つ人をフォローしてみた結果、たくさんのご本人宛リプを目にするようになり、徐々に免疫ができてきた」という、ある意味で周囲と自分自身の両方を、意図するしないに関わらずいつのまにか慣れさせていた、という過程がまずありました。ですがやはり一番は、「推し!推し!新曲聴いたよ、最高だったよ、いつもありがとうだよ、体に気を付けてね、推し……!!」そんな思いが心の中からあふれて抱えきれなくなってしまったこと、そしてそれをご本人に直接伝えたいと強く思うようになったことが、私が推しにリプライを送るようになった理由だと思います。

そう考えてみれば、ファンレターも同じですね。単なるメディアの違いです。そこには「公式のSNSがない」、または「ファンレターを受け付けていない」など、どちらのパターンにしても環境面で難しい要因があったり、「手間がかかる」や「周囲の視線が気になる」などそれぞれのハードルもありますが、書くに至るまでの気持ちにさほど差異はないように思います。どの方法を選ぶにしろ、「伝えたい」という気持ちがあふれてしまったら、いつのまにか書いているものなのかもしれません。

ファンレターは私たちを「顔の見える存在」にしてくれる

ここでまた少し読者のみなさんのアンケート回答を振り返り、ファンレターの良さについて考えてみたいと思います。

手紙の1番いい所は「推しと自分だけの世界で思いを伝えられる」ことだと思います!(めるきーさん)

「推しと自分だけの世界」……!この視点に私はハッとしました。
当たり前のことですが、推しにとって私たちファンは「不特定多数」です。顔も声もはっきりしない圧倒的多数。そんな不透明で大きなものを相手にコミュニケーションするのは、自分だったらと思うと想像に難くないですが、とても怖いですよね。発信した内容に対してどう思われているのか、きっと推しも毎回不安なんじゃないでしょうか。SNSは一番手軽に相手の声を聴ける場所ですが、聴こえてくるのは応援の声だけではないでしょう。偶然目にしてしまった心ない言葉に消耗してしまう日もあるはずです。

少し話が逸れてしまいましたが、つまり言いたいのは、そんな曖昧で不透明な不特定多数である私たちが、推しにとって顔の見える一人の人間になれる場所、そして見える存在として推しに応援の声を届けられる場所、それがファンレターなのかもしれない、ということです。

手紙を書く時と手紙を読まれてる時は推しとの2人の空間です。(ぽんさん)

な、なんて素敵な考え方でしょう……!
周囲の目を気にすることなく、文字数の制限もなく(もちろん手紙とて常識の範囲内にするのは必要なことですが)推しに愛を伝えられて、もし推しがそれを読んでくれたのならば、それは推し対自分、一対一の世界なのです。そこには、スマホ画面上のデジタルな文字ではなくお手紙という手に取れる物質であることや、個性の出る手書き文字なんかの効果も確実にあるでしょう。推しもきっと「この人に応援されているんだ」という実感を、SNSとはまた違う特別な形で感じているのではないでしょうか。

ファンレターを書いて、新たな推し活の扉を開く

ファンレターは推しへ愛を伝える最もシンプルで温かみのある方法であり、推しと自分の唯一無二の場所。「推しに応援の声を届けたい」純度高くそう願うなかでファンレターという方法を選択するのはむしろ自然なことだと、みなさんの回答を読んでいて改めて思いました。

私が当初感じていた「ファンレターに対する壁」は、もうすっかりなくなったように思います。アンケートの「ファンレターのススメをどうぞ!」という設問に対する回答の中には、「うだうだ考えるよりとりあえず書いて!」「とにかく好きな気持ちをぶつけて!」という声がいくつもあり、今となっては「おっしゃる通りです」とひれ伏している私です。取り急ぎ我が推しへの愛を熱量全開で書き殴って、翌日改めて、推しに気持ち悪がられない程度の落ち着いた文章に推敲する、という流れでファンレターを実践してみたいと思っている次第であります。ああ、これはなんだか、学生時代にラブレターを書いていたときに近い感覚ですね……ドキドキ。こんな新鮮な気持ちを思い出させてくれるなんて、やっぱり推しの存在はすごい。推しも、推し活も、ほんっとうに尊いなぁぁ!

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