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推し事現場のあの仕事ー松尾千尋さんー

舞台の感動とともに劇場内の美しさも体感してほしい「劇場案内人」のお仕事 ー日生劇場 松尾 千尋さん(後編)ー【連載】推し事現場のあの仕事 #004

わたしたちの“推し”が輝いている劇場やライブ会場などの”現場”。そこではふだんスポットライトを浴びることが少ない、多くの人々によって作品が作られています。本連載では、現場の裏側から作品を支える様々なクリエイターたちに焦点を当て、現場でのモロモロや創作過程のエピソードなど、さまざまな“お仕事トーク”を深掘りしていきます。

第4回は観劇ラバーから人気の高い日生劇場(東京・日比谷)にスポットを当て、劇場運営や劇場案内のお仕事にフォーカスします。後編では日生劇場支配人(劇場部部長)の松本 勝嗣(まつもと よしつぐ)さんと劇場案内係として活躍する松尾 千尋(まつお ちひろ)さん(ともに公益財団法人 ニッセイ文化振興財団所属)にご登場いただき、案内スタッフに向いている人の特質やおふたりの“推し”についてうかがっていきます。(編集部)

松本さん・松尾さん

松本 勝嗣さんと松尾 千尋さん

前編はこちら▼

舞台の感動とともに劇場内の美しさも体感してほしい「劇場案内人」のお仕事 ー日生劇場 松尾 千尋さん(前編)ー【連載】推し事現場のあの仕事 #004


――松尾さんは劇場案内係としてお仕事なさっていますが、日生劇場に出演している俳優さんと交流のようなものはあるのでしょうか。

松尾 友人にもよく聞かれますが、基本的にはありません。日生劇場は同じ建物内に稽古場がありませんので、開場前にホワイエで俳優の方がストレッチなどをなさることもありますが、コロナ禍になってからはさらに接触を避けるようにしています。もともと、表の仕事と裏の仕事という意識でわたしたちは現場におりますので、俳優さんとお話するような機会はないですね。

――そうなんですね。

松尾 ただ、お帰りの時間がわたしたちと重なったりすると、遠くから「今日もありがとうー!」と手を振ってくださったり、笑顔を見せてくださったりする方もいらっしゃいます。劇場の案内係のことまで気に懸けてくださっている、そのお気持ちがありがたいですし、劇場で働く者として本当に励みになります。

劇場支配人のお仕事とは

――ここからは日生劇場支配人・松本勝嗣さんにもお話をうかがっていきたいと思います。松本さん、まずはお仕事の内容を教えていただけますか。

松本 日生劇場のオーナーである日本生命から委託を受け劇場の運営・管理を行っています。1年のうち、ニッセイ文化振興財団の主催公演を4か月上演し、残り8か月は貸館として劇場を運営しています。

――支配人さんはふだんから劇場にいらっしゃるものなのでしょうか。

松本 はい、基本的には公演日は劇場にいて、お客さまが劇場内で快適にお過ごしになられているかを見守っております。ご来場されるお客さまの笑顔を見ていると、気持ちも引き締まります。最近は感染対策でお願いすることも多くなってきていますが、お客さまは観劇を楽しみに劇場にいらっしゃっていますので、声の掛け方1つ1つに気を遣います。

――ご自身も観劇はなさいます?

松本 できる限り観るように努めています。日生劇場は「いい作品を観て、その感動体験によって豊かな心を育んで欲しい」という想いのもとに作られた劇場です。いい作品を上演し続けるために、いい作品に巡り会えるように、さまざまなジャンルの舞台をできる限りたくさん観るようにしています。

――どのような視点で舞台をご覧になるのか気になります。

松本 人それぞれ関心も好みも違いますので難しいですね。ただ、多くの舞台作品に接していて、人は何を美しいと思い、何に感動するのか、芸術とは何かということに興味を持つようになりました。そんな中で出会ったのが、「舞台芸術」や「美学」に関する講座です。そこで芸術に対する考え方や舞台芸術の歴史など多くのことを学ぶことができて、舞台を観る時の1つの指針になっています。

――座学的なところから鑑賞眼を磨かれるというのはおもしろいですね。松本さんが他の劇場に足を運ばれて、なにか感じることはあったりします?

松本 劇場は非日常の空間で観劇を楽しむところであり、業界全体としてお客さまを大切にしようとする気持ちが高いスタッフが多いように感じます。日生劇場でも開場以来、お客さまへのホスピタリティを大切にして運営しております。

日生劇場・客席内

日生劇場・客席内

劇場案内係に向いているのはこんな人

――日生劇場の案内係さんを統括する支配人として、どんなパーソナリティの方が劇場内スタッフに向いていると思われますか。

松本 お客さまと接する時に、相手のご希望を察したり、繊細な気付きを得られる人でしょうか。たとえば常にアンテナを張り巡らせて、劇場内の状況を把握できている人。1回の公演で1000人以上のお客さまが入場されますので、前方を見ながら背後にも気を配る、そんな仕事ができることを目標にしています。

――今でも定期的に案内係さんの採用はなさっている?

松本 アルバイトに関しては、欠員が出る都度、大体1年に1回くらい採用の機会を設けています。やはり接客業ですから、笑顔で人と接することができるか、相手の立場に立ち、相手の話を聞く力があるかどうかなどを見させていただいています。

――中には難しいオーダーをなさる方もいますし。

松本 そうですね、そんな時でもまずはお客さまの気持ちに寄り添うこと。言葉だけでなく、表情も意識しながら、お客さまのお話を真摯にうかがうことが大事なのかな、と感じます。ときどき失敗もありますが、それも糧にしながら案内係全員で接客のスキルアップを目指して日々取り組んでいます。

松本さん、松尾さんの“推し”と劇場がそこに在る意味

――日生劇場で上演された舞台で特に松本さんがお気に入りの作品があればぜひ。

松本 これも難しい質問ですね。じつは、以前、小原という女性がいまして……

――ええ。

松本 小原は幼い頃から日生劇場に連れられて来て、その後、日生劇場に入社して案内係も務め、事務室のリーダーでもありましたので、劇場でのわたしの先生でした。ある時、たくさんの舞台を観ている彼女に1番好きな作品を聞いたことがあるんです。

――それは気になります。

松本 そうしたら「どんな作品にも良いところと悪いところがあって、わたしにとっては全てが大事な作品で1番なんてない」と。ベテランになるとこういう答えが返ってくるのだと感心して、わたしもそんなふうに言えるようになれるといいなあ……と思ったものでした。

――舞台愛に溢れたお言葉ですね。ここで松本さんと松尾さん、おふたりの“推し”について語っていただければと思います。

 

松本 現時点での“推し”は、絵本・児童文学研究センターの「大人のための児童文化講座」です。日生劇場では子どもたちに舞台作品を届けようということで、開場当初より子どもたちのための公演を行ってきました。文学作品を通じて子どもたちを少しでも理解しようと始めた講座ですが、思った以上に内容が深くて、絵本や児童文学だけでなく、歴史や哲学、心理学、文化人類学などさまざまな視点から述べられることが全てつながっていくので、自分の生き方まで考えさせられています。舞台芸術に通じるところもたくさんあるので、今のわたしの“推し”ですね。

――松尾さんはいかがでしょう。

松尾 先ほど小原の話が出たので、お答えするのに少しドキドキしていますが(笑)、わたしはミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』推しです。幕開きからの高揚感もいいですし、主人公のひとり、ザザがメイクをしながら歌う「マスカラ」を聴くと、自分がしんどい時にも元気をもらえます。1幕最後にザザが自身の決意を伝えるナンバー「ありのままの私」を初めて聴いた時は涙が止まらなくなるくらい感動しました。

わたし、劇場で仕事をしていて1番好きなのがカーテンコールの時間なんです。だんだん拍手が大きくなっていき、ハッピーなお顔になったお客さまから自然にスタンディングオベーションが起きる。その瞬間を見るたびに劇場ってなんて幸福な空間なんだろうと思います。あの時間に立ち会って、お出口に向かうお客さまの笑顔を拝見し「ありがとう」の言葉をいただくと、明日もこの仕事を頑張ろうと思います。

日生劇場・客席内

日生劇場・客席内

【取材note】

何年か前、チケットの入手に苦労したミュージカルを観劇した際、1幕途中でちょっとしたアクシデントがありました。その時、幕間にご相談させていただいたのが“日生劇場・案内係のレジェンド・梅津さん”。梅津さんがどんな魔法を使って下さったかはわかりませんが、2幕は安心して舞台に集中できたことを覚えています。

劇場は人生を変える可能性を持った場所。その劇場の客席側をホスピタリティとプロの技術で支える案内係さんは、スポットライトが当たることも、観客から拍手を浴びることもない、もう1人の大切なキャストなのかもしれません。わたしたちの観劇体験をいつも笑顔で支えてくれる彼女たちに心からの拍手を!

(取材・構成・撮影=上村由紀子)

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