公式X

『コイノオト』

 吹き抜けの窓から差し込む陽光が、屋上まで繋がる清掃が行き届いた白い階段を、特別な場所に感じさせた。
 二人は並んで座り込む。
 その前に、日向は萌の座る場所にサッとビニール袋を敷く。
 顔を見合わせ、微笑み合い、お互い御礼の会釈をする。
 萌はバッグを膝の上に、日向はバッグを無造作に自分の横に置いた。
「ねえ、日向君。何か今の気分に合う曲をかけて」
 日向は頬を緩め、顎を真っ直ぐ縦に落とすと、
「うん。ハイ、これ」
 イヤホンの片方を萌に手渡した。
 左耳に差し込む萌と、右耳に差し込む日向。
 二人で一つのイヤホンを分け合って曲を聴く。
 学校の中の大切な場所での、二人だけの秘密の時間だった。
 ハイテンポな曲が聴こえ漏れてくる。
 盛り上がる箇所で視線を合わせると、二人共そのリズムに乗った。
 萌は、おもむろに日向の真後ろの一つ上の階段に座り直すと、
「日向くん。これ私が一番大好きな曲。ちょっと大音量で聴いてみて。すっごく良いから」
 左耳にしていたイヤホンを日向に渡す。
 日向の両耳は塞がれ、別世界へといざなわれる。
 準備が出来たよと振り返り、「萌ちゃん、流して!」と萌に合図を送る。
 心が穏やかになる素敵なメロディが奏でられ始める。
 春麗はるうららかかな曲調と心揺さぶるストレートな歌詞に日向は入り込み、視線は真っ直ぐ、そのまま自然と瞼を閉じた。
 一分半ほど経過する。
 もう直ぐサビの部分で、萌は日向の背中に向かって、想いを伝える。
 先ほどまでの明るい表情から一変し、瞳を潤ませている。
 日向は大音量の音楽によって、萌の声が聞こえず、彼女の表情の変化に気がついていない。
 萌は震える声を絞り出した。
「日向くん……私のおばあちゃんが、飼っていた犬のあんこが亡くなった時にね、悲しいけどいつか天国で会えるのをあんこが待っていてくれるから、おばあちゃんは寂しくないんだって言っていたんだ。大好きな子が先に待っていてくれる幸せもあるんだなって思ったよ」
 日向はまだ、目を瞑ったままだ。
 萌は、
「でもね、私は、辛い事がこれから沢山あっても我慢が出来るけど、日向くんに会えないのだけはやっぱり我慢が出来ないよ。他は、何だって我慢できる。ごめんね。ごめんね、日向くん……」
 日向は萌の不安を感じ取ったのか、突然何かを察知したかのように後ろを振り返った。
 涙を流す萌が視界に飛び込んでくる。
 日向は、驚き、慌てふためき、明らかに動揺する。
 萌は、涙を拭うと、直ぐにいつもの笑顔を覗かせた。
「ど、どうしたの?」
「ううん、何でもないよ」
 弾ける笑顔はいつも以上にまぶしい。
 日向は唾をゴクリと飲み込むと、決心したように、
「僕は鈍感だから、萌ちゃんが泣いている理由が、きちんと分からなくてごめん。だけど、悲しい時は大好きな音楽を聴くと気持ちが晴れるよ。これ、聴いて。僕が一番好きな曲」
 両方のイヤホンを萌に渡す。
 萌は言われるがまま両耳にセットする。
 日向はそれを確認すると、スタートのボタンを押した。
「……」
 萌が不思議そうな顔で日向を見つめている。
 日向は眉を上げ、満足気な表情だ。
 萌が日向の左耳に片方を押し込んだ。
「日向くん、演歌が一番好きなんだね? 渋い」
 選曲を間違えた事に気がつくと、アワアワとなり、バタつく日向。
「あッ、あー。それお祖父ちゃんが大好きな曲で、ダウンロードしてあげたんだ。違う、違う。えっと、これ」
 柔らかくて心が穏やかになるメロディが流れてきた。
 二人で顔を見合わせ、笑い合う。
 萌は、
「ダ・イ・ス・キ」
 日向も、
「ボ・ク・モ・ダ・イ・ス・キ」
 全く声を出さずに、口の動きだけでお互いに想いを伝えた。
 誰にも聞こえないコイノオトが、二人の間だけに優しく流れた。

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