あれ、素の自分ってどれだっけ

ティップス

人によって自分が変わる気がする。どれが本当の自分なんだろう?と思ったら

だれかといるときの自分と、ひとりでいるときの自分。

職場で見せる顔と、友人の前で見せる顔。

ふと振り返ったとき、「あれ、素の自分ってどれだっけ」とわからなくなることはありませんか。

どの自分も嘘ではないはずなのに、その「差」が大きければ大きいほど、自分自身の輪郭がぼやけていくような感覚がある。

この記事では、そんな戸惑いとの向き合い方について考えてみたいと思います。

人によって自分が変わる

私たちは毎日、たくさんの「自分」を使い分けて生きているような気がします。

たとえば、同じ仕事の人間関係でも、上司の前では「真面目なしっかり者」として振舞っているけれど、年の近い先輩や同期とは少しくだけた調子で話をしたりする。

あるいは、自分にとっては同じ「友達」というくくりでも、あの子には本音を語れるけど、あの子には本音を語れない、なんてこともあるかもしれません。

接する相手によって、声のトーンが変わる。選ぶ言葉が変わる。テンションが変わる。

相手によって見せる面を変えることは、きっとだれにでもあることかもしれない。

でも、テンションが明らかに違っていることに気づいたとき。

誰かの前ではちょっと無理して笑顔を貼り付けていることに気づいたとき。

だんだんと、どれが本当の自分なのか、そもそも素の自分ってなんなのか、よくわからなくなってきますよね。

自分の中にいくつもの顔があること、そしてそのどれもが、本当の自分じゃないかもしれないことに、なんだかちょっと嘘をついているような後ろめたさを感じることもあるかもしれません。

どうして変わるんだろう

どうして私たちは、相手によって自分を変えてしまうのでしょうか。その理由について考えてみました。

相手を大切にしたいから

ひとつめは、相手のことをとてもよく見ているからという理由。

私たちは、だれかと対面するとき、無意識に相手の温度感や雰囲気を感じ取っています。

相手が静かな人なら自分も声を落とし、相手が元気いっぱいなら自分も少しテンションを上げる。

相手に不快な思いをさせたくない、この場を穏やかに保ちたい。

そんなやさしさが、結果として「相手に合わせた自分」をつくっているのかもしれません。

その場にふさわしい「役割」があるから

私たちは社会の中で、いくつもの「役割」を背負って生きています。

社員としての自分だったり、娘や息子としての自分だったり、友人としての自分だったり。それらはときと場合で変わっていくものです。

その中で、「ここではこう振る舞うべきだ」などという規範が自分の中に強くあると、自然と「役割」としての自分が全面に出てくることになる。

それはきっと、だれしもが経験している自然なことのはずでしょう。

ただ、「役割」としての自分を全うしようとすればするほど、その裏側にいる「何者でもない」自分とのギャップを感じてしまうのかもしれません。

居場所を守りたいという防衛本能

もうひとつは、自分を守るために無意識に自分を変化させているという側面。

「ありのままの自分を出して、否定されたらどうしよう」

そんな不安が心にあるとき、私たちは無意識のうちに、対面する相手によって「見せる部分」と「隠す部分」を選んでいるのではないでしょうか。

それは、自分が傷つかないための知恵でもある。

けれど、いろんなパターンをつくって自分を出し分けしていると、だんだんと「本来の自分」がどこにあるのか、わからなくなってしまうのかもしれません。

どれが本当の自分か
迷ったときの考え方

どれが本当の自分なのか、その答えをひとつにしぼろうとすると、余計に苦しくなってしまうことがあります。

そんなときは、こんなふうに視点を変えてみるのはいかがでしょうか。

すべての面が組み合わさって「自分」になる

たとえばひとつの多面体を想像してみてください。

ある角度から見れば三角形、別の角度からは四角形に見えるけれど、そのどちらもがその多面体の一部です。

そんなふうに、職場で見せる顔も、家族や友人に見せる顔も、どれもが自分を構成しているひとつの「パーツ」だと考えてみるのはいかがでしょうか。

どれか一つが本当で、他は偽物ということではなくて、相手との関係性次第でいろんなバリエーションが増えていく。

そう考えると、いろんな自分がいることはむしろ、豊かなことのように思えてきませんか。

「心地よい」を基準にしてみる

どれが本当か、という正解探しをやめて、「どの自分が一番呼吸しやすいか」という感覚を大切にしてみるのもひとつの手だと思います。

「今の自分、なんだか無理なく笑えているな」
「この人といるときの自分は嫌いじゃないな」


そんなふうに、自分の感覚を観察してみる。

本当か嘘かという白黒で採点するのではなく、グラデーションの中で、今の自分が心地いい場所を探していく。

そんな向き合い方もあってもいいかもしれません。

変われることは「やさしさ」かもしれない

相手に合わせて自分を変えられるというのは、見方を変えれば、それだけ周囲の機微を敏感に感じ取れるやさしい感性をもっているということ。

だから相手の様子によって自分の形を変えられる柔軟さは、きっと自分なりの強みでもあると思います。

もし「自分がない」と感じて苦しくなったら、「私はそれだけ周囲を思いやれる余裕があるんだな」と、自分を肯定してあげてもいいのかもしれません。

編集部のまとめ

「本当の自分」がどこかに固定されている必要なんて、実はないのかもしれません。

むしろ、自分のなかにいろんな顔があるということは、それだけ多くの「世界」とつながっているということだと思います。

いろんな自分が揺れ動き、変化し、混ざりあいながら、今のあなたを構成している。

完璧で確立した自分像を追い求めるよりも、そのときどきの自分と、「まあこんな私もいるよね」と、ゆるやかにつきあっていけたら、素敵ですよね。

STAFF
text:Oyama.
illustration:ハヤカワオト