#44 [2026/05.22]
わたしたちの、このごろ
安定よりも、後悔しない人生を選びたいと思っています
石田耕司さんKoji Ishida
こう語るのは、現在、広告代理店に勤めながら、フローリストとしても活動する、石田耕司(いしだ・こうじ)さん、26歳だ。
農家の子として育ち、空ばかり見上げていた少年は、鳥の声に耳を澄ませ、やがて花のそばで生きることを選んだ。
でもその道は、決してまっすぐではなかった。寄り道をして、迷って、「自分は何のために働いているんだろう」と何度も問い直した。26歳の石田耕司さんはいま、フローリストとしての夢を追い、パリへ渡ろうとしている。
そんな彼の、このごろの話を聞いた。
一羽の鳥との出会い
石田さんの実家は農家だ。幼いころから自然が身近にあり、お父さんと川釣りに行ったり、裏山を走り回ったり、田んぼでカエルを捕まえたり。土や緑のにおいがする日々を過ごしていた。
石田さんにとって、自然はいつもすぐそこにあるものだった。

そんな子ども時代に、特別な存在になったのが「鳥」だった。
きっかけは、実家のビニールハウスの隙間に挟まって動けなくなっていたツグミを助けたこと。
石田さん:ふだんは空を飛んでいるのに、その時は僕の手のひらの上に乗っていて。温かくて、すごくかわいかった。それから鳥が大好きになりました。
小学3年生のころには日本野鳥の会に入り、図鑑を引いては鳴き声を調べる日々。やがて鳴き声だけで種類を判別できるほどになり、クラスでは「鳥といえばこうじ」と認識されるまでになった。日本の野鳥の名前はすべて覚えていたという。
石田さん:正直、下は全然見てなかったですね。空ばっかり(笑)地面に咲く花には、当時気づけていなかったです。

ロスフラワーが、花への扉を開いた
転機は、2020年。大学入学と同時に、コロナ禍が始まった。卒業式も入学式も中止になり、式典のために用意されていた大量の花が廃棄されるというニュースが流れ、「ロスフラワー」という言葉が世の中に広まり、話題になった。
石田さん:なぜかわからないけど、すごく自分ごととして感じてしまって。花に対して何かできることはないかなって思ったのが、たぶん最初のきっかけです。
鳥を助けたことで鳥がより身近になった。ロスフラワーの問題で花の存在がより自分ごと化された。石田さんの「好き」の始まりは、いつも誰かへのやさしさや、何かを守りたいという気持ちからだった。
すぐに花屋でアルバイトをしようと思ったが、コロナ禍で求人はほぼゼロ。動けない時間を持て余した石田さんがとった行動は、自転車での日本一周だった。ゲストハウスやキャンプ場で費用を抑えながら、バイトで貯めたお金を旅に使い、日本中を走り回った。
石田さん:高校生のころから、海外へのあこがれを抱いていました。でも、コロナで渡航の見通しが立たない日々が続いて。「このまま時間だけが過ぎていくのは、いや」っていうもどかしさが、日本一周という決断を後押ししてくれたんだと思います。大学3年になって、ようやく世の中が落ち着きを取り戻したころに、念願の花屋さんでアルバイトを始めました。それが、花との本格的な付き合いの始まりです。

大好きだけど、
会社のために生きているんじゃない
花のアルバイトを続けながら、就職活動の時期がやってきた。花が好きで、もっと深く関わりたいと思っていたはずなのに、石田さんが選んだのは広告代理店だった。
石田さん:花に関わる仕事をするにしても、マーケティングとか、ものの見せ方を知っていた方がいいと思ったんです。だから、遠回りに見えても、広告代理店に就職して学ぶ意味はあると。でも正直に言うと、それだけじゃなくて、花屋への就職が少し怖かったんだと思います。好きだからこそ、それを仕事にして失敗したくなかった。
そんな葛藤がありながら、石田さんは現在も広告代理店に勤務し、休日などの時間を使ってフローリストとしても活動する。二足のわらじを履きながら、社会人としての自分を少しずつ形づくってきた。
石田さん:学生までは自分がよければいい、自分の思うようにって感覚があったけど、社会に出たらそれはまったく通用しなくて。誰かのために動くとか、相手が求めていることを考えるとか、本当に勉強になりました。
メールのやり取り、あいさつの仕方、自分自身の見せ方。どれも学生時代には意識してこなかったことばかりだ。「そんなこと、わざわざ考えなくても」と思っていたことが、実は社会ではいちばん大事だったりする。才能や運ももちろん大事な要素だけど、最後はただ、責任を持ってやり切れるかどうか。シンプルだけれど確かな感覚も、社会に出てはじめて腑に落ちたそう。
石田さん:会社のことは大好きだし、感謝もしてる。でも自分は、会社のために生きているんじゃなくて、自分の人生を生きたい。自分なりに必死に働いて、そう思ったんです。
休日を使ってフローリストとして活動する中で、花に向き合う時間が増えるほど、その感覚は鮮明になっていった。花と向き合っているときだけ、時間を忘れた。毎日悔しいと思っていた。もっとうまくなりたい。もっと花に時間を充てたいと思ったことが会社を辞める後押しになった。
石田さん: 安定した職を手放すのは怖かったですよ、やっぱり。でも、このまま10年経ったときに、「あの時、花の仕事をしていれば」って後悔している自分は見たくなくて。
石田さんが手放せなかったのは、安定ではなく、後悔しない人生だった。

花の文化をもっと広め、
一人ひとりの水準を上げたい
石田さんが最近強く思っているのが、「花の文化を、もっと広めたい」ということだ。その入口として、子どもたちへの教育という形で届けられないかと、考えているんだそう。
石田さん:ヨーロッパでは花が日常に当たり前に取り入れられていて、その文化水準も高い。でも日本ではまだ特別な日に贈るものというイメージが強くて、花の扱い方の知識が少なかったり、日常的に買うシーンが想像しづらかったりする。フランスで見てきたような、暮らしの中に花が溶け込んだ生活。そういった文化がもう少し日本にも広がって、その先に人の豊かさが広がっていけばいいなと思っています。

そして、次のステップとして思い描いているのがパリだ。大学の卒業旅行としてヨーロッパ12か国を巡る旅に出たとき、パリの街の空気に強く惹かれた。自転車で日本中を走り回ったあの行動力が、今度は海を越えようとしている。
でも「パリに行く」と言葉にするのは、簡単なことではない。26歳という年齢で、まだ何者でもない自分を抱えながら、異国の地へ飛び込むのだ。
石田さん:不安がないかって言ったら、めちゃくちゃあります。フランス語もしゃべれないし、頼れる人も少ないです。向こうで花の仕事ができるのか、正直わからないんです。それでも、行かなかったときの後悔の方が、もっと怖くて。
なぜパリなのか、と聞くと少し笑いながら答えた。
石田さん: 東京かパリかニューヨークか、って考えたとき、フランスが好きだなって。直感なんですけど。うまく説明できないのが、自分でももどかしいんですけどね。

はっきりした言葉にはできない。それでも、その直感を信じてきた。鳥を手のひらに乗せたあの瞬間も、ロスフラワーのニュースに胸を痛めたあの日も、花屋への就職が怖くて、それでも花から離れられなかったあのときも。うまく説明できない気持ちに、ずっと正直に生きてきた。
いまは花のために、そして花のある豊かな暮らしを広げるために。遠回りしたこともあったし、立ち止まった時間もあった。それでも気づけば、ずっと自分の好きなものに引っ張られるようにここまで来ていた。
石田さんのこのごろは、自分の人生を、おおらかに、ただひたすらまっすぐに歩んでいる途中だ。
STAFF
photo / text : Seiya Natsume



