#41 [2026/04.08]
わたしたちの、このごろ
自分の仕事を通して、誰かにいい思い出を残してもらうために働きたいです
泉谷龍磨さんToma Izumiya
こう語るのは、焼き菓子やコーヒーが人気のベーカリーショップで働く泉谷龍磨(いずみや・とうま)さん、26歳だ。
初めて会ったとき、泉谷さんは大学を卒業後カフェで働いていて、「春から製菓学校に通うんだよね〜」と方言の残るのんびりした調子で言っていた。
口調と同じように焦った様子のない彼を見ながら、この人に不安はないのだろうか?と思ったのを覚えている。
それから数年。今はひとつの夢をかなえてベーカリーショップで働いている。
彼がのんびりとしていて、穏やかで、どんな人にもフラットでいられるのは、なぜだろう。
その秘密を知りたくなった。
やりたいも、やりたくないも
言えない子だった
泉谷さんは、4人兄弟の三男として育った。兄弟が多いことに加え、夜勤のある父親の影響もあって、まわりに気を遣って生活することが癖になっていたと話す。
泉谷さん:仕事から帰ってきた父が、夕方くらいに夜勤に向けて仮眠をするんです。その間、静かにしていなきゃいけなくて。父の機嫌を損ねないように、兄弟ではしゃぐこともなくそれぞれで静かに生活してましたね。
とにかく言うことを聞く子だったという泉谷さん。父と兄の影響で小学3年生からはじめたサッカーも嫌いで仕方なかったけれど、辞めたいとは言えなかった。
泉谷さん:本当は美術や家庭科でやるようなことが好きだったけど、運動部に入っていなきゃいけないって心のどこかで思っていて。まわりにもそういう雰囲気がありました。
結局サッカーは中学3年生まで続けた。やりたいことも、やりたくないことも大きな声では言えなかったけれど、中学の間にひそかにやりはじめたことが、お菓子作りだった。

泉谷さん:甘いものが好きなんですけど、ふと自分で食べたいものは、自分でつくれたらいいなって思ったのがきっかけでした。
外ではサッカーをしながら、家の中で過ごす短い時間でお菓子を作ったり、絵を描いたり。どんなに小さくても自分のやりたいの声は無視せずにいたことが、のちの泉谷さんを形作っていった。
人が選ばないものを選びたかった
高校で地元の進学校に入学した泉谷さんは、「これからはわがまましてやる」と心に決め、運動部ではなくずっと興味のあった吹奏楽部に入部。楽器はファゴットを選んだ。
泉谷さん:ファゴットって知ってる人もあまりいなくて、3年間吹いてたのも僕だけだったんですけど(笑)みんなが選ばないものを選んでる自分、ちょっとかっこいいなって思って。
3年間、部活をするのが本当に楽しかったと話す泉谷さんの目がきらきらとする。わがまましてやろう。そう決めたときから、彼の人生の歯車は少しずつ動き出したのかもしれない。
同じころ、泉谷さんはクラスメイトから教えられて海外の小説や映画にふれるように。特に心を動かされたのが、フランスの作品だった。
泉谷さん:フランス人作家の小説がすごく好きになって、これをフランス語で読めるようになりたいなと思ったんです。フランス語が話せる人はあまりいないだろうから、できたらかっこいいなって。ファゴットと同じです(笑)

フランス語を話せるようになりたい。フランスに留学したい。そんな思いが強まったタイミングで、フランスの大学と交換留学できる大学を見つけ、進学を決めた。
フランスでの生活が転換点になった
大学3年生の春にフランスに留学する予定で準備を進めていた泉谷さん。その行く手をコロナの大流行がはばんだ。
泉谷さん:準備していたタイミングでは行けなくなり、一度は諦めるか迷ったんです。でも、留学に行きたくて大学に入ったんだし、卒業が1、2年遅れようが関係ない。そう思い直して、1年後に行きました。
1年間のフランスでの生活。映画を見ながらあこがれていた風景や食事が目の前にある暮らしは、ただただ素晴らしかった。

中でも、バックグラウンドの異なるさまざまな人が当たり前に同じ社会で暮らしている様子が、彼の心を震わせたという。
泉谷さん:日本では人と違う選択をすることや、セクシュアリティのことで生きづらさを感じてきたんです。でも、フランスでは移民の人も、同姓のカップルも普通にまちを歩いてて。自分も異質じゃないんだと思えたのが、いちばんうれしかったです。
これまで親やまわりに気を遣って、自分の本当の気持ちにふたをし続けてきた。そんな彼にとって、フランスでの生活は人生の大きな転換点となった。
生きるために働きたい
留学に行くタイミングで、同級生たちはすでに就職活動を終えていた。泉谷さんは留学から戻ってきてもなお、同じ波に乗れない自分がいることに気がついた。
泉谷さん:みんなと同じ髪型で同じように振る舞ったり、相手に気に入られるように本心でないことを言ったりすることは、自分にはもうできなかったんですよね。
それは、フランスでの生活を通して、働くことの在り方を見つめ直したからだった。
泉谷さん:フランスではみんな働くために生きるのではなく、生きるために働くことをいつも考えていて。だからどんなに大変な道でも、自分がやりたいことをやって働こうって思ったんです。
留学後の休学期間にさまざまなアルバイトを経験する中で、これだと思えたことがあった。それが、中学生のころから趣味で続けていたお菓子作りだった。

泉谷さん:カフェのアルバイトで、自分で作ったお菓子も提供していたんです。やっているうちに、自分にとって自然にできることはお菓子作りかもしれない。そう思いました。
寄り添ってくれたのが焼き菓子だった
お菓子作りを仕事にしようと決意した泉谷さんは、上京して製菓学校に通い始めた。
同時に、有名な洋菓子の店でアルバイトをしていたけれど、そこでのお菓子作りにはなぜかしっくり来なかったのだという。
泉谷さん:洋菓子はもちろんおいしいけれど、きれいすぎるというか、特別すぎるというか……。
自分はどんなお菓子を作りたいのだろう。悩んでいたタイミングで、大学生のころお世話になっていた喫茶店を訪れると、焼いたバナナケーキを出してもらえた。
泉谷さん:食べているうちに、こういうお菓子が作りたかったんだなあと思ったんです。フランスで、友人のお母さんが出してくれた手料理のような。

喫茶店を出るとき、「落ち込んでそうだから」と喫茶店のマスターがマフィンを手渡してくれた。帰りの電車でそのマフィンを食べると、心にあたたかさが染み渡っていく感覚があった。
泉谷さん:泣いてしまうくらいうれしくて、そのとき自分は焼き菓子を作ろうと決めました。焼き菓子ならこうやって誰かに手渡すこともできるし、日常の中でつらいことがあっても寄り添ってくれるんじゃないかと思ったんです。

お客さんの生活に色を添えたい
製菓学校に1年通い、自分なりの焼き菓子を追求してきた泉谷さん。
今は、とあるベーカリーでお菓子作りをしている。
泉谷さん:自分で作ったお菓子を選んでもらえて、そのお客さんの生活に色を添えている。日々そう感じられるのが、とてもうれしいです。
あこがれのお店で働くことができているとはいえ、きらきらしたことばかりではない。
困っていることや改善してほしいことがあれば、自分が積極的に主張するようにしているという。本来やりたい仕事を、きちんとするために。
泉谷さん:あとは、どれだけ忙しくても、お客さんにいい思い出を残してもらいたい。そういう気持ちで働いています。今の仕事だけでなくこれからもずっと、自分の仕事を通していい思い出を残してもらうために働いていきたいです。
そんな泉谷さんのこれからやりたいことのひとつは、地元の青森でお店を出すこと。そこには、どんな人でも安心していられる場所をつくりたいという思いがあった。
泉谷さん:学生時代に居場所がない、相談できる人がいないと思って苦しかった。だからこそ地元に、そういう苦しさを抱えている人が安心できる居場所を作りたいんです。自分のお菓子を通して、誰かの日常に寄り添えたらいいなって思っています。
のんびりと、自分のやりたいことだけを見つめているように見えた泉谷さん。
初めて会ったとき、そんな彼のことが私はうらやましかったのだと思う。
話を聞いていくと彼にも、みんなと同じであらねばと自分の心の声に何度もふたをしてきた過去があった。
けれど、ふたをして外に出せなかったとしても、自分の小さな声に自分だけは耳を澄まし、心地よい在り方を探し続けたこと。それが、今の彼を作っているのだと知った。
そして、ようやくふたをしないで取り出せるようになってきたのだということも。
泉谷さんの作る焼き菓子の隠し味は「愛情」だという。
フランスで食べた手料理から、喫茶店のマフィンからもらった愛を、今度は彼が誰かに繋げていく。
STAFF
photo / text : Hinako Takezawa




