#009 [2023/12.15]

わたしたちの、このごろ

いつか、一人の悩みを
社会全体として受け止められる、
そんな地域の仕組みづくりに
貢献できたらうれしいです。

城戸口智也さんTomoya Kidoguchi

城戸口智也「わたしたちの、このごろ」

こう語るのは、4ヵ月間のキャリアブレイク期間を経て、来年度から大阪府・豊中市で地域福祉に関わる仕事に就く城戸口智也さん、25歳だ。

“Feel first, Learn after”
目の前にあった社会福祉

城戸口さん:実は福祉の文脈に興味を持ち始めたのは、大学に入ってからなんです。

高校生まではこれと言ってやりたいことがなく、小学生のころに始めた野球をなんとなくずっと続けていたという。関西学院大学の人間福祉学部に進んだのも、「福祉が学びたい」という気持ちより、「家から近く、自分の学力を踏まえて勉強をがんばったら受かりそう」というのが一番の理由だったらしい。

城戸口さん:そんな単純な理由で入学を決めてしまったので、1回生のころは大学に行っている意味を見出せませんでした。新しい世界に自分から飛び込んでいくタイプでもなかったので、サークルにも入らず、ただ必要な単位だけを取ってアルバイトをし、休みの日は地元の友人と遊ぶ生活を繰り返していました。

しかし、大学2回生になると海外へ留学に行ったり、目標を立ててサークル活動に取り組む友人が増え、「自分もなにかやらなくちゃ!」という焦りや劣等感が生まれたそう。そんな時に彼の身近にあったのが福祉だった。

城戸口さん:所属していたのが福祉学部だったので、福祉の文脈で手軽に参加できるボランティア活動がたくさん用意されていたんです。特に興味があった訳ではなかったのですが、とにかくなにか始めなくては!という気持ちで、活動に参加するようになりました。

はじめは目的もなく生半可な気持ちで参加したボランティア活動だったが、その活動によって自分と真正面から向き合い、「やらなければいけない」から「やりたい」に変わっていったと話す。

城戸口さん:あるとき、薬物依存症の方々の交流会を開いている団体のボランティアに参加したことがあって。運営しているみなさんは、強い想いがあってその活動を企画されていて、流れで参加した私に「当事者と関わるとはどういうことかをよく考えなさい」と指導してくださいました。その問いを考えるなかで、人と関わるとは自分と向き合うことだと気づきました。考えないようにしていた中途半端な自分と向き合うことで、本気で福祉を学ぶ意欲が湧いてきたんです。

(写真提供:城戸口さん)

その後、児童や高齢、障害など、積極的にあらゆるジャンルの活動に参加し始めた城戸口さん。参加するたびに新たな問いが生まれ、その問いの答えを見つけるために大学の授業を選択し、学びを深めるようになったという。まさに”Feel first, Learn after”、まずは感じることで学びたいという意欲が湧いてくる。意味づけは意外とあとから生まれてくるものなのかもしれない。

コロナ禍での介護士という
ファーストキャリア。
やりたいことができない苦しさ

城戸口さん:私が興味を持ったのは「地域共生社会」でした。ボランティア活動などで多くの人の悩みを聞き、その悩みは当事者だけの責任ではなく、社会の制度や地域にも問題があると思ったんです。どんな人でもありのまま穏やかに暮らせる仕組みをつくりたいという想いで、そういったことができる就職先を選びました。

城戸口さんがファーストキャリアに選んだのは、京都府京丹後市に拠点を置き、保育所や介護施設など20近くもの福祉施設を運営する会社だった。一つの分野に偏らず、まるっと福祉全体のことが学べて自分のやりたいことができそう!と期待を膨らませていた城戸口さん。しかし、時代はコロナ禍。彼のやりたいこととコロナの相性は最悪だった。

城戸口さん:本当にとんでもないタイミングで福祉の世界に入ってしまったな、と。私が配属されたのは介護施設。京丹後の地域の活動などにも参加しようと意気込んでいたのですが、会社からは「地域活動禁止、交流禁止」の御触書が出され、さまざまな施設に研修へ行くはずだった予定もすべてオンライン研修に。施設内ではクラスターが起き、常に人手不足。休日返上で働く日々を2年近く続けましたが、力尽きて、退職することを決意しました。

その後、本当に自分のやりたいことをできる場所を探し、福祉に力を入れている兵庫県・豊岡市で就職活動を開始するも、なかなか仕事が決まらなかったそう。

(写真提供:城戸口さん)京丹後で生まれた地域のつながり。
きちんと挨拶できないまま地元に帰ってしまったのは心残りと話す。

城戸口さん:地域活動が制限される中でも、緩やかに京丹後内で良いつながりが生まれてきていたので、あまり場所を変えずにお隣の豊岡で仕事を見つけたいという想いもあったのですが……。結局、お金も仕事もなにもない状態で実家に帰ることになってしまいました。

大学時代に築いた
地域のつながりに助けられ、
第二章がスタートする

志半ばで地元に戻ってしまうことに不甲斐なさを感じていた城戸口さん。しかし、地元の人々が折れた翼を癒やし、もう一度立ち上がる勇気をくれたと話す。

城戸口さん:まず実家へ帰ったとき、なにも言わずに家族があたたかく迎え入れてくれたことが本当にありがたかったです。1ヶ月くらい経ったころ、SNSで地元に戻ってきていることを報告すると、大学時代につながった福祉やまちづくりに関わる方々が「またイベントにおいでよ!」とか「求人出すからうちで働かない?」とたくさんメッセージを送ってくれました。なにもなくなってしまったと思っていたけれど、自分が築いてきたつながりは消えずに残っていたことがうれしかったです。

本を読むのが趣味。グッときたところには付箋を貼るのが城戸口さん流。
キャリアブレイク中に背中を押してくれた言葉「闘うために逃げるのだ」。

城戸口さんは再び地元の地域活動に参加したりアルバイトをしたりしながら、心の健康と自信を取り戻し、自分のやりたいことができそうな就職先をやっと見つけた。不安はあるが、今またワクワクした気持ちでいるという。

城戸口さん:私自身も苦しかった時期に地域のつながりに助けられました。誰の悩みも社会全体で受け止められる、そんな地域の仕組みづくりに貢献していきたいです。そのためにはまず、基礎や現場を知ることから。人生第二章、がんばります!

編集部のまとめ

自分が辛いとき、その辛さを打ち明けられる人はどのくらいいるだろうか。
会社や家族という近いコミュニティーだけではなく、地域の中で頼り頼られる関係性を育んでいくことが暮らしの安心感にもつながるのだと城戸口さんから教えてもらった。
人生第二章、そんなつながりが自然と生まれる地域づくりを、きっと彼がしてくれるのかもしれない。

STAFF
photo / text : Nana Nose