#39 [2026/02.20]
わたしたちの、このごろ
いつか、食と表現に悩む人たちのための居場所をつくりたいです
清水春花さんHaruka Shimizu
こう語るのは、食品メーカーの店舗運営担当として働く清水春花(しみず・はるか)さん、24歳だ。
友人から、紹介したい人がいると言われて彼女にはじめて会ったとき、なんてわたげのような人なんだろうと思った。
でも話していくと、すっと一本たしかな芯が通っているのがわかる。
「この人は信頼できる人だ」と思うと同時に、その信頼がどこから生まれるのか、知りたくなった。
言葉のかわりに絵や料理で表現していた
兵庫県の自然ゆたかな地域で生まれ育った清水さん。
幼少期のことを振り返って「仲のいい子とも話せないくらい無口だった」と語る。
清水さん:自分が言ったことに対してどう思われるかを気にしすぎていたんだと思います。でも、逆にしゃべらないからイライラされたり、勝手に解釈されたりすることもあって。それに対しても何も言えない時期は苦しかったですね。
そんな彼女には豊かな感受性があった。話すことは苦手だったけれど、絵やお菓子作りで褒められることが多かったそう。
清水さん:学校行事が終わるたびに寂しくて泣いてしまうような子でした。だから、話せない代わりに絵や料理を通して喜ばれるのがうれしくて、好きになっていったんだと思います。

「食べることは、そんなに好きではなかった」そう話す清水さんが料理にふれたきっかけは、料理に苦しむ母親の姿だった。
清水さん:母は、ごはんを作るのがあまり好きじゃなかったんです。でも家族のためにがんばってくれていたから、じゃあ自分が作れたらいいなって。
そうやってだんだんと彼女は調理の楽しさを知っていったという。
言葉を交わすかわりに、誰かのためにごはんをつくる。言葉に苦手意識があった清水さんにとって、それが感情表現のよりどころになっていたのかもしれない。
食に苦しむ人のためになりたい
中学時の進路選択で、清水さんは食と農業を専門とする高校への進学を決めた。
しかし、中学卒業直前になって摂食障害になってしまった。
清水さん:環境が変わることや、新しい人と話すことへの不安で食べられなくなってしまったんです。でも、高校に入ったら周りは食べるのが好きな人ばかりなので、次は食べすぎるようになってしまって。
摂食障害に悩みながらも、食と農業について自由に授業を組んで学べる高校は、清水さんにとって魅力的な環境だった。コンテストにも積極的に挑戦していたという。
清水さん:自分で考えたスイーツのアイデアで賞をもらったとき、初めて認められた気がして。自分には食という表現が合っているのかなと思い、いつか自分の店を持ちたいと思うようになりました。

いつか自分の店を持つために、今は経験を積みたい。そこで清水さんが選んだのは栄養士の道だった。その選択には、自身の悩んだ過去が息づいていた。
清水さん:摂食障害に悩んだ経験もあったから、病気などで食に苦しんでいる人にも食を楽しんでもらえるような仕事がしたい。だから、パティシエじゃなくてまずは栄養士を目指したいと思いました。
どんな栄養士になりたいか
考え続けた2年間
栄養士になるための勉強をするべく、大学へ。そこでは、自分の好きな調理のことだけではなく、医学や化学などの専門的知識を学ぶ必要があった。
清水さん:勉強は得意ではなかったので、苦しい部分もあったんですけど。栄養士として活躍している人の話を聞くうちにやっぱりやりたいことはこれだなという感覚があって。栄養士といっても幅広く仕事があることを知って、どんな栄養士になりたいかを考え続けた2年間でした。

はじめは、病院などで働く栄養士をイメージしていたという清水さん。しかし、教員免許を取るためにはじめた勉強の中で、”食育”というあらたな価値観にふれることになる。
清水さん:そういえば、小さいころにきちんと食について学んだ記憶がないなと。食べることって大切なのに、自分も給食に苦手意識があったりして。だから、食って楽しいものなんだよということを、教えていける人になりたいと思ったんです。
こどもに食の楽しさを教えられる仕事がしたい。自分のなりたい栄養士像が固まってきたころ、食育に力を入れている保育園で栄養士の仕事を見つけ、就職を決めたのだった。
からだが先に限界を迎えてしまった
勤務地は、京都の宇治エリア。ひそかにあこがれていた京都で、食とこどもに関わる日々は充実していた。
清水さん:給食を作るだけでなく、食に関する行事を企画したり、こどもたちと一緒に献立を考えたりする仕事もあって。それに対するこどもたちの反応が想像以上にうれしくて、やりがいがありました。

しかし、やりがいをはるかに超えるほどの業務量に清水さんのからだは疲弊していったという。
清水さん:仕事に追われて毎日が一瞬でした。こどもに関わることだから責任感も大きくて、家に持ち帰ってまで仕事をしたりして。そんな日々にだんだんとからだが追いつかなくなって、家に帰ったら理由もなく泣いてしまうようになりました。
そのことを聞いた家族から半ば押し切られるようにして、仕事を辞めることに。
やりがいがあっても、からだが先に限界を迎えてしまった。
その後、すこし休んでから働き始めたのかと思いきや、すぐに転職したのだというから驚いた。
清水さん:まわりはちゃんと仕事してるのに、自分は1年半しか働いていない。取り残されるような気がして焦っていたんです。

「夢があるなら、今の仕事にこだわる必要もない」
そう言ってくれた家族の言葉に背中を押され辿り着いたのが、今の店舗運営の仕事だった。
食だけでなく、
表現をする人が関わりあえる場をつくりたい
今清水さんは、とあるおにぎり屋さんで店長をしている。
転職してみて一番に思ったのは、「社会は広いんだな」ということだったそう。
清水さん:栄養士としての道だけでなく、店舗運営の仕事も自分の夢につながっていくんだと感じています。栄養士の肩書きを捨てるつもりで入ったけど、栄養士としての経験が活かされる場面もたくさんあって。
お店には、常連さんも多い。1時間かけて通ってくれる人もいるんだとか。
きっとそれは、お客さんへの親しみやすさはもちろん、彼女が一緒に働くパートの人たちへの関わりにも細やかな配慮を惜しまないからだろう。
清水さん:職場がいい雰囲気じゃないと、それはお客さんにも伝染すると思っていて。相談しやすさもありつつ、指示するところはきちんとする。一緒に働く人にとって、信頼できる店長でありたいなと思っています。

いつかお店を持ちたいという夢は変わらずある。けれどさまざまな人との関わりを通じて、食を提供するためだけの空間ではない居場所を、今は思い描いていると話す。
清水さん:私自身、絵や音楽やお花などの食以外の表現にも興味を持っているからこそ、すべての表現をする人が関わりあえる場所をつくりたいなと思っていて。「表現をしたいけど不安」という気持ちがある人が肯定されて、夢に挑戦できるような居場所を、いつかつくりたいと思っています。
清水さんのやりたいことの根源にはいつも、「苦しむ人のために、自分が今できることをしたい」という思いがあった。
そしてそれが、彼女の人と接するときのやわらかさと、信頼できる芯の強さに表れているのだと、私には感じられた。
自分のよりどころとなってきたことと、その能力を、次は誰かのために使う。
それが仕事の本質なのではないかと、改めて気付かされる。
彼女の目を見て話を聞いていると、彼女がいつか開くであろう居場所のことを私も思い描くことができた。それはきっと、彼女がいつ何時も心の真ん中で、夢を灯し続けてきたからだろう。その夢の灯火を、私も見ていたい。
STAFF
photo / text : Hinako Takezawa



