#007 [2023/11.08]

わたしたちの、このごろ

自分を取り繕う鎧はまだ外せていません。
でも今は、そんな部分も含めて自分なんだと
愛おしく思えています。

北川茉莉さんMari Kitagawa

こう語るのは、「旅先の日常に飛び込もう」をコンセプトに、観光地から離れた小さな街にホテルを展開するベンチャー企業、「SEKAI HOTEL」に勤務する北川茉莉さん、25歳。

太陽のようなハツラツとした笑顔に、周りに対する細やかな気配りができる彼女の姿を見て、私は純粋に「羨ましいな」と思った。しかし彼女の人生を紐解いていくと、その姿は自己肯定感を保つために、必死にもがいてきた証だということが分かってきた。

北川さん:私、小学校から高校までは、学校内のヒエラルキーをすごく意識した生活を送っていたんです。小学生のころ、自分はヒエラルキーの一番底辺にいる存在だと思っていました。どことなくさえなくて、大人しい性格。いつもニコニコして当たり障りのない感じを演じながらも、いじめられないかと常にビクビクしていました。

そんな生活を送りながら、いつしか北川さんにはある目標ができる。それは、小学校から中学校、中学校から高校と、環境が変わるタイミングで自分の属するヒエラルキーのステータスを少しずつ上げていくことだった。

北川さん:それが自己肯定感を上げる方法だと思っていて、環境が変わるたびに意識的に属するグループを変えていきました。中学校では分かりやすく運動部に所属するとか(笑)顕著に変化を感じられたのは卒業アルバムのみんなからのメッセージです。小学校の時は少ししか書いてもらえなかったのに、中学校では色んな子からメッセージをもらえて。高校ではもう少しジャンプアップしたいと思い、出身中学からほとんど進学する人のいない高校を選びました。そこでは初めからヒエラルキーの頂点にいるような雰囲気の子たちと仲良くするようにしたんです。そして多分、高校3年間で夢にまでみた頂点に辿り着きました。

自己肯定感が上がることはなく、
むしろ精神的にしんどかった

しかし、満足のいく場所に行けたはずが、彼女の自己肯定感が上がることはなく、むしろ精神的にしんどかったという。

北川さん:自己肯定感を上げるために分かりやすいステータスを手に入れようとしていましたが、本来の自分の姿ではなかったのですごく居心地が悪かったんです。だから大学では違う山を登ることにしました。

外側だけをとり繕っても安心できないなら、内側を磨こうと決意した北川さん。そんなとき、学生で起業したり、何かの代表をしている人がキラキラ見えて、自分もそんな人間になりたいと思い始めたそう。
当時、英語が得意で社会課題解決の文脈に興味のあった北川さんは、大学入学後、目指すべき夢を見つけるため、学生団体へ所属し、途上国ガーナに支援活動へ向かう。ともに活動する仲間たちはやりたいことが明確で、「あなたは人生で何を成し遂げたいの?」と常に問われている感覚だったという。

ガーナで過ごした2ヶ月間は、北川さんにとって自分を客観的に見つめ直す時間となった。

北川さん:周りの人に見せたい自分の姿と本来の自分の姿に差異があることがはっきりとわかりました。正直に言うと、途上国に行っても自分の心は動かなかったんです。ある人に、「茉莉はガーナに来るために何十万もかけているのに、目の前にいる子どもたちに数百円もあげられないの?」と言われ、私は現地の人を助けるために行動しているんじゃなくて、自分が周りにいる人たちにがんばってると思われたくて行動していたんだ、と……。結局目指す軸は変えてもしんどさは消えなくて、取り繕ってきた人生には変わりがなかったことに気がつきました。

「自分がここにいていいんだ」という
安心感を得られる場所を探して

自分の満たされていない部分と初めて向き合った北川さんは、肩書きではなく、「私自身」に興味を持ってくれる人たちと出会い、「自分がここにいていいんだ」という安心感を得られる場所を探し始める。現在の職場を選んだのも、その理由が大きかったという。

北川さん:今もまだ完全に自分を取り繕う鎧を外せたわけではないんです。ベンチャー企業を就職先に選んだ理由の一つも、志を持っているとみんなに思われたいから。でもそれ以上に、インターンの時から私のそういった本質を理解して「あなただからこそできることをやっていってね」と言ってくれる職場で、「私が私のままここにいていいんだ」という安心感を得られたことが一番の決め手となりました。

今は、取り繕ってしまう自分が顔を見せても「そんな自分もいるよね」と愛おしく思えているそう。とはいえいつかは、取り繕わない自分のまま、心から叶えたい夢を見つけることが目標なんだと、教えてくれた。

編集部のまとめ

いつからか「自己肯定感」という言葉がよく飛び交うようになった。しかし、誰にだってどうがんばっても肯定できない部分はあるもの。そんな部分は肯定しようとするのではなく「受容」できるようになれば、少し気持ちが軽くなるのかもしれない。

そんな自分も、こんな自分も、そこにいてきっと大丈夫。

STAFF
photo/text: Nana Nose