#014 [2024/03.13]

わたしたちの、このごろ

人生のほとんどが仕事の時間。
だからこそ楽しくしたいです

古澤春さんHaru Furusawa

こう語るのは、CRMシステムの導入から定着までをサポートする会社に勤める古澤春さん、25歳だ。

大学4年から、飲食店の立ち上げや運営、商品開発にたずさわってきたが、約1年前に畑違いの業界に転職したという。

両親に「やりたい!」と思う気持ちを
尊重してもらえた幼少期

古澤さん:昔からずっと料理が好きです。2歳か3歳の誕生日プレゼントに、ケガしにくい子ども用の包丁を買ってもらって、お母さんと一緒に料理をしていました。全部自分でやりたくなって、お母さんがやってくれようとすると怒る、なんてことも(笑)。

幼少期に「あれをやりなさい」「これをやりなさい」と両親から言われたことはなく、放任主義だったそう。

古澤さん:習い事は英会話とピアノの2つ。どちらも私が「やりたい!」と言ったものでした。英語は、高校生までに書物を読むようになるほど好きになりました。

英語と同様、ほかの言語もわかるようになりたいという思いから、大学では外国語学部へ。数ある言語の中から直感的に惹かれたフランス語を専攻した。

古澤さんはおばあちゃん子。祖母が使っていたキーホルダーをお守りとして身につけている。「さまざまな場面でおばあちゃんが背中を押してくれるような気がする」と話す。

中学から大学にかけて部活に没頭。
留学計画がまっさらになって、
一気に気落ちしてしまう

中学〜大学時代は部活漬けの日々。年間休日が30日ない時期もあったというから、スパルタだったに違いない。

古澤さん:部活は吹奏楽とチアリーディングをやっていました。どちらも強豪校で指導がきびしく、くじけそうな時にくじけてる場合じゃなかったです。最後までやり抜くんだと、強い気持ちをもって練習した分ちゃんと成果がでたのがうれしかった。各々の努力と相互理解があってこそ、いい音楽ができて、いいパフォーマンスを披露することができます。仲間と一緒にやり切ることの楽しさを覚えました。

大学4年生で部活を引退。その後、フランス語が第一言語であるカナダのモントリオールへの長期留学を検討した古澤さん。大学3年生の時に短期留学で行ったことがあり、「必ずまたここに戻りたい」と強く思ったという。挑戦しようと決意した古澤さんだったが、新型コロナウイルス感染症の影響で計画が白紙になってしまった……。

古澤さん:留学のための休学期間に入ってしまっていたので、この一年、どう過ごしたらいいのかすごく悩みました。急いで就職活動を始めるのも、卒業論文や勉強に時間を費やすのも、国内留学をするのも、どれも納得できなかったです。ひとりで悩んでも仕方がないとは分かっていても、やりたいことに挑戦できない状況に落ち込んでいました。

これからやることが見つかった。
逆境からスタート。
ピンチをチャンスとしてとらえた

そんな矢先に、カレー屋を始めようとする大学生数名と出会う。

古澤さん:現実的に可能かどうかはさておき(笑)「ああいうことがやりたいよね」「じゃあやってみようよ」「来週は何する?」といった感じで、スピーディーかつ本気で話し合って、夢を語る姿を見て。「なんかおもしろそう!この波に乗りたい!これから私がやることはこれだ」と思いました。「こうしてみたらいいんじゃない?」と私もアイデアを出しているうちに、「じゃあはるちゃんこれやって!」と気づいたら仲間に入っていました。

屋号は「八O吉(ヤオキチ)」。大学生だけで構成された組織だったが、一大決心だとは一ミリも思わなかったという。

古澤さん:両親が自営業だった影響で、学生起業で「八O吉」を始めることを怖いとは思いませんでした。ただ、世の中全体が自粛モードになっている、飲食業界の売上が立たない時期に始めようとしているのはアホだったと思います(笑)。この状況を逆手に取ってポジティブに変換するとしたらどうするのが正解なのかを考え、まずはできることから、ということでカレーのデリバリー事業を始めました。

その後、1年ほどで実店舗を構え、驚異のスピードが話題を呼んだ。


古澤さん:やりたいことがあっても、恐怖心が勝ってセーブをかけてしまう気持ちもわかります。でも、どんな状況であれ、やりたいことをやる。勇気を出してやってみたら実は意外とできる。私たちが体現することで周りの人が勇気を出すきっかけになれたら、という思いもありました。人生は仕事の時間がほとんど。だからこそ、楽しくしたいです。

「八O吉」で勤めていたころ、仲間と四六時中一緒にいたという。家族よりも一緒にいる時間が圧倒的に長かったんだとか。

古澤さん:部活をやっていたころと似たような感覚、もしくはそれ以上にお互いを理解してうまいことやっていくことができました。喧嘩してでも話し合うことができる、という意味で同世代でよかったです。

このまま続けていいのかと、疑問を持った

本店(名古屋・自由ヶ丘)の店長であり、会社全体のコミュニケーションマネージャーだった古澤さん。お店を続けていく中でふと思うことが。

古澤さん:部活は引退の時期が決まっていて、終わりは自然とやってくる。仕事には終わりがなくて、良くも悪くも続けることができてしまう。次のステップに進みたくて、どこを自分にとっての「終わり」とするか、ずっと悩んでいました。

やめることをためらう一番の理由は、お客さまの存在だった。日々さまざまな年齢、業種のお客さまと出会う中で、特に年上のお客さまとの繋がりは古澤さんにとって大切だったそう。

古澤さん:好奇心旺盛な私にとって、経験豊富な年上のお客さまとお話する時間は貴重で、得るものが多かったです。逆に、お店での野菜の焼き方など、私が伝えられることで喜んでくれることもあって。互いに何かを交換する感覚が好きでした。だからこそお客さまとの関係を終わらせるのが寂しかった。たとえ会えなくなる人がいても、その人のことを思う気持ちは変わらないし、教えてもらったことも、いただいた言葉も、これから先ずっと自分の中にある。関係性がぷつっと切れるわけでもない。そう考えると、次のステップに進むことができました。

「八O吉」の仲間やお客さまとの出会いから、仕事の楽しさは「何をするか」ではなく「誰とするか」だと気づいた古澤さん。仕事内容よりも、働く環境や一緒に働く人、会社の風土を重視して決めた転職先で、現在プロジェクトマネージャーとして働いている。

古澤さん:まず、お客さまがどんなことがやりたいのか、ヒアリングします。課題を解決するためのシステムを導入して、そのお客さまに合わせた環境を構築することが、いまの私の仕事。人と話すことが好きなので、すごく楽しくやらせてもらっています。どうやったらお客さまに喜んでもらえるかを考えて行動する、という意味では今までと変わらないですね。「八O吉」のみんなから教えてもらったことが活きています。

現在の仕事も、古澤さんらしく仲間やお客さまとの関係を大切に楽しんでいるようだった。今後のキャリアについて、大切にしたい価値観ははっきりしている。

古澤さん:「誰かと一緒に生きていく」という状態が自分にとって大切です。一人でかじ取りをするのは、私にとってはストレス。だからこそ、仲間と一緒にいられる心地よい環境は、自分で用意しなければいけないと思っています。今の会社でいつまで働き続けるのか、違うことに挑戦するのかはまだわからないけど、「今ここに行きたい!やりたい!」と思った場所にいつでも飛び込める私でありたいです。

編集部のまとめ

やりたいことに夢中になって生きてきた彼女は好奇心旺盛。いつなんどきも明るく振る舞う姿が素敵だ。

そんな彼女も人間だもの。落ち込む時だって、もちろんある。すぐさまポジティブな思考に切り替えて、どんな困難をも乗り越えてきた。きっと、これから先もそうやって生きていくのだろう。

一度ネガティブモードに入ると抜けづらくなる傾向にある私。彼女のようにうまく切り替えられるといいな。物事は捉え方次第だと、改めて思った。

STAFF
photo / text : Re!na