#013 [2024/02.15]

わたしたちの、このごろ

どんなに世の中が不安定になっても、
自分の暮らしは揺るがない、
力強い生き方をしていきたいです

猿渡凜太郎さんRintaro Saruwatari

こう語るのは、現在長野県を拠点に樹木にまつわる仕事に携わりながら、環境問題の改善に取り組む猿渡凜太郎さん、24歳だ。

彼と初めて出会ったのは、私がフリーライターとして歩き始めたばかりのころ。
「文章の力で社会課題の解決にアプローチしたい」という野心だけを持ちながら、どんな一歩目を踏み出せばいいのかが分からなかった私に、確かな方向性を示してくれたのは、間違いなく彼だった。

どんなことがあってもいつも前だけを見て突き進む彼に、人生の話を聞いた。

協調性が求められる学校の雰囲気に
違和感を感じ続けた子ども時代

猿渡さん:僕、ちょっと変わった家庭で育ったんですよ。

玄米ごはんと麹料理の飲食店を経営していた猿渡さんの両親。
「自分の思ったことや愛情はきちんと口に出して相手に伝える」ということをなによりも大事にしている家庭だったそう。

猿渡さん:両親の影響で、幼いころから自己主張はかなり強かったと思います。学校でも少し浮いてたんじゃないかな。協調性を大事にする学校の風潮にはずっと違和感を感じていました。

そんな猿渡さんだったが、小学生のころからチームスポーツであるサッカーにのめり込んだことで、自己主張と協調性のバランスを大切にできるようになったと話す。

猿渡さん:バランスは大事だよねと(笑)チームメイトとぶつかりながら、その大切さを学んでいきました。それでも大人になって改めて、この家庭で育ってよかったなと思います。協調性を大事にしすぎて自己主張を押し殺していると、自分の意見がだんだんなくなってしまいますから。

その後、プロを目指して21歳までサッカーを続けた猿渡さん、将来は単身ドイツに渡ってプレイすることを考えていた。

環境問題に対する絶望感。
自分には何ができるだろう。
おのずと生き方の選択肢が狭まった

彼の思い描いていた人生を180度変えたのは、大学入学後に突きつけられた環境問題の現状だった。

猿渡さん:明確なきっかけがあったわけではないのですが、もともと母がそういったことにアンテナを張っている人だったので、自然な流れで勉強し始めた気がします。いろんな文献を読み漁り、現状を知れば知るほど絶望感にさいなまれました。

課題に対し、自分にはなにができるかを考え始めたタイミングで、時代はコロナ禍へ。
環境への課題意識と海外渡航ができなくなったことが相まって、サッカーではない人生を考え始めたという。

猿渡さん:正直サッカーなんてしている場合じゃないと思いましたね(笑)とにかく何かしなければと。そんなとき、愛媛県のみかん農家に行くことがあって、そこで自分のやるべきことが明確になりました。

飲食店の家庭で育った背景から、特に「食」の課題に関心があった猿渡さん。みかん農家で収穫作業を手伝いながら、文献の中だけで見ていた課題を実際に自らの肌で感じ、解像度がグンと上がったそう。

猿渡さん:生産地でこんな大変な思いをされている方がいるのに都会でぬくぬく環境問題のことをうたっていてもなにも変わらない。

猿渡さんは全国の農家を巡り始め、自分が感じたことや課題を記事化して発信したり、都市部の人が農業の現状にもっとアプローチできるようなイベントを開催するようになったという。

生産地を巡り、収穫した食材を使って消費地でイベントしたときの様子

そうするうちに、今度は農家を巡るだけでなく、自分で身をもって体験したいという思いが強くなり、ハーブとエディブルフラワーの栽培をメインに行う千葉県の農家へ就職を決めた。
しかし、そこで彼は挫折を味わうことになる。

無鉄砲だった自分を思い知る
それでも見えてきた新たな道

猿渡さん:意気込んで農家に就職したものの、その会社が自分の肌に合わなかったんです。今思えば、うまくいかなかったのは気持ちだけが前のめりになって無鉄砲だった自分のせいだと思います。

目標は揺らがずにあったが、出る杭を打たれてしまい、これからどうしようかと悩んでいたとき、繋ぎのために始めた長野県での大工仕事に魅了されたそう。

猿渡さん:3ヵ月限定の仕事で。その間に自分の方向性を考え直そうと思っていたのですが、そこで出会った高齢の大工さんに感銘を受けました。その人は自分で森を切りひらいて自分で家を建てていて。環境問題の改善策として、食べ物やエネルギーなど、自分の暮らしにまつわるものをできるだけ全て自分の手でつくりたいと思っていた僕の心にすごくフィットしました。
家がつくれれば、ほぼ全て自給的な暮らしをかなえられるじゃないですか。

そして今、気づけば長野の山奥に暮らし始めて約2年。
自分で家を建てる術を学びつつ、2023年からは林業の廃材を集めて加工し、生活の中で使えるプロダクトを提案しているブランド「yaso」にてクリエイティブディレクションを担当。
廃材に経済的な価値を生み出すことで、間伐を促進させ、山の生態系を守ることをミッションに掲げているそう。

アプローチの方法は変わっても「環境問題を改善したい」という思いは、大学時代からなにも変わらない猿渡さん。

猿渡さん:環境に負荷をかけない形で自分の生活をつくりたいという思いは変わりません。以前と変わったのは、外に発信していきたいという気持ちがなくなったことですね。今は発信することよりも、目の前のことに対して100%向き合っていきたいです。自分の生活を自分でつくれるようになった時に、おのずと外には伝わっていくんじゃないかな。

編集部のまとめ

「行き当たりバッチリ」とはよく言ったもの。
しかしバッチリいくのは、どんな困難にぶち当たっても、目的を見失わずに前だけを向いて突き進む力強さがあるからだ。

今後どんな風に世界が揺れても、彼の軸足は決して揺らがないのだろう。

アプローチ方法は違えど、私も「文章」という手法でよりよい未来を作り上げていこうと改めて心に誓った。

STAFF
photo / text : Nana Nose