#49 [2026/08.06]

わたしたちの、このごろ

「人生ってむずかしい」と思ったとき、初めて自我が芽ばえたんです

石井大貴さんDaiki Ishii

こう語るのは、石井大貴(いしい・だいき)さん、22歳だ。

自我が芽ばえた。彼がそう感じたのは、大学2年生のとき。
そして、今はそのきっかけを与えてくれた会社で、石井さんは働いている。

流されるままに生きていたというそれまでと、そこからの3年間で何が変わったのか。
その歩みを教えてくれた。

流されるままに生きていた

愛知県の知多半島で、小学校教員の母のもとに生まれ育った石井さん。小学校5年生より前のことは記憶にないと話す。

石井さん:小学校の間ずっとソフトモヒカンだったことくらいしか覚えてないんです(笑)変なやつだと思われていたんじゃないかな。

小学校高学年から中学校まではずっと生徒会や、応援団の団長など目立つポジションに手を挙げていた。それは、教員の母や、活発な姉の影響が大きかったという。

石井さん:姉が生徒会に入っていたから、自然と自分もやるんだろうなと思ってました。先生の息子、姉の弟として、名前も覚えられていたので。今思えば、なんとなくそれに乗っかっていたんだなと。

生徒会や団長などの活動はやってみれば楽しく、自分にも合っていた。だからこそ、流されるままそのキャラクターをまっとうしていたと話す。

そんな小中学生から一転、高校からは地元を離れ、名古屋の高校へ進学することを選んだ石井さん。

石井さん:名古屋に出た方がいいよと親に言われていた影響もあるんですけど。今思えば、先生の息子、姉の弟みたいなものから逃れたかったのかもしれません。

親もとを離れ、ゆかりのない土地へ

進学した名古屋の高校でも、これまでと変わらず充実した日々を送っていた石井さん。部活動に打ち込むばかりで、特に勉強もしていなかったという。

進路を選択するころになると、まわりと同じようになんとなく大学に行くことに。学部はなんでもよくて、ただとにかく親もとを離れたい気持ちはあったのだそう。

石井さん:地元の大学に通っていた姉が、家でだらけた生活をしてて、大学生になるとこうなるんだって(笑)「自分で生きていく力をつけないと」って漠然と思ってました。

愛知県以外ならどこでもいい。そうして石井さんが進学したのは、縁もゆかりもない島根県の大学だった。しかし、親もとをはなれ、知らない土地に行っても、劇的に生活が変わるかといえば現実はそうではなかった。

石井さん:島根に来ても大学と家の往復で、これまでと変わらず流されるように楽しく過ごしてましたね。

現在石井さんが活動している、島根県雲南市の景色

そんな石井さんに転機がおとずれたのは、大学2年生のとき。キャリアデザインの授業で、地域の教育系の企業にインターンに行くことに。

石井さん:母が教員であることと、島根に来て地方と都市の教育格差を感じていたので、なんとなく教育にはずっと関心があって。教育系の企業を探しました。

選んだのは、県外や県内からその地域に大学生を呼び込み、地域全体で若者の活躍できる環境をつくっている会社。これが現在働いている会社との出会いだった。

「人生ってむずかしい」という気づき

インターン1日目、会社を訪れた石井さんにかけられた言葉は「何をしてもいいよ」だった。

石井さん:大学生のキャリア支援をしている会社だから、今の自分のためになることを何でもすればいいよって。そこで初めて、自分の将来について向き合うことになりました。

インターンを通して自分の人生に向き合ってみることになった石井さん。そのとき彼の心にはじめて芽生えたのが「人生ってむずかしい」という気づきだった。

石井さん:人生の選択肢って無限にあって、正解も攻略法もないし、選び方もだれも教えてくれない。こんなの悩んで当たり前じゃん。どうしたらいいんだろうって。

学生たちと手入れしている畑を見せてくれた

ただそこで、石井さんは悩み立ち止まるのではなく、大きく一歩を踏み出した。わからないなら知りたい。真っすぐなその気持ちで、キャリアに関する勉強をはじめ、翌年にはキャリアコンサルタントの資格を取得。当時一緒に受けている人のなかでも最年少だった。

さらに、冬には同じ会社が企画する1ヵ月のインターンにも参加。春を迎えるころには、その会社で働いてみないかと声がかかり、アルバイト兼インターンとして働き始めることになった。

就活での言葉に突き動かされて

資格も取得し、大学3年生でキャリアに関する会社で働き始めた石井さん。きっと就職活動は早めに始めたのだろうと思いきや「それが……かなり遅れてました」と意外な答え。

石井さん:そのころの僕は、学校祭の実行委員の活動に夢中だったんです。3年の秋までひたすら学校祭のことを考えて、そのあと燃え尽きてしまって。あんなに人生ってむずかしいって思ってたのに、肝心の自分の人生を考えることを忘れてしまっていたんです。

民家のすき間を抜けて、まちを案内してくれた

大学3年生の冬から遅れて始めた就職活動。資格を生かせる人材系の会社を中心に面接を受けていくなかで、今の会社に入ることになる大きなきっかけが訪れた。

石井さん:アルバイトでやっている内容や会社の活動を面接で話したんです。そしたら「あなた、その会社に入った方がいいんじゃない」って。

その言葉に突き動かされ、社長に直談判して面接をし、無事採用。会社で働きはじめて3年目の春、社員として石井さんは入社することとなった。

現場と学問を行き来しながら働きたい

アルバイトとして2年間働いてきて慣れている部分があっても、社会人としてはまだ1年目。関わる人が増えていき、コミュニケーションで悩む場面もあるという。

石井さん:クライアントにはこの話し方、まちの人にはこの話し方って自分を使い分けすぎてしまうんです。もちろんマナーは大切だけど、飾らない自分自身のまま、すべての人と関われるようになりたいなって。

人との関わり方に加えて、石井さんが模索しているのは、仕事と研究の両立だ。実は、働きながら、大学時代の研究を今も続けているのだという。

石井さん:学生がどのような要因で進路を選択していくのかにやっぱり興味があって。学生にインタビューをしてデータを集めているので1年では足りず、2年かけて取り組んでいます。

働きながら研究をしているなかでで気がついたのは、現場と学問のあいだのずれ。そのずれを少しずつでも埋めていきたい。それが、今の石井さんの目標だという。

石井さん:研究だけしていても、実際の声は反映しにくい。自分が現場と学問を行き来することで、実際の学生の声を研究に生かしていけたらなと。その活動を通して、大学生がより自分にあった進路選択ができる環境をつくっていきたいと思っています。

編集部のまとめ

インタビューの間、自分から満面の笑みでまちの人に声をかけていく石井さん。
このまちと人が大好きなのだと、全身から伝わってくる。

自我が芽ばえる前、流されるまま生きていたという彼だが、その割にはなにごとに対しても熱量が高い。目の前のものごとに全力で、楽しみながら取り組んできたからこそ今の石井さんがあるのだと思う。

「自我が芽ばえてから3年なので、僕は今3歳なんです」
そう彼は笑っていたが、前を歩くその背中には3歳とは思えないたくましさがあった。

自分の人生を、自分の足で歩いている人の背中だ。そう思った。

STAFF
photo / text : Hinako Takezawa