[2025/07.11]

暮らしのお買いもの

【このごろコラム】
思いがけない出会い
手書きのはじまり

「これ、あげる」

先輩から手渡されたのは、ボールペン、だろうか。

『なんすか、これ、ボールペン?』

疑問を率直に口に出すと、先輩は笑った。

「万年筆。これ見たらその顔が真っ先に浮かんでさ」

そう言った先輩と、バチっと目が合った。

万年筆。初めてさわったかもしれない。
物珍しさにしげしげと眺めていると、先輩は続けて言った。

「わかるよ、最初はボールペンだと思うよね。それくらいカジュアルに、みたいな、そういうコンセプトなんだって」

なるほど、キャップが透けているから、よく見たら万年筆だということは容易に分かるものの、ぱっと見は完全にボールペンのそれである。ただ、”万年筆”という近づきにくさはあまりないかもしれない。

「てか、物書きでも万年筆は使ったことないんだ」

趣味で物書きをしていることをこっそり打ち明けていたのを覚えていたようだ。というか、いまどき、万年筆と原稿用紙を使って物書きをしている方が珍しいだろう。先輩だって毎日パソコンに向かっているはずなのに。物書きだって同様である。

「じゃ、後で感想教えて」

先輩はそう言ってオフィスを後にした。
これで何を書こうか。
いつもなら、何かを書くとしたら真っ先にワープロを開くのだが、万年筆を指先で遊ばせながらそんなことに思いふけっていた。

”おかえり”の代わりに 
添えるひとこと

例の万年筆を手に取った。試し書きをしてみたかった。
ペンを動かすたび、中身がカタカタと音を立てて揺れているのが気になっていた。

キャップを外してコピー用紙にペン先を立てても、インクが出てくる気配がない。

カタカタの正体、出ないインク。
謎を解き明かすべく、ペンを解体する。
インクがセットされていないがゆえに、カートリッジが空洞の中を動き回る音だったのだ。

なんだこれ……

ボールペンとまったく違う使い勝手に戸惑う。どうやってセットするのだろう。
帰り際に再び会った先輩に替えのインクをもらっていたことを思い出した。

説明書きの通り、ぐっとカートリッジに力を入れて押し込むと、カチッとハマる音がした。
もう一度紙にペンを滑らせる。

インクが白い紙を染める。
これはおもしろい。

ボールペンとは明らかに違う。
濃淡がきれいだと思った。
文字に表情が生まれる。

ふと、机の端に積み重なったメモ帳が視界に入る。
同居人が置いていったものだ。

かわいい、気分が上がる、ほわっとした色やタッチが素敵、などと褒め言葉を連ねていたような気がする。
ぺらぺらとめくってみると、意外としっかりとした紙質だった。

1枚めくって、筆を走らせた。

同居人は本日夜勤である。
同居人が夜勤のときは朝食を自分が作っておくことがいつの間にかルーティンになっていた。
ふだんは適当な付箋に記しているが、こうしてなごやかなイラストが描いてあるだけで華やかに映る。

自分は同居人が帰宅するより早く出勤するため、直接いたわることがかなわない。だからこそ、少しでも癒やされてほしいと思う。

ちいさな重み
ことばに乗せて

梅雨が消えたらしい。とはいえ、肌にまとわりつく空気の湿り気やべたつきは、ただ晴れているだけのそれに違いなかった。

そして、先輩も消えたらしい。という言い方は少々乱暴なので訂正したい。先輩は育休中である。

こちらも仕事が落ち着いたので、出産祝いを渡そうと思った。
そしてそこに、一筆加えることにした。

先輩はプライベートでも仲よくしてくれていた。
いつも確かに存在していたはずの隣のデスクが空っぽなだけで、こんなにも日々の意欲が上がらないものかと痛感する。

いないのは寂しいが、家庭を持って、子どもを育てるという覚悟と決意は相当だと思う。本当に尊敬する。

先輩は相変わらずな様子だった。

「お、サンキュー」

いつもの軽い口調でそう言いながら、手紙を読んでいるようだった。
それほど長くない文量にしたはずなのに、思ったよりも時間がかかっているような気がする。

「うん、ありがとう」

ずっしりと心地よい重みだと思った。
この世界に生まれ落ちたばかりの小さな命は腕の中ですやすやと眠っていた。

交わる想い
つなぐインク

同居人がせわしなく梱包を解いていた。

「お礼状送らないと……!」

どうやら、ご両親からお中元が届いたらしい。
お中元を送ってくれるという親も、それに対してきちんとお礼状を送る子どもも、律儀な家族である。
かく言う自分も、ふたりにはよくしてもらっていた。

幼少期から片親に育てられた自分には、両親がそろっているという状況自体、想像がつかなかった。
片方は顔も知らないし、もう片方は働きに出ずっぱりだった。
実家を出るまで不自由のないようにしていてくれたことへの感謝はもちろんある。ただ、それ以上でもそれ以下でも、愛も情もない。

そんな自分でも、ふたりに会うと”愛情”みたいなものを感じられるのだ。
実子のように接してくれる。
きっとこのお中元も、同居人宛てというよりは、自分たちふたりに宛ててくれているのだろう。

『お礼状さ、書くよ』

自分も、ご両親に何かしらの形で感謝を伝えたいと思った。
ちょうど、素敵な一筆箋も、万年筆もある。

同居人は目を見開いて固まったかと思うと、くしゃりと笑って、「ありがとう」と言った。







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STAFF
photo & text :千凪 -Sena-