#16 [2025/04.14]

せんぱいたちの、このごろ

自分を出していいって思える、ここはそんな場所です。

鴨井歩果さんAyuka Kamoi

そう話してくれたのは、神戸・北野にあるショップ「FARMSTAND」でマネージャーを務める、鴨井歩果(かもい・あゆか)さん、26歳だ。

有限会社Lusieが運営するこの店で、彼女は仕入れから接客、店舗運営までを担いながら、週に一度、英会話教室で子どもたちに英語を教えている。

ある日の昼下がり、FARMSTANDの扉を開けると、ふわりと土の香りが鼻先をかすめた。棚には、兵庫県内の農家さんから届いた季節の野菜や果物、丁寧につくられた加工品が並ぶ。その向こうで、やわらかな笑顔でお客さんに声をかけていたのが、鴨井さんだった。

ひとつの肩書きにおさまらず、「好き」と「やってみたい」に素直に手を伸ばす生き方。そこには、誰かに見せるためではない、自分との対話を大切にしてきた人だけが纏う静かな芯があった。

自分の好きをかたちづくってきた、
子どもと関わることと英語

鹿児島で生まれ育った鴨井さん。
心にずっと息づいていた「好き」は子どもと関わることだったそう。

鴨井さん:子どもと関わるのは、小さいころからずっと好きでした。両親が共働きだったので、放課後は保育園と併設された学童で過ごしていたんです。

そんな環境で育ったからだろうか、将来の夢は「保育士になること」だった。
そんな彼女に、もうひとつの「本物の好き」が加わったのは、中学1年生のとき。アメリカへのホームステイが、人生で初めての大きな転機となった。

鴨井さん:母からの勧めで1ヶ月間アメリカでホームステイするプログラムに参加しました。

違う言語、異なる価値観。すべてが新鮮で戸惑いもあったけれど、それ以上に胸を動かされたのは、「伝える」という感覚のちからだった。

鴨井さん:アメリカでは、自分の意見を言わないと伝わらないのが当たり前で。もともと、人前で何かを発言したりするのが苦手だったのですが、その環境の中で、少しずつ、自分の気持ちを言葉にすることの大切さを学びました。

英語が通じたときの喜び。誰かと心を通わせられたと感じた瞬間。そのひとつひとつが、鴨井さんの中にすっと染み込んでいった。「面白い」「もっと知りたい」と思える「本物の好き」に出会えた初めての体験だったと振り返る。
帰国後も、その感覚が消えることはなく、英語に向き合う時間が、彼女にとって特別なものになっていった。

鴨井さん:性格がガラッと変わったわけじゃないけど、初めて心から好きだと思えるものに出会えたことが、何よりもうれしかったです。

夜間学科で学んだ、
ありのままでいることの大切さ

高校進学のとき、鴨井さんは英語に特化したコースを希望していたが、両親の勧めで選んだのは普通科の高校だった。

鴨井さん:高校の段階で英語だけにしぼるのは、まだ早いんじゃないかって。高校でいろんな教科を広く学ぶことで、学びたいことを学べる大学が見つかったときに、その大学に挑戦できる自分、それを選択できる自分であってほしいと思ってくれていたようです。

それでも、彼女の気持ちは揺るがなかった。英語をもっと知りたい、もっと学びたい。その思いは、時間が経つほどに確かになっていった。

鴨井さん:結果的に普通科を選んでよかったと思っています。だっていろいろ学んだ上で、英語をやりたいって気持ちは変わらなかったから。本物だったんだなって自信になりました。

大学受験では、迷わず英語が学べる学部だけを志望。第一志望にしていた大学の英米学科は、センター試験の点数がわずかに足りず受験できなかったが、どうしても諦めきれず、ふとパンフレットを開いたとき、同じ大学の同じ学部に「夜間学科」の存在を見つけたそう。

鴨井さん:夜間ってだけで、学ぶ内容は昼間と同じだったし、何よりも担任の先生が夜間出身だったことも大きくて、ここに行こうって自然と決められました。

夜間部には、年齢もバックグラウンドも違う、さまざまな人生を歩んできた人たちがいた。昼間は仕事をしていたり、旅をしていたり、がむしゃらにバイトに打ち込んでいる人がいたり。

鴨井さん:みんな違うからこそ、自分もそのままでいいと思えるようになった。

誰かと同じでなくていい。むしろ、違っていていい。そう思えた大学時代の経験が、今の鴨井さんのしなやかな軸を支えている。

立ち止まる時間が必要だった

大学では教職課程を履修し、英語の先生になることも見据えていたという鴨井さん。子どもと関わるボランティア活動にも積極的に参加し、その中で確かな手応えを感じていた。

鴨井さん:自分が得意だって胸を張って言えることは、やっぱり子どもと関わることでした。

しかし、卒業後すぐに教師になるという道は選ばなかった。
鴨井さんがファーストキャリアに選んだのは、学習塾を運営する会社。その会社の、点数だけで子どもを評価しない方針に共感し、ここなら自分の思いが活かせると感じたが、現実は想像以上に厳しかった。

鴨井さん:楽しいこともありました。でも、それ以上にしんどくて……

塾の世界は特殊だった。サービスを受けるのは子ども。でも、お金を払うのは親。子どもがどれだけ楽しそうにしていても、親が納得していなければ、あっけなく辞めてしまう。そんなギャップに、次第に心がすり減っていった。

鴨井さん:半年たったころ、ある日「プツン」って糸が切れた感覚があって。仕事のことを考えるだけで涙が止まらなくなった。限界を感じて母に電話をかけると、「帰っておいで」と言ってくれて、1ヶ月の休職期間を取って、鹿児島に戻りました。

辞めたい気持ちはあった。でも、まだ半年しか働いていない。このタイミングで辞めるのは逃げなのではないか。そんな思いが彼女を悩ませた。

鴨井さん:だけど、このままじゃいけないって思ったんです。私はなにがしたいのか。どんな場所で、どんな人たちと働きたいのか。その問いにちゃんと向き合おうと思いました。

呼ばれるようにして出会った、
現在の居場所

転職先を探していたある日、ふと心に浮かんだのが、現在の職場、FARMSTANDのことだった。
大学時代を過ごした神戸で、野菜の定期便を通して親しんでいたお店。就職を機に引っ越しが決まったとき、最後に一度だけ立ち寄ったことがあるそう。その際、「定期便を利用しているものです」と声をかけると、スタッフが「もしかして鴨井さんですか?」と名前を覚えてくれていたことが、ずっと記憶に残っていた。

鴨井さん:ほんとに、なんの前触れもなく急に思い出したんです。気になって調べてみたら、ちょうど1週間前から求人が出てて。呼ばれてるって思いました(笑)

英語でも子どもでもない。これまで積み重ねてきたキャリアとはまったく違う職種。でも、店に流れる空気や、人と人との距離感、あのとき感じた居心地のよさが、ふいに心をほどいてくれた。

鴨井さん:ここでなら働けそうって思ったんです。英語や子どもは一旦脇に置いてでも、まずは自分の心が健康でいられる場所を選びたいって。

不思議なことに、ちょうどそのころ、頭の中で描いていた理想の働き方のイメージは、「二足のわらじを履くこと」だったという。好きなことをメインじゃなくてもいいから、細く続けていたい。

鴨井さん:実際に応募してみたら、スタッフさんが私のことを覚えていてくれて。もう絶対にここだって思いました。ここでなら、自分のやっていることを、自信を持って人に話せるって思った。

導かれるようにしてたどり着いた場所。FARMSTANDとの再会は、偶然のようでいて、じつは彼女自身がずっと探していた必然の居場所だったのかもしれない。

自分のペースで歩けるから、
やりたいことがあふれてくる

FARMSTANDで働きはじめて、気づけば3年目。いま、鴨井さんが一番強く感じているのは、この場所に流れている「人の空気」の心地よさだ。

鴨井さん:とにかく人がいいんです。ここ以外ではもう働けないかもしれないって思うくらい(笑)

スタッフの中には、鴨井さんと同じように別の仕事を持っている人も多い。肩書きも働き方も、それぞれ違っていていい。むしろ、その「いろいろ」が、場のやわらかさをつくっている。

鴨井さん:自分を出してもいいって思える場所。大学時代に感じたあの感覚が、ここにもあるんですよね。

FARMSTANDを運営する有限会社Lusie自体が、いくつもの事業を手がけている会社だからこそ、働き方に対する柔軟さがある。「こうでなければならない」がない。そんな環境の中で、鴨井さんは、自分の「やりたい」にも少しずつ手を伸ばしていった。

鴨井さん:働きはじめて1年がたったころ、オーナーが「やってみたら?」って言ってくれたんです。私が何気なく「英会話教室をやってみたい」って言ってたのを覚えてくれていて。

当初は不安もあったそう。「自分にできるだろうか」と思う気持ちのほうが大きかったものの、周囲がその声を拾ってくれたからこそ、夢がかたちになったと話す。

鴨井さん:最初はキャパ的に無理かもって思ってました。でも実際にやってみたら楽しくて。どのくらいまでならがんばれるか、今はちょっと休みが必要だな、みたいな感じで自分の声がちゃんと聞こえるようになってきました。

どこまでがんばれるか、どこで立ち止まるべきか。その境界線が自分の中でわかるようになったのは、この職場に余白があるからだという。誰かに急かされるのでも、無理に合わせるのでもなく、自分のペースで自分の道を歩けるから、自然と「やりたい」が湧いてくる。

そしてなにより、いろんなことをしている人が、ここにはたくさんいる。ひとつに絞らなくてもいい。そんな肯定の空気に包まれながら、鴨井さんは今日も、自分の足で、軽やかに日々を進んでいる。

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※有限会社 Lusie は、2025年5月から株式会社 緑青舎へと社名が変わります。

STAFF
photo / text : Nana Nose