#43 [2026/05.15]
わたしたちの、このごろ
いまは、あまり遠くを見すぎずに。手もとの生活をちゃんとしたいと思っています
桐山尚也さんNaoya Kiriyama
こう語るのは、IT企業でテストエンジニアとして働いている桐山尚也(きりやま・なおや)さん、25歳だ。
インタビュー中も、道端でふざけてみたりする桐山さん。
あかるくほがらかで、笑顔の絶えない人だ。
人と話すこと、人を喜ばせることが大好きだという彼は、いまIT企業で働いている。
意外に思えるその選択は、「許せないこと」をしないための彼なりの一歩であると、話してくれた。
社交的なこども時代
桐山さんは、新潟県で大学職員の両親のもと生まれ育った。幼少期の自分を「かなり社交的だった」と振り返る。
桐山さん:親の社員旅行について行って、ひたすら親の同僚に話しかけてました。30人くらいに折り紙を配り歩いていたらしいです(笑)
そのころから、”博愛主義”だったという桐山さん。他者に興味があって、いろんな人と仲良くなりたいと思っていた。
桐山さん:折り紙を配っていたのも、「一緒に折り紙折ろう」って言うと大人たちがにこにこして喜んでくれたのが、うれしくてやっていた気がします。

歌を歌うことで認められた
幼いころから人に喜ばれることがうれしかった桐山さん。中学生になると人前で歌を歌うことに目覚めはじめたんだそう。
桐山さん:よくカラオケに行っていた友人が、楽器をやりたいって言い出したので、じゃあ僕が歌うわって。ぬるっと始めたんですけど、3年くらい続きましたね。
学校の文化祭や、地域の合同演奏会に応募して、舞台に立つ日々。歌を歌うこと自体が好きなことに加えて、歌うごとに自分が認められていく感覚があった。
桐山さん:勉強はずっと下位クラスだったし、運動もパッとしない。あのころの僕は何かひとつくらい秀でてるものがほしかったんだと思います。バンドをやることによって、学校の中の評価軸から出ることができた気がしました。
歌うことが自信になっていった桐山さんは、大学でもアカペラサークルに入部。桐山さんの声質がアカペラ向きだったこともあり、歌で評価されることがさらに増えていったという。
桐山さん:バンドのときは、楽器が弾けないことに引け目もあったんです。でもアカペラでは6人でひとつの音楽を作り上げていける。仲間と一緒に音楽やってる!って実感できるのが楽しくて。

1年目ですでに文化祭のメインステージに立つなど活躍していたが、2年目でコロナが流行。桐山さんの活動の足を止めることとなった。
フランス留学は
エレガントに
コロナ禍において、集まって歌を歌うアカペラの活動を続けることはむずかしかった。流行の波がすこし落ち着いたころ、桐山さんは「留学」という次なる挑戦に向け舵を切った。
桐山さん:高校卒業後すぐ就職した両親は、事あるごとに僕には「留学でもなんでも、いろんな経験をしてほしい」と言っていて。自然と、外国に行ってみたいなと思うようになりました。
留学先をフランスに決めたのは、「エレガントな感じがしたから」だという。「エレガント?」と聞き返すと「これには理由があって」と桐山さん。
桐山さん:名前の「尚也」にこめられた願いが「高尚な人になりなさい」で。自分にとっての「高尚」の解釈のひとつが「上品で、エレガントであること」かなあって(笑)

”エレガントさ”を求めて向かったフランスは、期待以上にエレガントで、自由な国だった。
桐山さん:自分が生きたいように生きたらいいという文化を感じましたね。好きな服を着て、好きなときに、好きなところに行く。人の目は気にしない。そんなところが好きでした。
フランス留学を通して、「人の目を気にせずに自由に生きる」ことの豊かさを知った桐山さん。しかし、帰国後に待ち受けていた就職活動では、人の目を気にせずにはいられなかった。
意気込んでいた就職活動
留学に行ったことで、まわりの同級生より1年長く大学生として過ごしていた桐山さん。帰国後すぐにはじめた就職活動は、「意気込んでいた」と振り返る。
桐山さん:人より多くを経験しているんだから、がんばらなきゃ。かけたコストをペイしなきゃって無理に意気込んでいました。
留学に費やした時間やお金を無駄にしたくない。その気持ちが裏目に出て、最初は語学力を活かせるかを基準にはじめた就職活動も、だんだんと給与を重視するように。
桐山さん:最終的に、初任給の高さにひかれて会社を決めてしまったんですよね。

入社したのは営業代行の会社。ロボットのように1日に何件も同じフレーズで営業電話をかける。雑に扱われても粘り、デメリットを聞かれてもごまかしながら、電話をかけ続けた。
桐山さん:「人に迷惑をかける」とか「嘘をつく」とか自分の中で許せないことが仕事の中心にあった。それが、ものすごくしんどくて。心がすり減っていきました。
日に日に強くなる”転職”への気持ち。それでも、仕事の内容を上司に調整してもらったり、部署異動を申し出たり、変えられる部分はすべて変えてみようとためし続けた。が、部署を異動してみてもなお変わらない苦しさに、転職を決意した。
許せないことを
しないために
働きながら転職活動をしていたところに、大学の友人からとあるIT企業を紹介されて面接を受けることに。
ITの知識も経験もなかった桐山さんは、「とりあえず受けてみよう」くらいの気持ちでいたが、話を聞いているうちに営業よりエンジニアの方が自分にはあっているかもと思いはじめたのだという。
桐山さん:エンジニアには資格という共通した評価軸があり、営業とちがって嘘をついたり、気合いというあいまいな軸で判断されたりしないかもしれない。自分の許せないことをしないために、この道に進んでみようと思ったんです。
実際に働いてみると、前例のない事例をひとりで任されるなど大変なこともあるという。しかも、1年の間に会社の都合で2度も転勤を経験している。でも、「しばらくはここでがんばりたい」と話す。
桐山さん:いまは、あまり遠くを見すぎずに手もとの生活をちゃんとしたいと思っていて。「日常の小さなストレスを減らす」とか、「休日も観光地に行くんじゃなくて、近所のお店を開拓して新しい居場所を見つける」とか。そういう生活を大切にしたいと思っています。

「毎週通いたい店を、もう見つけたんですよ」と笑う彼は、いまとてもすこやかそうに見えた。
さまざまな経験を積むことは、自分の世界を広げてくれる。
しかしその反面、その時間やコストに見合った成果を上げなければと、自分で自分の首をしめてしまうこともある。
一度は焦りから自分の特性を見つめることをせずに、わかりやすい目の前の成果だけを手に入れようとした桐山さん。
でも、その経験から「自分の許せないことをしない」という大切にしたい軸を手に入れた。
最初の就職活動のことを、彼は「失敗だ」と言っていたが、「失敗」ではなく、それもまた自分の大切にしたいことに気がつくための、ひとつの経験なのではないだろうか。
一つひとつ手もとにあるものから、自分の生活をつくること。
遠くを見ずに、いま立っている場所から自分の人生を歩くこと。
そこからはじめることの大切さを、教えてもらった。
STAFF
photo / text : Hinako Takezawa




