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山口とも さん

東日本大震災で思ったこと
もう今までのような環境は必要ないと言わんばかりの災害、人災だったように思えてなりません。
被災された方々には何と言っていいやら言葉が見つかりません。
色々な映像を見ていて「生きていた方が良かったのか、死んでしまった方が良かったのか。」
誰もが目の前で起きた肉親の悲劇を、受け止めるなんてことは出来ないです。
何が起こっても不思議ではない、と言うことを想定しておかなければならないのだと、
自分の身に替え改めて思いました。
この災害で地球は何を教えてくれたのか。
便利になった事で人間本来の感覚が無くとも生きられる環境を作り上げて、行き過ぎてしまったこと。
全く危機感の無い環境、自分本位の生き方しか出来ない人間。
そんなものが浮き彫りになってきたようにもちろん私自身も含め、私の目には見えました。
明るすぎる夜道。
いつでも手に入る缶飲料。
電車に乗っても、店舗に入っても、スーパーに行ってもホテルに行っても上着を持っていないと寒い夏。
コートを脱げないのに過剰な暖房。 温度管理は同じ人間がしています。
人のためにと思ってやっていることが過剰に行き過ぎている。
マニュアルに沿ったことしか対応できない。
人間がこの地球上に生活を始めた頃のようにすれば、これ以上良いことは無いでしょう。
太陽が降り暗くなったら寝る。昇って明るくなったら起きる。
そんな社会生活であればエネルギーはそんなに要らないように思います。
災害と言うのは地位とか名誉とかに関係なく全ての人々に振り
かぶって行く、同じ目の前で起きた現実を体験すると、ふとどんな
人間でも同じ人間なんだと気づかされます。
物が溢れかえっている世の中、それを見ると欲が出ます。それ!本当に必要なんでしょうか。
生産する人たちも安くてすぐに壊れてしまうものはもう必要ありません。
本当に愛着の湧く良い一品があれば、儲けようと思った瞬間、思いやりは破壊されているようにも思います。
山口とも

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山口 とも(やまぐちとも)さん
日本廃品打楽器会長・パーカッショニスト・フォトグラファー

祖父、山口保治は「かわいい魚屋さん」「ないしょないしょ」など数々の童謡を創った作曲家。1980年「つのだ☆ひろとJAP’S GAP’S」でデビュー。解散後、フリーのパーカッショニストとして数々のアーティストのツアーやレコーディングに参加。95年の音楽劇「銀河鉄道の夜」をきっかけに廃品から様々なオリジナル楽器を作るようになる。04年には日本演芸協会の福岡詩二氏から”打楽器コメディアン”の称号をもらう。「音楽=音を楽しむこと」をモットーに近年は子供から大人まで楽しめる音楽を目指し、オリジナル廃品楽器を使ったパフォーマンス活動をし注目を浴びている。ガラクタに命を吹き込む打楽器奏者。

神戸学校 山口 ともさんのアーカイブはこちら

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