フェリシモCompany

心を込めてつくり上げた、みなさんへの贈りもの

小林味愛さん

フェリシモでは、東日本大震災に対する息の長い復興支援活動の必要性から、2012年より10年間、女性による東北の産業復興を支援する「とうほくIPPOプロジェクト」を全国のお客さまと一緒に行ってきました。2017年に福島県の国見町で株式会社陽と人(ひとびと)を起業した小林味愛(みあい)さんは、この「とうほくIPPOプロジェクト」の支援企業に選ばれて、国見町の特産品である“あんぽ柿”の廃棄されてしまう皮を利用したデリケートゾーンケアブランド「明日 わたしは柿の木にのぼる」を立ち上げました。東京出身の小林さんが東北に根ざした活動をするようになった理由や、商品開発に込める思いについて伺いました。

自分の仕事は人に喜ばれているのか……葛藤の日々

————小林さんは、もともとは国家公務員だったそうですね。

小林 子どものころから人の役に立ちたいという気持ちが強かったんです。そう思うようになったのは、小学生のころ、親族のお葬式や法事に参列する機会がたびたびあったことからです。「あの人はこんなことをしてくれた」とか「地域のために尽くした人だったね」などと、その人の素敵な思い出を語り合ったりして感謝されている人もいれば、そんな話はひとつも出ない人もいたりして。子どもながらに人生は誰かの役に立って生きた方が楽しく素敵なのかもしれないって感じました。

人の役に立つといえば公僕である公務員だなと考えて、国家公務員になりました。そして、公務員になった年度の終わりの3月に東日本大震災が起きたのです。社会の役に立ちたいと思って公務員になったのに、こんなに政治が行われている近くで働いているのに、モニターに映る被災の状況を目の当たりにしながら何もできず、無力感が込み上げてきました。

小林さん

これは有給休暇を取ってでもボランティアに行った方がいいと思い、石巻にすぐさま向かいました。小学校で瓦礫を運ぶ作業をしていると、グラウンドから児童が使っていたものを次々と目の当たりにして……。肉体的にもきびしいものでしたが、それを上回るほど精神的にきつくて、現場で倒れてしまいました。ボランティアに行ったのに、逆に迷惑を掛けることになってしまった。その反省を胸に、思いだけでやみくもに突っ走るのではなく、自分ができること、得意なことで東北の役に立とうと決めました。

————東北の役に立とうと決意して、次にどのようなアクションを起こしたのですか。

国家公務員の仕事は制度をつくることですが、実際にそれで現地の人がどれくらい喜んでくれているのかは見えません。だったら現地に行って仕事をしようとコンサルティング会社に転職したんです。地方創生にかかわる仕事だったので、可能な限り東北の案件を選びました。とはいえ、民間企業なので会社の利益が優先される現実に直面します。現地の人の思いとかけ離れている気がして、自分の中でどう折り合いをつければいいのかわからなくなってしまいました。

現場に根ざした活動をしようと国見町に移住

国見町に移住

————転職したものの、そこでも価値観のギャップに苦しむことになったのですね。

小林 自己矛盾を抱えながらも3年間仕事を続けましたが、大きなことはできなくても、1人でもいいから「ありがとう」と言ってもらえて、行動と思いが一致する人生の方がいいと思い、会社を辞めました。外からではなく現地に根ざした活動をしようと、移住も決心したんです。

移住先に選んだのは、県北にある国見町。当時、福島県には多くの人が移住したり企業が復興支援に入ったりしていましたが、国見をはじめ県北はほとんど注目されていませんでした。津波の被害はなくても、建物の倒壊や特に農業への影響があった地域で、農家さんはみんな泣きながら農地を除染していました。ここならば、私でもお役に立てることが見つけられるかもしれないと考えました。

————地域に縁のない小林さんが東京から越してきて、町の人の反応はどんな感じでしたか。

小林 歩きながら会う人、会う人に「何かできることないですか」なんて話し掛けていたりして、怪しまれました(笑)。それで、私はここにずっといるという意思をわかってもらいたくて、会社を立ち上げたんです。

事業計画もままならず、そのころやっていたことといえば農家さんの草刈りや農作業のお手伝い。毎朝4時に畑に伺って作業を続けているうちに、農業での困りごとも含めていろいろなことを話せる間柄になっていきました。ご自宅での食事に呼んでくれたり、差し入れをいただいたりするようにもなりましたね。

ご自宅での食事に呼んでくれたり、差し入れをいただいたりするようにもなりました

軸となった「商品開発は贈りもの」という哲学

————2017年に起業した際には事業計画がなかったそうですが、どういった経緯で柿の皮での商品開発がスタートしたのでしょうか。

小林 国見町は桃と柿が特産なので、これで何かできないかと。最初に目をつけたのは桃です。まずは桃を食べに食べ、種からオイルを抽出してみましたが、ほとんどオイルが取れません。

桃の種からオイルを抽出しようとするも、含まれる量が少なく、商品化は断念
桃の種からオイルを抽出しようとするも、含まれる量が少なく、商品化は断念

桃が失敗に終わって、柿の季節が到来。調べたら柿の学名は「ディオスピロス・カキ」、ギリシャ語で「神の食べ物」。「いけるかも!」とピンときました。

早速、国立国会図書館に通って論文や文献を調べ続けたら、柿の効果や効能に関するデータが収集でき、確信のようなものを持ちました。ところが、資金がないのでなかなかその先に進めません。そんな時期にフェリシモさんに出会って、大きな一歩を踏み出すことにつながりました。

————国立国会図書館でデータ収集とは、官僚時代の経験も生きていたのですね。フェリシモとの出会いでは、どのようなことがあったのですか。

小林 コンサルタント会社時代の友人が「商品開発を視野に入れているなら、仙台のフェリシモの事務所に行ってみたら?」と教えてくれたのです。実際に行ってみると、私の話を親身に聞いてくれて、「とうほくIPPOプロジェクト」のことを紹介してくれました。
ここでフェリシモ主催の商品開発力のための無料講座があることも知り、迷わず受講しました。講座でいちばん印象に残っているのは、商品開発って、贈りものなんですよ」というフェリシモの講座担当者さんの言葉です。コンサル時代は、商品開発はマーケティング手法が重視されていただけに、ハッとさせられました。その考え方は、当時も今も私の大切な軸となっています。

明日 わたしは柿の木にのぼる

————第7期(2017年募集)「とうほくIPPOプロジェクト」の支援企業に選ばれて、基金はどのように活用されたのでしょうか。

小林 柿の皮の研究です。摘果した青柿や、農家さんの事情で収穫できないまま残ってしまった完熟柿、そして渋柿を半生乾燥させた“あんぽ柿”を作る際に出る柿の皮を研究機関に持ち込んで、成分分析や抽出方法の検証などをしてもらいました。その結果、柿の皮にポリフェノールやビタミンCが大量に含まれていることがわかりました。

商品化に向け、柿の皮の成分を調べ試作する日々
商品化に向け、柿の皮の成分を調べ試作する日々

これは「とうほくIPPOプロジェクト」の支援があったからこその大発見です。国見町の名産“あんぽ柿”の製造過程で廃棄されていた柿の皮が化粧品原料として登録され、付加価値をつけることができたのです。これにより、農家さんの新しい収入源にもつながりました。

国見町の名産“あんぽ柿”の農家さん

実際に商品を企画するにあたっては、贈りものとしての意味を込めることも大切にしました。私は会社員時代、“鉄の女”と呼ばれるくらい長時間労働や休日出勤も当たり前のハードな働き方をしていたんです。結果、もともと弱い肌が荒れていたり、婦人科系のトラブルに悩まされたりして、心身共にコンディションが悪かった。だから痛感していたんです。自分の心とからだの状態がよくないと、健全に誰かの役に立ったり、誰かにやさしくしたりできないと。そこで、女性の心とからだの状態を健やかに保てて、日々の自分の状態がチェックできる商品を贈りものにしたいと思いました。

それからもうひとつ、福島でものづくりをしているのだから海を絶対に汚さないものを作ること。原料はすべて天然由来のものにして、海に流れても、畑に流れても環境に負荷を掛けず、完全に自然に還るものを作ることも譲れない部分でした。

あんぽ柿

————「明日 わたしは柿の木にのぼる」というネーミングも素敵です。

小林 「贈りもの」として気持ちを伝えようと考えました。男性に負けまいと、がむしゃらに働いた日々。あのとき、誰かが「それ、明日でも大丈夫だよって」言ってくれたらどんなに救われただろうって。だから、私たちのブランドは「明日で大丈夫だよ」と言える存在になりたいと思いました。それで「明日」から始まっています。

「明日 わたしは柿の木にのぼる」

「わたしはのぼる」は、自分で人生を選んでいけるという意思表明。「明日」と「わたし」の間が半角空いているのもこだわりで、時間や心のゆとりなど、ちょっとひと息入れる感覚を表現したかったんです。パッケージのデザイン制作にこだわることができたのも基金の一部を活用できたからこそ。金箔はデリケートゾーンをイメージしたもの。アイテムによって箔のデザインが違うのは多様性を表現しています。

防災グッズとしてフェムケアアイテムを

防災グッズとしてフェムケアアイテムを

————福島で開発された「明日 わたしは柿の木にのぼる」のフェミニン ミストは、新しく発売する女性用の防災セット
「もしもしも防災 (for Ladies)どんなときでも わたしらしく過ごすための7つの魔法の会」をサポートするアイテムになりました。

小林 感慨深いですね。阪神・淡路大震災のときも東日本大震災でも問題になっていたのですが、声を上げる人が少ないから避難所でのフェムケアの問題が表に出ず、なかなか改善されない状況だと感じています。防災備蓄は自治体の男性職員が担当することが多いので、フェムケアについては行き届かないこと、配慮が足りないことが多くなりがちです。避難所で男性職員の所にナプキンをもらいに行くのに躊躇するとか、トイレに行きにくい環境で生理中は不快感が増すとか。

自治体を動かすのはむずかしいけれど、せめて自分でできる備えとしてフェミニン ミストを1本持っておくのは大切なことだと思います。被災時に化粧品なんて贅沢品だととらえられることもあるのですが、私は人間の尊厳のための必需品だと思っています。ただでさえつらい状況なのに、デリケートゾーンが乾燥したりかゆくなったりしたままでは、身体的にも精神的にも負担が大きいですものね。

今では、フェムケアについての発信も大切な仕事に
今では、フェムケアについての発信も大切な仕事に

フェミニン ミストと共に、女性目線の防災グッズとして備えておいた方がいいアイテムとして、拭くタイプのフェムケアシート、月経カップをおすすめします。生理でもナプキンを長時間取り替えられない、お風呂に入れないという状況でも、ミストや拭き取りシートがあれば、からだも気持ちもらくになるはず。それから、月経カップは大きさや形によって合う、合わないがあるので、平時から試しておくといいですね。平時ではより衛生面に気を払って専用の洗浄剤で洗ったりしますが、災害時は水がない状態でもフェムケアシートで拭けば繰り返し使用できます。

————過去の苦しかった経験や、商品開発での試行錯誤は、こうして「明日 わたしは柿の木にのぼる」という形で実を結んでいるのですね。

小林 農家さんはありがとうと言ってくれるし、お客さまからもお手紙が届くんですよ。ブランドの考え方に救われたとか、子どもや孫にプレゼントしたとか。この道を選んで本当によかったですし、かかわってくださっているみなさんに心から感謝しています。

————フェリシモの会員のみなさまが支援した企業の商品を、防災商品としてお伝えできることは、私たちにとっても喜びです。素敵なお話をお聞かせいただきありがとうございました。

プロフィール

小林 味愛
株式会社 陽と人(ひとびと)代表取締役
こばやし・みあい 

1987年東京都立川市生まれ。2010年慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、衆議院調査局入局、経済産業省へ出向。2014年に退職し、株式会社日本総合研究所へ入社。全国各地で地域活性化事業に携わる。2017年8月、福島県国見町にて株式会社陽と人を設立。子育てをしながら、福島県と東京都の2拠点居住生活を送る。

この記事をシェアする
Twitter
Facebook
LINE

コメント

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。

コメントを投稿する
ページトップへ戻る