#020 [2024/08.10]

わたしたちの、このごろ

いま学んでいることを活かし、いつかまちに貢献できるような場づくりをしたいです。

野原愛さんAi Nohara

こう語るのは、現在神戸市で受付事務の仕事をしながら、通信制の大学に通う野原愛さん、25歳だ。

私が初めて彼女と出会ったのは、約3年前のこと。
当時の彼女は、神戸の温泉街にあるゲストハウスでスタッフとして働いていた。
いつも与えられた仕事だけでなく、どのようなことをすればゲストハウスやこの地域がよりよくなるのかを考え、率先してアイデアを出していく姿は、とても素敵だった。

しかし、私が彼女を見てきたなかで一番輝いて見えた日は「もう一度大学に行くことを決めたんです!」と打ち明けてくれた日。そのキラキラとした表情の裏には「今いる場所からやっと前に進めるんだ」といった安堵感のようなものが見え隠れしていた。

その日から約2年。
久しぶりに会った彼女は、あのころよりもさらに自信をつけたような表情をしていた。

祖母に連れられ地域行事に参加していた幼少期
自然と地域活性化に興味が湧いた

富山県の片田舎で、三人姉妹の末っ子として生まれた野原さん。
共働きの両親に代わり、面倒をみてくれていた祖父母とともに過ごす時間が長く、祖母に連れられて地域行事に参加することも多かったそう。そのなかで、野原さんはあるものと運命的な出会いを果たす。

野原さん:よさこい踊りです。住民運動会で祖母とよさこいを踊ったことがきっかけで、その楽しさに目覚めてしまいました(笑)

しかし当時、自宅近くでよさこい踊りを習える場所がなく、送り迎えの大変さなどから、なかなか習いごとにすることを許してもらえなかったという。

壁に飾られたペーパークラフトのパンダがかわいい

野原さん:諦めきれなくて、ずっとお願いし続けていたときに、タイミングよく近所にいる友人のお姉さんがよさこいチームを立ち上げることになったんです。その友人とは家族ぐるみで仲がよかったこともあり、習いごとにすることを許してもらえました。

その後、小学6年生から高校3年生になるまで、地域のよさこいチームに所属した野原さん。日常的に地域住民とコミュニケーションをとる生活の中で、ある感情が芽生えていった。

野原さん:地元のまちづくりに対してもどかしいと思うことが増えました。私の住む地域は高齢者の方が多いのですが、その世代の人たちとコミュニケーションをとっていると、バリアフリーやバスの本数の少なさなど、地域の中のあらゆることに困りごとを抱えている人が多かったんです。「なんでもっとこうしないんだろう?」とか「こういうことにお金を使えばいいのに」という疑問が募っていきました。

大好きな祖父とともに。膝に乗っているのが野原さん

そんな想いから、大学では地域活性化につながるまちづくりについて深く学びたいと思った野原さん。まちづくりのノウハウを専門的に学べる富山の大学を探し、進学を決めた。

充実したキャンパスライフに突然訪れた悲劇

大学入学後は、思い描いていた通りのキャンパスライフで、自分の学びたいことを学べる環境に毎日胸が高鳴っていたという。

野原さん:地域のお祭りだったり、無形文化財を守っていくための研究会にも参加して、忙しいながらも日々充実した生活を送っていました。

そんな楽しいキャンパスライフに突然影を落としたのは、野原さんが所属していた「よさこいサークル」での人間関係だった。

野原さん:サークル内である問題が起きてしまい、そのことがきっかけで心がしんどくなってしまいました。問題自体は解決しても、大学へ向かうとどうしても辛くなってしまって……

一度立ち止まることが必要だと感じた野原さんは、意を決して休学することを決めた。

野原さん:学問の面では本当に充実していたのですごく悔しかったのですが、このまま前に進むことはできませんでした。

とはいえ、ずっと家に閉じこもっていても状況はよくならない。野原さんはアルバイトをしたり、ひとり旅をして外の世界との接点を積極的につくっていったという。

居心地のいいまち、神戸で再出発。
一度諦めた人生をもう一度歩きなおす

しかし、どれだけアルバイトやひとり旅で気を紛らわしても、富山という場所に帰ってくるだけで、またしんどくなってしまう日々。
この場所で再出発するのはむずかしいと判断した野原さんは、大学を中退する決意をし、新たな地で生きていくことを決めた。

最近育てるのにハマっているというアボカドの木

彼女が再出発の地に選んだのは、休学中に初めてひとり旅で訪れた場所、神戸だった。

野原さん:本当に直感なんですけど、神戸でなら生きていける気がしました。まちづくりに興味があったことから、旅をしたときには地域に根付いたゲストハウスに泊まることを決めていて。神戸で初めて泊まったゲストハウスの居心地がすごくよかったのと、まち全体の居心地のよさも感じ、自然と神戸に行きたいと思いました。

なにもかもを捨て、逃げるように富山から神戸へと向かった野原さん。
どん底にいた自分を少しだけ救ってくれたゲストハウスという場所で、誰にとっても居心地のいい空間を自分もつくっていきたいと、当時神戸市内で求人を募集していたゲストハウスで、新たなスタートをきった。

野原さんは昨年結婚。彼女が描いたイラストを、夫が壁に飾ってくれているという

野原さん:新しい土地に行っても、初めは昔の辛かったことを思い出したりしてしんどくなっていたのですが、自分のやりたいことをなんでもやらせてくれるような職場で、だんだん前を向けるようになりました。

そんな生活を約一年ほど続けたとき、志半ばで諦めてしまった大学生活を、もう一度やり直してみたいと思い始めたという。

野原さん:心の片隅に中退してしまったことへの悔しさがずっとありました。でも打開策は思いつかなくて……。そんなときに前の大学でお世話になった先生が、通信制で私の学びたいことを学べる大学を紹介してくださったんです。

不安はあったものの、これでまた一歩前に進めるのかもしれないと思った野原さん。家族に相談するとみんなが背中を押してくれたそう。

その後は勉学に励むため、ゲストハウスよりゆるやかに働くことのできる今の職場に転職し、人生2度目の大学生活を送りはじめた。

野原さん:勉学と仕事の両立はときに大変なこともありますが、途中で諦めてしまったことをもう一度取り戻せている今は、すごく楽しいです。大学を修了したら、今度こそ学んだことを活かせる場所に就職してみたいですし、いつかは自分で、まちに貢献できるような場づくりをできればと思っています。

編集部のまとめ

こんなにも自分の心の傷に真正面から向き合える人っているだろうか。

立ち止まる勇気も逃げ出す勇気もなく、自分の負った心の傷に無理矢理蓋をしてしまったことが、私には何度もある。
その傷も、時間が経てば一見回復したかのように感じるが、きちんと向き合っていない傷は、ふとしたことでまたすぐに姿を現してしまう。

自分の心のSOSに気づいてあげられるのも、回復のための対処を施せるのも、自分しかいないのだ。

どれだけ辛くても、回復するまできちんと自分の傷と向き合い続けた野原さんは、きっともう大丈夫。
この先も力強く自分の人生を歩んでいくのだろう。

STAFF
photo / text : Nana Nose