#21 [2026/03.06]
せんぱいたちの、このごろ
成功も失敗も、すべて自分に返ってくるその緊張感が、今は心地いい
賀来知宏さんTomohiro Kaku
そう語るのは、神戸を拠点に不動産を軸とした事業を手がける賀来知宏(かく・ともひろ)さん、28歳だ。
彼が実践しているのは、いわゆる「不動産屋さん」と聞いて思い浮かぶ、売る・貸す・仲介する、だけでは終わらない。そこで働く人の暮らしが立つこと。近所の人が足を運ぶこと。お金が地域の中をまわり、次の挑戦へと受け渡されていくこと。
言い換えれば、「地域が、地域の血流で生きていくための仕組み」を、不動産という器からつくろうとしている。
その考えの源をたどると、海外で見た「豊かさ」と、都市のもろさを突きつけたコロナ禍、そして「貸して終わり」にしない現場の手ざわりがあった。
リスクを考えずに
やりたいことに突っ走った幼少期
神戸の中心部で、不動産業を営む父と専業主婦の母とのあいだに生まれた賀来さん。
幼少期は「おもしろそう!」と思ったことには、リスクを考えずに挑戦する、ちょっと危なっかしい少年だったそう。
賀来さん:ジャングルジムのてっぺんから落ちて救急車で運ばれたり、竹馬からの着地に失敗して粉砕骨折をしたり笑。母親が学校へ呼ばれる回数は「たぶんナンバーワン」だったと思います。
そんな賀来さんの生活に転機が訪れたのは、高校2年生の時に経験した、ニュージーランドへの短期留学だった。
新しい豊かさと出会った
ニュージーランドでの3ヵ月
ニュージーランドへの留学は、自分で決めた進路ではなかった。
賀来さん:どちらかというと英語は苦手だったんです。でも、僕の恩師でもある高校時代の英語の先生が、すごく親身になって英語を教えてくれました。だんだん理解できるようになって、楽しくなってきたときに、留学することを勧められたんです。

行き先は、都市ではなく、海と自然に囲まれた小さな町。インフラが整った都市で暮らしてきた賀来さんは、この場所で新しい「豊かさ」と出会う。
賀来さん:夕暮れどきにサンドイッチを持って浜辺に行って、ただ夕日を眺めたり、犬の散歩をゆっくりしたり。都市での暮らしと比べるとぜんぜん裕福じゃないんだけど、みんなそれをすごく楽しんでいて。こういう豊かさもあるんだな、自分はこれを目指したいなと思いました。
それまでの賀来さんは、「かっこよさ」や「成功」という外側の基準に強く引っ張られていた。けれどその町で、はじめて「暮らしそのものが豊かである」という感覚をからだで知ったそう。
この感覚は、のちに何度も彼を立ち止まらせることになる。
自分の語る言葉がすべて空っぽに思えた
自分で事業をしている父の背中を見てきたこともあり、「いつかは自分も経営者になりたい」という漠然とした目標を持っていた賀来さんは、大学で経済学を学んだ。
しかし、いったい自分がなにを仕事にしたいのかは、まだ明確に思い浮かばなかったという。

賀来さん:そんな状態で就職活動シーズンに突入しました。たくさんの説明会や面接を受けましたが、その時に面接官に自分が語る言葉が全部空っぽに思えて。心から思っていることを言えていない自分にモヤモヤしていました。
もう一度立ち止まって、自分自身の進むべき道をゆっくりと考えたい。そのためには、環境ごと変えたほうがいい。そう考えた賀来さんは、大学4回生のときに再び1年間留学することを決意した。
仕事と生活が地続きになっている感覚を
大切にしたい
賀来さん:アメリカ・ワシントン州にある、ポートエンジェルスというまちへ留学しました。答えを探しにいくというよりは、モヤモヤを抱えたまま暮らしてみたかったんだと思います。
そこで賀来さんは、かつてニュージーランドで感じた「豊かさ」を改めてからだの中に取り戻していく。

賀来さん:向こうの人って、仕事のために生きてないんですよね。生きる中に仕事がある感じがしました。高級車やブランド品は持っていないけど、家族との時間を大切にして、週末には自然の中に出かける。何を持ってるかじゃなくて、どう生きるかでやることを決めている人が多かった。
そのとき、ようやく腑に落ちたそう。自分は、お金を稼ぐために働きたいのではなく、豊かな暮らしをつくるために、働きたいのだと。
二足のわらじで歩いたファーストキャリア
帰国後、賀来さんが就職したのは「後払い決済サービス」を提供するベンチャー起業だった。
賀来さん:留学前に内定をいただいてた会社でした。迷っていた自分に、内定承諾を半年以上待ってくれたこと、留学中も何時間も時差がある中でオンラインで何度も向き合ってくれたことが入社の決め手になりました。会社のビジョンにも共感していましたが、「この人たちと働いたら自分の暮らしは豊かになる」と思ったことが大きかったです。

入社後は関西エリアの営業や、新規アライアンス開拓、プロサッカーチームとのスポンサー契約など、挑戦の機会を多く与えてくれたと話す。
賀来さん:常に挑戦を応援してくれた。やりたい!と言ったら、無理だと言わずに実現できる方法を本気で一緒に考えてくれました。
その挑戦の中で大きかったのは、入社2年目にして、会社で働きながら起業することを応援してくれたことだという。
賀来さん:父の背中をみながら、自分が起業するなら、やっぱり不動産かなと思い始めていました。やるなら早く始めたほうがいい。とはいえ、会社で学びたいこともまだまだある。どちらにも挑戦したい。そんなわがままを受け入れてくれました。

入社2年目で、地元・神戸に会社を立ち上げ、4年間は二足のわらじを履きながら懸命に働いた。
そして、昨年(2025年)の春、会社を退職し、一本の足で歩き始めたのだそう。
賀来さん:うまくいっているかと言われると全然です。でも、成功も失敗も、すべて自分に返ってくるその緊張感が、今は心地いいです。
「外に頼る街」は脆弱
だからこそ、ローカルがローカルを
支えるしくみをつくりたい
賀来さんが、自身の会社のビジョンに掲げているのは、「ローカルがローカルを支える世界」だ。
それは、コロナ禍に京都で働いていたときに見たまちの風景をみて、思いついたのだそう。
賀来さん:インバウンドが止まり、街が急に静かになる。店が続かなくなる。空気が変わる。外に頼ってるだけだったら、何かが起きたときにこれからも絶対にこうなると思いました。
観光客がいなくなるだけで、街が弱る。それは裏返せば、日常の足腰、地元の人が日常的に使う経済の循環が、充分に太くなかったということでもある。
そこで賀来さんは考え始めた。「残っていく街って、どんな街なんだろう」と。
賀来さん:ヒントになったのは、長く続く飲食店でした。どの店にも必ずリピーターがいる。地元の人が通っている。日常の中に溶け込んでいる。街も同じで、外からの特別な売上だけに頼らず、内側のいつもの選択が積み重なっている場所は強いなと。そういう場所をつくれたらいいなと思っています。

じゃあ、その循環を、不動産でどうやって太くできるのか。
不動産は、店や事業の土台になる。家賃は毎月出ていく。つまり、日常の循環の中でいちばん太く、お金が動き続ける場所でもある。
だからこそ、賀来さんは「貸して終わり」にしたくないと言う。借り手がその場所で続けられること。売上が立つこと。人が集まること。運営が回ること。そこまで含めてオーナーの責任だ、と。
賀来さん:ただ貸すだけではなくて、困りごとが起きたときに「それは借り手の問題」と切り離さない。むしろ、借り手の商売が育つことを、オーナー側の喜びとして引き受ける。そういう人と人との関係性で成り立つ、新しい不動産のかたちが、ローカルの循環にもつながっていくと信じています。
外からの追い風が止まったときに残るのは、内側で回り続ける力だけだ。
不動産という足場から、街の循環を設計しようとする賀来さんの姿は、経営というよりも、どこか「暮らしの設計者」に近い。
ローカルがローカルを支える世界。
それは、遠い理想ではなく、足もとの構造を変えることから始まるのだと教えてもらった。
賀来さん:気づいたら人ってお金に埋もれてしまう。正しそうな選択が、逆に自分の可能性を狭めてることもある。そういう罠を突っついてくれる本です。お金は大事。だけど、お金を貯めることが目的になると、暮らしは痩せる。豊かさは、どこか遠いところから運んでくるものではなく、日々の選択の中で育つものだと思っています。
STAFF
photo / text : Nana Nose




