#10 [2024/07.10]

せんぱいたちの、このごろ

「ここにいれば最低限は生きていける」今つくっているのは、かつて自分が欲しかった場所なんです

上野天陽さんTakaharu Ueno

こう語るのは、現在、神戸市長田区の北部に位置する丸山エリアで、空き家の再利用をメインに行いながら、その地域が潜在的に持つ魅力を再定義し、新たな人流を生み出すきっかけをつくっている、上野 天陽(うえの・たかはる)さん、26歳だ。

神戸の市街地から電車に揺られることたった15分。
待ち合わせ場所の「神鉄丸山駅」に降り立ったとき、風に吹かれて緑の香りがふわっと漂ってきた。
大きな山に閑静な住宅街。初めて訪れた場所なのに、妙な懐かしさを覚えて「ここでなら暮らしていけそう」と直感的に思った。

自然豊かな丸山地区
空き地の有効活用を漠然と考えていた子ども時代

上野さんは、生まれも育ちも丸山地区。市街地からほど近いエリアにも関わらず、自然豊かなこの地域の魅力に幼いころから気づいていたという。

上野さん:子どものころは虫取りやカニ採りなど、美しい自然があるからこそできる遊びをたくさんしていて、そんな生活ができるこの場所をすごく気に入っていました。

神鉄丸山駅から上野さんの活動拠点まで向かう道中の景色。なんだかジブリの世界……!

その一方で、高齢化などの影響により、年々空き家や空き地が増えていくエリアでもあった丸山地区。近所にある自然の中で遊びながら、その状況を肌で感じていた上野さんは、空き地や空き家を「うまく利用する方法はないか」と子どもながらに思っていたそう。

上野さん:小学生のとき、農村地域に行って畑作業や田植えを体験する校外学習に何度か行ったのですが、すごく楽しかったんです。地元の空いているスペースを利用して、日常的に畑ができたらよいのにな……と、漠然と考えていました。

しかし、当時はまだ小学生。「もったいない」と感じながらも、そのために行動を起こすことはできなかった。

井の中の蛙だった
必死にしがみついていた高専時代

自然の中で遊ぶことのほかに、絵を描くことや工作など、手を使ってなにかを作り出すことが好きだった上野さん。中学時代に進路を考えていたとき、「ものづくりが好きなら高専に行って建築の勉強をしてみたら?」と両親から勧められたそう。

上野さん:本当に何も考えていなかったんです(笑)。向いてるんじゃない?と言われて、確かにパースを描いたり、模型を作ったりするのは楽しそうだなと。そんな生半可な気持ちだったので、入学してからが大変でした。

5年を通して建築全般の知識を身につけていく高等専門学校。これまでは小規模な中学校で、ある程度よい成績を残せていたが、高専では周りのレベルについていけなかったという。

上野さん:そもそも入学できたのも、推薦入試だったからです。全く自分のレベルに見合っていませんでしたが、だからといって他の高校に編入するだけのエネルギーも持っていなくて……とにかく必死にしがみついていました。

何度もくじけそうになりながらも、なんとか卒業まで漕ぎつけた上野さん。短大卒業資格を取得し、大学に編入することもできたが、なにを勉強したいのかが分からなくなっていた上野さんは、就職することを決めた。

ファーストキャリアを半年で退職
この先自分はどう生きていけばよいのだろう……

上野さんがファーストキャリアに選んだのは、大手建築設計事務所内の設備部門だった。

上野さん:当時は空調の設計をメインにしていました。データセンターの空調設計の担当だったのですが、自分でコントロールできないことをわけのわからないまま仕事にし続けることへの恐ろしさを感じてしまって……。

また、勤務地は大都会・大阪。自然豊かな丸山地区から、毎日一時間半満員電車に揺られる生活も、彼の心を苦しめた。

上野さん:もう耐えられなくなってしまって、たった半年で退職することを決めました。でも、辞めたのはいいけど、勉強もできないし、就職も長続きしない自分は、この先いったいどうやって生きていけばいいんだろうと、ただただ不安が募っていきました。

焦る思いから立ち止まることを考えなかった上野さんは、学生時代にお世話になったという地元の設計事務所の門を叩き、その後すぐに再就職。地域に根付いた設計事務所で、行政と地域住民の間に立ち、まちづくりの計画をつくっていく仕事に従事し始めた。

「丸山地区をよりよくします!」
自分の存在意義を示すために公言したことだった

「何かしなければいけない」という焦りで始めた仕事だったが、自分の育ってきた地域のことを考える仕事は彼の肌に合っていた。

上野さん:地域の防災についての取り決めをしたり、空き家や空き地問題の解決策を話し合ったり。そんな仕事を3年続けるうちに長田区での地域ネットワークもグンと広がっていきました。

空き家を改装した上野さんの自宅の本棚。障子の扉を活用しているそう

あるとき、地域住民から「上野くんは長田で何をしていきたいの?と聞かれたとき、とっさに「丸山をもっとよい地域にしていきたいです!」と答えたそう。

上野さん:そのころ、自分のアイデンティティについて悩んでいました。はじめに就職した会社もすぐに辞めてしまったし、高専もなんとか卒業できただけ。社会のために自分はいったい何ができる人間なんだろうって。ある種存在意義を示すために公言したのかもしれません。

口をついて出た発言だったが、思い返してみれば、幼いころから丸山をもっとよくしたいと考えていたのは事実。やると言ってしまったからには、かたちにしなければと動き始めた。

自分が欲しかった場所は、
ほかの誰かにとっても欲しい場所

その後、上野さんと同じように丸山地区の可能性に着目した仲間も集まり、2021年から本格的に丸山地区での活動をスタートさせた。

上野さん:丸山地区って、市街地から近い自然豊かな場所ですが、遊べる場所や集まれる場所が極端に少なかったんです。人を呼ぶにはまずコンテンツを増やそうと思いました。

仲間とともに、空き家を買い取り、改装して人が集まれるスペースをつくったり、丸山地区のことを深く知れるZINEの制作をしたり。小学生のころに漠然と考えていた空き地の畑構想も実現させた。現在も少しずつ、喫茶店や本屋など、街の人が丸山地区に足を運びたいと思えるコンテンツを増やしている途中だという。

上)空き地で始めた畑の中につくったピザ釜

そんななか、上野さんは丸山地区を盛り上げたいもうひとつの理由を教えてくれた。

上野さん:仕事がうまくいかず、半年で辞めてしまったとき、本当は羽を休める場所が欲しかったんです。でも周りに取り残されてしまいそうで、立ち止まることができなかった。ここには今、家もあって畑もあります。お金をかけなくても最低限生きていくことはできる。一時的でもいいから、かつての僕と同じような状況の人が羽を休めるための場所を、ここにつくりたいんです。

都会の狭間にある丸山地区だからこそ、そういった機能を担っていけるとも考えているそう。
自分が欲しかったものは、少なからず他の誰かにとっても必要なもの。「この場所に救われる人がきっといるはずなんです」と話す彼は、自分の存在意義を確かに掴めたような、晴々とした顔をしていた。

上野さん:空き家と空き地問題に混乱していたドイツのライプツィヒという場所で、資金もスキルもない素人たちが立ち上がった事例が紹介されていて、丸山地区の活動を進めるなかでとても影響を受けた本です。誰もいない都市の隙間の可能性を教えてくれて、自分のやろうとしていることの後押しをしてくれました。

STAFF
photo / text : Nana Nose