-タケナカのこれ思てんねん。-
第2回『言葉遣いに思てんねん』

こんにちは。
ことば部部員のタケナカと申します。

まずは軽く自己紹介を。
今年で二十代も折り返し地点にきました。
昔から読書が好きで、基本的にどんな本も読みますがテーマが重ための本が好きです。
細かいことが気になり、つい言い過ぎて母から小姑と呼ばれた事があります。

こんな私が普段うっすら思っているあれやこれを徒然に書くエッセイ「タケナカのこれ思てんねん。」
毒にも薬にもならないけど「なるほどなぁ」となるかもしれない、超プラシーボなエッセイです。


みなさまの「思てんねん」の投稿ありがとうございます。
そんな中で今回気になったコメントをピックアップ。

しゃりんばいさん
「日常にあふれる二重言葉が気になります。例えば「過半数を超える」など
スルーしてもいいけど、なんだかモヤッとします。」

第二回はそんな言葉遣いについて僕の思うことを。
今回もひとつ、お手柔らかにどうぞ。


『ギャルを飼う』を考える

最近「心にギャルを飼う」という言葉をしばしば耳にする。

言いたいことも言えず、言っても一寸の先は闇なこんな世の中。「自分を持ってポジティブマインドで生きる」そんな象徴であるギャルを心に降ろして?荒波を乗り切るほうが、生身の己でぶつかっていくよりも傷は浅く済む。頼りにしつつ全面には出さずに、辛いときの心の避難場所や切り札ということだろう。ふむ、納得だ。

と、思っていたのだがなにか引っかかる。
それはギャルという概念や世俗のライド方法というよりも「飼う」という言葉にである。

飼うとは動物に餌をやって育てるとの意味。ギャルを飼うという言葉のニュアンスは分かるのだが、いささか意味が強すぎるしちょっと不健康に感じる。

とはいえ「育てる」や「養う」だと扶養と被扶養のような上下?的な関係が見えて雰囲気を変えてしまうし、調べている際に見かけた「インストール」という単語もITっぽくてギークさがあるからかギャルとは相性が良くない気がする。「住まわせる」「宿す」もなんか違うしなぁ。

「なにが答えなんや?」と聞かれたら明確には答えられない。
ただ「どれもなんだかしっくり来ない」というのが今のところの答えだろうか…


「父の背中がどうも近い」

「ギャルを飼う」という言葉について色々と書いていてふと思い出したことがある。

私の父は言葉遣いについて非常に厳しかった。
「やばい」を使ってお叱りを受けるのは日常茶飯事。

「全然〇〇!(大丈夫など)」は「全然は『ない。』につくのだからこれは誤用だ。」や、近しいことを意味する「ほぼほぼ」という表現は「ほぼ」だけで意味が伝わるのだから重ねるな、などなど…(←これも絶対に怒られる)

挙句の果てには、一世を風靡した大人数アイドルグループの人気メンバーTOP7のことを「神7」とテレビが呼んでいたことに対して、「これは人であって神ではない」と一人で憤慨していた。(今思えば色々と危ういニュアンスだ)

正確に言うと、言葉遣いに厳しいというよりも、父の中での線引きがかなり厳しかった。
あの頃は細かいことを言われるたびに「うるせ~~!!! めんどくせぇこと言ってんじゃねぇ!!!」と心のなかで激しく反抗していたのだが、今はどうだろう。ギャルを飼うという言葉に詭弁を突きつけているではないか。(しかも、我に返って見つめ直すと理由すらあってないような、いちゃもんレベルである。)

自分は「ああ」はならないようにと避けてきた道に、少しづつ近づいてしまっている。
そして、この事実にハッと気づいたときの、なんともいえぬ悲しさよ…

自分がさらに老いたときにどうなっているのか、なんとなく予想できてしまうのも辛いが、四の五の言っても仕方がない。
初心に戻り「意味がわかれば何でも良いっしょ!」という大らかでポジティブなマインドが必要なのかもしれない。

今こそ心にギャルを飼うべきなのだ。


好きと嫌いとマイルール、自我と自意識にがんじがらめのぐるぐる人生。
そんな中で普段思っていることをポツポツと書いていきます。

ぜひ、あなたの普段思っているけどなかなか言えないなあ、なことも教えて下さい。
ご投稿はこちらから。

次回の「タケナカのこれ思てんねん。」もどうぞお楽しみに。


フェリシモことば部『ことば部の本棚』では、 みなさんの投稿も募集しています!

あなたの好きな本や、本の中で出会った言葉のこと、教えてください。