-タケナカのこれ思てんねん。-
第1回『人の家の絨毯』
初めまして。
ことば部部員のタケナカと申します。
まずは軽く自己紹介を…
今年で二十代も折り返し地点にきました。
昔から読書が好きで、基本的にどんな本も読みますがテーマが重ための本が好きです。
細かいことが気になり、つい言い過ぎて母から小姑と呼ばれた事があります。
こんな私が普段うっすら思っているあれやこれを徒然に書くエッセイ「タケナカのこれ思てんねん。」
毒にも薬にもならないけど「なるほどなぁ」となるかもしれない、超プラシーボなエッセイです。
ひとつ、お手柔らかにどうぞ。
自己紹介がむずかしい
突然ですが自己紹介って難しくないですか?
「これ言ったらセンスないなって思われねぇかな」という自意識の無意味な締め付けのなか、お互いが自分のカードをどう切るかという心理戦。
結局ふわふわした感じで進んでしまい、入浴中に「あっちのカードのほうが良かったかな…」と後悔。
かと言って「自己紹介ウケるテッパンネタ!」的なものに逃げるのも悔しいもの。
毎度、己の自意識の高さがほとほとイヤになる。
どうも好きなものや興味のあることを入口とするから、辛く苦しいのではないだろうか?
好きなものを伝えるとき、その深度がしばしば問われる。(ニワカだって別にいいのに)
意外と「苦手なもの・嫌いなもの」を伝えあったほうが「分かる~」「マジ!?」と話し合えるし、根っこで理解しあえる感じがする。
(ほぼ初対面という状況でネガティブなことを話すのもどうかと思うけど。)
ということで、今回は私の苦手なものをご紹介。
人の家の絨毯が実は苦手
昔から人の家の絨毯が苦手だ。
やっぱり汗やホコリや菌やらがパンパンに詰まってそうな感じがするし、落ちた汚れが踏みしめられてミチミチになってんじゃないかとも思う。
毛足の長いものなんて、もう大変。
むしろ絨毯側から手招きしてない?(金持ちの家にある平べったいトラの絨毯とかどうなってんだろうか……)
別に潔癖症というわけでもないのだが、見えない生活の汚れというのは想像するとどうもしんどい。
それが足に近ければ近いほど避けられない苦しみが増すように感じる。
人の家の「見逃された嫌なもの」がこちらにまとわりつくイメージがなんとなくしてしまうのだ。
あとは足裏で触れた感じ、つまり触感が二つ目の理由。
昔から好きな触感と苦手な触感がよくあった。
二十代も折り返したがいまだにベロア生地が得意じゃない。
知らないことは積極的に受け入れるようにしているが絨毯はどうしてもダメ。
一人暮らしを始めた弊害か、最近はついに実家の絨毯すら踏めなくなってしまった。
これも結局は自分の感覚が原因なのだが、素足でなにかを踏むというのが苦手みたいだ。
足の裏一面から悪いもの(菌とかあとはエネルギーみたいなもの)がどんどん体内に入ってくる感じがする。
ではフローリングだったら良いのかと言われるとそうでもない。
歩くとペタペタしてなんかイヤだ。
やっぱり裸足でなにかを踏むのが苦手だし家でもスリッパが手放せない。
絨毯で色々調べていたら「lie like a rug」という海外のスラングがあるらしい。
「素知らぬ顔で嘘をつく」という意味だそうだ。
今後も実家に戻ったり、誰かのお家にお邪魔することもあるだろう。
その際に絨毯で「あぁ…」という思いをするのはバカバカしい。かと言って毎度スリッパを持参するのもなんとも面倒。
「俺、人の家の絨毯苦手なんだよね。」なんてセリフはもってのほか!
いつだって「lie like a rug」の精神。
なんともない顔で飲み込むほかないだろう。
好きと嫌いとマイルール、自我と自意識にがんじがらめのぐるぐる人生。
そんな中で普段思っていることをポツポツと書いていこうと思っています。
ぜひ、あなたの普段思っているけど、なかなか言えないなあ、なことも教えて下さい。
ご投稿はこちらから。
次回の「タケナカのこれ思てんねん。」もどうぞお楽しみに。
