厳しい戦況が続くウクライナでは、国内にとどまる人々も、隣国ポーランドへ避難した人々も、日々さまざまな支援を必要としています。そうした現場に寄り添い、物資支援や情報発信に取り組んできたのが、坂本龍太朗さんです。
メディアや講演会を通じて現状を伝えながら、「個人と個人をつなぐ直接支援」を重視し、必要な物資を確実に届ける活動を続けてきました。
今回私たちは、坂本さんがこれまでの支援を通じて感じた課題や現地の状況、そして坂本さんを通じてLOVE&PEACEプロジェクト「フェリシモ子ども基金」がどのようにウクライナ支援に生かされたのかについて、お話を伺いました。

坂本龍太朗さん
ポーランド ワルシャワ日本語学校の教頭。
ポーランド在住のウクライナ避難民に対し、食料や衣類といった物資の提供をはじめ、直接的な支援や、ウクライナ国内で避難生活を送る人々へ医薬品を送付するなど、積極的に人道支援に取り組んでいる。
SNSや講演会を通じてウクライナやポーランドに暮らす避難民の現状を伝えるなど情報発信にも力を注いでいる。
ウクライナ難民支援の原動力
ー坂本さんがウクライナ避難民への支援を始めたときのきっかけはどういったものだったのでしょうか?
正直なところ、はっきりとした「きっかけ」があったというより、考える間もなく支援に動かざるを得ない状況でした。
2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が突然始まり、隣国であるポーランドには今日、明日にも避難民が押し寄せると予想されてました。
さらに侵攻が始まったのは真冬で、気温はマイナス10度を下回っていました。
ためらっていると戦争から逃げてきた人々が凍死しかねない、そんな切迫した状況で行動を起こすほかありませんでした。
ーそうした状況でどのような支援を行われたのでしょうか。
戦争が始まった当初は、まず避難民が生活できる環境を整えることが最優先でした。
地域の体育館を避難所として開放し、寝袋や毛布、防寒具、食料品などを準備しました。
小さな子どもを抱えた母親も多く、おむつや乳製品などの準備も欠かせませんでした。 中には靴も履けないまま必死に逃れてきた人もいて、生活を成り立たせるためのあらゆる物資が必要とされていました。

ー坂本さんはその後もウクライナ避難民に対して継続的に支援を行っていますが、その理由や原動力はどういったものでしょうか。
「恩返し」と「罪滅ぼし」が支援を続ける動機になっています。
まず「恩返し」についてですが、私はロシア語を話すことができます。
ウクライナから避難してきた方々の中には、ロシア語圏出身の方も多く、ポーランドに来ても言葉が通じず困る場面が少なくありません。そうした時に私が間に入って通訳をしています。
ロシア語を話せるようになったのは、多くの人とのコミュニケーションの積み重ねや、さまざまな支えがあったからこそです。その恩をどこかで返したいという思いが、ずっと自分の中にありました。
一方で「罪滅ぼし」という気持ちもあります。2011年の東日本大震災が発生した時、私はポーランドにいて、ニュースでは連日悲惨な状況が流れてくるのに、何もできないことが非常につらかったです。
お金を送るなど、自分にできることは精一杯行っても海外にいたので、できることに限界を感じました。
だからこそ、今目の前で困っているウクライナ避難民を助けたいという思いがより一層強くなりました。

戦争の長期化により見えてきた避難民の課題
ー避難民の方々に寄り添い、継続して直接支援を続けてこられたからこそ見えてきた、現在の課題にはどのようなものがありますか。
戦争の開始から4年が経過し、避難民が抱える課題は当初とは変化してきています。
戦争で親を失った子どももいれば、ポーランドで避難生活を送りながら大学に進学する子どもも出てきました。
そんな中で特に深刻なのが、ウクライナ避難民の子どもたちの「ポーランド人化」です。
ポーランドの学校に通い、日常生活でもポーランド語を使うことで、ウクライナ語の読み書きができない子どもが増えてきました。
海外で生活するうちに現地化が進むと、戦争が終わり復興の時期を迎えても、ウクライナに戻らない可能性が高まります。
その結果、ウクライナの伝統や文化を完全に失ってしまうリスクもあるのです。
またウクライナ国内の避難民にも問題があります。
ロシア語圏の東部・南部の人々がウクライナ語圏の西部に避難していることが多いのですが、ウクライナ語を話す人たちからするとロシア語圏の人々は敵国の言語を話しているという認識になって、差別やいじめにつながっているという現状があります。
物資や食料支援などではカバーできない、外からはなかなか見えづらい問題が戦争の長期化により顕著になってきています。
戦争が終わってもこういった問題は続くと思うので、継続した支援というのは今後も必要だと感じています。

フェリシモ子ども基金の活用
ー坂本さんはこれまで「フェリシモ子ども基金」を活用してウクライナ難民支援活動をされてきました。どういった活動をされましたか?
おもに3つの活動を行いました。
1つ目は越冬物資支援として充電式発電機をウクライナ国内へ届けました。
ミサイル攻撃により学校に通う子どもたちは時に数時間にわたり暗く寒い地下室での避難を余儀なくされるため、そういった避難時にも活用いただいています。


2つ目はウクライナ国内への医療物資支援への活用です。
医療物資不足が深刻な状況だった当時、かき集めた医療物資は医療パックとして民間人避難車両、救急車、病院、避難所などに配られました。
実際にウクライナ北東部にあるハリキウでは、「車に備え付けてあった医療物資のおかげで、ロシア軍によるミサイル攻撃で負傷した人の命がつながった」とのお声もいただきました。

3つ目はウクライナ避難民の子どもたちへの通学バスの提供です。
ポーランドに来たウクライナ避難民の子どもたちはお金がないため学校の近くや交通の便のよいところに住めないことが多く、学校に行きたいのに通学がむずかしいという問題がありました。
そこで通学バスを購入し小学校に提供しました。

坂本さんが考えるLOVE&PEACE
ー坂本さんが考えるLOVE&PEACEとは?
私が考えるラブアンドピースというのは、一言で言うと「教育」です。
戦争っていうのは大人が引き起こしたことですが、やっぱり近くでいろいろと見て来て一番苦しんでいるのは子どもたちなんですよね。
そして、子どもたちの世代がこの戦争の復興を担っていくことになります。
だからこそ、教育を通じて平和について子どもたちに考えてほしい、子どもたちに伝え続けていきたい。
それが今後のラブアンドピースにつながっていくと感じています。

ラブアンドピースプロジェクト フェリシモ子ども基金付き商品ページはこちら
https://www.felissimo.co.jp/collect/funds_fsc/felissimokidsfund_fsc
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