20年の時を経て、おかえりなさい。「フェリシモ クリスマス アーカイブス コレクション」の物語をつなぐエマさんの想い。![]()
20年ぶりの帰郷
2025年10月21日の朝、秋の光が神戸の街を優しく照らす中、フェリシモの本社「Stage Felissimo」にエミリア・フォン・スタウファーさん(以下、エマさん)がやって来ました。神戸はエマさんがかつて過ごした思い出の場所で、20年ぶりに訪れる「第二の故郷」です。
今回の来日は、ただの訪問ではありません。20年前に母親になるために日本を離れたエマさんが、娘さんが20歳になった年に再びこの地を訪れるという、一つの物語が元に戻るような「帰郷」です。
ー約20年ぶりの日本、そしてフェリシモへの「帰郷」、おめでとうございます。今、どのようなお気持ちですか?
エマさん 日本を離れ約20年が経ち、その間に多くの変化があったと感じています。神戸の街も以前とは違うところが多く、驚いています。![]()
フェリシモが所蔵する「フェリシモ クリスマス アーカイブス コレクション」の一部に再会して微笑むエマさん
記憶の守り手 ― 海を渡った遺産
エマさんの物語に欠かせないのが、フェリシモが所蔵する世界最大級のクリスマスコレクション「フェリシモ クリスマス アーカイブス コレクション」です。これは、イギリスの伯爵夫人でエマさんのお母さまであるクリスマス研究家でもあるマリア・フォン・スタウファーさんが生涯をかけて集めた、約10万点ものグリーティングカードやオーナメントなどの貴重なクリスマスにまつわる品々です。
このコレクションには1800年代初めから近年までの、世界中のクリスマスに関するものが含まれています。特にヴィクトリア王朝時代の飾りはデザインが優美で、また貴重な品として文化史的にも世界的に大切な資料とされています。
マリア伯爵夫人は、このコレクションを深く理解し、未来へと発展させてくれる後継者としてフェリシモを選びました。当時よりフェリシモは「毎月サンタクロースがやってきてもいいじゃない!」という想いを掲げ、自分たちをサンタクロースと見立てて、心温まる活動を進めていました。その考え方が、伯爵夫人の想いとぴったり合ったのです。
1991年、たくさんのコレクションがフェリシモに託されました。しかし、物だけが来ても、その内容が分からなければ意味がありません。その文化的・歴史的な価値を伝え、引き継ぐ人が必要でした。その役割を任されたのが、マリア伯爵夫人の娘で、まだ10代だったエマさんでした。
ー10代で初めて日本に来られて、お母さまであるマリア伯爵夫人から託されたクリスマスアーカイブスとともに日本での生活を始められた時、最も心に残っている思い出や、一番大変だったことは何ですか?
エマさん 最初はホームシックになりましたが、フェリシモや神戸のみなさんがとても温かく接してくださり、日本での生活を楽しむようになりました。特に、神戸北野異人館でクリスマスツアーをしたのが良い思い出です。(笑い話ですが)私がクリスマスの人形のふりをして部屋に立っていたら、お客さまが来られた時に急に動いて驚かせてしまったこともありました。![]()
・felissimo Library「フェリシモ クリスマス アーカイブス ミュージアムコレクション」ページ>> https://feli.jp/s/pr251024/1
新しい場所での挑戦 ― 10代の少女が、関西弁を話すまで
一人で日本に来た当時10代だったエマさんにとって、日本での生活は大変なことばかりでした。言葉の壁や文化の違い。最初は戸惑うことも多かったでしょう。しかし、彼女は持ち前の明るさでその困難を乗り越えていきました。
基本的な日本語を覚えることから始まり、フェリシモの仕事に携わりながら、函館に「フェリシモ クリスマス アーカイブス ミュージアム」ができた時には、コレクションの象徴として、講演会で流暢な日本語でその魅力を語るまでになりました。フェリシモでの仕事の最後には、むずかしい漢字を使って商品企画書を書き上げ、一人で商談をこなすほどになっていたのです。
彼女が覚えたのは標準語だけではありませんでした。いつの間にか関西の文化に深く溶け込み、流暢な関西弁を話すようになっていました。周りからは「お笑い芸人になったら?」と冗談を言われるほど、その話し方は自然で、周りの人をなごませる魅力にあふれていたと言います。
ーフェリシモでの仕事を通して、流暢な関西弁も話されるようになったそうですが、お気に入りの関西弁はありますか?
エマさん イギリスでは同じ言語でも言葉は変わりませんが、関西弁は単語自体が変わるので難しかったです。仕事で函館に行った際も、「関西弁を話す外国人だ」と笑って話していました。「阿寒湖はあかんでしょ」と現地の人とジョークで笑ったりしていました。(笑)![]()
文化の橋渡し ― ヴィクトリア王朝時代のカードから、お好み焼きのキッチンカーへ
エマさんの役割は、イギリスの文化を日本に伝えるだけではありませんでした。彼女自身が、日本とイギリスをつなぐ橋渡し役となったのです。
日本での彼女の仕事の中心は、お母さまが残したクリスマスアーカイブスの価値を伝えることでした。コレクションの中心であるクリスマスカードは、まさに今のクリスマスカード文化が始まった時代のものです。クリスマスカードの販売は、1843年にイギリスから始まり、カードを贈る習慣が人々の間に広まっていきました。
エマさんが守り育てたクリスマス アーカイブスの物語は、今、ひとつの商品として新たに私たちの手元に届けられています。フェリシモ創立60周年を記念して復刻された「全部柄の違う 100枚便せんセットの会」です。
フェリシモは2025年9月に、「私だけの蚤の市 全部柄の違う 100枚便せんセットの会」を新発売しました。これは1987年に登場してから長い間愛され、シリーズ累計発行部数は46万部を超えるフェリシモの人気企画です。今回、復刻するにあたり、そのデザインのもとになったのが、エマさんが守ってきた「フェリシモ クリスマス アーカイブス コレクション」なのです。ヴィクトリア王朝時代を象徴する優雅なカードや、オーストリアの画家パウリ・エブナーが描いた可愛らしいイラストなど、コレクションの中から選りすぐりの柄が便せんを彩っています。
エマさんが、クリスマスカードの文化を広く日本に紹介するキュレーターとしての役割も果たした「フェリシモ クリスマス アーカイブス コレクション」が、エマさんの帰郷の年に新商品として復活しました。
ー1989年に発売され、今年60周年を記念して復刻した100枚便せんをご覧になられて、いかがですか? フェリシモのお客さまにとてもご好評をいただいています。
エマさん 母が幼いころからコレクションし、伝えたいと思っていたクリスマス文化がこのように今も日本の方々に伝えられていることをとてもうれしく思います。私もこの便せんの中のイラストの原画をいくつか持っていますよ。デザインがかわいいですね。ヴィクトリア時代のカードはもともとクリスマスではなく、イースターなど別のものでした。それが時間が経って、クリスマスのカードに変わっていきました。イギリスでも誕生日、父の日、母の日、結婚式など、さまざまな場面でカードを使ってメッセージを贈ることが多いですよ。![]()

・「私だけの蚤の市 全部柄の違う 100枚便せんセットの会」ご案内特別ページ>> https://feli.jp/s/pr251024/2
イギリスに帰国後、エマさんは驚くような変化を遂げました。子育てをしながら、トレーラー式のキッチンカーでお好み焼きや焼きそばといった日本のソウルフードを売る仕事を始めたのです。
彼女が生活した関西地方の「ソウルフード」。彼女が愛した第二の故郷の味を、母国の人々にも届けたいという純粋な気持ちの表れでした。
最近、ロンドンでは日本食の人気が高まっており、本格的なお好み焼き店が人気を集めています。お好み焼きはイギリス人にとって意外にも親しみやすい料理として受け入れられているそうです。
フェリシモがイギリスの文化遺産のクリスマス アーカイブス コレクションを日本に紹介した一方で、エマさんは日本の食文化(特に関西の味)をイギリスに紹介する。この美しい対照性は、彼女の人生そのものが、ふたつの文化をつなぐ橋渡し役であることを示しています。
ーイギリスに戻られてから、お好み焼きや焼きそばのトレーラー式のキッチンカーを始められたと伺いました。とてもめずらしい経歴ですが、日本の食文化をイギリスで広めようと思われたきっかけは何だったのでしょうか?
エマさん 父の家の近所でジャパンナイトという催しがあり、その際に小さいお好み焼き「ミニ焼き(miniyaki’s)」を披露したのがきっかけです。お好み焼きをイギリスの人にも食べやすいように工夫しました。最初の反応は、甘くないパンケーキと思われたり、「キャベツは好きではない」と言われたりもしましたが、実際に食べていただくと「おいしい!」と言ってもらえました。イギリスではビーガンの方が多いので、お肉は入れずに野菜だけで作っています。![]()
お祝いの気持ちを味わう ― イギリスのクリスマスと、新しい伝統の始まり
エマさんの物語は、イギリスでのクリスマスの楽しみ方にも光を当ててくれます。冬になるとホームパーティーでワインを片手に楽しく話したり、グリーティングカードやギフトのやりとりをしたり。そんな光景が目に浮かびます。
この冬、フェリシモのf wineryでは、そんなクリスマスの食卓を豊かに彩る、「フェリシモ クリスマス アーカイブス コレクション」からデザインした、クリスマス特別ラベルのワインを発売しています。豊かな香りとしっかりとした味わいのカベルネ・ソーヴィニヨン(赤)と、華やかでフルーティーな香りが魅力のマスカット・ゴルド・ブランコ(白)の2種類です。
ーこの冬、フェリシモからクリスマスを彩る新しいワインが発売されます。もしエマさんなら、このワインをどのようなクリスマスのシーンで、どんなお料理と合わせて楽しみたいですか?
エマさん 赤ワインはお肉料理、白ワインはお魚料理に合うと思います。日本では今でもクリスマスにチキンを食べていますか?私は父の影響で、クリスマスにはサーモンなどを食べたりしています。12皿のごちそうを並べて楽しんでいます。
・「f winery Xmasラベル 127マスカット・ゴルド・ブランコ〈白〉」ご案内ページ>> https://feli.jp/s/pr251024/3
・「f winery Xmasラベル 128カベルネ・ソーヴィニヨン〈赤〉」ご案内ページ>> https://feli.jp/s/pr251024/4
またフェリシモでは、同じく「フェリシモ クリスマス アーカイブス コレクション」からデザインした、メッセージカードや写真の保管などにぴったりなマグネット付き収納ボックスを発売。薄い砂糖でチョコレートをコーティングした、見た目も美しいフランス産ドラジェとセットなので、贈りものや手土産にぴったりです。
・「フェリシモ クリスマス アーカイブス コレクション マグネット付き収納ボックス&ドラジェ」ご案内ページ>> https://feli.jp/s/pr251024/5/
続いていくストーリー― 「想いをつなぐ、物語。」
エマさんの20年ぶりの帰郷は、多くの物語を再び結びつけました。お母様マリア伯爵夫人が未来に託した遺産。それを受け取り、日本で守り育てた娘エマさん。そして今、エマさん自身が母親として、次の世代である彼女の娘さんと共に、物語の始まりに戻る。
この「世代を越える物語のつながり」は、クリスマスの持つ時代を超えた魅力や、「100枚びんせん」が呼び起こす懐かしさと調和し、私たちに深い感動を与えてくれています。
今回の来日は、過去を振り返るだけでなく、未来への扉を開くものです。エマさんとフェリシモ、そして日本のファンとの間に生まれた絆は、これからも新しい物語を紡いでいくでしょう。彼女がつないだ文化の橋は、さらに多くの人々が渡り、心温まる交流を深めるための道となるでしょう。
ーエマさんとエマさんのお母さまの人生は、まさに日本とイギリスの架け橋ですよね。今回の来日をきっかけに、フェリシモと、そして日本のファンと、今後どのような形で関わっていきたいですか?エマさんのこれからの夢を教えてください。
エマさん 本当にそうですね。クリスマスアーカイブスは母がおさないころからコレクションしていたものだったので、心からその価値を伝えたいと思っています。イギリスに戻ったときは、日本食をきちんと伝えたいです。私は日本を心から愛していて、マインドは日本人に近いと感じているからです。あとはフェリシモの商品もイギリスで広めたいとも思っていますよ。
ーどうもありがとうございました。

◆エミリア・フォン・スタウファー(エマ)さん
母マリア伯爵夫人が集めた世界最大級のクリスマスコレクションを継承するため、10代で来日。英語しか話せなかったが、関西弁を操るほど日本の文化に溶け込み、コレクションの価値を伝えた。帰国後は、日本のソウルフードであるお好み焼きのお店を、トレーラー式のキッチンカーで営み、日本とイギリスの文化の橋渡し役として活躍している。
